第3話
第二節 モヒーガン族長、ウンカスとハロルド
ニューヨーク州南部のハイウェイを東に行くと、東隣のコネチカット州に入る。アメリカ独立最初の十三州のひとつである。ニューヨーク・マンハッタン島とイーストリバーで隔てられた島、ロングアイランドとの間には大西洋につながる海峡が広がっているが、コネチカット側から海峡に流れ込むのがテムズ川だ。何処かで聞いたと思ったら、何のことはない、イギリス・ロンドンを流れる川の名前だ。その河口にある町が、これまたニュー・ロンドンという。帆船メイ・フラワー号でやって来た移民が、新天地に夢を抱いて、新しいロンドンと名付けたのだ。
ニュー・ロンドンからテムズ川をさかのぼると、ウンカスビルという町に出た。この周辺に暮らすのが、先住民モヒーガンである。モヒーガンの語源は「海沿いに住む人」で、移民がテムズ川と名付けるずっと昔から、川が海峡に注ぐ自然の中で暮らして来たのだ。
町の名前となっている《ウンカス》は、モヒーガンの族長ウンカスのことで、その町がウンカスビルと呼ばれている。町のほぼ中心にある埋葬地を訪ねたら、木製の碑が立っていた。説明の文言を黙読した。
コネチカットの地に最初にモヒーガンが定着した時代には、別の先住民ピコートと同じ部族を形成していた。
一六三七年、ウンカスがピコートから独立分派し、モヒーガン初代の族長になった。
一六八二年ごろに亡くなる。
広大な狩猟の場を持ち、強い指導力を発揮したとされるウンカスは、白人移民に対しては寛大であったが、内なる敵がいた。まだモヒーガンがピコートと同じ部族を形成していた頃である。好敵手の名をサッサカスという。一六三一年、サッサカスは族長選挙でウンカスを破り、ピコートの族長となった。
その頃既にヨーロッパ列強は「新大陸」に進出を果たし、それぞれ先住民を味方に取り込もうとしていた。ウンカスはイギリス派で、サッサカスはオランダ派と目されていた。同じ部族は分裂状態となり、言わば列強の代理戦争を強いられていたのだ。その結果、若い戦士らが相次いで亡くなり、白人によりヨーロッパから持ち込まれた天然痘が蔓延して、ピコートの人口は半減するという事態に追い込まれていた。
サッサカスはなおも白人の代理戦争を続けようとしたが、ウンカスが待ったをかけた。
「サッサカスに、トリックスター(悪魔)がとりついているぞ。彼は自分のしていることがわからない」
そう叫ぶと、ウンカスは従者を引き連れて、後の野営地となったヤンティック・フォールという滝の方面へ移動し、ピコートと絶縁した。モヒーガン族の誕生である。
モヒーガンの象徴は《狼》で、「狼族のゴッドファーザー」となったウンカスは族長として、ピコートと対峙する。
ウンカスが手を下すまでもなく、ピコートは間もなく白人貿易商を殺害する事件を起こし、それが発端となり白人移民と衝突して弱体化していった。
ピコートの村が移民の襲撃を受けて五百人以上の部族が虐殺された際、サッサカスは捕らえられ、イギリス側についたイロコイ連合の先住民モホークに処刑されてしまう。投降したピコートは奴隷としてカリブ海方面の島に売り飛ばされたという。辛うじて逃げ延びたピコートは周辺部族の中に身を隠し、同化されていく。
こうして、一時期強大な力を発揮した先住民ピコートの国家は事実上滅んだとされる。
ウンカスは最後の決戦を控えていた。相手は宿敵ナラガンセットの族長ミアントノモである。ニューイングランドを戦場とした先住民の代理戦争で、ミアントノモはウンカスと同じくイギリス側であったが、両者の根深い対立は続いていた。
決戦の日は一六四三年に訪れる。その現場に足を運んだ。
