二日酔いというものは 二〇一六年七月九日

 昨晩、友人と渋谷でたらふく酒を飲み、いつの間にか終電を逃していた。なるべく家の近くまで走る電車に乗り、下りてからは家まで歩いて帰った。

 朝、起きてみると、下腹部に異物感があり、脳は鉛のように重く、視力は活力を失くしている。私は憤りを感じた。

「人は何故、二日酔いをするのだろうか。二日酔いは、酒呑みが受ける猶予なしの実刑なのか。」

 呑んでいるときは、楽しく幸福な酔いが、如何にして翌朝には、こうも気分を害する酔いに変わってしまうのだろうか。

 人にはそれぞれ、アルコールを分解する能力の優劣があるようで、その分解能力の乏しい人によっては、飲み過ぎの翌日は、二日酔いの未来が見えている。酒量は、個人差はあるものの、人体にある程度の許容量がある。

 だが、今一度、酒と人の歴史を追って考えてみる。酒はいつから作られるようになったかは定かではないが、古代オリエント世界では、紀元前五千四百年頃のとある遺跡から、ワインの残留物が入った壺が出土したようである。それ以前にも、きっと人の手によって酒は造られ、飲まれていた筈だ。

 では何故、人間は数千年間にわたって、酒と共に生きてきたにも関わらず、現在になっても、アルコールの分解能力がこれ程までに低いままなのだろうか。

 どの生物も、長い年月を経て、進化し続ける。原人から新人に進化した過程で、大脳が肥大してきたように、現代人はアルコール分解能力を高めた、新人類に進化していくべきである。酒からは逃れられない現代社会を生きていく為、アルコールの分解酵素の働きを強めることは、古代の水中生物が、餌を求めて陸に進出したように、この世を生きていく為に必要なのである。


 昼までベッドで潰れていた私は、コンビニに出掛けた。二日酔いに効くとされる栄養ドリンクを買い、その他に、ダイエットコーラも買った。

 小雨が降っていたので、傘を差しながら、喫煙所で一服した。目眩のような視界の不快感に苛まれて、視界と共に揺れる煙が不味く思えた。

 家に帰っても、この二日酔いの疲れは取れないようで、コンビニで買った栄養ドリンクを一気に飲み干した。胃の中に、冷たさが流れ落ちていく。その冷たさが、荒れ果てた胃に膜を張ってくれるような感じがした。

「病は気から。二日酔いは胃から。」とはいうが、二日酔いも気から、ということらしい。胃が栄養ドリンクの清涼感と、特有のねっとりした液体に包まれて、一瞬間にして回復してしまったような気がしたのである。

 私はすっかり元気になって、近所の小さな本屋に出掛けることにした。雨の蒸した空気の中で、活字の空間に身を入れると、再び、二日酔いの酩酊状態に陥る感覚がした。文字を読む力が、未だ回復していなかったのである。

 現在、見事二日酔いから解放され、これを書いている訳であるが、こんな駄文、誰の為になるのか解らぬ。自分自身、これを書いていて、何も楽しくなかったのだ。

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