補足――海と生きる

 某コンテストの為に書きました『海と生きる』ですが、内容が被るため作品を移植しました。

 こちらに応援、評価、レビュー頂いた方々に、今一度感謝を申し上げます。

 ありがとうございました。



 ここは、本州最東端に位置する、とどヶ崎を擁する岩手県宮古市。


 私の故郷である。



 2011年3月11日、東日本大震災。



 その日、私の故郷は津波に呑まれた。



 母は、一時間ずれていたら死んでいたと語っていたし。


 友人は、まさに九死に一生を得る体験をしている。



 中心市街も被害は酷かったようだが、沿岸集落においては壊滅的であり、復興を旗印に頑張ろうを合言葉に、こうして5年という歳月を経た。


 何度か帰省をし、車の窓から、或いは実際に歩いて、その風景を見渡せば、変化する街並みからは災害の記憶も薄れつつもある。


 それでも震災の傷跡は隠しようもなく、街の変化の影からあちこちに見つけることは出来るのだ。



 幸いにして私は、と書くのは、キーボードを叩く指先が震える。


 被害に遭い、命を落とした方々に申し訳無いという気持ちが働くからだろう。


 それでも幸いにして私は内陸におり、家族も無事、地元の友人達も何とか無事、実家は山の団地に祖父が建ててくれて、被害は少なかった。


 そんな私に、何を書けるか、という忸怩たる思いだ。



 未だに目を疑うほどにショックを受ける写真がある。


 震災より後、私は関連するムック本を書店やコンビニエンスストアで目にする度に買い漁ったが、だいたいどれにもその写真は載っていた。


 宮古市役所側。


 車も船も呑み込みながら、ドス黒い波の奔流が防波堤を越えて陸地に襲いかかるシーンを捉えたものだ。


 私の高校時代の通学路であり、帰省の度に何度も行き来した道である。


 馬鹿げたことではあるが、何かボタンを掛け違えていれば、ここで死んだかもしれないなどと、貧困な想像力が私の背筋を冷やす。



 海とは、何と、恐ろしいものか。



 ひとつの景色を紹介したい。



 浄土ヶ浜、という海だ。


 浄土、という名前は、極楽のような景色と讃えた言葉に因るものだが、確かに真っ白な砂浜と広がる青い海は、なかなかのものだと思う。


 何度も歩いた砂浜であるし、何度も泳いだ海でもある。



 自虐的に言うと、田舎にある唯一の観光地と言えるような場所であり、予算の関係もあるだろうが、もっと大々的にアピールをして欲しいものだ、という言葉にもなる。


 宮古は、海に面した街である。漁港に揚がるサンマもそこそこ有名だったはずだし。本州最東端なんてアクセスの不便な土地柄、そりゃあ、海を売りにするしかないだろう。



 その海が、あの日、地震を引き金にして、そこに生きる人達に、牙を剥いたのである。



 自然災害だ。


 個人的に、恨み言を言うつもりはない。


 だが、あの日、奪われた人達は、なかなかそうもいかないだろう。


 もう、文句さえ言えない人達も、いただろう。



 津波の被害が予想出来ていて、何故、そんな場所に住んでいたのだ、という非難の声も、少なからず耳にしたものだ。



 だが、海の街なのだ。


 海は、生命の始まりの場所。


 海は、恵みを与えてくれる場所。


 海は、生命が還っていく場所。


 そして、同時に荒れ狂い、何もかもを呑み込んでしまう場所でもある。



 かつて太古の人が、太陽や大地や海に、神を重ねるのも頷ける話である。


 海に生きるという意味は、深い恵みも荒い波も、全て受け入れていくことなのではないだろうか。



 死んでしまったら、元も子もない、とは、確かに真っ当な意見であると私も思う。



 だが、その土地に根ざす、という生き方をしたら。


 ここで生きていくのだ、と。


 育ち、育てられ、職を得て、伴侶を得て、子を成して、子が親となり、子は親を送り、命の連鎖と生活の思い出が、しがらみとなれば。


 もう、根を張った土地からは引っこ抜けない、動けない、そこで生きていくしかないから。


 ここは、海に生きる街、だから。



 それが、震災後、瓦礫に埋もれた故郷を目に焼き付けるために、海に沿って歩いた私の、実感である。



 景色を戻そう。


 浄土ヶ浜より山を抜ける道路の途中に、山と山を結ぶ鋼橋がある。その中央から見渡せば、そこには広く雄大な水平線。


 ここからだと海は遠く、潮の香りや波の音も僅かで、森林の青臭い息吹が勝る。


 近くには、私の祖父母の墓があり、墓参りの度に、私はその場所から海を眺めたものだ。



 私は考える。


 一度は壊れてしまった、この街が好きなのか嫌いなのか。


 こんな何もない田舎に生まれてしまって、などと嘆いたこともある。


 記憶の中の景色は、もう津波に呑まれて、今の景色と一致しない。


 ただ、愛すべき家族にここで育てられ、ここでしか出会えない人達と交流し、友人達に囲まれた地だ、嫌いになれるはずもない。


 帰省する度に思う。


 いつかはここで生きていく気になるのか。



 だが、申し訳無いが、私は優柔不断で往生際も悪い。


 この土地に根を張り、海と共に生きる覚悟はまだ出来ていないようだ。



 あの橋から望む海を、思い出す。


 今にして思えば、この景色を私は愛しているのだろう。


 この海を。


 いつでも帰ってこられる場所である。


 いつか最後に還る場所になるのかもしれない。



 いつまでも穏やかで、広く、深く、母なる海であって欲しい。


 どうか、海に生きる街と人々に、恵みがあらんことを。


 私は、切に願うことしか、今は出来ない。

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2011 3.11 14:46 おおさわ @TomC43

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