ウンカスビルからテムズ川をさらに遡ると、ノーウィッチという町に出た。郊外にある岩場からしぶきをあげて流れ落ちる滝がある。滝の上から滝壺をのぞき込むと、足がすくんだ。ヤンティック・フォールという名前で、地元ではインディアン・リープと呼ばれている。「インディアンが飛び込んだ滝」という意味だ。
滝の周辺はモヒーガンの野営地であった。
当時ウンカスは初代族長として、対立する先住民ナラガンセットの掃討作戦を敢行していた。野営地近くまで接近していたナラガンセットの戦士らは、ウンカス率いるモヒーガンに土地勘のない野営地の中にある滝へと誘い込まれていった。
滝の岩場に追い込まれたナラガンセットは、降伏を恥として、次々に滝が流れ落ちる岩の裂け目に身を投げて、滝壷に転落し絶命したという。これが滝の傍らにある立て札に書かれた行政による一般的なインディアン・リープの説明である。
ところが、同じインディアン・リープでもモヒーガンの族長ウォーキング・フォックス(歩く狐)のは少々違った。話はこうだ。
モヒーガンの聖地に大きな岩がある。岩の周りは、族長ウンカスが部族と共に祈りを捧げた聖なる場所だ。
北方の敵(ナラガンセット)は謀(はかりごと)をめぐらし、そこでウンカスを捕らえようとした。
そして、ある日の早朝、敵は礼拝中のウンカスを取り囲んだ。少数の手勢を引き連れたウンカスは、敵に一撃を加え、ひるんだ隙に迷わずヤンティック・フォールの方角へ逃れた。事態を知ったモヒーガンの戦士はウンカスの救出に急行した。
ウンカスはわが庭のように隅々まで知り尽くした野営地の滝をめざしてまっしぐら。敵は慣れない土地に右往左往の有様だった。
滝に着いたウンカスは滝を飛び越えて、中腹の祭壇のある岩場に着地した。
やっとの思いで滝に着いた敵は、ウンカスの真似をして岩場に飛び乗ろうとしたが果たせず、滝の底へ転落して死んだ。
両方の話とも、敵が滝に飛び込んで絶命したことに違いはないが、歩く狐の話では、「インディアン(敵)が飛び込んだ滝」に、「インディアン(族長ウンカス)が飛び越えた滝」という新たな意味が加わっている。インディアン・リープは、ここで二重の意味を持つことになる。
先住民ナラガンセットの悲劇の舞台となったヤンティック・フォールは、滝のすぐ近くにあるコネチカット州の記念碑によれば、ノーウィッチの産業発展を支えてきた。一六○○年代には既に滝の水力を利用した製粉用の水車が開発され、一九○○年代初頭に至る製糸業、綿業、釘製造という地元産業の基礎が築かれた。
滝は今も静かに流れ落ち続けているが、滝川にかかる廃線の鉄道橋は赤く錆付き、線路には雑草が生い茂っていた。
(夏草や兵どもが夢の跡)
アメリカで芭蕉の句がふと浮かんだ瞬間だった。
結局イギリスの片棒を担がされたモヒーガンとナラガンセット両部族は、イギリスが黙認する中で激突し、ついにウンカスはミアントノモを討った。
宿敵が相次いで去った後も、ウンカスは宗主国イギリスや周辺部族との間のトラブルに悩まされ、族長として苦悩の日々を送ったという。ちなみにウンカスという名の語源は「円周を描きながらくるくると回る狐」である。
文字通り、運命という円周に翻弄された生涯だった。
モヒーガンの更なる源流を、族長のウォーキング・フォックス(歩く狐)が語る。
「大きなカヌー」(帆船)に乗り、父なる天空の下に広がる母なる大地に白人がたどり着いたのは、ごく最近の記憶だ。
それよりもはるかに遠い記憶の中に、モヒーガンの先祖ピコートが見える。わが先祖は今のニューヨーク・マンハッタン島のハドソン川流域から、はるばるこの地にやって来た。ハドソンを去るにあたり、わが先祖は地元の全ての物を奪い取るという残酷なことをした。それ故に被害を蒙(こうむ)った人々からピクウィン(破壊者)と呼ばれ、蔑(さげす)まれることになったのだ。それを聞いた白人が、族名としてのピコートを定着させた。ピコートは、もともと破壊者という意味なのだ。
