第5話


第四節 スー族の軌跡


   *英雄シッティング・ブルとクレージー・ホース


 アメリカ中西部北方にあるサウス・ダコタ州の町・ラピッドシティは、盆地状の斜面に樹木が点在する静かな町だった。

わたしは、そこからスー族の住むパインリッジ・リザベーション(居留地)を目指した。車を居留地入口にある交差点近くのスーパーマーケットの駐車場に停めて、先ほど通過した教会のところまで戻った。

 教会の敷地内にクロス(十字架)の墓が並んでいた。サウス・ダコタからベトナム戦争に出兵したスー族の戦没者を埋葬している。傍らには記念碑が立ち、戦没者のフルネームと星条旗それにスー国家の旗が彫り込まれていた。

折しも、その日は五月二十八日。アメリカのメモリアル・デー(戦没者追悼記念日)の週末であったが、自分たちには関係がない連邦政府の定めた記念日というせいなのか、墓地を訪れるスー族の姿はなかった。

 わたしは戦没者の冥福を祈った後で、居留地に足を踏み入れた。

スーパーの前でスー族の中年女性と出会ったら、いきなりお金をせびられた。観光客なら懐に旅行資金をたんまり持っているとでも思ったのだろうか。

曰く「今朝羊を売った。大事な羊を手放すくらいお金に困っている。タバコ代めぐんでくれ!」と。

余りに唐突で横柄な態度に不快感を隠し切れず、断ったら、「国に帰れ!」と怒鳴られてしまった。金をくれない奴に用はないということなのであろう。何とか気を持ち直して歩き始めた。

 パインリッジ・リザベーションは全米で最貧困の居留地といわれる。部族民の何と八十%が失業しており、住宅事情も劣悪で、その三分の一以上で水道・電気が通っていない。  四十歳以上の部族民のうち半数は糖尿病を患い、アルコール依存症を抱えている。

 ブラック・ヒルズ(黒い丘)というスー族の聖地に向かった。洞窟あり、森林あり、平原ありと、ワイルドな大自然が広がっている。

 西隣はワイオミング州で、デビルズ・タワー(悪魔の塔)と呼ばれる岩山がそびえている。一九七七年、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『未知との遭遇』で、宇宙船が舞い降りるロケ地として有名になった所だ。

 デビルズ・タワー周辺は、今や年間四十万人もの人々がバスや車でやって来る一大観光地になっている。

 もうひとつの観光の目玉は、ブラック・ヒルズの花崗岩の岩肌に刻まれた四人の合衆国大統領の巨大な顔である。

 初代のジョージ・ワシントン、アメリカ独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソン。それにセオドア・ルーズベルトとエイブラハム・リンカーン。

広大なアメリカには、巨大なものがふさわしいと考えたガッツォン・ボーグラムという白人男性が、ブラック・ヒルズにあるマウント・ラシュモアの山肌を削り、途方もない時間をかけて彫り上げたものだ。中でもボーグラムにとってルーズベルトは、パナマ運河の建設を推進した大統領として英雄なのだそうだ。

 彼にとって大統領が英雄なら、スー族の英雄は、シッティング・ブルとクレージー・ホースである。彼らはスー族の名声を生み出した誇り高い英雄として、今も尊敬されている。

 ブラック・ヒルズ周辺の平原には昔シャイアン、アラパホ、カイオワ、クロウといった部族が住んでいた。バファローを求めて移動していた狩猟部族である。そのため、ティピーというテントに似た移動用の住居で暮らしていた。

近くに住む部族同士は、それぞれ独自の言語を持っており、お互いの意志疎通が困難なため、スーはシャイアンを「わからぬ言葉を話す人」と呼んだ。それで彼らは言語に代り、共通の「手話」で意志疎通を図っていた。

 彼らが肉のみならず毛皮、内臓あるいは角や骨も、全ての部分を生活に利用していたバッファローを、毛皮だけを得る目的のためだけに乱獲したのも白人であった。乱獲は三年間で八百万頭にも及び、バファローはほぼ死滅したとされる。

 彼らは生活の基礎を完全に失い、遠く離れたオクラホマ州の居留地に強制移動させられた。狩猟部族が「住み慣れた聖地」という存在の根から、むりやり引っこ抜かれて、狭い居留地に閉じ込められたら、果たして何が出来ようか。彼らは生命力を抜き取られてしまったのだ。

 シャイアンとアラパホに対するサンド・クリークの虐殺は触れたくもないほどの残虐性を有していた。

 それは一八六四年十一月二十九日、コロラド南東部サンド・クリークに沿った野営地で起きた。

 日頃から「インディアンを殺すことは正しく名誉あることだ」という暴言を吐いていたジョン・チヴィントン大佐率いる第一コロラド騎兵隊が、非武装で白旗を掲げているアラパホとシャイアンに対して無差別銃撃を加えたのである。先住民側の戦士たちはバファロー狩に出かけており、野営地には女性と子どもが殆どで、男性は老いたチーフなどわずかしか居なかった。シャイアンとの混血で白人のロバート・ベントは無理やり騎兵隊に案内役として同行させられていた。後の証言で、ベントは次のように語っている。

