最終話 紅旭の虹

 さて、有斗がこうして旅立った後のアメイジアのその後が気になる読者もおられると思うので書いていきたいと思うのだが、歴史上の事件をただずらずらと時系列で並べるよりも、有斗の子供たちのその後をひとりひとり追うことのほうが分かりやすく物語性もある。

 そこで一人ずつ、その後の人生を語っていこうと思う。


■女一の宮 オフィーリア

 有斗の子の中で、後世、市井しせいの民にもっとも慕われ、知られているのはこの子であろう。

 現実の彼女は実情や背景を深く考えることなく、自分の思ったままに言いたいことをいい、やりたいことを行動するという感情的な女で、同じ時代を生きる人々、特に上級官吏や女官からは大層評判が悪く、率直に言えば嫌われていた。

 だが身分を鼻にかけることもなく親分気質で誰彼なく力を貸したことから、下級官吏や小間使いなどには受けが良く、大層慕われていた。

 そういったことや、王であっても躊躇ちゅうちょなく直言したという事実からや、あるいは真実からかけ離れた嘘も含めて、様々な逸話が後世に伝わることとなったのである。

 もっともその直言は的外れなことが多く、政治に大きな影響を与えたかと問われれば皆無と言って良いくらいであったが。

 だが後世、数々の逸話を下敷きにして創作された物語が世に大評判となることで、彼女の名前は不滅不朽のものとなったのである。破天荒な物語だったが、ゆえに庶民受けし、日本でいう水戸黄門漫遊記のように親しまれることとなった。

 ゆえに「天下御免のオフィーリア姫」と彼女のことを呼ぶのである。

 史実の彼女は物語のような波乱万丈な恋愛をせず、有斗が定めたとおりにアミュンタスと結婚した。

 アミュンタスという男は一言でいうと地味な男である。血統だけは良いものの、才覚も乏しく、悪い癖が無いということが唯一褒められるところだと、やっかみも含めて陰口を叩かれる男だった。

 おかげで出世もおぼつかなく、オフィーリアは常々、せめて三公にはなってもらわないと皇女の婿としての格好がつかないというのが十八番の愚痴であった。

 だがオフィーリアと違い、本人は雅楽や詩吟などで同好の士と日々を充実して過ごすことができ、満足していたようである。

 結局、アミュンタスが大臣になったのは死の直前で、オフィーリアの嘆願に折れた王がなんとか内府を空位にしてねじ込むことで実現した。大臣であったのは僅か半日である。

 とはいえ、そういったことと夫婦仲は別物で、三男五女に恵まれ、有斗の子供の中で一番、人がましい幸せな人生を送った。

 子供も長男が亜相に、三男が右府にまで上り詰め、歴史にそれなりの足跡を残した。


■文帝ウァレリウス

 有斗の後を継いだのはウァレリウスである。セルウィリアとラヴィーニアによって厳しく育てられたウァレリウスは、謹厳実直で華美を嫌い、己を律することに長けた非の打ち所のない君主に育った。

 セルウィリアに言わせると聖祖の美質を受け継いだ自慢の息子だった。もっともラヴィーニアなどに言わせると王としての素質は先君よりよっぽど優れているという評価になる。

 また戦国期に大幅に減少した人口が戻っていく過程であったことで、国家の収入も右肩上がりであり、農地開墾、商業奨励、街道や海運の整備、水道の新規建設(この頃にはようやく水道事業の有用性が認められつつあった)、官僚機構の再整備等、内政に尽力した。

 しかもそれだけのことを行ったにもかかわらず、質素倹約を常にしたことから有斗の死後残った多額の借財を全て払い終え、逆に死ぬときには十二万貫もの遺産を倉に積み上げた治世の名君として歴史に名を残している。(それが経済的に正しいかという別問題は除いておいて)

 また臣民に対しても公平で偏りのない、思いやりのある政治を心掛け、平時においてはアメイジア最高の名君との誉れも高い。

 だがそんなウァレリウスにも困ったことが一つだけあった。

 有斗と同じく、継嗣になかなか恵まれなかったのである。

 そこで、これまた有斗と同じように、もっと貴妃を増やすように進言する臣下に、

「余は幸いにして四人の美しく賢明な妻を得ている。それに聖祖は国家を思い、二人しか娶らなかった。余の功は聖祖に比べてはなはだ及ばぬ。二倍もの妻を持つことですら、民に申し訳が立たぬ。これ以上は無用である」

