再び立ち上がる――その日――
ある日、夢を、見ました。
災害が起こった瞬間に、事態を把握した私は、荷物をまとめ、ガソリン満タンの車を駆り、必要な物資をかき集めて実家へ向かい、家族を助ける。
そんな、ささやかな。でも成し遂げられなかった夢を。
ここだけ読んだら、何か家族が死んだみたいな雰囲気になりそうなので説明しておきますが、みんな無事です(苦笑)
さて、そうです。
あれが望みだったのか。と。
あの日見た、理想の自分を突き付けられて、私は、人生初めて後にも先にも、泣きながら目を覚ましたのです。
そりゃあ、泣きますよ。
自分の理想の姿なんて、目を背けるしか出来ないはずなのに。どうしたって、そこに到達出来ない、って知っているのに。
みんなを救う、ヒーローになりたかったのだろうか?
否。
そんな大それたものじゃない。
ただ、目の届く限りの姿を。耳に届く限りの声を。手の届く限りの人の手を。
それくらいの、それくらいの人は助けられるくらいの人には、なりたかった。
それが、それが、主人公の在り方であると信じるが故に。
それが、かつて愛した自分の物語、自分で創り出した世界の主人公たちの姿だから。
だって、私は、俺は、僕は、自分の人生の、主人公じゃないか……
あの災害を今、振り返ってみると。
それでも生きているのだな、という案外あっさりとした感情が浮かびます。
失われた、喪われた、色々なものがあるのでしょうし。
内陸でぬくぬくと、立ち往生のまま、何も出来ずに沿岸の惨状に頭を垂れた自分が。
ときに忘れ、ときに笑い、そんな過去など微塵も感じさせずに、生きていられる。忘却こそが、暴虐な、あの災害に対抗出来る、唯一の人間の本能であるのなら、それは、それは、きっと、とても幸せなことなんだろうと思います。
そうやって、過去にして、今を、現在を謳歌して、未来に夢を馳せれば。
それが人が生きる、命を繋ぐ、正しい、命と記憶の正しい姿だと知りながら。
忘れられない、形にしなきゃいけない、どうしても、心の隅に残って、わだかまる……今更、何の役に立つんだっ!? と。
拳を握り締める。
もう、誰も話題になんかしないよ。
歯を食いしばる。
言葉にしなければ、吐き出せないんだ!!!
瞳を閉じる。
何年前の出来事だと思っているんだよッ!!!!!!
吐き気さえ、覚える。
その、何年か前の、大事な忘れ物を、今、取りに来たんだ……
私は、PCのモニターから目を離し、キーボードから指を置き、後ろを振り返る。
『やあ、助けに来たよ?』
あの日の自分が、微笑んでいる。
嘘だ。
あの日、そんな自分はいなかった。
嘘でもいいよ。
『君を救いに来たんだ』
こんな物語があってもいいんだろうか。
今をして、私が言葉に出来るのは。
『生きていれば、こそ』
これしかありません。
喜怒哀楽、いろいろあるでしょう。
辛いことも悲しいことも、そりゃあ、あるでしょうけれども。
それは、それで、生きていなければ、体験出来ないことなんだろうなあ、という想いです。
そりゃあ、上辺だけの『死にたい』なんて言葉しか口に出来ない私なんかがね、死を選択する程の辛い経験なんて、してこなかっただけの、そんな平凡な話なのかもしれないのだけれども。
嬉しいことが、ありました。
腹立たしいことが、ありました。
悲しいことが、ありました。
でも、今、楽しく、笑うことも出来る、ここは、そんな世界です。
嫌なこともあるでしょう、悲しいこともあるでしょう、失敗して、上手くいかなくて、もうやだ、やめたい、しんでしまいたい。
そんなことも、あるでしょう。
好きな人達だけに囲まれて生きていけたら、どんなに良いでしょう。
嫌いな人を人生から排除出来たら、どんなに楽でしょう。
でも。
愛し、愛され。
嫌い、疎まれ。
そんな人生でしたよ。
支え、支えられ、生きてきましたよ。
きっと、みんなそうです。
どんな、恐れや、失敗や、挫折や、落伍を、それらを恐れないで欲しい。
それは、皆、経験としてフィードバックされます。
成功は、喜びを与えてくれるけど。
失敗だって、あなたに大事な経験を与えてくれるんだ、って、今なら胸を張って言えるよ。
人は弱い。
でも、弱さから立ち上がることが出来る、それが強さだから。
決して折れない? そんな脆さはいらないよ、今の私は。
僕は、俺は、私は、そんな。
そんな、物語を、愛していたのではなかったのか……!?
