カフェにて、大学生の葛藤 二〇一六年九月四日

 今朝、珍しく早起きをして、早くに昼食を済ませてしまった私は、まだ陽の沈まぬ夕暮れ頃に、耐え難い空腹感に襲われた。普段ならば、珈琲や煙草で気を紛らわせて、夕飯まで辛抱するのであるが、今日ばかりは、そういう訳にはいかなかったのだ。

近くを通った場末のカフェに入って、アイスコーヒーを頼んだ。一口飲むと、胃に冷たさが流れ込んできて、一本の木の生えていない大草原を吹く風のように、その突き抜ける清涼感が、胃の中が空っぽであるということを、私に強く意識させたのである。風に撫でられ靡く草原の草花のように、アイスコーヒーが胃の粘膜を撫でまわしていた。

 温かい珈琲か紅茶を頼んでおけばよかったのであろうが、このむさ苦しい暑さ残る今日に限って、温かい飲み物を頼む気は毛頭なかったのである。私はよく冷えたアイスコーヒーが好きなのだ。たとえ真冬であろうと、ストーブで暖められた店内であれば、アイスコーヒーを頼んでいる。

 胃を冷やされて、より一層の空腹感に悩まされた。煙草を吹かしても、大平原に小さな煙をくゆらす程度の気休めにしかならなかった。煙は一瞬のうちに、大気の中に溶けていった。煙では満腹にならないのだ。今更、当然のことを書いている私は一体。

 仕方なく、メニューの中からチーズトーストを頼んだ。とても安価だったので、腹の中に入れても害のないものであれば、何でも口にしたかったので、この注文に迷いはなかった。


 暫くして、チーズトーストが女の店員によって運ばれてきた。無我夢中で、それに食らいつく私服の大学四年の男。なんと滑稽な。

 空腹感が収まると、漸く気障ったらしい学士としての所作を取り戻し、落ち着き払った態度で本を読み始めた。チーズトーストの皿には、ポテトチップスが添えられていた。トーストとは不似合いだと思ったが、お茶請けのようなものだろうと納得し、気にせず食べていた。やはり、ポテトチップスは食べ出したら手が止まらなくなる。

 本を読みながら、皿に盛られたポテトチップスをつまんでいると、先程の女店員が私のテーブルにやってきて、何か言ってきた。砂糖とミルクを下げてよいか、といった旨であろうと考え、小さく頷いた。彼女は砂糖とミルクを持っていた盆の上に載せて、キッチンまで運んで行った。


 数分経った頃、私は読書に夢中になって、ポテトチップスの存在を忘れていた。そうだ、食べよう、と思い立ち、また一枚手に取って口に運んだ。まだ八枚くらいある。

 その時、また女店員がやってきた。彼女は私が手を伸ばしてポテトチップスを掴もうとする直前に、その皿を持ち去ってしまった。私は唖然とした。私のポテトチップス。私は彼女を制して、その皿を下げない様お願いしようかと考えた。しかし、ポテトチップス数枚如きで必死になるのも、冷静紳士な大学生には、あまりにも不格好である。否、矢張りポテトチップスを食べ損なうのは惜しい。

 葛藤している間にも、私のポテトチップスは遠くまで運ばれてしまった。無慈悲極まりない。嗚呼、塩気が恋しい。これほどまでに、ポテトチップスを愛おしく思ったことは、一度もなかった。

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