我々モヒーガンは偉大なる族長ウンカスの時代にピコートと袂(たもと)を分かち、不名誉な族名を捨てたが、先祖の犯した罪は消えることはない。先祖にも悪人がいたことを創造主の前で素直に認めたい。
モヒーガンの先祖ピコートが住んでいたハドソン川の流域には、先住民モヒカンが暮らしていた。頭部の真中にだけ毛髪を残す独特の「モヒカン刈」で有名な部族である。
映画『最後のモヒカン』(The Last of the Mohicans)の原作者は、作家フェニモア・クーパーだが、映画の主役は、あのウンカスであった。
それでは、モヒーガン(Mohegans)とモヒカン(Mohicans)は同じ部族のことなのだろうか。同じ地域に住み、言語体系も同じで、しかも部族の名が酷似している。
次に登場するモヒーガンのメディシン・ウーマン、グラディス・タンタクイジョンさんは全く違う部族と主張する。
原作者のクーパーが両者を混同し、取り違えたのだという。モヒーガンはピコートと決別して、ウンカスを中心に新しい部族を誕生させた。言わば、その時点から《狼族・モヒーガン》の歴史は始まったのだ。
どうも、グラディスはその点を強調したいらしい。要は部族の将来的視野に立てば、いつの時点で部族のアイデンティティが確立されたとするのかが最も重要なことであり、それ以前のことは全て切り離すのが賢明と考えるのであろう。特に「破壊者」としてのルーツは伏せておきたいのが人情だろう。
アメリカ先住民のルーツを辿れば、北東アジアから氷河期に出来たベーリング海の陸橋であるベーリンジアを経てアメリカにやって来たことは明白である。
にもかかわらず、創世神話で天空から男女神が大海亀の上に降臨し、その海亀が北米大陸になったと語り継ぎ、北東アジアの出自が隠されてしまっているケースが散見される。彼らにとっては、北米の地がふるさとであり、その時点からのアイデンティティが肝要なのだろう。
*メディシン・ウーマンの姉とサバイバル技術の弟
ウンカスから引き継がれたモヒーガン族の伝統の灯を守り続ける人に出会った。グラディス・タンタクイジョンさんである。
グラディスは一九九二年、九十三歳の時に部族公式のメディシン・ウーマンになったが、幼い頃からそのポジションに就くための準備をして来たという。
一九○四年、まだ五歳の頃、尊敬して「お婆さまたち」と呼んでいた女性たちから、故郷に自生する薬草ハーブの守り神とされる「森に住む妖精」と交流する手法を学んだという。
一九一九年、二十歳の頃からペンシルバニア大学で七年間人類学を学んだ。その後、北東の森林地帯に暮す多くの先住民部族を回り、先住民が教育を受ける機会を得るための情報を提供し、ピコート、ナスカピ、パサマコディー等の部族と暮し、人類学的研究を行った。
一九三七年には連邦政府のインディアン対策局が、彼女を中西部北方に住むヤンクトン・スー族のソーシャルワーカーとして雇用した。続く一九四○年には新設された「インディアン芸術工芸委員会」で、初代の先住民芸術スペシャリストに就任する。
そして、一九四六年モヒーガン族の「タンタクイジョン・インディアン・ミュージアム」の学芸員となるため帰郷した。
それ以降、部族協議会や先住民のリーダーとして活躍し、大学などから数多くの賞を得ている。
お会いした時に、すでに九十五歳という高齢であったが、肩書きが表すようなエリートぶった素振りはさらさらなく、銀髪で眼はきりりとして澄み、鼻筋に意志の強さこそあるものの、細身に白いドレスを粋に着こなし、ほほ笑みを絶やさない年配女性という感じであった。
