第6話

第五節 最大部族ナバホ


 妻と二人でアメリカ南西部に広がる景勝の地、モニュメント・バレーの旅に出たことがあった。プエブロ先住民居住地の西にひろがるアリゾナ州と北隣のユタ州には、北米最大の先住民ナバホの居留地が砂漠に囲まれて広がっている。

 アリゾナからユタ州に少し入ったところに広がるモニュメント・バレーの一角には、十九世紀以来貴重な交易品であった精巧な絵柄のナバホ織の実演場があった。

 見上げると抜けるように青い空が広がり、赤土で固められた丸い「ホーガン」という独特の家屋の中で、ナバホのお婆さんが機織に精を出していた。黒いTシャツに白い長袖の上着を身に付けて、青地に白い花模様のスカートという装いである。

 妻は羊の原毛を洗い、草木で染めて紡いだ糸で織の作品を制作している。その目でお婆さんが深い皺(しわ)のある手でスピンドルを回し、糸に強い縒(より)をかけているのを熱心に見つめていた。天井を見上げると、紡(つむ)がれた羊毛が様々な色彩に染め上げられてぶら下がっている。

 隣の機には織りかけの敷物が掛けられ、地平線を象徴する横縞模様が顔をのぞかせ始めていた。

 客人には色々なものを見てもらおうということなのか、お婆さん、今度は縦機(たてばた)を使って敷物を織り始めた。

 ホーガンの内側の壁には敷物や壁掛けの完成品が幾つもぶら下がっている。

「大胆な連続模様ね。色彩がとても鮮やかだわ」

 妻はうっとりした表情で壁掛けを見つめていた。

「ブロードウェイで『蛛女(くもおんな)のキス』(Kiss of the Spider Woman)っていうミュージカルを見たでしょ。蜘蛛女はナバホの神話に出てきて、ナバホに織物を伝えるのよ」

「蜘蛛が吐き出す糸のイメージが、織物を紡ぐことにつながるのかな」

「そういうことらしいわ」

「それじゃ、このお婆さんは、さしずめ現代のスパイダー・ウーマンといったところだね」

 わたしは織り続けているお婆さんに目をやった。

 彼女が暮らすモニュメント・バレーには、赤褐色の隆起したビュート(丘)やテーブル状のメサ(台地)が点在し、ユニークな形状をした奇岩がそそり立っている。入り口にはカイエンタというナバホの町があり、そこからさらに奥に入ると、グールディング・ロッジというモーター・インがあった。

 モニュメント・バレーでロケが行われたハリウッド映画の大作『駅馬車』の俳優やスタッフが撮影の拠点としたところで、ジョン・ウェインらの常宿だったという。

 わたしたちはそのモーター・インで泊まり、夜明けを迎えた。

ひんやりとした空気に包まれたテラスに出ると、ビュートとメサが彼方の地平線上にほぼ等間隔で並んでいた。それまで漆黒の闇に隠れていた丘と台地は、地平線に朝陽の光が徐々に増すにつれて、崖に刻まれた深い皺(しわ)をあらわにしていった。そして、全体が白く光り始めた。時を忘れてその幻想的な風景に心を奪われてしまった。

 太陽が高く昇った頃、ナバホのガイドの案内でランドクルーザーに乗り、モニュメント・バレーを巡った。

 そり立った砂岩の丘の麓で車を降り、陽が当たらない窪み状の空間に入ると、ひんやりとした空気が頬をなでた。

「ナバホはこの空間を「風の耳」(Ear of the Wind)と呼ぶんだ」

 ガイドが説明してくれた。風の耳から上に眼を転じると、洞窟状になった天井に丸い穴がぽっかりと開き、青空が見えた。その穴は「太陽の眼」(Eye of the Sun)という。あたりの砂山には、小動物の足跡が点々と走っていた。

「まだ真新しいな。砂ネズミの一種かな?」「本当ね」

 砂山を歩いてみた。

「白人はモニュメント・バレーのことを州立公園などと呼ぶが、冗談じゃない。ここは大昔からナバホの聖なる大地なんだ」

 ガイドが砂山から降りて来たわたしに誇らしげに言った。

(このガイドは観光客を案内する度に、一言それを言いたいのだろう)

 そう思い、ガイドの赤銅色の顔を見て微笑んだ。 

起伏の激しい砂地を走っていると、車輪を砂地にとられ、立ち往生している車に出くわした。白人のグループだった。

 ガイドはその車の方にハンドルを切った。助け舟を出すのかと見ていたら、彼は白人のそばをエンジンふかして、これ見よがしに素通りしてしまった。

(ここはナバホの庭さ。お前ら白人の運転では歯が立つものか。ざまあ見ろ)

