第8話

第七節 分裂の危機にさらされた六部族連合


 地平線に向かって真っ直ぐに伸びる一本のハイウェイ。正面にどす黒い帯が突然眼に飛び込んで来た。帯は道路上に湾曲した軌跡を描いている。

「何だろう」

 前方に目を凝らすと、白い腹のようなものを放り出した大きな塊が転がっている。大鹿の死骸だ。どす黒い帯は血の跡だった。ハイウェイに飛び出して、車にはね飛ばされたらしい。ハンドルを切って避(よ)け、通り抜けた。

 しばらく行くと、ニューヨーク州西部の町、サラマンカの標識が見えた。

真冬の凛(りん)とした木々の間から、陽光がハイウェイに差し込んでいる。ランプウェイから町に入っていった。人気はなく、コロニアルスタイルの家並みが続く。

 野ざらしになった赤いボディの蒸気機関車が眼に止まった。

「セネカ・ネーションにようこそ」という文字がボディに光っていた。先住民セネカが暮らす町である。

 蒸気機関車の傍らに図書館らしい建物があった。セネカ・ネーション・ライブラリーとある。チャイムを押すと、白人女性が現れた。地元商工会議所の職員パメラ・レイピーさんだった。

「折角来られたのに残念ね。今日はベテランズ・デー(退役軍人の日)の祝日で図書館も、お隣の美術館もお休みよ」

 レイピーさんは気軽にサラマンカの町を案内してくれた。

「この町は合衆国の中で、唯ひとつ先住民のリザベーション(居留地)の中にあるの。市民はセネカの国家から土地を借りて家を建て、賃貸料を支払っているのよ」

 セネカは一五七○年頃、周辺五部族と「イロコイ連合」という組織を結成したことで知られる。イロコイ (Iroquois) は先住民のことばでガラガラ蛇のことで、六部族はそれぞれ国家を結成し、その連合体が「イロコイ連合」だ。

その伝統的な住まいは「ロング・ハウス」と呼ばれ、鷲や狼の名前を持つクラン(氏族)毎に、フットボール球技場よりも「広くて長い家屋」に住み分けていた。東西に入り口を持つ、樹皮で覆われた楕円形の家だ。

 ニューヨーク州西部にあって、昔は東西にひろがる大地に暮らしていた六部族は、今はひっそりと肩を寄せ合うようにそれぞれの地域で日々を送っている。

大地をロング・ハウスの広い床に見立てて、東西を鳥瞰すれば、太陽が沈む西の入り口を守る門番役がセネカで、太陽が昇る東の門を守るのがモホークである。その真中に、西から順にカユガ、オノンダガ、オネイダが暮らす。後に連合に参加したタスカローラはロング・ハウスの南方に住む。

 レイピーさんが言う。

「居留地では仕事の場が少ないの。だから、居留地にカジノを建てて、その収益で消滅寸前の先住民の歴史を保存する資料館を作ろうという意見が、セネカの族長から出たのよ。何故なら、セネカと同じイロコイの部族、オネイダがそうしているから。でもね、ここは静かな町で、教育環境もいいわ。カジノなんか作れば、環境が悪くなるでしょ。ここから西に行けば、カナダとの国境が近い。そこにあるナイアガラの大観光地ならカジノも似合うかも知れないけど、ここはダメ。結局カジノ建設の話は議会が否決し、つぶれちゃったわ」

 町には国家直営のスモーク・ショップ(煙草屋)とガソリン・スタンドがある。セネカ・ネーションは周りのニューヨーク州から「独立」しており、煙草とガソリンに対する高い州税は免除されていた。そのため市価の半値以下で買えるため、わざわざ遠くからでも居留地に金を落す住民が少なくない。周りの白人業者も黙っていない。そのうちに燻り続けていた不満が爆発した。

「先住民の居留地は余りにも優遇され過ぎだ。これは死活問題だ」

白人らは当局にねじ込んだ。

 州政府も強硬な白人業者の要求に態度を変え、居留地内も課税対象にする決定を下したのである。

 居留地内のスモーク・ショップには、その決定を報じる地元紙の記事が張られ、先住民が課税反対の狼煙(のろし)を上げていた。

 町の大通りに「セネカ」という名前の劇場があった。

《ボブ・ルチア・ビッグバンド来演。金曜夜八時、当劇場にて》

 地方興行の発信基地である劇場の前を通り、歩道上を見ると夥しい数の煙草の吸殻が落ちていた。幕間に観客が外で吸ったのであろう。課税後は、吸殻の数も多少は減るのであろうか。


