第3話の1 イングランド百年戦争前史

1 イングランドとは

  百年戦争の一方の当事者、イングランドについて説明します。

  イングランドは現在のイギリス=連合王国となる4つの王国のうちの一つです。

  グレートブリテン島の南半分、ウェールズを除く地方を領土とする国です。

  連合王国成立以前のイングランドのことを指してイギリスと呼ぶこともありま

 すので、そこはややこしいところでもあります。

  百年戦争に至るまでのイングランド及びグレートブリテン島の歴史は、ざっく

 りと次のようなものです。


BC55 ユリウス・カエサルの侵入

AD43 ローマ皇帝クラウディアスによる占領(ローマ属州ブリタンニア時代)

  77 アグリコラ総督の時代(~83)

  410 西ローマ皇帝ホノリウスがブリタンニアの放棄を決定

  449 アングロ・サクソン人の侵入 七王国時代(~829)

  829 ウェセックス王エグバートが七王国を統一

 1016 デーン人クヌートによりデーン朝が成立(~1042)

 1066 ノルマン・コンクエスト。ノルマン朝の成立

 1154 プランタジネット朝の成立(~1399)


2 ローマ帝国による支配


  グレートブリテン島にはもともとストーンヘンジなどの遺跡を残した民族がいました。紀元前5世紀ころに鉄器と戦車を持ったケルト人が侵入しました。次にやってきたのがローマ人で紀元前55年にはユリウス・カエサルが侵入、AD43にはローマ皇帝クラウディアス(有名な皇帝ネロの父親ですね)が島の大部分を占領します。

 アグリコラ総督(著名な歴史家タキトゥスの妻の父です。タキトゥスは伝記『アグリコラ』を著しています)の時代にローマ帝国の支配地域は最大になりますが、その後、ハドリアヌス帝のときに有名なハドリアヌスの長城を建築し、支配地域を限定します。

 ローマ人は現地民(ケルト人)をブリトン人と呼びました。ブリトン人はやがて海を渡り定着します。その地域をブリトン人の土地という意味でブルターニュ地方と呼びます。現在のフランス北西部、半島として突き出している部分です。

  やがて、ゲルマン人の大移動を迎えると、グレートブリテン島には、アングル人、サクソン人、ジュート人といった人たちが流入してきます。彼らをまとめてアングロ=サクソン人と呼びます。

  410年、西ローマ皇帝の初代皇帝ホノリウスは、属州ブリタニアの放棄を決めます。遡る407年に、ブリタニア属州の司令官がローマ皇帝コンスタンティヌス3世を名乗り、軍隊を引きつれて大陸に渡っています。

 ローマ人がいなくなったことで、北からはピクト人、スコット人(アイルランドからグレートブリテン島に渡ってきた人々)が旧属州ブリタニアに侵入、大陸からはアングロ=サクソン人が侵入してきます。ブリトン人は自らの手で自分たちの土地を守らなくてはならなくなりました。

 『長いナイフの夜』の元ネタとなる事件が起こったのはこの頃です。

 また、サクソン人の侵入を防いだブリトン人の伝説上の英雄が、円卓の騎士で有名なアーサー王です。


《注釈》

 ちなみに同時期、421年にホノリウスの配下の部将フラウィウス・コンスタンティウスが共同皇帝に任じられているのですが、その名がコンスタンティウス3世。ややこしいです。

 コンスタンティヌス3世の方は僭帝(皇帝を僭称した者で正式な皇帝ではない)とされますが、一時期ホノリウス帝が帝位を承認していますので、ホノリウスの共同皇帝と数えることもあります。ややこしいです。

 なお、僭帝ではない正式なコンスタンティヌス3世は東ローマ皇帝ヘラクレイオスの長男であるコンスタンティヌス3世であり、641年に亡くなっています。

 はっきりいって、こいつ等の名前ややこしいです。

 なお、コンスタンティヌス3世が伝説上の人物アーサー王の祖父コンスタンティンの元ネタだとされます。

《ここまで》


3 七王国時代

 アングロ=サクソン人は、グレートブリテン島に部族ごとに大小の王国を築きます。やがて、これらは7個の王国(ノーサンブリア、マーシア、イーストアングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックス)にまとまり、七王国時代と呼ばれる時代を迎えます。

