遅寝遅起きのすゝめ 二〇一六年八月三十日

 夏の生活習慣は崩れがちになるものである。大学生ともなれば、極めて崩れがちである。大学四回生となった私は、四年間の鍛錬によって、その崩壊しきって、習慣とは到底呼ばれない一日の生活のリズムを体得せしめたのである。

 日々の起床時間は、日に日に遅くなり、今日に至っては、十三時をゆうに過ぎていた。人生を有意義に生きようと、己の意識を高めようと努めている輩が見たら、私のこのだらしない生活を軽んじるであろう。私は、それに十分な反論を持ち合わせていない為、そう思われても致し方ないと、受容の覚悟は出来ている。

 しかし、私のこの生活における利点というものも、確実に存在していることを、負け犬の遠吠えとは言わずとも、せめてもの言い訳として、ここで述べさせて頂こうと思う。


 まず、私は朝が弱い。これは、朝早くに起きられないという、明瞭過ぎる意味だけでなく、隠れた対義として、「夜遅くまで起きていられる」という意味を同時に含んでいるのである。夜遅くまで起きることの利点といえば、眠気に邪魔されずに、友人と遅くまで酒を飲んでいられたり、周囲が寝静まった時間帯だからこそ、この世界に我唯一人といった風に、普段窮屈に押し込めている自尊心を自由に解放するときの、甘美な気分を味わえたりするのである。

 これだけでなく、夜遅くまで起きる利点は幾らでもある。では、朝遅くに起きることの利点は何であろうか。早起きは三文の得という古い諺が残っているが、古人は現代の私達に、遅起きの得を何一つとして説いてはくれていないのである。ならば、私が皆様に説いて御覧に入れよう。

 遅起きをすることで、朝食が要らなくなる。これは、飲み会の行き過ぎで貧乏な大学生にはとても魅力的な利点であろう。一日二食の食生活でも十分生きられるということを、私が確証を得てきたのであるから、皆は安心して、朝遅くまで寝て、朝食を抜き給え。

 また、惰眠を貪ることで、思案に耽ることが出来る。最近の若者は、特に考えることに時間を割くことが出来ず、思考力の低下が問題視されている。目が覚めても、ベッドで一時間程、政治や哲学、男性ならば変態的妄想を働かせる時間を作ってみては如何だろうか。これを実践したことで、私は国語力がめきめきと伸び、哲人として心が成長し、よく一、二限目の授業を落第してきた。

 夜遅くまで起きることと同様に、朝遅くまで寝ることにも、数えきれない程の利点が存在する。早寝早起きに良いことがあるように、遅寝遅起きにも、良いことがあることを、現代人は蔑ろにしてきたのである。

 今からでも遅くはない。私達が、次世代の人間の為に、遅寝遅起きの得を説いてゆこう。大学生のより良い社会の為に。至福の朝の眠りの為に。


 しまった。明日は、早朝から友人との遊びの予定が入っている。今朝、十三時に起きた私が、夜早くに寝付ける訳がない。遅寝遅起きは、個人的な利得が多い反面、現代社会の生活規範には幾分適合しないのである。

 よし、彼等に待ち合わせ時間を遅らせてもらおう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る