と、でも言わんばかりの態度だった。わたしたちは思わず顔を見合わせた。

 ガイドと出発地のカイエンタで別れ、車でアリゾナ州にあるナバホ国家の首都ウィンドウ・ロックへ向かった。合衆国という国の中に先住民の国がある。

 途中、昔のトレーディング・ポスト(交易所)に立ち寄った。今では土産物店に変身している。周辺には牧場が広がり、馬やロバが静かに草を食んでいた。

「時を忘れるわ。こんなのんびりとしたところにいると」

 妻は辺りを見渡しながら、伸びをした。

「ホーガンの中でお婆さんが織っていたような敷物や壁掛けが、昔ここで交易品として並んでいたんだろうね」

「きっとそうだわ。賑わったことでしょうね」

 しばらく行ってメキシカン・ハットというところで車を降りた。古いガソリン・スタンドと数軒の店が並んでいるだけの小さな街だった。先住民ギフトを売る店に入った。妻が壁掛けを見ていると、ナバホのお婆さんが入って来て、白人の経営者に壁掛けを見せていた。こちらのスパイダー・ウーマンは自作を売りにやって来たらしい。

「こんな荒い仕立てではだめだ。とっとと帰りな」

 主人は眉間(みけん)に皺を寄せて、怒鳴った。お婆さんはしょんぼりして店を出て行った。

「厳しいもんだな」

「ねえ、売れなかった壁掛けを見せてもらいましょうよ」

わたしらは後を追った。お婆さんは喜んで壁掛けを見せてくれた。

「おいくらなの? これ」

「二百ドル(約二万一千円)」

「なかなかいいと思わない? 少し連続模様がゆがんだところがあるけど、わたし気に入ったわ」

 妻は小切手を切ろうとしたが、お婆さんは首を横に振った。

「きっとこの辺りには銀行がないんだ。小切手がキャッシュに換えられないんだろう」

「なるほど。じゃあ現金で支払いましょう」

 妻が現金を渡すと、お婆さんは小躍りして喜びを表わした。

「これで孫たちへのプレゼントが買えます。ありがとう」

「そう。よかったわ。お婆さん、お元気で」

 われわれは車に乗り込んだ。

 メキシカン・ウォーターという町を抜けると、フォー・コーナーズに出た。

ユタ、アリゾナ、それにニューメキシコ、コロラドという四州のコーナー(境)が合衆国で唯一接している所だ。

《四州はここに神のもと、自由の名において出会う》

と、碑文に書かれていた。

「標語が好きな国だね」わたしは碑文を見ながら微笑んだ。

 あたりは平原が広がるだけで、時折砂漠を渡る強い風に四州の旗がたなびき、旗のポールの金属音が響き渡っていた。

 ウィンドウ・ロックの中心地には、首都の名前になった「窓の岩」(Window Rock)という岩山があった。岩壁には丸い大きな穴が開き、穴を通して青空がのぞいている。大平原を吹き渡ってくる風が通り抜ける窓なのだろう。

 町に入ると、コイン・ランドリーが繁盛していた。大勢のナバホの女性が洗濯物を持って、順番を待っていた。ナバホは移動用のトレーラー・ハウスに住む人も多く、コイン・ランドリーが便利だという。

 居留地では酒類は一切禁止だった。アルコールは白人が「新大陸」に持ち込んだものとされ、差別や貧困などのストレスから酒におぼれ、健康を害したり、暴力をふるったりする先住民が増えて、居留地で大きな問題となったためだった。

ついそのことを失念して、立ち寄った店でビールを買い求めようとした。店の主人は、すかさず切り返した。

「アルコールが飲みたいのなら、隣のニューメキシコ州まで行っとくれ。ギャラップという町にバーがあるよ」

 呆れ顔の主人を残し、店を出た。

「グールディング・ロッジでビールを飲んだけど、そう言えば、あれはノン・アルコールだったな」

 あきらめ顔で妻に微笑んだ。

「ナバホを見習って、この際お酒を辞めたらどうなの?」

 妻は笑いながらわたしをからかった。


*ナバホ大移動を内包する創生神話


 ナバホの創世神話には、ひとつの世界から別世界への移動、旅の試練、冒険の数々が登場するが、これらは一体何を示唆しているのであろうか。

 すぐに思い浮かぶのは、先住民ナバホの長年にわたる移動の歴史だ。ナバホの言語は、アサパスカ語の系統に属するとされている。アサパスカは北西カナダにある湖の名前で、この系統の言語を話す先住民は、現在北極圏に住んでいる。フパという部族もそのひとつで、極北とアメリカ南西部を結ぶ線上に分散して住んでいる。