「女性は自らと子どもを隠すため、必死になって土手の土を爪で引っ掻いて穴を掘っていた。軍隊が近づき、女性らは無抵抗であることを示すために、穴から姿を現した途端に銃撃され、殺害されていった。チヴィントンは狂ったように、『殺せ! どいつもこいつも頭の皮を剥げ! 大きいのも小さいのもだ! シラミの幼虫はシラミになるからな!』と無差別虐殺を命じた。命令通り、殺害された先住民は全て頭の皮を剥がれ、女性は腹を切り裂かれて胎児を引き出されたり、性器をえぐり取られたりしていた。殺害されたインディアンは総数四百人から五百人に上った」

 事後、一時は「先住民討伐」の栄光に包まれたチヴィントンであったが、真相が明らかになるにつれ、猛烈な批判が起こった。当時の米陸軍法務部長は次のように語っている。

「これは卑怯かつ冷酷な虐殺であり、加害者には拭い去れない汚名を着せ、アメリカ人一人一人の顔に恥辱と憤激を塗りつけるものである」

 この大虐殺は女優キャンディス・バーゲン主演の映画『ソルジャー・ブルー』を生み、映画は一九七○年に公開された。白人が先住民の側に立つというこれまでにない描き方をしており、これ以降、先住民を単に悪役として描くことはなくなったと言われている。

 白人が次にターゲットにしたのはスー族の聖地ブラック・ヒルズであった。そこに金鉱があることを、誰もが知っていたのである。

 その二十年前の一八四八年には、カリフォルニアで金が発見され、ゴールド・ラッシュで三十万人が国内外からカリフォルニアに押し寄せていた。

スーの聖地では一八六八年に協定が結ばれ、白人はブラック・ヒルズに立ち入り禁止となる。

 一八七四年には、前年にシッティング・ブルそれにクレージー・ホースと初戦を交えた米軍第七騎兵隊のジョージ・カスターがブラック・ヒルズに立ち入った。目的は勿論金塊である。そして、ダコタで金が発見される。

「ついに輝く財宝発見!」ニュースは瞬く間に白人の間に広まった。

 一八七五年、立ち入り禁止の協定を破り、白人の採鉱業者がブラック・ヒルズに立ち入ったため、レッド・クラウドら族長クラスが警告を発した。連邦政府はブラック・ヒルズを六百万ドルで買い取ろうと計画したが、通訳が桁を間違えるトラブルがあり、交渉は決裂してしまう。

 時の米国大統領グラントは「インディアンは全て居留地に移動させろ」と命令を発した。騎兵隊と先住民が激突する日が近づいていた。

 一八七六年六月。スー族の一派、ハンクパパの族長シッティング・ブルは、カナダと国境を接した現在のモンタナ州にある山頂に立っていた。

そして、おもむろに聖なる儀式に用いるパイプに火をつけて、祈りの言葉をつぶやきながら、偉大なる精霊ワカン・タンカに向かい、懸命に祈り始める。ワカン・タンカは東西南北など六つの方角のうち、天空を守る精霊である。

「偉大なる精霊よ。どうかビジョン(啓示)を見る透視の力を与えたまえ。そうすれば、お返しにわが身の血潮を捧げよう」

険しい山脈のすそ野には、スー族の盟友であるシャイアン族のテント村が、川沿い数キロにわたり広がっていた。騎兵隊は一万人あまりのスーとシャイアンを、遠く離れた居留地に移動させようと企(たくら)んでいる。

 シッティング・ブルは部族民に対し、日頃から警告を発していた。

「我々の存在は、白人が群がり住む大湖に取り囲まれた小島になろうとしている。白人はその小島さえ、湖から放り出そうとしているのだ。許してはならない」

祈りを捧げているうちに、シッティング・ブルの心の眼がビジョンをとらえた。

(青い軍服を着た騎兵隊が、蟻のように隊列を組んで行進して来るのが見える。我々のテント村に向かっている)

 祈りを終えたシッティング・ブルは山を下り、サン・ダンスを踊って戦いの準備をするように指示した。

 部族の乙女らはポプラの一種ハヒロハコヤナギの木を切り倒し、キャンプに持ち帰った。そして、枝を取り去り、幹に色彩を施して、敵のシンボルを作り上げた。木がサン・ダンスの広場中央に立てられた。

 若者らが木の前に身を横たえる。魔術を司るメディシン・マンが傍らに進み出て、若者の胸や背中にナイフで切り込みを作っていった。そして、血がにじむ切り込みに革紐を通し、その先端の一方を敵のシンボルである木に縛りつけた。