姓の「タンタクイジョン」は、モヒーガンの言葉で「韋駄天(いだてん)」という意味だと教えてくれたが、わたしはそんなに早足じゃありませんと、ほほ笑んだ。
彼女は真に韋駄天の大活躍をしながら、人生を走り抜いて来たことになる。
就任二年となったメディシン・ウーマンとしての彼女の役割は、部族の精神と肉体を癒すための超自然的な能力を持ち、部族全体の将来をビジョン(透視力)で見定め、導くことにあるという。
グラディスは、今は亡きハロルドという弟さんの話をしてくれた。胴の曲がったクルックトというモヒーガン独特のナイフや斧を使うのが得意で、カヌーや家屋を器用に作ったという。
ハロルドは成人して九年間沿岸警備隊員として働いていたが、ちょうどその頃勃発したのが、第二次世界大戦だった。
勇猛な戦士として韋駄天のように大地や森林を走り回った先祖伝来の血が騒いだのか、それともアメリカという国家に忠誠心を抱いたのか、ハロルドは兵役を志願する。
赴任先は原始林が行く手を阻むニューギニア戦線であった。襲いかかる蚊に悩まされながら、ジャングルの沼地で敵国日本の兵隊と闘う日々が延々と続く。その明け暮れの中で、ハロルドの部隊は、本隊からはぐれてしまった。孤立無援で食糧も底をついた時、ハロルドは同じ部隊の白人兵とともに、ジャングル奥地にある沼地に分け入った。
沼の水面をじっと見つめ続けるハロルドを、訝(いぶか)しげに眺めていた白人兵だったが、次の瞬間驚いた。水面が泡だった途端、ハロルドの両腕が狙いを定めた鷲のように素早く動き、何かを捕らえた。見ると緑色の大蛙だった。
大蛙はあっという間に首をはねられた。何度か同じことが繰り返され、首なし蛙が部隊の兵隊の数だけ沼地の叢に並んでいた。太い足は食糧に、首は葉に巻かれて翌日の魚釣りの餌となった。残りは全て掘られた穴に埋められた。
沼地でキャンプの設営を指導したのもハロルドであった。部隊はひたすら援軍の到着を待つ。味方の飛行機が何度も上空を通過して行った。降り注ぐスコールをキャンプで凌ぎ、ハロルドが調達する魚や蛙で飢えを凌ぐ毎日。生き延びるにはそれしかない。あきらめかけた頃、ようやく彼らは発見され、全員無事救助された。
ハロルドは白人兵から「チーフ」と呼ばれていた。それは、先住民の族長という意味だ。ジャングルという修羅場に不慣れな白人兵らが、いつの間にか尊敬の意味をこめて、彼をそう呼ぶようになっていた。彼らの命を救ったのは、ハロルドが幼い頃から培って来たサバイバルの技術だった。
戦後ウンカスビルに帰還したハロルドは、部族会議でモヒーガンの族長に推挙される。優れた木彫の腕を持ち、バスケット作りにも長けていた伯父マターガの後継者としての族長就任であった。
ミュージアムの壁に族長ハロルド・タンタクイジョンの肖像画が掛けてあった。羽毛をあしらい、ひときわ大きな鳥の羽飾りが印象的な頭部。一点を凝視する澄んだ瞳。何事も聞き届けようとする耳。貝細工が際立つ首飾り。裾の長い衣を羽織った右手には、特大の羽が握られている。部族を導く偉大なスピリット(精霊)の使いとされる猛禽の羽であろうか。左肩からは、大輪の花をあしらった文様鮮やかなショールが垂れている。
一九八四年四月に亡くなった族長ハロルドの晴れ姿である。その勇姿に、モヒーガン初代族長ウンカスの姿が重なって見えた。
全米各地に住むモヒーガンは総数で四百人ほどだが「毎年夏には里帰りして、歴代族長の墓がある埋葬地に同胞と集うのが楽しみです」とグラディスがほほ笑んだ。
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