5章
繁華街の外れにあるマンションの一室は、深夜にも関わらず煌々と明かりを灯している。地上12階、窓を覗けば町並みが一望できるその部屋には、若い男と幼さの残る少女がいる。
男は愉快そうに携帯電話越しに会話をしている。男性にしては高い声が、少女には特徴的に思えた。
「お仕事終了」
通話を終えた男は、そう笑って少女と向き合った。
「さて、僕の要望通りに死んだことにさせてもらったけど、良かったかな」
沖矢の声は、少女に対しても変わらず愉快そうに聞こえる。
「こんなに清々しい気持ちは、久しぶり」
「それよりもさ、緑ちゃん。僕は君と答え合わせがしたいんだけど」
緑はその言葉に少し笑いが漏れたが、包帯の下の傷が痛み、引きつったような顔になった。
「緑ちゃん。君は僕のところに来た時、自分の治療薬が欲しいと言ったね」
砂原は緑が葵のためにあのホテルに行ったと思っているようだったが、実際は違う。緑はあくまで緑のために、砂原のホテルを訪れた。
「だから僕は君に砂原君を紹介した。ただ彼には重度の中毒者であると伝えるよう、僕は君にアドバイスした。ここまでは、僕が知っている緑ちゃんの事情のすべてだ」
重度の中毒者であると嘘をつくことで、砂原から多めに薬をもらうことができる。そうアドバイスをされしたがったが、その結果、砂原に追い出される事態になった。
「なぜ、あんなアドバイスをしたの?」
「それは秘密。気が向いたら後で教えてあげるけど、いまは君と葵ちゃんの事情を教えて欲しいな」
無闇に話すことではないが、自分のなしたことを誰かに話したい欲求があった。すべてが終わった後という興奮感があるのかもしれない。
「答え合わせというほどのものはないわ。ただ、私と葵は砂原が思ってるような仲のいい姉妹じゃないってこと。それどころか、私は葵を恨んでいたし、葵は私を人間だと思ってなかった」
両親のいないあの家で、葵は暴君の様に振る舞った。虫の居所が悪ければ暴力を振るい、緑の所有物を手当たり次第に壊した。
「それでも抵抗できなかったのは、親からの入金を管理していたのが葵だったから。逆らったら、生きていけなくなる」
生きていくために実の姉に頭を下げ、嘲笑と共に最低限の金をもらう。屈辱的な生活は何年も続いていた。
「いつからかは覚えていないけど、葵が家に男を連れてくるようになった。もともと葵は悪い奴と一緒にいることが多かったけど、家に連れてくることは珍しい。不思議だったけど、理由を聞くなんてことしたら、また殴られるから聞けなかった。それがスモークで遊ぶために来てるってことに気がついたのは、だいぶ時間が経ってから」
朦朧とした葵の姿を思い出す。虚ろな目で、こちらに笑いかけてくる葵は暴力を振るう姿よりも薄気味悪く感じた。
「それで?逃げ出したいのはわかったけど、それで終わりじゃ無いよね」
「辛い生活だったけど、お金のこと以外で関わらなければ生きていけた。だけど、ある日、葵が連れてきた男が私を襲おうとした。そいつはスモークでいかれちゃってたから、何を言っても通じなかった。大柄な男で、逃げ出したくてもすごい力で押さえつけられた」
泣き叫ぶ緑を葵は面白そうに眺めていた。そして、この男をけしかけたのが葵だということに気がついた。
「そのときの葵はスモークなんてやってなかった。正常な判断で、私を犯させたの。理由を問いただしたら、葵は私を笑ったわ
『緑がつまらなそうだから、混ぜてあげようと思って。ねえ、気持よかったでしょ?』
私はこのとき、葵を殺そうと決めた。だから、葵が寝てる部屋にあいつの持ってたスモークを全部炊いた。窓も、扉もガムテープで目張りして。あの子をベッドに縛りつけてね」
一晩中、尋常ではない量のスモークを浴びた葵は、翌朝には廃人になっていた。一日のほとんどをベッドの上で過ごし、時折薬物を求めて自傷行為に走る。
「そして自分の手に負えなくなったから、僕のところへ来た。ってところかな」
緑が沖矢に頼んだことは2つだった。一つは禁断症状が激しい葵をあの家から取り除くこと。そしてもうひとつが緑自身に関わることだ。
「私は葵のことなんてどうでもよかった。ただ、あの家で暴れられると邪魔だったから、どうにかして欲しかったの。それよりも大きな問題があったわ。葵を縛り付けた時、部屋にはスモークが炊かれていた。だから、私も少し吸ってしまっていたから、なんとかしなくちゃいけなかったのよ」
スモークの吸引履歴は少量であろうと、確実に15歳検査で発覚されるだろう。そうなると、緑は進学をあきらめ、警察が管理する病院で治療入院をした後に、少年院に入れられる。