 若者らはやおら立ち上がり、サン・ダンスを開始した。踊りで身をよじる度に革紐が肉に食い込んでいく。苦痛に耐えながら踊り続けると、ついには切り込みが裂けてしまった。

 今度はシッティング・ブルが進み出た。手と足は真っ赤に塗られ、両肩には空を象徴する青い縞模様が描かれている。彼は大地に腰をおろし、弟のジャンピング・ブルがシッティング・ブルの両腕にナイフを立て、ワカン・タンカに捧げる血を採った。次にキリを使って、右腕から皮膚を削り取った。それが百回繰り返され、シッティング・ブルの右腕は甲から肩にかけてずたずたになった。それでも彼は眼の色ひとつ変えなかった。

 シッティング・ブルは、全身全霊をスピリットの世界に集中させていた。両腕から流れ落ちる血が大地に染み込んで行く。流血は真紅の絨毯と化し、精霊への贈り物になった。

 太陽を見つめ、祈祷しながら立ち上がったシッティング・ブルは、サン・ダンスを踊り始めた。飲み食いは一切せず、太陽が沈み夜になっても踊り続ける。とうとう翌日の昼になり、ぶっ倒れた彼はビジョンを見た。

(青い軍服を着た兵隊が、イナゴのようにスー族のキャンプに降り落ちている。兵隊は敗北感に打ちひしがれ、深くうなだれている。軍帽が落下していく)

 その時、ワカン・タンカの声がした。

(兵隊らは聞く耳を持たぬ。耳のないイナゴのようなものだ。そんな奴らは貴殿にくれてやる)

 失神状態から醒めたシッティング・ブルは、部族が大勝利を収める運命にあることを告げた。

(兵隊らはキャンプの真ん中に落ち、虫けらのように粉砕されるであろう」

同時に彼は、ワカン・タンカがビジョンの中で述べた警告を部族に伝えた。

「敵兵らは偉大なる精霊からの贈り物だ。殺してもよいが、銃や馬は決して奪ってはならぬ。白人の富に眼がくらんだら、我々の国が呪われることになる。それが精霊の教えだ。わかったな」

 それから十日ほど後の夜明けだった。スー・シャイアン連合軍は、川の上流に野営する騎兵隊を発見した。

隊を率いるのは、アパッチ族の闘士ジェロニモの掃討作戦で有名な将軍クルックであった。朝もやの中で野営地は静まりかえっていた。連合軍は物音を押さえながら、丘を下り野営地に入っていった。

 突然、騎兵隊と行動を共にしていたショショーニ族の見張りが、野営地の中を馬で駆け回り、危険を知らせた。それとほぼ同時に、連合軍は大音声を上げながら、丘を一気に駆け下り、野営地になだれ込んで行った。攻防は昼まで続いた。

 総大将シッティング・ブルの代わりに連合軍の先頭に立っていたのは、スーの一派オグララの族長クレージー・ホースとシャイアンの族長ツー・ムーンズ、それにカムズ・イン・サイトであった。

 カムズ・イン・サイトはシャイアン戦士として勇猛に闘ったが、騎兵隊の最前列で馬が撃たれ、落馬する。あっという間にカムズ・イン・サイトを救い上げ、騎兵隊の砲火の前を馬で走り去った女戦士がいた。カムズ・イン・サイトの妹であった。シャイアンはこの戦闘を「妹が兄を救った戦い」と呼んで語り継いでいる。

 戦闘はスー・シャイアン連合軍の勝利に終わった。「灰色の狼」とアパッチ族に怖れられた策士クルックは、退却して行った。

連合軍はキャンプのあるグリージー・グラス川沿いに戻り、勝利のダンスを挙行した。

 しかし、シッティング・ブルはどこか腑に落ちなかった。

(ビジョンが予言した勝利とは何処か違う。変だ。ビジョンでは敵兵が傷ついたイナゴのように、我がスー族のキャンプの真ん中に降り落ちてきた。しかし、クルックの兵隊は自分らの野営地で敗れたのだ。もっと大きな別の戦いが控えているに違いない。その戦いで我らが勝利するというのがワカン・タンカの声だ)

 それから七日が過ぎ去った。騎兵隊の大部隊がスーのキャンプに接近していた。 ジョージ・カスターに率いられた米軍最強の第七騎兵隊である。攻め入る騎兵隊に反撃を加えた戦士の中に、十三歳の少年ブラック・エルクがいた。後のオグララ・スーの聖者が当時の模様を振り返る。

 

キャンプの背後から大きな砂けむりが上がり、その中から馬に乗った騎兵隊の兵士が続々と現れた。皆背が高く、がっしりとしていた。兵隊は銃を撃ちながら、すぐそばまで迫っていた。攻撃に加わっている兄さんが「戻れ!」と叫んだが、ボクは兄さんのそばを離れなかった。振り返ると、女の人や子どもがグリージー・グラス川の浅瀬を渡り、川向こうに必死で逃げていた。ボクは大人の戦士と一緒に木に登り、太い枝にはいつくばって応戦した。

