第42話エピローグ

「よお。戻ってきたかい」

「ウロさん。……ただいま戻りました」

「聞きたかったことは聞けたかよ」

「はい。充分に」

 私は頷きます。

「ケラーの奴は古株だ。ここのことはよく知ってらあ。あんたの役に立ったろう」

「はい。私は罪を犯したんですね」

「……ああ」

 私は目を閉じ、深く息を吸いました。

「私は人を死なせてしまった」

「……」

 遠い昔を思い出すかのように、つらつらと言葉があふれてきます。

「昔、一人のある女の子がいました。パティシエを目指した、お菓子作りが大好きな女の子。その女の子は念願かなってパティシエになり、それだけではなく、やがては有名なコンテストで優勝し、名の知れた職人になることができました。毎日自分の作ったお菓子を誰かに食べてもらって、喜んでもらうことができる――。彼女は、それはそれは幸せな日々を過ごしました。でも、あるとき。信号無視をしてきた車にはねられ、彼女は事故にあいました。命は助かったものの、代償に、彼女は大切なあるものを失いました。それは、味覚――。舌で味を感じる、その感覚。彼女は食べ物の味が分からなくなってしまったんです。それではパティシエを続けていくことなどできません。パティシエの道――お菓子作りは、彼女にとって唯一であり、最上の生きがいだった。それを失った彼女は絶望し、自ら命を絶ちました」

「……」

「それが私。その女の子は――私。私の名前は貴船佳奈。私は、自分を死なせてしまった――自殺したんです。それが私の罪、だったんですね」

「……ふん。思い出したか」

「でも――おかしいですね。それなら、どうして? 死んだはずの私が、なぜ、こうして生きて――いえ、生きてはいないのでしょうが、こうして意識を保っていられるのでしょう? それに、この身体は一体? 生きていた頃の私とは、似ても似つかないのですが……」

「最初に言ったろう。ここは異空間だってな。いわば、あの世とこの世の境目だ。肉体を失い、あんたはここへ送られてきた。今のあんたは魂だけの存在。魂にゃ、食事も睡眠も必要ねーわな。肉体はないから、姿形はどーとでもなる。あんたの魂に一番近い形になったんだろう」

「ここへ……送られた」

「俺の本当の名前はウロボロス。尾のない蛇。輪廻転生をつかさどるもの。あんたは死んだ。罪を犯して死んだあんたは、輪廻の環から外れ――そうして、ここへ来た。罪を償うためにな。いわば、次に転生するまでの猶予期間だ」

「ウロさんが……ウロボロス?」

「そして次は、僕の番」

「フィーニスさん」

「フィーニスは、終わりを意味する名。罪を償い、すべきことを終えた魂を終焉へ導き、そして次の生へとつなぐ役目」

「シュガー。あんたは充分に鱗集めを果たした。贖罪はなされたんだ。もう、ここで人々のために菓子を作る必要はねー。あんたは次の人生に向かって、成仏することができる」

「……」

「心の準備ができたなら、僕が責任を持って、君を輪廻の環へと送り届けるよ」

「……」

「どうした、シュガー」

「その申し出を、お断りすることはできるんですか?」

「ああん?」

「断る……って、シュガーちゃん。それじゃ君はこのまま、この異空間でお客様を迎え続けることになるよ?」

「いいんです、それで」

 私ははっきりと言います。

「短い間でしたけど、ここで過ごしている間、色々なお客様と接しました。悲しんでいる方、迷っている方、悩んでいる方、怒っている方――いろんな方々とお話をして、微力ながら、お助けする力になって……」

「……」

「楽しかったんです。そんな毎日が。時には記憶を失っているのを忘れるくらい」

「きっと世の中には、悩んでいる人、お菓子と共に過ごすひと時を必要としている人はもっとたくさんいて、そして、私はこれからも、その人達の力になりたいと思ったんです」

「変わらぬ毎日を、ここで過ごすというのかい?」

「いいえ。変わらぬ毎日では、ありませんよ。いろんな方がいて、一人ひとりに違うストーリーがある。私の前で繰り広げられるそれは、まるでくるくると万華鏡のように変幻自在で。愛しく、すばらしいものでした。私はこれからもそれを見ていたい。ここで、このお店で、様々な方と触れ合う毎日を、もう少し、私は過ごしていたいんです」

「ししっ。転生の機会を自分から逃すとはな。変わった奴だ」

「そうでしょうか? これまでそうしてきたのは、私だけではない気もいたしますが」

「――まあね。きみの言うとおりだ。ケラーなんかもその口だね」

「後悔しねえな?」

「そうですね、いずれ、長いときを経たら、私も成仏する気になるかもしれません。でも、もう少し、それまでは、ここノン・シュガーの店主でいたいです」

「ししっ。了解。――んじゃあ今日のところは退散すっか」

「そうだね。僕達の出番はないみたいだ」

「ま、これからも顔出すからよ。その気になったらいつでもいいな。それまで、菓子作りをがんばれや。――またな」

「はい。ありがとうございます。またのご来店をお待ちしています」


 さて、こうして、長かった私の鱗集めは終わりました。

 それでも、ノン・シュガーは営業中です。


 笑いあり、涙あり、今日もまた新たな一幕が始まります。

 ――さて、本日のお客様はどんな方でしょう?


「いらっしゃいませ。菓子処『ノン・シュガー』へようこそ」


     ――fin.

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異空菓子処『ノン・シュガー』 神田未亜 @k-mia

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