「私は全寮制の高校へ進学して、あの家から出るつもりだった。あの家から出られるなら、警察だろうと学校だろうとなんでもよかったという気持ちがあったのは事実よ。
でも、葵なんかのために、私の人生を狂わされるなんて、耐えられない」
「なるほど。すごく納得できたよ。だから葵ちゃんは君を見たときに、殺そうと襲いかかったのか」
沖矢は面白そうに笑う。きっと彼にとってこの上ないエンターテイメントなんだろう。
「きっとね。葵、あの夜スモークを浴びながらずっと叫んでいたからね。許さないって」
いつも高圧的で、余裕に満ちた葵の声がこれほど悲痛に聞こえるものかと、興味深い夜だった。
「私の事情はこんなものよ。楽しんでもらえた?」
「とってもいい話だった。君に砂原くんを紹介してよかった」
両手を大きく広げ、自分の歓喜の具合を表現する沖矢の姿はわざとらしい。
「やっぱり葵ちゃんは逸材だった。こんな僕を楽しませてくれるなんて、最高だよ。お礼がしたいくらいだ。そうだ、この感動に匹敵するとは思わないけれど、緑ちゃんの一番始めの疑問に答えよう」
なぜ、砂原に多量の薬物の中毒者であると偽る必要があったのか。緑にはその理由が思い当たらなかった。
「砂原くんはね、あのホテルの外側にいる、真人間との関わりたかったのさ。彼は望んであのホテルにいるけれど、本当は真っ当な生活に戻りたいと思っている。だから、限りなく普通の女の子である君と接点を持たせたかったのさ」
「それなら、普通に少しスモークを吸ったお客ってことじゃだめなの?」
「ダメじゃない。でもそれでは関係が弱いのさ。君に重中毒者と嘘をつかせたのは、不自然さを感じてもらうためだ」
沖矢からの指示は、ずっと昔から薬をやっていると嘘をつくことだ。だが、中毒患者の様な振る舞いはしなくてもいいと言われていた。むしろ、健康な人間として普通に過ごせと言われたのを思い出した。
「砂原くんは不自然だと感じれば、あのホテルの住人を使って緑ちゃんについて調べるだろう。そうして分かるのは、葵ちゃんのことだ。彼なら気がつくだろう、葵ちゃんが重度の中毒であり、緑ちゃんは姉のために行動しているのだと」
「面と向かって言われたときは、笑いそうになったわ。あの人、見かけと違ってお人好しね」
人の事情を勝手に想像して、お節介を焼く。今までも緑を救おうとした人間はすべてこのタイプだったが、少しでも都合の悪い状況になると、すぐ言い訳をして逃げていった。
「一度死の淵を彷徨ってからあんな見た目になってるけど、本来は若い麻薬取締官だよ。お節介の極みの様な組織にいた人間だ」
「いい迷惑」
薬の危険なんて、服薬するほうは重々承知している。仮にそうでない奴がいたとしたら、そいつは救う価値のないほどの愚か者だ。そんな人間を助けるために動く人間など、緑の理解の外側にいる。
「砂原くんは葵ちゃんの存在に気がついたら、必ず彼女を探し出す。治療するためにね。だけど、その彼女が治る見込みのないほどの中毒だったら?」
「あきらめるんじゃない?」
「普通はね。でも砂原くんはどうするかわからない。彼は治療することで自分の価値を見出しているからね。だから、砂原くんが治療できない患者を、それも守るべき未成年の女の子を見た時の反応が見たかった」
緑にとっては理解できない人間性だ。一つのことに、自分の価値を詰め込むなんてそれこそ、まともな精神ではない。
「だから僕は、葵ちゃんを彼女がよく遊ぶのに使ってたカラオケボックスに置いて、彼女のお友達を呼び出した。
『葵ちゃんが約束を破ったから、もう薬は売らないよ』って添えてね。そしたら案の定、砂原くんのお供が葵ちゃんを見つけてくれたのさ」
「それで?」
「これで終わりだよ。僕は砂原くんが救えない患者を見せてみたかった。その時の反応を見たいから、緑ちゃんに嘘をついてもらった。納得いった?」
沖矢はこれでお終いといったが、緑には理解ができなかった。もし自分なら、諦めて終わるだろう。砂原は自分の身体を犠牲にして治療を行うほど、中毒を治療するのに注力していた。
だが、治らない患者である以上どこかで妥協が生じるだろう。それを観察ことになんの面白さがあるのか。
沖矢は心底楽しいというような顔つきだ。緑は目の前の沖矢という男のことも、砂原のことも理解することはやめようと思った。
「話しはこれで終わりだけどね、呼び出した理由はもうひとつあるんだ」
沖矢は改まったようにすまいを正した。
「緑ちゃん。僕のところで働いてみない?」
緑には、沖矢の言葉がわからなかった。自分の様な15に満たない子供に対して、かける言葉なのか。
「なんで。意味がわからない」
「僕はね、君の行動力が非凡だと思ったのさ。君は自分の吸引履歴と、重度中毒の姉をどうにかするために、僕のところに来たよね。