 と言った後に当時、後宮にいた甥達を指さして、「余に子なくば、あの者たちにでも継がせればよかろう」と言ったのは有名な逸話である。

 最終的に継嗣となる男子を得ることができたものの、激務の末に心臓発作にて若くして急死することとなる。

 後には再び、言葉も満足に理解せぬ幼君が残されることとなった。


■オーギューガ公ステファノス

 母親同士の仲はあいかわらず良いとは言えなかったが、ステファノスは王として兄を常に立て、何くれとなく補佐し、ウァレリウスも壁にぶつかると弟と話しあい、解決策を模索するなど、兄弟仲は素晴らしく良かった。

 単に仲が良いだけでなく、二人を教育したラヴィーニアに言わせると、政治家という視点では兄よりも勝ると語ったという話もあるほど、政治的な資質も持ち合わせており、補佐役として欠かせない存在であった。

 ステファノスがその持てる真価を発揮したのは、兄の死後である。

 幼君が至尊の地位につくことは歴史的に決して珍しいことではない。だが君主制において幼君が君主につくことは大局的な流れから見ると、王朝が衰退への道を歩み始めるきっかけになるといってもよい。

 幼君が君主につくと、王朝の意思決定過程が不明瞭になることに付け込み、母后あるいはその親族、あるいは先王の兄弟、または朝廷か軍を掌握する野心家が政治を壟断する。

 もちろん諸葛亮や寛永の遺老のように、私心なく君主に仕え、政権の安定に力を貸した例は歴史にはあれど、それは稀だ。

 ほとんどの場合、私欲を満たすために権力を使うだけで満足な政治は行われない。あるいは一見すると真っ当な政治が行われるが、それは王位を簒奪するために民心を得るためで、どちらにしろ政治に歪みが生じる。

 そしてその歪みを正そうと権力抗争が繰り広げられた結果、王朝の体力は失われ、まともな政治が行われなくなり、衰退していくのである。

 だから二代、三代と幼君が続けて即位した聖祖の王朝が安定を維持し、空前の繁栄の時代を得たことは歴史を知っている者にとって大いなる不思議である。

 だがウァレリウスの後、遺児ウルヴィウスが即位したときは、ちょっとした波乱があった。

 ここはセルウィリアの先例に倣って後見役として政治を司るべきと母后とその親族が色気を出したのだ。

 母后は少しかんの強いところがあるものの性格的には悪くはなく、それほど障害になるとは思えなかったが、政治的な教育を受けてないし、何よりその親族、あるいは取り巻きは牽制欲や物欲の強い俗人が多いのが朝臣たちには懸念されるところだった。

 そこで皇太后セルウィリアにもう一度万機を握ってもらおうという動きも朝臣の中から出てきたことで、朝廷が二つに分断される寸前にまでなったのだが、

「先君が崩御なさった時は成人の皇族がいなかったため、遺命もあり、わたくしが後見いたしました。が、今は皇室には立派な成人がいます。母后や皇太后があえて政治に口を出すことはありません」

 と自分も退くことで母后も同時に退かせ、ステファノスを後見役に任命することで事態の収拾を図った。

 ステファノスはセルウィリアの期待に応え、ウルヴィウスが成人するまで見事大役を務めあげ、国難を乗り切った。

 これをもってある歴史家はこう言う。

 幼君が二代続いたのに、聖祖の王朝に歪みが存在しなかったのが不思議だという向きもあるが、それはそもそもその認識が間違っているから、そういった結論になるのである。

 史書上はともかく、実際には聖祖、皇后セルウィリア、文帝、皇弟ステファノス、ウルヴィウスと、この王朝は一貫して成人の王が続いている。だから王朝に歪みが生じず、政治が円滑に行われるのは当然なのだという理論である。

 だがそうは言ってもステファノスは正式な王ではない。

 ウルヴィウス成人後は速やかに権を返し、一歩退いた形で他の朝臣と並び、その後も政治を臣下の立場から支え続けた。その謙虚な人柄は朝野の尊敬を集め、皇帝も一目置く存在となった。