ナバホの祖先はまず北東アジアから、氷河期に凍結して出来たベーリング海に架かる橋状のベーリンジア(通路)を渡り切った。そして極北で大氷河に阻まれて長期間留まった後、間氷期になって氷河の狭間に出現した「無氷回廊」を抜けて進み、アメリカ南西部に達したと推定されている。

 いずれにしても、南西部への移住はナバホにとって生活上の劇的な変化をもたらしたに違いない。それは北東アジアから極北にかけての狩猟生活から、砂漠の乾燥地帯での定住生活への大転換である。

 ナバホの生活は激変したが、その言語は純粋に保たれた。

二○○二年に封切られた映画『ウィンド・トーカーズ』には、第二次世界大戦で米軍の機密連絡に使われた暗号としてのナバホ語が登場するが、純粋に保たれた極北の古代言語が《解読不能な言語》として軍用に使われたというのも皮肉なめぐり合わせである。『ウィンド・トーカーズ』のモデルになった「ナバホ・コード・トーカーズ」については、この後詳述する。

 ナバホがアメリカ南西部に定住してはるか後、南北アメリカ先住民の運命を大きく変える時代が始まった。

 一四九二年、ヨーロッパの大国スペインの意向を受けて、イタリアの探検家クリストファー・コロンブス率いる船団が、本来の目的地であった中国航路を大きく離れ、「新大陸」に漂着する。この後、ヨーロッパから探検家や貿易商、移民らが続々と「新大陸」に夢を求めてやって来た。

 スペインはプエブロ先住民にと同様、ナバホに対してもカトリックの布教を試みた。ナバホは宣教のための集会をうまくすり抜けては、遠くへ出かけてしまう。 

 宗教ミッションと共に、スペインは南西部の砂漠地帯に芋や小麦の栽培法を持ち込んだ。羊や馬も然りである。ナバホは羊の飼育に力を注ぎ始めた。羊毛はナバホの手で紡がれて糸になり、機で織られて敷物や壁飾りとして交易品となった。

 創世神話に登場する蜘蛛女は、腹部の突起から糸を分泌して巣を張る蜘蛛の連想から、幾何学的な文様で有名なナバホ織を授ける存在として神話に織り込まれている。


*米軍暗号部隊その過去と現在


 わたしたちはナバホ・ネーションの首都ウィンドウ・ロックの北西に広がっている大渓谷に分け入り、ゆるやかに開けた斜面を頂上まで登り、台地の上を歩いてみた。上から峡谷を覗き込むと、足がすくんで来る。巨大な岩柱が谷底から屹立している。キャニオン・ドウ・シェリと呼ばれるその峡谷は、一八六三年、騎兵隊がナバホを襲い、服従させるという部族屈辱の舞台となった所だ。

 峡谷には外敵の侵入を防ぐため、高所の岩壁をくり抜いたナバホの住居跡が残り、そそり立つ壁には、笛を吹く人物やトカゲ、蛇行するラトル・スネーク(ガラガラ蛇)などのペトログリフ(岩絵)が描かれていた。

 一九七四年、ナバホ居留地の通りを日本人カメラマンが歩いていた。名前はカワノ・ケンジ。キャニオン・ドウ・シェリ峡谷の風景に魅せられ、写真を撮り続けるうちにナバホ居留地に住みつき、既に二年が過ぎていた。

通りがかりの車からケンジに声をかけたナバホがいた。声の主はカール・ゴーマンと言った。

「何処に行くんだ。乗せてやろうか」

 ケンジは大きなカメラバッグを抱え、カールの車に乗った。

 この出会いをきっかけに、二人は親しくなった。第二次大戦ではお互いの国は敵同士だったが、今は友人の間柄というのが共通の認識となり、親密さが増していった。

「ケンジ。我々先住民は、第一次大戦以降アメリカが関わった戦争には全て出征したのさ。第二次大戦、朝鮮戦争、それにベトナム戦争にもね」

「それは知らなかったな。だって、ワシントンにあるベトナム・メモリアルの兵士像は白人、黒人それにヒスパニックだけだもの。先住民の兵士の姿は無かったからね」

「我々は少数派さ。下手をすれば、すぐに忘れ去られてしまう。しかし、ナバホは暗号部隊として第二次大戦に参加し、連合軍を勝利に導いた。それだけは絶対に忘れてもらっては困る」