*イロコイのルーツとモホーク族


 北米大陸東部のカナダからアメリカ合衆国南東部まで、全長約二千六百キロにわたってアパラチア山脈が連なっている。最高二千メートルを越える山が聳える山脈から枝分かれした無数の峡谷が百キロの幅で走り、平原に向って川が流れ出している。

 イロコイ先住民は、そのうちニューヨーク州北部の山岳地帯およびその周辺の平原に住んだ人々のことである。人間の指のように細長い十一の湖(フィンガーレイクス)が南北に並ぶ周辺地域でとうもろこしを栽培し、主食としていた。

イロコイのルーツは一体何処に辿れるのだろうか。

はるか一万数千年前に、北東アジアから凍結したベーリング海峡を渡り、北米大陸に到達したモンゴロイドという説が有力だ。

 アメリカ先住民の幼児にはモンゴロイドの特徴である蒙古班(モンゴリアン・スポット)があることもその根拠のひとつとなろう。幼児期のみに見られる尻や腕の青いアザである。

 凍結したベーリング海を越えた彼らは、アラスカあたりで何度も氷河に道を阻まれ、長期にわたって足留めを食ったが、その後訪れた間氷期に氷河の間に出来た「無氷回廊」を通り抜けて、アメリカ北東部の森林地帯に到達し、定住したものと見られる。

 運命共同体としてのイロコイ連合は、「新大陸」と呼ばれた大地の東部に住んでいたため、一六二○年にメイ・フラワー号でヨーロッパ大陸から大西洋を渡ってやって来た白人移民らと最初に接触することとなる。

 初期に出会った白人の中には、ニューヨークがまだニューアムステルダムと呼ばれた頃、マンハッタンを拠点として商売をしていたオランダの毛皮商人がいた。彼らはマンハッタンの西側沿いを流れるハドソン川の水運を利用して北上し、イロコイがもたらす毛皮を手に入れて、本国で売りさばいた。

 その後ヨーロッパ各国から新天地を目指す白人移民が増加の一途をたどり、イロコイ六部族の運命は大きな変容を遂げることになった。

 アメリカの独立戦争が展開された十八世紀後半になると、オネイダとタスカローラがジョージ・ワシントン率いるアメリカ独立軍側についた。

 一方セネカ、カユガ、オノンダガ、モホークの四部族はイギリスを支持したため、イロコイ連合は分裂の危機にさらされた。四部族は戦火を逃れ、カナダへと移動したが、その後あくまでもイギリスを支援するモホークを除き、アメリカに戻って独立軍側に立って戦った。

 分裂の危機から連合を守り抜いたのは、ちょうど地理的に六部族の真ん中に位置したオノンダガと言われている。オノンダガは仲介役として、その後も一目置かれる存在となった。

 オランダ毛皮商人の基地となったマンハッタン島にも先住民が居た。島の名前に部族名を残したマナハッタ族である。

 彼らは突然船で現れたオランダ人に対し、わずか二十四ドル相当の装飾品と引き換えに島を売ってしまう。土地を所有するという概念が希薄であったのであろう。島を売却したという意識も薄かったのかもしれない。

 とにかくオランダ人は島を独占支配する立場となったのである。それが新天地アメリカにおける新しいアムステルダムすなわちニューアムステルダムの起源である。オランダは新しい拠点を築き、毛皮貿易で富を得ていく。

 そのオランダからマンハッタンの拠点を奪い取ったのはイギリスであった。一六六四年、イギリスは国王の弟ヨーク公の名前をとり、拠点をニューヨークと改名した。

 それから三百年余りたった二○○一年九月十一日、そのニューヨークで史上稀に見る大事件が起きた。テロ攻撃によるワールド・トレード・センターの崩壊である。マンハッタンが世界に誇った大摩天楼の一角が一瞬のうちに消滅したのだ。