 スーの大攻撃を受けて、騎兵隊は支離滅裂に撃ちながら逃げ惑っていた。兵士がひとり、馬を失って呆然としていた。スーの戦士がボクの傍らに馬を近付けて叫んだ。「坊や! 馬を降りて兵隊の頭皮を剥いでしまえ!」

 兵士は凄い目でボクを睨みつけていた。ボクは額めがけて弾を撃ち込み、思い切ってナイフで兵士の頭皮を剥いだ。そばにはボクを見届けていたスーの戦士のたくましい身体があった。出陣の時に体に塗る色が汗に光り、砂が腕や胸に纏わりついて、所々から血が滲んでいる。ボクが馬に乗り、姿勢を正したのを見た戦士は、馬にまたがり、砂けむりの中に姿を消していった。

 シッティング・ブルは谷間に留まり、戦況を見守っていた。カスターの兵隊は丘の断崖へと追い詰められている。

再びブラック・エルクが語る。


大きな砂けむりが丘を覆っていた。その中を戦士が出たり、入ったりしている。銃声が轟き渡る。鞍だけの馬が何頭も砂けむりの中をうろついている。カスターの騎兵隊は全滅状態になった。シッティング・ブルが全身全霊で獲得したビジョンは実現されたのであった。


 米軍最強の騎兵隊を破ったスーの戦士らは、史上初めての大勝利に酔い、ワカン・タンカの警告を忘れて、戦死した兵士の銃や弾薬を奪った。女性も兵士にとどめをさしながら、時計、指輪、現金などを奪っていった。ワカン・タンカはスーの国家に呪いをかけた。その後スーは二度と勝利を収めることはなかったのである。

 シッティング・ブルと並ぶもうひとりの英雄クレージー・ホース。

名前は「荒々しい馬」という他に「聖なる、神秘的な、霊感を受けた馬」という意味があると伝えられる。生まれた時、一頭の荒馬がキャンプを駆け抜けたことがあったらしいが、稲妻とともに現れた霊的な馬のビジョンに由来する名前だという。

容貌には著しい特徴があったらしい。なにしろ写真が一枚もないので何とも言えないが、肌は白く、髪は茶色の巻き毛だった。白人の養子と間違えられたこともあったという。

 一八七六年の戦闘で、スーの大部族ラコタとシャイアンの連合軍を率いて、クルック将軍の騎兵隊を迎え撃った。戦闘の砂けむりの中から叫び声がした。

「クレージー・ホースがやって来るぞ!」

 敵にとっては恐怖の叫び。味方にとっては百人力のしるしだ。クレージー・ホースはその真只中で、勝利を意味する大音声を上げた。

《ホカ・ヘイ!》

 それに呼応して連合軍が一斉に叫ぶ。

《ホカ・ヘイ! ホカ・ヘイ!》

 その叫びは共鳴し、大風が吹きぬけるように轟々と音を立てながら、騎兵隊を恐怖の渦に巻き込んでいった。

 白人が「リトル・ビッグホーン川」と呼ぶグリージー・グラス川の戦闘で、茶色い巻き毛のクレージー・ホースは、長い金髪の猛将カスター率いる第七騎兵隊と激突する。カスター以下二百六十一人が敗れ去ったのは、奇しくもアメリカ合衆国独立百周年の年であった。

 クレージー・ホースも、後に白人の騙(だま)し討ちに合い、命を落とすことになる。


 *「先住民の英雄」になりそこねたケビン・コスナー


スーが一躍脚光を浴びたのは、俳優ケビン・コスナーが監督・主演した映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の大ヒットだった。実話をもとにしたこの映画は、コスナー扮する南北戦争に疲れた南軍兵士が、ラコタ・スーと共に暮らすうちに、人間同士の絆(きずな)を築き上げていくという話である。

ラコタという言葉は「自然と調和して生きる」という意味で、サウス・ダコタの「ダコタ」の語源となっている。

 コスナーはこの映画をきっかけに、テレビネットワークでも『五百の国家』というタイトルで、全米の先住民国家を紹介した。先住民の国家は合衆国の中にあり、「国の中の国」で、独自の法律と議会を持ち、パスポートまで発行する国家もある。

 ある日、新聞にケビン・コスナーがサウス・ダコタのデッドウッドという町に、巨大なカジノ・リゾートを建設しようとしているという記事が出ていた。しかも、建設用地の一部は、スーが所有権を主張している聖地だった。

居留地に住むスーのアーティストがコメントしていた。

「映画ダンス・ウィズ・ウルブズを観て、コスナーという男はいい奴だと思い込んでいた。しかし、これでは聖地ブラック・ヒルズで黄金が発見された途端に群をなして押し寄せ、スーの聖地を踏みにじった昔の白人らとちっとも変わらないじゃないか」