カールは「ナバホ・コード・トーカーズ」(Navajo Code Talkers)と呼ばれる米軍暗号部隊の生き残りであった。

 太平洋戦争の初期、米軍は敵国日本に次々と軍事機密の暗号を破られ、苦戦を強いられていた。作戦に大きな支障を来たしていた米軍は、「絶対に解読が不可能な暗号の開発」を目指し、ナバホ語に白羽の矢を当てた。初めは二十九人のナバホが暗号担当として採用され、最終的には四百人ものナバホが南太平洋の最前線に送り込まれた。

 一方、ケンジの父親は太平洋戦争当時、日本軍神風特攻隊の指導教官として、南太平洋の前線に赴任していた。

 ケンジ自身は、ベトナム戦争のため横田基地に駐留する米軍の黒人兵と親しくなり、横田基地に対する反戦デモを肌で感じていた世代である。

 いつの頃からか、戦勝記念日に当時の軍服を纏い、勲章をぶら下げてパレードするナバホ・コード・トーカーズの写真を撮影するようになった。

彼はコード・トーカーズが組織する協会の公式写真家に指名され、間もなく名誉会員に推挙される。

 ケンジの心は揺れた。たとえ戦時中とはいえ、父親の敵だった米軍暗号部隊の協会から名誉を授かることについてである。

 結局はカールとの友好関係を優先させた。そして、撮り続けたポートレートをまとめて写真集を出版した。写真集には戦線の修羅場から生還したナバホ、戦死したナバホの場合はその家族の肖像が収められている。

 キャプションには姓名、軍での所属部隊、転戦地、それに各人のコメントが記されていた。その一部を紹介しよう。


●トーマス・ベゲイ。第五海兵隊。ハワイ、グアム、ティニアン、サイパン、イオウジマ(硫黄島)と転戦。

 

私は戦闘の最前線で、味方の部隊と交信を続けた。迫撃砲や大砲の弾が辺り一面で炸裂し、無性に恐ろしかった。

イオウジマの砂は、灰のように細かい。歩けたものじゃない。砂に逆らいながら重い無線機などを運んだ。修羅場をくぐったが、幸いなんとか生き延びられた。

偉大なるスピリットが守ってくれたのであろう。

両親は昔気質のナバホの人間だった。私が戦地に赴く前に着ていた衣服を儀式に使い、無事の帰還を祈り続けてくれた。


●ロイ・ノタ。第三陸海共同作戦隊。オキナワ、グアム、ブーゲンビルを転戦。


オキナワであやうく味方の米兵に撃ち殺されそうになった。洞窟から出て来た時、日本兵と間違われそうになったのだ。ナバホの顔は、米兵からすれば、アジア系に見える。一緒に洞窟に入った仲間の米兵が、タイミングよく出て来てくれたので事情がわかり、命拾いした。


 ●サミュエル・サンドバル。第一海兵隊。ガダルカナル、ブーゲンビル、グアム、パルア諸島、エネウェタク環礁、オキナワ。

 

 ナバホの主食は羊と山羊の肉だ。オキナワで野生化した山羊が走り回っているのに出くわした。部隊のうちナバホの暗号班が集まり、山羊を捕らえて屠殺し、その肉を部隊にふるまう宴を開いた。ナバホ以外の連中は、眼を白黒させていた。

 

 ナバホの面目躍如たるエピソードだが、最前線で出会った生物にまつわる話を残した暗号部隊員も多い。日本軍の攻撃にさらされて緊迫する夜の砂浜で、交代で仮眠をとっていたところ、砂ガニに首を撫でられ、恐怖のあまり絶叫した体験。藪の中で何かがうごめき、思わず日本兵だと直感して銃を乱射したら、正体は野豚だったという話。

 暗号部隊員ハリー・ベローネ・シニアはイオウジマで戦死した。妻が夫の遺影を抱いて、ポートレートに収まっている。


夫が戦地に行ってしまった後、ナバホ織の敷物を織って家族の生活を懸命に支えて来ました。

夫はとうとう戻って来ませんでしたが、大変思いやりのある人でした。夫の微笑む顔が今でも思い浮かびます。


 二○○一年七月二十六日。存命する五人のナバホ・コード・トーカーズが、ワシントンにある連邦議会議事堂に招かれ、アメリカの最高位勲章のひとつである「議会金メダル」を授与された。存在自体を極秘扱いとされ、顕彰されることもなかったナバホ・コード・トーカーズは、ようやく表舞台でその功績を認められたのである。

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