 その昔、マンハッタンで天をも凌駕(りょうが)しようという超高層ビルの建設がはじまった頃、眼がくらむような高所の工事現場で建設労働者として抜群の活躍をしたのが、イロコイ連合のモホーク族だった。険しいアパラチア山脈の森林地帯で暮らしたモホークの天才的な登攀(とうはん)能力が、大摩天楼の建設に、一役も二役も買ったのであった。

 一七七六年、アメリカ合衆国が独立した頃、イロコイの中で唯一イギリスを支持したモホークは、合衆国とカナダの国境を流れるセント・ローレンス川をはさむ地域に定住していた。カナダ側にはモントリオール市がある。豊富な水量を誇り、美しく悠然と流れるセント・ローレンス川一帯は、農業や漁業に最適の地であった。

 ところが、第二次大戦後になると、工業化に伴う川の汚染が進み、環境破壊が始まった。自然の楽園が一変し、カナダと合衆国で最も汚染された地域に転落してしまった。モホークの再三の抗議にも拘らず、その後も環境破壊が進行していった。

 一九九○年、業を煮やしたモホークは立ち上がり、武装闘争を展開したため、カナダ・アメリカ両政府の軍事介入を招く事態となった。

 マスメディアは死者まで出したその紛争を「モホーク版南北戦争」と名付け、騒ぎ立てた。

 しかし、その対立をもたらした真犯人は、長年にわたり少数派モホークの居住環境を侵し続けて来た多数派の白人だという事実を伝えるメディアは殆どなかった。

 非常手段に訴えた彼らの行動は、結局武力によって鎮圧されたのである。人間として暮らす環境を、国境地帯定住後再び白人に踏みにじられたモホークの怨念は深く、その後も政府権力との対峙が続いている。

 それを裏付けるかのように、現在の居住地のひとつ、モントリオール市の銀行の壁に、黒のスプレーで大書されたスローガンを見つけた。

(モホークは絶対に負けない。必ず闘いに勝利する!)


*オネイダ族~ギャンブルで歴史を取り戻す~


 南端にワトキンス・グレンという小さな町があるセネカ湖は、フィンガーレイクスの中でも一番深くて面積が広い湖で、町を走り抜けるハイウェイが丘を上り詰めた時にその姿を現わす。ハッとするほどに透明度が高く、湖に向かう斜面を利用して、ワイン作りが盛んだ。試飲ができるワイナリーに立ち寄ると、クルマで乗りつけた客がダース単位でワインを買い込む姿が見られた。人間の指のように細長く南北に伸びる湖に沿って、北端の町ジニーバに向かうと、牧場の冬支度が始まっていた。

 湖を渡って来る風が裸樹の枝を揺さぶるジニーバの町を過ぎると、ニューヨーク州を東西に貫く大幹線、ニューヨーク・ステート・スルーウェイに入る。大動脈は隣のマサチューセッツ州まで続いている。

先住民オネイダが暮らす国家は、大幹線から分岐した道路を下ったところにあった。

 国家の中心に真新しい木造の文化センターがある。駐車場の奥にはビンゴ・ハウスが設けられ、公開中という看板が掛けてあった。中を覗くと、大勢のオネイダや観光客がゲームに熱中している。その売り上げで文化センターが建てられたという。  

 何故文化センターなのかと問うと、白人に奪われた歴史を取り戻し、部族の伝統を子孫に引き継いでいくためだという。

カジノやビンゴという賭場の運営は、そのままでは失われていく部族の歴史とアイデンティティを子孫に確実に手渡すための手段だというのだ。彼らはその資金をもとに、子弟の教育に力を注いでいる。

 賭場がある国家の周辺を眺めると、白人家庭が多い。オネイダは地域の少数派であり、多数派の白人から見れば、ギャンブルで得た資金を教育に投資するという考え方は素直に受け入れられない。白人は大いに批判的だ。

 しかし、与えられた居留地内にはさしたる産業もなく、雇用の確保もままならない現状では、先住民にとって賭博が生み出す資金は他に代えがたい存在である。

 文化センターの中には美術館やギフト・ショップと並び、子どもたちの学習室があった。壁には日常使う英語の単語と部族の言語であるオネイダ語との対照表が掲げてあった。

鶏肉は、チキン(英語)=キトキト(オネイダ語)