 また最終的には則闕そっけつの官である相国に任じられ、ウルヴィウスと弟、またその子の太傅たいふをも勤め上げた。

 その死に当たっては王に準じる扱いで葬ることを許され、また国中が喪に服することとなる。

 こうして臣下としては最高位まで登り詰め、生前も死後も燦然さんぜんと輝く業績を残すこととなったが、僅か半月遅れて産まれたことで王になれなかった男の内心は本当はどうであったろうか。

 こういった話がある。

 ステファノスが後見役として実際の執務を行っていると言っても、王は幼いウルヴィウスである。何一つ判断できなくても玉座にかしこまって座っている形だけは取らなくてはならない。

 とはいえ所詮は幼い子供である。むずがることもあるし、長時間の会議に精神的に耐えられるものでもない。

 ということでその日もウルヴィウスの集中力が途切れ居眠りしだしたために、謁見を打ち切ると、女官たちに運ばれてウルヴィウスは玉座から離れた。

 一人、その場に残されたステファノスは周囲に誰もいないことを確認し玉座に深く腰掛け、目を閉じると満足げにほほ笑んで、いつまでも愛おしそうに手すりを撫でていたという。

 そういった他愛たあいもない話である。

 だがもし、その姿を誰かに見られたとすれば、たとえ単なる戯れだったとしても、帝位に野心を抱いているとして死罪は免れ得ない。政治の世界は醜い嫉妬と怨恨の世界でもある、ステファノスとて敵が皆無というわけでは無いのだ。

 ステファノスもそこまで馬鹿ではないだろう。だからこの話は現実的にありえない。

 もちろん正式な史書に載っている話でもないし、そもそも誰がこの光景を見たというのであろうか、取るに足らぬとして切り捨てることのできる風聞であろう。

 だが、いろいろと考えさせられる話ではある。


■ダルタロス公アレクシオス

 有斗の子で庶民に後の世で一番、愛されたのがオフィーリアだとすれば、同時代で一番、愛されたのはアレクシオスであろう。

 産まれたときの有斗の言葉が誤った形で漏れ伝わったこと、またその鮮やかな髪色から、アレクシオスは実はアエティウスとアエネアスの子供、あるいは有斗とアエネアスの子供であるという伝説がまことしやかに流布していた。

 しかも本人もその突拍子もない噂を面白がって否定しないものだから、それがさも当然のことであるかのようにますます広がって、実際に腹を痛めて産んだセルウィリアを悲しませた。

 もちろん、生年を考えればすぐに真実でないとわかる、取るに足らない風説である。

 だが民衆は信じたかったのだ。非業の死を遂げたアエティウスやアエネアスの血がこの世に残っているという幻を。

 そういうことで、何もしなくてもアレクシオスは庶民に愛されたのだが、更に本人は兄たちと違って街に繰り出しては、酒を飲んで民衆と気軽に交わったりしたことなどで親近感も抱かれていた。

 政治ではなく軍事へと道を進め、若くして羽林将軍に任官したこともあり、ベルビオら有斗と共に戦った将兵の受けも大変良かった。

 また母親の血を濃く引いた生来の美貌は東京龍緑府一と言われるほどで、後宮の女官たちはこぞって熱を上げた。

 だが酒を飲んでは女を引っかけ、無頼の輩と殴り合いの喧嘩もすることに朝廷の良識派は眉をひそめた。

 見かねたステファノスが王弟としての心構えを持ってもらいたいと苦言を為すと、

「私のことはお気遣いなく。兄上こそ気を付けなされよ。兄上は陛下の右腕として活躍為されることはまことに結構ですが、朝野で陛下に等しい名声を得ておられる。これは陛下にとっても兄上にとっても行く末よろしくない」

 とステファノスがウァレリウスと比較される存在であることの危うさを言ったのだから、単なるうつけであったわけではなかったようである。

 とはいえ数々の女性と浮名を流したり、街に出ては酔いつぶれて帰って来ず、帰ってきたと思ったら青あざを作っていたりと、セルウィリアにとってはいつまで経っても心配と頭痛の種となる息子であった。