 最初に優勢になたのはアングル人の国マーシアで、オファ王(在位:757年 ~796年)はフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)とも対等に渡りあったと言われます。このため、七王国があった地はアングル人の地=イングランドと呼ばれるようになりました。

 しかし、七王国を統一したのはサクソン人の国ウェセックスで、829年ウェセックス王エグバートが七王国を統一しました。

 大陸にカール大帝が現れたちょうどその頃、七王国も統一されたということですね。

 よかったよかったと安心したいところですが、彼らには次なる敵が待ち構えていたのです。

 第2話でも触れました北方のヴァイキングたち、すなわちノルマン人です。

 ノルマン人とはゲルマン民族の大移動に参加しなかった北のゲルマン人の皆さんなのですが、ずいぶん遅れてヨーロッパ沿岸地域を略奪するためにやってきたのでした。

 グレートブリテン島にやってきたのは、ノルマン人の中でもデンマーク地方出身のデーン人と呼ばれる人たちです。


4 アングロ=サクソンvsデーン、そしてノルマン・コンクェスト


  ウェセックス王国に偉大な王アルフレッド大王が現れます(在位:871年-899年)。この偉大な王の下、何とかデーン人たちの勢力範囲をデーンロウと呼ばれる地域に押しとどめます。

  こうして、その後100年、グレートブリテン島ではアングロ=サクソン人とデーン人は共存します(アングロ=サクソン人がデーン人に侵入されるたびにデーンゲルドという退去料を支払わされてのことですが)。

 デンマーク王兼ノルウェー王スヴェン1世が現れると、イングランド王エゼルレッド2世(無思慮王)がイングランド在住のデーン人を虐殺したこときっかけにイングランドを攻撃、エゼルレッド2世を国外へ逃亡させてイングランドを支配します。

 スヴェン1世の子であるクヌートがイングランド王位につきます。

 こうしてイングランドにデーン人の王朝が生れます(デーン朝1016~1042)。

 ここら辺のお話が漫画『ヴィンランド・サガ』で描かれていますので、ぜひ読んでみてください。


 クヌートが死ぬと、後継者争いであっという間にデーン朝は終わりを告げます。

 エドワード懺悔王が一時的にサクソン人の王朝を復活させますが、これもすぐに終わるを迎えます。


 少し時代を遡ります。911年、ノルマン人の一部族の長ロロは、セーヌ川を遡って西フランク王国に攻め込みます。このロロという男、あまりに恵まれた体格が災いして、馬に乗ると馬を乗り潰してしまうので、いつも徒歩で移動していたことから、「徒歩王」ロロと渾名されました。ロロは西フランク王シャルル3世(単純王)に敗れますが、ここである提案を受け入れます。

 お前らがヴァイキングをやっつけてくれるなら、土地をやるよと。

 このときにロロが報じられた土地がノルマン人の地=ノルマンディー地方です。

 一応のところ西フランク王国の封臣ということで、987年から1006年の間にノルマンディー公を名乗るようになりましたが、事実上は独立勢力です。当初はシャルル3世との約束を守りましたが、やがて侵略を再開し領土を拡大しました。


 時代は流れ、ノルマンディー公ギヨーム2世の時代になります。

 デーン人に国を追われたエゼルレッド2世が亡命していた先が実はノルマンディー公領でした。エドワード懺悔王もまた、20年以上の亡命生活をノルマンディー公領で過ごしていたのでした。エドワードの母はノルマンディー公リシャール1世の娘でした。

 エドワード懺悔王に子がいなかったことから、ギヨーム2世はエドワードの後継者に自分を指名させます。

 エドワード懺悔王が亡くなると、ギヨーム2世はグレートブリテン島に上陸、イングランド王に即位したハロルド2世をヘイスティングスの戦いで破ると、イングランド王ウィリアム1世として即位するのでした。ノルマン朝の始まりです。


 さて百年戦争との関係では、フランス王の臣下でありながらイングランド王であるという奇妙な立場が生じたことが百年戦争の遠因となった事が重要です。

 また、このようにノルマン朝は征服王朝であるため、イングランドでは国王の権限が強く、最も早く絶対王政が確立したこともキーポイントです



 短くするつもりが長くなってしまいました。しかも、まだ終わりません。

 次回、第3話の2ではいよいよリチャード獅子心王などで有名なプランタジネット朝が始まるよ!

 










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一緒に世界史を勉強しよう!英仏百年戦争編 まめたろう @mame-taro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