とうもろこしのスープは、コーン・スープ(英語)=オラーナ(オネイダ語)等々。

 失われつつある部族固有の言語を守り、必死で子どもたちに継承しようとしている意気込みを感じた。

 室内には、オネイダの伝統的民族衣装や獣皮の靴、羽飾り、儀式に用いるシンボルをあしらったワッペンなど、部族の遺産が丁寧に木製ケースに収められていた。

 模造紙に書かれているオネイダ語の文章に眼がとまった。

(オスカナハ・ツイ・スワタ・ティヘ)

 果たしてこの音の連続は、何を意味するのか。英語訳を見た。

(われわれ(オネイダ)は内なる声で話す)

《内なる声》とは一体何のことなのか。

 英語の音節を基礎に独自の文字を編み出した先住民チェロキーを除けば、アメリカ先住民は文字を持たなかった。文字が発明される前の段階では、話ことばがコミュニケーションの中心だった。

 それを「外なる声」とすれば、「内なる声」とは、音声を伴わない意思や感情の伝達方法である。ことば以外の身振りや眼の動き、顔の表情、手や足による合図、体の部分を指し示すといった非言語コミュニケーションのことだ。

 翻って、文字を持たなかったアメリカ先住民が、文字で物事の内容を定める「契約書」を理解しなかったことは容易に頷けるところである。ヨーロッパから押し寄せた移民ら白人勢力は、アメリカ先住民から土地を奪うため、契約書を悪用した。白人にとり都合の良い内容を文字で書き込んだ契約書を見せられても、先住民には理解不能である。

 その代わりに、先住民は「内なる声」と話ことばで意思を伝えようとし、契約書を差し出す白人の話ことばを信じようとした。

 先住民にとって、「内なる声」と話ことばは、白人にとっての文字による契約と同等の重い意味があったのである。

 しかし、白人にとっては「口約束」など論外であり、先住民が「文字さえ読めぬ蛮人」なのは好都合とばかりに、文字による契約を押し付けたのである。

 白人に土地を差し出し、共に分かち合おうとする先住民の友好の意志を示した「内なる声」を理解しないまま、通訳を介した話ことばを無視して、白人は先住民が先祖から引き継いだ聖なる土地を「契約書」を楯に、次々に騙し取っていったのだった。


*北米大陸になった海亀と交流会パウワウ


 ニューヨーク州ハウズ・ケーブにあるイロコイ・インディアン・ミュージアムを訪れた。彼らの創世神話や生活における男女の役割を知るためである。男女の分担はこう説明されていた。


 男の世界は森の中。狩猟が終われば交易へ。

 女の世界は村の中。栽培するのは豆、かぼちゃ。

 もひとつ大事なとうもろこし。

 族長決めるの、忘れるな。


 女性の役割のひとつに族長の任命がある。族長は男性が圧倒的に多いが、それを選ぶのは基本的に女性なのだ。

 男性は結婚すると妻の住むロング・ハウスに移り住む。男が持つ武器や衣服などを除き、ロング・ハウスも含めてイロコイ社会の全ての物は女性の所有である。典型的な母系社会だ。

イロコイの創世神話には男神と女神が登場する。


 男神と女神が天空から一緒に、海を泳ぐ大海亀の背中に舞い降りた。

 すると、大海亀は、あっという間に大陸になった。


 イロコイをはじめ、アメリカ先住民は北米大陸を海亀の島(タートル・アイランド)と呼ぶ。部族の創世神話には、しばしば海亀が登場する。自由に大海を泳ぎ回る海亀の姿は、新しい世界をもたらした使者として神話に織り込まれている。

ミュージアムの広場で、先住民と地域住民とのパウワウ(交流会)が開かれていた。海亀に扮したイロコイの青年が、太鼓と朗誦に合わせてダンスを踊っている。海亀に成りきろうとする気迫が窺える。

 先住民にとってダンスは交流のためのエンターテインメントという側面も勿論あるが、はるかに精神的な意味合いが濃い。

 ダンスのステップや動作、身にまとう衣裳や装飾の一つ一つが彼らの精神的な伝統や創世神話の内容と密接につながっているのだ。ダンスは彼らの内なるスピリットを表出させる媒介の役割を果たすという意味で、部族社会の儀式として重要な位置を占めている。次のような先住民のアニミズム的な世界観もダンスに織り込まれている。