 ダンス・ウィズ・ウルブズはスーとの人間交流を築き上げた白人に対してスーが捧げた先住民の名前だ。「狼とダンスする人」という意味だが、新聞はそれをもじって「コスナー、今度は悪魔とダンスする?」という見出しがつけられていた。

 コスナーが兄弟で経営するサルーンがあるというデッドウッドに足を伸ばした。

 ラピッドシティから北西約六十キロにある町に入ると、時空を越えて西部開拓時代に入り込んだような錯覚に襲われた。その昔近郊で金が発見されると、ゴールド・ラッシュに沸き、野望を抱く人間が全米から集まり、無法地帯と化した。ブラック・ヒルズの森林も踏みにじられて合衆国の国有林にされ、スーは今もその返還を求めている。


*大虐殺の地ウンデッド・ニーを訪ねて


 中西部北方に住むスー族は、南・北ダコタ州に名前が残る「ダコタ族」および「ラコタ族」それに「ナコタ族」という三大部族の連合体である。スー族の支族であるミネコンジュー族が騎兵隊に虐殺されたのが、ウンデッド・ニー ( Wounded Knee)の丘稜地だ。

 丘を登って行くと、スーの少年たちがドリームキャッチャーを売っていた。ひとりの少年が英語の説明書をくれたが、それにはレッドマン(赤い人は先住民のこと)の四つの徳として、賢明さ、寛大さ、勇気それに不屈の精神と書かれていた。持ち備えていれば、どれも素晴らしい徳である。この少年たちもドリームキャッチャーを売ることが、将来何かの徳を得るのにつながればいいのにと思った。

 丘の頂上には虐殺されたスーの墓があった。

 一八九○年十二月二十九日、大虐殺の日は大雪だった。白い雪の上に子どもや女性を含むスーの夥しい血が流れた。墓はフェンスに囲まれ、傍らに教会がある。「聖心カトリック教会」と書かれた表札が、掲げられている。

 墓地には騎兵隊のホッチキス銃で穴だらけにされて殺されたスーの名前が記されていた。

 族長だったビッグ・フット。スポッテッド・サンダー。チェイス・イン・ウィンター。レッド・ホーン。ハイ・フォーク。ブラック・コヨーテ・・・・・・。

 数えたら四十三人の名前があった。墓碑銘から名前を書けるだけ写し取った。

殺害されたスー族はわずか数分の間に二百九十人にのぼり、騎兵隊の兵士も味方の無差別銃撃で三十三人が亡くなった。

 何故こんな大惨事が起こってしまったのか。

 虐殺の前年の元日は日食であった。大地が闇で覆われ、連邦政府の強制移住策で飢餓状態にあった先住民は「世界の終末が来た」と恐れおののいた。

 この状況の中で、西部ネバダ州に居住する部族の預言者ウォボカが、教祖となって始めたのが「ゴースト・ダンス(幽霊踊り)教」である。

 信奉者たちは「幽霊シャツ」と呼ばれる聖なる衣服をまとい、死者の霊の歌を唄いながら、男女が手を繋ぎ、くるくると円を描いて回る。

 シャツは白人の銃弾を跳ね返し、大草原が白人のやって来る前の状態に戻って、先祖とも再会が叶うというウォボカのビジョン(啓示)は、先住民により熱狂的に支持され、瞬く間に広がっていった。

「幽霊シャツ」に関心を持ったスー族の呪術師キッキング・ベアーとショート・ブルは、非暴力を信念としていたウォボカを訪ねたが、二人には非暴力がうまく伝わらず、ダンスに戦闘的な色彩が加わってしまう。

 スーはゴースト・ダンスに熱狂し始め、白人に対する憤りが激しく渦巻くようになった。

 一方、白人はスーに怖れをなすようになり、新聞の論調も「野蛮なインディアンが原始的な蛮行を行っている」と警告を発し始めた。緊張が高まる中、ラコタ・スーは熱にうなされたように踊り続けた。

 ウォボカは白人とスーの仲裁に入ろうとしたが、連邦政府はこれを無視した。

「インディアンの狂態の責任は、ラコタ・スーのメディシン・マン、シッティング・ブルにある」白人の非難はスー族のリーダー的存在だったシッティング・ブルに向けられた。

 しかしながら、シッティング・ブルは実際にはゴースト・ダンスに全く関心を示さず、導入には極めて慎重だったのである。

シッティング・ブル逮捕のため、部族警察が遣わされた。

一八九○年十二月十五日、逮捕をめぐり、反対派との間で撃ち合いが起こり、シッティング・ブル殺害という悲劇がスーを襲った。

 この事件をきっかけに、連邦政府はスーに徹底的な弾圧を加え、二週間後にウンデッド・ニーの大虐殺が起こったのである。

 ゴースト・ダンスの生みの親ウォボカにとっては、先住民の同胞に救いの手を差し伸べたつもりが、その同胞を苦痛のどん底に追いやってしまうという彼にとっての悲劇が訪れてしまった。


