サラリーマンの鬱憤 二〇一七年四月二日
私の日課でもあるのだが、一、二時間、余裕が出来ると、私は近くの喫茶店に出掛けては、古本屋で手に入れた一冊百円の文庫本を読むのである。この日も、いつものように、喫茶店で本を読んでいた。
隣の六人のサラリーマンが、何やら大声上げて、血気盛んに会話を繰り広げていた。会話と言える程、上品なものではない。齢七十過ぎのマダム達が、順々に、夫の悪口を言い合う、そんな世間話でさえ、喫茶店の中での会話としては、幾分可愛らしく思える。夫の悪口発表会を、上品な会話とは認めたくないが、彼女達の悪口には、憎たらしい夫とは言えど、長年の生活によって育まれた愛情を含む、駄目な夫自慢大会の一面も認められるのである。
だが、私の隣に座っていたサラリーマンはどうかというと、これは目も当てられない、背広を着た禿げ頭達の醜悪な誹謗大会に他ならない。六人の男達は、そこにはいない仕事の同僚?のある男について、あれこれと語っていた。
私から一番離れたところに座っている男が、きっと、この六人の中で一番偉く、また一番の禿げっぷりであったが、彼が少々改まった口調で、あいつは地位の為だけに働いている屑男だ、等と罵ると、他の五人は、おお、そのとおりだ、と相槌を打つ。そして、禿頭領が悪口を語り終える前に、もう一人の男が割って入る。彼は眼鏡である。
眼鏡は、あいつと呼ばれる男に、普段、随分な理不尽を感じているようで、日に日に積み上げられる鬱憤を晴らすために、男達の前で怒鳴りあげた。眼鏡の話は、終始一貫しておらず、初め数十秒は、本題とは全く関係のない、もしくは、関係があっても、聞く価値のない前置きである。その後の、彼の本題の言うところによると、あいつは、会議室での声が耳障りだから、声の調子を弁えるべきである、ということだ。血が上って、真っ赤な頭をした眼鏡男が、唾を吐き散らすかの勢いで、喫茶店に大声を鳴り響かせている姿を見ていると、一体、悪口の当人も、眼鏡の彼も、どちらも声に注意すべきなのではないかと、他人事ながら、思うのである。
眼鏡が話を終える前に、また禿頭領の男が、禿げで頭が常に涼しげなのか、冷静な面持ちで、いや、違うのだ、と遮る。他の四人は、目を禿げ頭に向け替える。眼鏡は消化不良の様子である。
禿頭領は、煙草の一飲みし、煙を天井に向けて慎重に吐き終えると、あいつは、金の為に働いているのだ、と言った。他の四人は、うんうん、そうだな、と相槌をうつ。ここまできたら、様式美である。禿げ頭の主張は、渦中の男の地位、金の欲を非難するものばかりであったが、一体、何が、いや、違うのだ、なのだろうか。内容自体がそもそも違うのだから、確かに、違うことに間違いはないのだが、この場合は、自分の話をしたいが為に、適当な文句で相手の番を強制的に終了させただけなのである。眼鏡の主張への反論ではないのである。話を遮られた眼鏡の彼が不憫で仕方ない。行く宛てのない、胃のむかつきを、もう少し、あと数分、あいつの悪口を語りつくすことで発散出来たなら、彼の胸中は、清らかな秩序を手に入れられただろうに。
終わりの見えない彼等の誹謗大会は、禿頭領の妻からの電話によって、一瞬間のうちに終了し、お会計を済ませて、そそくさと帰っていった。喫茶店はいつもの静けさを取り戻していた。人の悪口は、他人から見ても、異様で醜いものである。
銀之助随筆集 津軽銀之助 @syoukitiii
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