第3話 狼の花嫁

 ハワルが狼の花嫁となる決心をしてから1か月が過ぎ、とうとう夏祭りゾン・チャムが始まった。この祭りのために草原にすむ遊牧民たちはひとところに集まってくる。三日三晩続く祭りの間は毎晩宴が催され、男たちも女たちも歌ったり踊ったりして過ごす。ハワルは宴の準備をする女たちに混ざり、忙しく料理を準備したり酒を運んだりしていた。


「ハワル、ぐずぐずしてるんじゃないよ! さっさと持っていきな」

「はい、ただいま」


 ハワルの手の遅さを叱咤しつつ、アルマーンはせっせと娘たちへ菓子を与えていた。少女は一抱えもあるような酒樽を二つ持ち、おぼつかない足取りで天幕のほうへと向かっていく。それが終われば今度は両手に料理を持ち、ひっくり返さないよう慎重に運ぶ。


 そんなことを繰り返しながら、あっという間に宴は一晩、二晩すぎ、三日目の晩になった。男たちのいる天幕はここからかなり離れているのに、踊ったり騒いだりする声が風に乗って届く。この喧噪も見られるのは最後なのかと感慨に浸りながら、ハワルは料理場と宴の行われている天幕を何度も往復した。


(いったい、迎えはいつ来るのだろう)


 宴もたけなわになり、踊る人影もまばらになってきたころ。ベルタの輝く空をハワルは不安そうに見上げていた。迎えが来るのは祭りの間なのか、それとも終わってからなのか。狼はそこまで詳しく告げていない。本当に来てくれるのだろうか、という一抹の不安も混ざって、ハワルの緊張はいよいよ頂点に達していた。


 そんな折、だれかが不意に声を上げた。


「狼の鳴き声だ!」


 そのとたん場が一瞬静まり返る。年長者ならだれもが知っている昔話――夏祭りの日、花嫁を迎えにくる狼の話をほうふつとさせる状況に、男たちは大きくざわめく。


「花嫁か?」

「だが“印”は誰にも出ていないはずだ」

「ただの偶然か? それにしてはできすぎている」


 男たちのざわめきは話を知らない若い男たち、そばで宴を見守っていた女たちにも伝染し、その中を縫うように狼の遠吠えが混ざる。どんどん大きくなっていく混乱を収めるため、その場で一番年長の男が立ち上がった。


「しずまれ! 誰かこの中に“狼の贈り物ウル・チャム”を受けた娘はいるか」


 その声に、ハワルが意を決して前へと滑り出る。はっ、と息をのんだのは、父かアルマーンか、はたまた親族の誰かか。後ろを顧みず人々の中心へと進んでいった少女は、ひどく落ち着いた表情で年長の男に牙を差し出した。


「おおお……」

狼の花嫁ウル・ハニャンだ……」


 呆然とつぶやく遊牧民たちのなか、ハワルは狼たちの声が近づく東の方角へと歩き出す。人垣は行く手を邪魔しないようにさっと割れ、こわごわと少女を見守っていた。


 やがて闇の中から一匹の狼が現れた。

 月の光をはじいて光る毛並みは白とも蒼ともとれる色で、ハワルが夢で見たとおりのすがたをしている。滑るように前へ進み出た狼は、ひざまずく少女を見据えて大きく吼えた。


『約束通り、おまえを迎えにきた』

「まっていたわ。狼の王様」


 少女はすこし緊張はしているものの、そろそろと顔を上げて狼と言葉を交わす。こちらを見つめる金色の目は鋭かったが、不思議と威圧感はない。すぐ近くまで寄ってきた狼は濡れた鼻面で体を押し上げ、ハワルを立ち上がらせた。背を伸ばしてたっていてもなお、狼の肩は彼女の背丈よりも大きかった。


『私が怖いか』


 こわばった顔をしていたからか、心配そうに狼が唸る。それを聞き、少女はすこしばかり笑みを浮かべて答えを返した。


「いいえ。怖くないわ。だって、約束通りあなたは私を迎えにきてくれたもの」


 その答えにほっとしたのか、狼が大きく息をつく。どこか人間らしささえ伺わせる仕草に、ハワルは声を立てて笑う。その声に狼は目を丸くしながらバサリとしっぽを振った。


『人間の暮らしとは違うだろうが、私の最大の力でおまえを幸せにすると約束しよう』

「ありがとう。よろしくお願いします」


 少女が深々と頭を下げると、周りからため息とも歓声ともつかぬ声があがった。

狼が申し込んだ結婚をハワルが受け、神と人との契約が新しく結び直されたのだ。この場にいる誰もが、その生き証人となった。


『契約は果たされた! 我らは人に土地を与え、家畜は肥えるだろう!!』


 雷鳴をも思わせる狼の吼え声に、人々はおおっと歓声を上げる。その声に答えるかのように、本物の雷が空の遠くでうなり声をあげていた。


 そうして幸せそうにほほえむ狼の花嫁ウル・ハニャンは狼の背へまたがり、草原の奥へと消えていった。

 空にはふたりを祝福するかのように、ベルタが赤くまたたいていた。


 その後草原の民は恵まれた天候と豊かな大地に支えられ、富み栄えたという。時たま狼と共に草原を駆けめぐる白い鹿を見かけると、人々はその恵みに深く感謝したそうな。


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星を待つ人 さかな @sakana1127

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