 だがそんなアレクシオスに突然の不幸が襲い掛かる。

 特に前触れもなかったのに、ある朝、二度と目覚めることなく亡くなったのだ。

「こんなところだけ、陛下(この場合の陛下とは有斗のことである)に似なくても」

 とセルウィリアはその早すぎる死を嘆き悲しんだという。

 だが次の瞬間、女官が恐る恐るあることを耳に告げると、

「まるで陛下に似ていない!!」

 と烈火のごとく怒りだした。

 なんと隠し子が20人以上もいたのである。


 だが隠し子とはいえ、皇帝の孫が路頭に迷ったり、食うに困って犯罪でも起こしたら王家の権威に関わるし、何よりも自分にとっても血が繋がる可愛い孫である。目を瞑って放っておくわけにはいかなかった。

 セルウィリアは幸いにして無人だった後宮の奥の殿舎に母親と子供たちを迎え入れ、彼らの世話をおこなうこととした。

 おかげで後宮はすっかり保育園のようになってしまい、セルウィリアも悪戯盛りの孫たちに振り回され、目が回るような忙しい日々を送る羽目となった。

 だが有斗を亡くして以来、何かと物思いに塞ぐことが多かったセルウィリアにとって、孫と過ごす騒がしくも悩ましく、それでいて平和な日々は、それはそれは幸せそうであったと女官は記している。


■女二の宮 エウドキナ

 ウェスタのお腹にいた子は女の子だった。

 有斗の忘れ形見ということもあり、母親だけでなく兄弟やセルウィリアからも可愛がられた。衆目を集めるような美人ということは無かったが、愛嬌のある娘に育ち、誰からも愛される娘に育った。

 だが結婚を翌年に控えた冬に、その年に流行った感冒にかかって、手厚い治療もむなしく儚くこの世を去る。

 彼女の死後、ウェスタは後宮を出て越の地に戻り、そして畿内に二度と足を踏み入れることは無かった。



 さて、遥か未来まで話は飛んだが、話は有斗の死後、ちょうど一年後まで巻き戻る。

 この間、幼君が治める王朝の正当性を強調するために、有斗の神格化が推し進められていた。

 その一環として有斗の治世末期に起きた都合の悪い真実は消された。具体的には後宮某重大事件の全てがこの時、抹消されたのである。

 家内も治められない男が天下を治められる器量があるはずがない。そういった理由から有斗の無謬性を守るために歴史から抹殺されたのだ。

 もちろん、それには深くかかわった当人であるセルウィリアの負い目も若干はあったのだが。

 だが同じように有斗の神格化の一端として行われている巨大な王墓の建設の方はというと、予算不足、有斗の死が急だったこと、その規模が大きかったことなどから、一年経っても未だ完成には至らなかった。

「毎年、盛大な儀式と祭を行うことで、後の世でも朝廷から市井の民までもが先帝の偉業を語り継ぐことになり、この王朝の基盤が確たるものになるのです」

 というラヴィーニアの献言を受け、王墓は未完成なものの、祭りは一周忌に合わせて数日にわたって大々的に行われることとなった。

 初日はセルウィリアとウァレリウス、二日目はウェスタとステファノスといった形で近親者も墓参することとなった。あえて分散させているのは、不測の事態が起こることを恐れてのことである。

 だがその祭り当日、すなわち有斗の祥月命日しょうつきめいにちの早朝、セルウィリアの姿はウァレリウスと共に王都の東の小高い丘の上にあった。

 早朝と書いたが、正確には未明から黎明の間と言ったあたりである。周囲はまだ暗く、人の顔の区別もままならない。

 御存じのとおり、丘の上にはヘシオネ、アリアボネ、アエティウス、アエネアスの墓が並んでいるが、先年、その横に一つの墓が加わった。

 この場には聖祖の偉業を支え、非業の死を遂げた傑人たちが眠っている。最後の戦いで聖祖を守って討ち死にしたガニメデもここに眠るのが相応しいと、心ある有志たちがお金を出し合って、その墓を築いたという噂がまことしやかに流れていた。

 もちろんここに眠っているのは有斗で、その噂を流したのはセルウィリアとラヴィーニアである。

 国家として必要なことと有斗の最期の願いを叶えたいセルウィリアの気持ちを折衷させ、不審を抱かれぬようにガニメデの墓であると喧伝し、有斗の亡骸なきがらを密かにこの場所に葬ったのだ。