 スーの少年たちが墓のそばにある、崩れた建物の礎に腰をかけていた。観光客目当ての売り子も開店休業の状態で、時間潰しをしているのだろう。

 そこへ、茶色のテンガロンハットを被った白人のおじさんが丘を登って来た。眼鏡をかけ、大きな文字の入った朱色のスタジアムジャンパーを着ている。

 おじさんは少年たちを見つけると、真っ直ぐに近付いて来た。

「君らはここがどんな場所か知っているだろ?」

 おじさんはテンガロンハットを脱いで、英語で尋ねた。白髪が風に揺れていた。

 少年たちは突然現れたおじさんが話しかけたのでびっくりした様子だった。

「ここは君らの大先輩が大勢殺されたところだ。アメリカの騎兵隊にね。この丘の下には、君らスー族のテント村が広がっていた。今は叢(くさむら)になっているがね。平和に暮らしていた君らの先輩を、騎兵隊の奴らがマシンガンのようなもので皆殺しにしてしまった。その時亡くなった人々の墓がここにある」

 おじさんは墓地の中に入り、刻まれた墓石銘を岩のような大きな手でなぞりながら、少年たちの方を振り返った。

「君らはこの人々のことをしっかりと心に刻んでおけよ。そして、これからは二度とこんなことが起こらないように、心に刻んだことを後の世代に伝えていくのだ。わかったかね」

 おじさんが微笑んだので、少年たちはほっとした様子だった。

 おじさんはウンデッド・ニーの近くに住むドイツ人だった。白人移民がゴールド・ラッシュで西部にやって来た頃、おじさんの先祖もこの近くに移り住んだという。その辺りには白人でも特にドイツ人入植者が多かった。

イギリスやオランダ、フランス、スペインのように、新大陸に国家ぐるみで進出して来たヨーロッパ勢力とは違うパターンで、辺境の地に住みついたのだろう。

「ここがお好きなんですね」

 おじさんに声をかけた。

「勿論ですよ!」

 元気な声が辺りの空気を震わせた。

 わたしは周りの景色をもう一度見渡した。賭博場の大きな白いテントが荒野の風景の中にぽつんと見える。草原に朽ち果てたジープが一台、静かに時の流れを受け入れている。 墓地から声がして来るような気がした。スーの将来を担う少年たちに向けて。

「同胞の息子らよ。われわれの声をしっかりと受け止めてくれたか。心に刻み付けてくれたか。われわれのことを兄弟姉妹に、将来の妻に、そして子どもらに伝えておくれ」

 地元では大虐殺を心に刻むため、毎年命日に合わせて、スー族の未成年者を含む有志の一団が、ミネコンジュー族が強制移住でたどった順路を騎馬で再体験する雪中行進が行われている。

   

*黒人と共闘したブラック・インディアンズ


 ラピッドシティの書店で一冊の本が眼に止まった。

『ブラック・インディアンズ』というタイトルの本だった。

ページを開くとモノクロの写真があった。髪を胸のあたりまで垂らし、長袖の皮の上下服を着込んで丸い胸飾りをつけた無表情な男性が、椅子に腰掛けている。その隣には皮の貫頭衣をまとった女性が立っていた。夫婦なのだろうか。服装はどこから見ても先住民のものだが、顔が黒光りしている。どうも黒人との混血のようだ。ブラック・インディアンズとあるから、先住民であろうが、普通先住民は「赤い皮膚を持った人間」と呼ばれている。一体何者なのか。

 不思議そうに写真を眺めていると、店主らしい人間が近づいて来た。店主はわたしが手に持っている本を見て、頷いた。

「それはセミノールの夫婦ですよ。南東部フロリダの湖沼地帯に住んでいる先住民です」

「先住民なのに肌が黒いですね。どうしてですか」

 不思議そうにわたしが尋ねた。

「南部の黒人のことはご存知ですよね。アフリカから奴隷として連れて来られた人々です。綿花栽培に従事させられ、家畜のようにこき使われました。ムチをふるう悪魔のような主人から逃げることだけを考えていたんです。とうとうそのチャンスがやって来て、集団で逃げ出し、同じ頃フロリダに逃げて来たセミノールと出会い、一緒に暮らし始めました」

「セミノールも白人から迫害されていたのでしょうね」

「そのとおりです」

「と、いうことは先住民と黒人が白人に対抗して共闘したことになりますね」

「イエス。ブラック・インディアンの存在は、共通の敵白人に対抗した黒人と先住民の混血の象徴です」

 わたしはもう一度写真に眼をやった。ケビン・コスナーが出演したテレビ番組『五百の国家』を思い出した。滅亡した先住民もいるが、今でも合衆国には五百もの部族が暮らしている。アメリカという同じ大地にいるが、文化や習慣、歴史はそれぞれ違い、まるでモザイクのようだ。暮し向きもタブーも違う。