そこで疑問だ。どうやって僕のことを知り、ここまで来たの?」
沖矢と葵は薬物を売買する間柄であったから、直接の認識がある。しかし、緑にはない。
部屋で暴れる葵を見て、早急に排除する必要があると確信した。しかし、人間を一人抑えこむには緑では非力過ぎる。だが、誰かの助力を求められるはずもない。
どうすればいいか途方にくれたとき、葵がつぶやいていた言葉を思い出した。
沖矢。薬の売買を担当していた男。頼りになるかはわからなかったが、緑には選択肢がなかった。
「まずは葵の連れの人に直接聞いてみた。でも誰も知らないっていうから、葵の携帯を調べたわ。そしたら連絡先に沖矢という名前はなかったけど、1ヶ月に一回必ず15時にかけている電話があった。
葵は定期的に薬を買っていただろうから、きっとこの番号の人が沖矢だって確信した」
「でも緑ちゃんは電話を掛けなかっただろう」
「一度でも怪しい電話をかけたら、拒否されると思ったから。葵は沖矢さんへの電話のあとに必ずメールをしていたの。薬仲間に、取引終了の連絡をね」
そのメールの文面には、10分後にいつものカラオケBOXで配るとあった。つまり、葵はカラオケBOXから10分圏内のところで取引をしたことになる。そしてそれは沖矢もその場にいた事を意味する。
「そこまでくれば、あとは簡単よ。次に取引の時間に、葵の服とメイクをして目立つ通りに立っていればいい」
約束の時間、カラオケBOX近くの通りで立っていると、案の定背の高い男に声を掛けられた。それが沖矢だった。
そして沖矢にすべてを話した。相手にされないと思ったが、賞賛の言葉とともに緑の要望を総て叶えると約束してくれた。
「まんまとやられよ。なかなかできるものじゃない。だから、僕は君を砂原くんに紹介しようと思ったのさ」
今までの人生で、掛けられたことのないほどの賞賛だ。むず痒いような気持ちになる。
「だから、君には僕の下で働いて欲しいのさ。高校へ行きながらでもいい。望むのであれば、一人で住む場所、新しい名前も用意しよう。
君は、あの嫌な思い出のある家に帰らなくていい。姉に殺されかけた妹として生きなくていい。僕の下へくれば、君は君として生きていける」
めったに帰らない両親への愛情など殆ど無い。にもかかわらず彼らに頼らなければ生きていけないことに窮屈を感じていたのは確かだ。
「僕には君が必要だ。僕らの世界へ来なよ」
いままで、必要という言葉を掛けられてこなかった。父も母も、自分を金がかかるだけの存在だと感じていただろう。
同じ境遇の葵も、虚しさがあるはずだが、彼女は非行に走ることで自分の存在をアピールした。
その結果、彼女は家族以外の人間から求められる存在になっていた。
翻って、自分は変わらない。どれだけ歳を重ねても、だれかにとって必要な存在ではないという感触は消えない。
沖矢の言葉に目頭が熱くなった。求められるということは、これほどの心に響くのか。
緑は、沖矢の差し出した手を握り返した。常人とは違う道を歩くことになるだろうが、構わない。
自分を必要だと言ってくれる人がいる世界で、生きていく。
*****
緑を自宅に帰し、一人になった部屋で沖矢は嘆息した。緑がもたらしてくれた話しは確かに興奮するものであったが、結末は期待はずれであった。
「僕が見たかったのは、緑ちゃんに謝罪する砂原くんだったんだよ」
砂原にとって緑は、唯一の外の人間だ。
絶対に巻き込んではならない、まして傷つけることなど論外だろう。
その人に、助けると誓った約束を反故にさせる。どれほどの苦しみだろうか。
「苦しむ君が見たいんだ」
今回は叶わなかったが、次への布石を手に入れた。
浅井緑。砂原は死んだと思っているだろうが、沖矢の元にいる。
彼女は優秀であるが、子供にしてはという枕詞がつく。
それでも手元に置こうと思ったのは、砂原のことを思ってだ。
「君が絶対に巻き込みたくなかった人を、こちらに引きずり込んだよ」
死んだはずの緑が生きている。砂原は歓喜するだろう。
しかし、真っ当な道を歩けない世界で生きているとしたら。
自分のせいで、自分と同じ世界に落ちてきたとしたら。
きっと、一層の苦しみだろう。
「ああ、その光景が見てみたい」
そして沖矢は恍惚の表情で言葉を紡ぐ。この砂原に対する感情は、恋の反対にあるのものだろう。
初めてあった時から、一目惚れのように抱いた感情だ。
「砂原くん、ぼくは君のことが嫌いだ」
紺色の灰 @waritomu
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