 王としての有斗は建設中の王墓に眠り、人としての有斗はここに眠っている。

 このことを知っているのはセルウィリアやラヴィーニアなどごく少数の限られた者だけで、ウェスタでさえも知らされていなかった。

 今、セルウィリアはウァレリウスと共にその墓に詣でていた。

 ガニメデの墓と言われている墓、つまり有斗の本当の墓はアエネアスの墓の横、空いていた場所に設けられた。

 その場所にすることにセルウィリアとていろいろと思わないこともなかったが、やはり有斗もアエネアスの横で眠りたいだろうと自分の気持ちを押し殺し、そこに決めたのだ。

 墓の前でセルウィリアはふとあることを思い出した。

 死後だいぶ経った頃である、ラヴィーニアがセルウィリアにこっそり告げたことがあった。

 有斗が早死にしたのは召喚の儀が不完全だったからだという見解で、自分がもう少し早く気付けたなら助けることもできたかもしれないといった話だった。

 だがセルウィリアはラヴィーニアの言葉に同意することはできなかった。

 なぜなら召喚の儀によって、もたらされた結果が完璧だったからである。

 長く続いたあの乱世は、肉親や親しい者を殺された恨みが幾重にも重った結果、終わらせることはこの世界にいる誰であっても不可能だった。

 関東と関西の朝廷、あるいはカヒとオーギューガに限らず、憎しみと怒りが互いを決して相容あいいれぬものとして考える、頭が凝り固まっている者たちが全土にいたのだ。

 乱世を終わらすことができるのは、そういった恨みが無いまっさらな存在で、誰にも理解できる純粋な理想を持ち、こいつになら何とか頭を下げてもいいと思わせる権威があり、またこの人ならば降伏しても許してくれるだろうという安心感がある、すなわち敵を許すという大きな度量が必要だった。

 まさに有斗は乱世を終わらせたいという者たちの真摯な願いに沿った存在だったのだ。

 だが乱世を終わらせたあと、治世を行うということとなると話はまた別になるのである。

 味方を守り、敵を討てば許された時代は終わるのである。味方同士の争いを火種のうちに食い止め、限られた富を文句の言わぬように分配するためには黒いものを白といいくるめ、相手を脅したり褒めすかしたり、時には愛する者をも切らねばならぬ。平時こそ政治は非情なのだ。

 だが有斗にはその素質は全くなかった。純粋でまっすぐが故、守業を行う重荷に耐え切れず、王という仕事に無理をして向き合った結果、心をすり減らして最後は命を落としたに違いない。

 セルウィリアはこうも思うのだ。

 あの人の役目は乱世を終わらすことであった。だからその役目を終えた以上、この世から消えるのが道理であったのだ。

 玉座など捨て去り、愛するひとと手に手を取って忽然と消え去りでもしたほうが幸せだったのかもしれない。

 そのほうがあの少年のようなまっすぐで優しい人にはよほど似合っている。


 そう考え、並んでいる墓を見るとセルウィリアの心にはまた暗いかげが訪れる。

 ここにいる人々は天下一統に協力したものの、夢の途中で帰らぬ人となった。有斗の偉業になくてはならぬ人だったと世間では思われ尊敬されている。

 いわば彼らは有斗の一部なのだ。

 それに対して自分という存在は何だったのかと考えずにはいられない。

 有斗の間に子をしたとはいえ、それはここに眠っているような有斗にとって身近な人たちがいなくなったから自分が選ばれたに過ぎないのではないか。自分は結局、有斗を含めてここに眠る人たちの仲間ではないのではないか。そういった疎外感を感じざるを得なかったのだ。

 突き詰めると、有斗は王として配偶者にセルウィリアを選んだだけであって、人としては一度たりとも選んだことはないのではないかという疑惑にも突き当たる。

 有斗が死んでからというもの、セルウィリアはそういった暗い考えに囚われ、解き放たれることが無かったのだ。


「あーーーあーーーーー!」

 ウァレリウスが裾に縋りついて叫び出し、物思いにふけるセルウィリアを現実世界に引き戻した。

「どうしたの、ウァレリウス」

 振り返ると足元のウァレリウスが裾を掴み空を指さして、セルウィリアに何かを告げようとしていた。

 セルウィリアはかがんでウァレリウスの指の先にあるものを見つめた。

「綺麗・・・」

 開け始めた空に七色の大きな虹がかかっていた。

 思えばあの虹のような人であった。

 戦国という希望の光が見えない漆黒の闇夜の世界から、偃武という青天へと向かう、そのわずかな時間、戦火で照らされたかのような赤い朝焼け空にかかった幻のような虹。

 誰にも見えるけれども、誰にも触れることのできない存在。あの美しい虹は有斗が人々に掲げて見せた天下一統という美しい夢のようであり、また虹のように僅かな時間に戦国末世を駆け抜けていった有斗そのものであるように思えた。