 例えば最大の部族ナバホには、蛙のタブーがある。蛙など水辺の生き物を食べると、ひどい病気にかかると言い伝えている。でも東部の川沿いに住む部族は、魚を採って暮らして来たし、蛙のタブーはない。

 勿論共通点もある。ナバホとチェロキーは悪霊を呼ぶ鳥として、フクロウを嫌う。「夜はフクロウの鳴くところには行くな」とか、「昼間はフクロウを見るな」というタブーを守っているそうだ。フクロウについては他の部族も概ね同じタブーがあると、最近何かの本で読んだ。五百部族という多様性があれば、ブラック・インディアンの存在も頷けるような気がしてくる。

 店主は話を続けた。

「ブラック・インディアンは白人の歴史から抹殺されようとしています。その存在が白人の負の歴史を物語るからです。黒人奴隷も同じことです。だから、黒人の歴史を抹殺しようとしたんです。歴史を奪われた人間は、その存在が見えなくなるからです。黒人の立場からそのからくりを暴こうとしたのがマルコムXでした。マルコムの「X」は、白人が必死になって消そうとした黒人のルーツや歴史を表わしています。マルコムはそれを逆手にとって、『ルーツを消された存在』という意味をこめてマルコムXと名乗ったのです」

「マルコムは黒人のイスラーム組織の活動家ですね。ニューヨークのハーレムで演説中に暗殺されたんでしたね」

「そうです。彼は白人をホワイト・デビル(白い悪魔)と呼び、黒人を差別する白人勢力と徹底的に闘いました。でも、亡くなる少し前に、イスラームの聖地メッカの巡礼に参加しました。モスク(神殿)を訪れた時、彼は驚いたんです。白人やアジアの巡礼者一行がマルコムと同じ神を礼拝している姿を見たのです。神の前では肌の色も何もない。黒人も白人も、それ以外の人間も全て平等なのだということを悟ったといいます。それから彼は人生観が変わりました。皮肉にもそれが暗殺の引き金になったとも言われています」

「この本を書いた人は、ブラック・インディアンの存在を歴史に留めようとしたんでしょうね。白人が消そうとしている存在を」

「その通りです。だからわれわれスーも他の先住民も、白人が消そうとしている歴史を後世に伝えるため、資料を集めて保存し、アイデンティティを守ろうとしているのですよ」

 スー族の店主は同族の運営する歴史資料館のボランティアをしているそうだ。

 彼に案内されて資料館を見て回った。小さいが、そこには昔の写真や解説書、生活用具、装飾品、工芸品などが多数展示されていた。

「歴史と言っても、全てがこれらの展示物のようにモノではないですから。サン・ダンスなど部族の伝統的な儀式は形で残すことはできません。儀式は心から心へと伝えるしかないからです。それが伝統というものです。タブーなどにも昔から伝えられた知恵が詰まっていますから、ただ迷信だといって捨て去るわけにはいきません。人の内面にかかわる事柄は、やはり心や精神で次の世代に伝えなければならないわけです。それが教育の役目でしょう」

 取り戻された歴史、保存すべき歴史を将来にわたって継承していこうとする先住民の心意気が伝わって来た。

 わたしの目はいつの間にか、広場で繰り広げられているダンスに注がれていた。カラフルな衣裳を身にまとった地元の先住民と、家族でパウワウ(白人と先住民の交流会)にやって来た人々が一緒の輪になって踊っていた。その姿を見ていると、白人との悲惨な歴史ばかりにこだわっている訳にはいかないと思う。眼を覆いたくなる過去を忘れ去ることは許されないが。

「人間が歴史を失えば、その存在が見えなくなる」という店主の言葉が耳に残っていた。


*ホテル「アレックス・ジョンソン」

 

 ラピッドシティに歴史的なホテルがあると聞き、取材に出掛けた。ホテルは町の中心部にあり、屋上に看板があった。Hotel Alex Johnson (ホテル・アレックス・ジョンソン)。  

 先住民のコミュニティに、白人の名前のホテルがある。何故だろう。

 玄関ロビーに入ると、タイルの壁の色が眼に飛び込んできた。北側が白、東が赤、南は黄色で、西は黒と四色に分かれている。

「随分重厚なホテルですね」

 レセプションに居たホテルマンに声を掛けた。

「創業当時そのままなんですよ」

「創業はいつですか?」

「一九二八年です。大恐慌の直前ですかね」

 わたしはホテルの中を見て回ることにした。壁の色や天井から吊るされているシャンデリアなどがとても身近な感じがしたからだ。

 ホテルマンに尋ねた。

「壁の色が違っておもしろいですね。何か意味があるんですか」

「これはスーの配色なんです。ラコタ・スーの人々は四つの聖なるパワーを持っています。そのパワーの源は四つの方角にあるそうです」

「東西南北ということですね」

「そうです。北壁の白は全てを清める白い雪の象徴で、北の空から降って来ます。東の赤は、『明けの明星』を表わしています。明星は、太陽が昇る東からラコタ・スーに夜明けの知恵を与えるのです。黄色は南から吹く暖かい風。スーの大地に恵みを運んで来る有り難い風のことですね。そして黒壁は雷神のシンボルです。雷は西の空から大地に轟き渡り、スーに苦難に打ち勝つパワーを与えるといいます」