小説の公募に作品を送ったことがある。
ホームページで、オリジナルや二次創作の小説をアップしたことがある。
ブログやツィッターで、くだらない文章の垂れ流しもした。
ああ、なんて、恥ずかしくて、もどかしい、どれもこれも、愛すべき物語たち……!
「物語を愛するすべての人たちへ」――カクヨム――
ああ。
あぁ……愛していた、愛していたよ! 今だって!! 愛してるッ!!!
このタイミングで、この目に飛び込んできたんだ。
カクヨムが。
このキャッチコピーが。
だから、再び、立ち上がってしまったんだ。
もう!
もう、小説もイラストも何年も書いて、描いていないよ!
きっと錆び付いてるよ、劣化してる、取り戻せないかもしれない!!
でも!!!
かつての自分が迎えに来てくれたみたいだ。
君の愛する物語を教えておくれよ。
生きているから、知ることが出来る。
あの日。
何も出来なかった。
生きることも充分に出来ずに、死ぬことさえ無かった。
生かされた、と感じた今なら、生きている意味を探すことに何の疑問もない。
あなたに。
あなたの紡ぐ物語に出逢う為だったとしても。
私は、何の疑問も感じない。
有り難い。
有難う。
再び立ち上がる――その日――それが今だと知っている。
ありがとう。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
ここまで書き終えて。
何で、こんなに時間が掛かってしまったのかと。
この作品を投稿して、ジャンル別、一桁台のランキングに上がって。
怖くなったのかもしれません。
人の不幸で売名するのかと。
或いは自身を切り売りして、そうしなければ、のし上がれない世界なのか、と。
全部書き上げて、一気に投稿してしまったり、とか。
或いは、エッセイコンテストもありましたね、あれに照準を合わせたりすれば、もっと、小狡い感じで宣伝出来たろ、とか。
分かるんですよ、こうすればいい、って。
でも、どうすれば自分がいいのかが、分からなくて。
だから、どうしたいのか、だけを書いてみました。
ときに、酒の力を借り。
ときに、音楽の力を借り。
また、ときには、レビューや応援して下さった方々の言葉の力を借りて。
何とか、終わらせることが出来ます。
ありがとう、ございます。
思うに。
私は、エッセイストには絶対に、なれません。
自覚しました。
空っぽなんです、自身が。
どうしようもない、その穴を埋めたいが為に、創作をしているようなもののようです。
エッセイとは、喜怒哀楽や奇特な経験や何気ない日常の一コマを、ただ、ひたすらに、内側へ内側へとベクトルを向け、淡々と語る作業のように思います。
私は、どうやら、自分の外側のベクトルへ、誰かを、楽しませたい人種のようです。
私に関わったなら。
私の作品を、目にしてくれたなら、何とかして、楽しませてあげたい。
その為なら、幾らでも自身を偽るし、言葉を飾るし、話を盛るでしょう。
事実や真実なんて、クソ喰らえ。
誰かを一時、一瞬、幸せに出来るなら、この非才の一滴を搾り尽くしても、必ず誰かを笑顔にしてやる、して、みせる。
何もかも壊れ、崩され、流されてしまった。
私の故郷、思い出。
あの瓦礫の山、何もない地平、太陽の昇る海岸線に誓って。
たとえ、そこに佇み、泣き続ける姿、人がいたとしても。
必ず、君を笑顔にしてみせる。
そう、信じて、約束しよう。
最後は何か、やっぱり自分語りになってしまった、災害のことなんかそっちのけような気もして、本当に、申し訳無いのだけれども。
本当に、本当に、★もレビューも応援❤さえもいらないよ!
本当に。
本当に、ありがとうございました!
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