 そう思えば、セルウィリアは久々に有斗に出会えたような気持になり、心が少し軽やかになった。

「本当に綺麗」

 セルウィリアはかつて有斗にしたように、その虹に向かって微笑んだ。


 次の瞬間、

「きゃっ!!」

 時ならぬ谷風に吹き上げられ、怯えたウァレリウスがセルウィリアにしがみつく。セルウィリアは目を閉じ、我が子を守るように抱きしめた。

 そして風が止むのを待って少しづつ目を見開いた。

 すると開くにつれ、セルウィリアの目に虹の色が順次飛び込んでくる。



 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。



 目に入った色はどういうことかセルウィリアの脳裏で人の顔になった。

 赤い髪のアエネアス、金色こんじきの髪のアエティウス、濃緑色の髪のアリスディア、青い髪のセルノア、鈍い藍色の髪のラヴィーニア、紫の髪のアリアボネ。


 そして残る一人──────残る一色は、セルウィリアの肩の上で風に吹かれて緩やかに揺れていた。


 それは単なるセルウィリアの思い込みであるかもしれない。虹の色は見る人によって変わり、時代、地域によって異なる捉え方をされる。先ほどセルウィリアが捉えた色で表しきれるものではない。

 だがセルウィリアにとってはそれはまさに天啓。死んだ有斗がセルウィリアの為に虹に変化して現世にわざわざ現れて、自分が彼らと同じく有斗の一部、大切な存在であることを指し示してくれたように思えた。

 セルウィリアは最近彼女をずっと苦しめていた、心の中にあったもやもやが一気に吹き飛び、澄み渡って晴れ晴れとした気持ちになった。

 そしてもう一度、墓群を振り返った。

 ここにわたくしも墓を建てよう、とセルウィリアは思った。

 自分もまぎれもなく七色の一人、虹の欠片、有斗にとって欠けざる一人というのならば──────

 ここに並んでいる者たちが数多の犠牲を払って手に入れた平和を、次世代に繋ぐことができたならば─────────

 自分にも彼らと同じく、この場所に並んで眠る権利があるはずだと思った。

 幸いにして有斗の隣にはまだ墓を作る場所が十分にある。

 もう一度、セルウィリアは心の中で思った。ここに必ずわたくしの墓を建てよう。

 だがそれは遠い遠い先の未来の話である。ウァレリウスを立派な王に育てあげ、治世が安定するのを見届けてからの話である。それをして初めて、セルウィリアも彼らと肩を並べることができるのだった。

 だから心の中でそっと呟いた。

『それまで陛下は預けておきます。しっかり見張っててくださいね、アエネアスさん』

 なにしろ浮気性な人だから、自分がいないことをいいことに他の女を作ってしまわないとも限らない。

 セルウィリアは微笑み、この世界で二番目に愛しい存在を抱き抱えた。

 物心がつく前のウァレリウスだったが、母親がここ最近見ないほど上機嫌であることになんとなく気付き、子供心に嬉しくなって母親にしがみついた。

 慌てて女官が代わろうと近づいてきたが、セルウィリアはそれをやんわりと拒絶して我が子を抱きしめた。

 今、目の前にある道はセルウィリアにとって単なる道ではない。この道はこれから自分と我が子とで歩む、死んでいった者たちが命がけで手に入れた平和を守る治世そのものであり、自分とウァレリウスが歩むべき道なのだ。他の誰の助けも借りれはしない道、そして他の誰でもない、生きている自分とウァレリウスしか歩めない道でもある。

 決意を込めて、セルウィリアは一歩、また一歩と大地を踏みしめ歩み始める。

 丘のふもとに止められた馬車に向かって、


 いや───────


 あさひに染められあかく染まった天宙に輝く一輪のを目指して────



 紅旭こうきょくにじ 完




 後記:本編はこれで終わりとなりますが、このバージョンの後日談をちょろっとだけ書きたいと思っています。

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紅旭の虹 宗篤 @blackship

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