人も石も樹も、全てが創造主から賜ったもの。食糧とするために仕方なく殺す動物の身体は隅々まで使い切る。それが、共生する動物に対する思いやりだ。肉は食用に、毛皮は寒さを防ぐ服や家屋の覆いとなる。角(つの)にはとうもろこしのスピリットを象徴する儀式用のオブジェを彫る。胃袋は鍋に、膀胱は水筒に使うのだ。


 創造主に語りかけるイロコイの長老の言葉に耳を傾けてみよう。


創造主よ。どうか、か弱い私に力をお貸し下さい。

私の手があなたの創造されたものに触れて、感謝し、敬うことができますように。

私の眼がどうか夕陽の美しさを感じられますように。

そして、耳があなたの御声を聞き取れますように。

木々の葉の一枚、一枚に、また一個、一個の石に秘められている教訓がわかりますように。私の精神があなたの御前に出ても恥ずかしくないものかどうか、どうぞお教え下さい。


 パウワウは元来狩猟や戦争の前に、創造主の加護を求めて発せられた言葉や踊りの儀式のことであったが、今では先住民が地域に住む白人や他の先住民と交流する場のことを指している。部族によっては、ヒーリング(癒し)の役割を果たすメディシン・マンを指す場合もある。

 パウワウの会場を覗(のぞ)いてみよう。

 中央にある広場では儀式としてのダンスが舞われ、その周辺には色々な出店が軒を連ねている。革や布の衣類、モカシン(鹿皮)の靴、馬上の先住民やバイソン(アメリカン・バファロー)などが描かれたベルトのバックル、儀式用道具類、絵画、クラフト、アクセサリー、壷類、食料品等々。丹念に見ていくと、品々から先住民の世界観が垣間見えて来る。

 例えば、最近では日本のアメリカ先住民ショップでもよく見かけるようになったドリームキャッチャーは、「夢をからめとる」用具だ。

 円形の枠に蜘蛛の巣状に張り巡らされた仕掛けがあり、枠からは羽飾りが垂れている。この用具は寝室の窓辺に置かれ、眠っている間に見る夢はすべて蜘蛛の巣にからめとられる。良い夢は蜘蛛の巣の中心にある穴に入る道を知っているので、そこから入り、羽飾りに留まる。悪い夢は蜘蛛の巣に引っかかったまま、翌朝の太陽の光に焼かれ、消滅する。羽飾りに留まった良い夢だけが、羽飾りが指し示す母なる大地に還元されて蘇り、再び見ることが出来るという。

 大きいものが三百ドル(約三万二千円)ほどで売られていたバイソンの頭蓋骨は、アメリカの著名な女流画家ジョージア・オキーフお気に入りの絵のモチーフである。彼女は晩年南西部のニューメキシコ州に住んだが、ある日二階のアトリエで花を生けていた。ドアのベルが鳴ったので、一本の花を手に持ったまま一階へと下りていった。ドアを開けるため、その花を何処に置こうかと辺りを見渡した時、壁に掛けられたバイソンの頭蓋骨が眼にとまった。オキーフはためらわず、空洞になったバイソンの眼穴に花を差して、ドアを開けたのである。

 それ以来、オキーフの絵にバイソンの頭蓋骨の眼穴に生けられた花が登場するようになった。散策中に砂漠で拾ってきたバイソンの頭蓋骨と、それまで彼女の主要なモチーフであった花が結びついた瞬間であった。

 とうもろこしのハスク(外皮)は売り物ではないが、人形作りの材料となる。ハスクを器用に折り曲げて糸で結び、首や腕、胴体が先住民の手で作り上げられていく。コーン・ハスク・ドールと呼ばれる人形作りを学ぶのは白人の子供だった。

 教室から野外に出ると、広場で歌とダンスが始まっていた。イーグル(鷲)やレイブン(大烏)の装束を身に付けた踊り手が、鳥の所作を繰り返しながら鳥に同化していく。自然という共同体の中で、人間と鳥が溶け合っている。別の踊り手は蝶になり、動物になる。先住民の宇宙観がダンスという行為を通して表現されているのだ。

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