ヒロイズム 二〇一六年十月下旬某日
彼女は不幸だった。ただ一つ、小さな役割を求めていた。
普段から、幾度となく「死にたい」と言っていた。私はそれを止めなかった。もっともだった。人間誰でも、一度は死を望むように出来ている。
彼女は自省を止めなかった。自省というよりかは、自ら憂慮の世界に入ろうと努めていた。幸せになりたかったが、そのやり方を間違えていたのである。周囲は自分のことを正当に評価してくれないと思い込んでいた。
不幸は実感する。肺に溜まる空気、非常に嫌な味がする。耳、遠くなる。視野、ただ自分の望まない一点ばかり凝視。そうか、これが不幸なのだな。人は常に不幸を実感することが出来る状態にいる。
しかし、幸福は実感出来ない。死にたくない、とさえ思わない尋常一様の一分一秒。可愛い動物の紙芝居は、一枚、また一枚と、自分の眼前にて、するりするりと、地に落ちていく。面白くない。最後に、「おしまい」の字を見せられた時、初めて、次に来る不幸を予期するのみ。
彼女の世界は全て三人称。劇作家だった。他人は観客。自分を演じる役者は誰だろう。彼女は悲劇を作り上げた。彼女を演じる誰かを、観客は皆、固唾を呑んで見守る。
彼女は次第に落ちぶれていく。彼女は自らの嘆きを、歌に乗せて、詩に乗せて、観客に伝えようとした。観客は次第に飽きてきた。一向に物語は進まない。何故ならば劇ではなく、人生。彼女は劇を作り上げるつもりで、人生を作ろうとしていた。ただ一つの人生を、二つ、三つも、自分ではない、誰かの人生を作ってきたのである。
観客は居眠りを始める。劇作家、その様子を見て、焦燥。忿怒。何故伝わらない。我が身の悲運なること、如何して理解出来ぬ。不服。
役者は喜びを演じた。劇場いっぱいに、幸福を感謝した。観客総立ち、拍手喝采。役者は微笑み、踊りまわる。劇作家の顔は、強張っていた。それは私ではない。誰も、作家に同情してくれない。役者一人、観客の歓声に応え、一礼。再び、拍手。
観客は皆、不幸だった。ただ一つ、小さな役割を持っていた。「私」という役であった。演者はいても、客はいない。劇ではなかった。誰にも、示す必要がなかった。彼等は、自分の幸福を求め、不幸と戦い続けた。苦しかった。諦めて死のうと思った。だが、幸福の抑圧に耐えかねて、死にきれなかった。もし、観客がいたならば、彼等は劇作家になっていただろう。自らの不幸を、どのようにして、相手に伝えればよいか、念入りに考える必要があるから、演じるのを自分の化身に任せ、本人は人生作りに専念していただろう。
悲劇の役者は同情の対象である。観客は皆、似た境遇を通過して、今を生きているのだ。ただ、観客は、実感し得ない幸福を求めて、対称の悲劇を見に行く。悲劇を演じていた彼女に対して、観客は無関心であった。
彼女は不幸だった。影の同情に気付かなかったが為に。
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