「白は清めのパワー。赤は知恵のパワー。黄色が風の恵み。それに黒は苦難に打ち勝つパワーですか。ところで、このホテルの創業者は白人ですよね」

「そうです。アレックス・ジョンソンというドイツ系アメリカ人です。シカゴ・ノースウェスト鉄道の幹部だった人で、ホテルの創業者にもなりました。一八八二年三月、最初の開拓民として家族と一緒に東部のペンシルバニア州ミーズビルからこの地にやって来ました。ある時、地元の政財界がロビー活動の一環として、当時のカルビン・クーリッジ大統領を夏休みにブラック・ヒルズで接待しようということになり、ジョンソンの出番が回って来ました」

 ホテルマンは笑顔で続けた。

「彼は大統領一行や随行取材メディアを、シカゴとラピッドシティの間を往復移動させる陣頭指揮をとったんです。その功績で、その後鉄道会社がラピッドシティにホテル建設をするにあたり、ホテルと食堂車の担当だったチャールズ・ポルトという人物が、ホテルにアレックス・ジョンソンの名前をつけるように進言したのです。創業者になったジョンソンは、元々先住民にとても関心があったので、ホテルには何か先住民の大切なものを織り込もうと考えたのです」

「このホテルのことをもっと教えてもらえませんか」

「いいですよ。今はお客さんもいないですから」

 ホテルの前の一角に案内された。

「ここがホテル建設の時、最初に土が掘られた場所です。マウント・ラシュモアに合衆国大統領の顔彫りが始まった頃のことで、聖地ブラック・ヒルズの一角が最初のダイナマイトで爆破されました」

 ガッツォン・ボーグラムのことを思い出していた。ラコタ・スーの聖地の岩肌を削り、四人の大統領の顔を刻んだ人物のことを。

 同じ時代に、アレックス・ジョンソンはラコタ・スーの遺産を引き継ごうと、ホテル建設を開始した。二人の白人男性のあり方は対照的だ。聖地を汚したボーグラムと、聖地に創造的精神を発揮したジョンソン。

 思いに耽っていると、ホテルマンが説明をしてくれた。

「外観をよくご覧下さい。イギリス様式とドイツの代表的な建築方法を合わせて造られています。扁平尖頭アーチが特徴的なイギリス・テューダー様式と煉瓦造りを合わせた外観になっています。建物の上の方を見て下さい。白壁に縦、横、斜めに組まれたチョコレート色の梁(はり)が見えますね。あれはドイツ特有の壁です。三角屋根の部屋がいくつか突き出ているでしょう?」 

「なるほどね」

「先ほどご覧になった内部は、地元ラコタ・スーの世界と、同じく先住民であるナバホの装飾が施されています。すなわち先住民族の精神世界です。そして外観はヨーロッパ精神ですから、ホテルはふたつの精神がブレンドされて成り立っているというわけですね。世界中からやって来るゲストが、異なるふたつの精神文化の融合の中で寛(くつろ)げるようにというのが創業者の願いでした。

再びホテルの中に戻り、見渡すとロビーにある暖炉の上にジョンソンの肖像画が掛けられていた。スーの部族衣裳をまとっている。

 一九三三年、ジョンソンは当時のスーの族長アイアン・ホースと名誉兄弟の杯を交わし、族長レッド・スターという名を授けられたという。

 暖炉の上にアメリカン・バファローの頭部にそっくりな岩が置かれてあった。ホテルマンが「バファロー」という言葉の説明をしてくれた。

「アメリカのバファローは、バイソン(野牛)なので、水牛とは種類が違います。フランス人探検家がこの地にやってきた時、バイソンを目の当りにして『バフ』と呼んだ。フランス語で牛という意味です。後にフランスと対抗したイギリス人が、先着のフランス人の発音を聞いて『バファロー』と呼び始めたらしいです」

「スーという名前はどこから来たのですか」

「昔スーと敵対したチッペアという部族がいました。スーのことを彼らの言葉で『ナドウェ・イスウィグ(ちっぽけな蛇)』と呼んだんです。白人がその言葉『イスウィグ』を縮めて『スウ』と呼んだのが『スー』の始まりらしいです」

 わたしは改めて、スー族長レッド・スターなるアレックス・ジョンソンの雄姿を眺めた。

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