第41話セラミックタイム
「こんにちは、シュガーちゃん」
「フィーニスさん……。こんにちは」
翌日、ウロさんが言ったとおり、フィーニスさんはお店を訪ねてきてくれました。
「もうきみに彼を紹介するときがくるなんて、早いものだね。これから連れて行くお店で、きみに紹介できる店主は最後になるよ」
「最後?」
「そう。きみ、ティー、ムジーク、アート――それから、今日紹介するケラー。それで全員。人数は五人と決まっているからね」
「私を入れて、五人……」
なぜ、五人なのでしょう?
疑問を抱く私をよそに、フィーニスさんは説明する様子はなく、私の手をとり、歩き始めました。
お菓子の私、紅茶のティーさん、音楽のムジークさん、絵画のアートさん、そして――。
ケラーさん。
一体、どんな方なのでしょう?
「ついたよ。ここだ」
「ここ……ですか?」
フィーニスさんの言葉に、私はその建物を見上げました。
色あせた、木造の建物。天井は低く、角度の緩やかな三角屋根。それに大きな煙突。
どことなく殺風景で無雑作な印象。
なんだかお店のようには見えません。
どちらかというと作業場というか――そう、工房。
工房のようでした。
ここは一体何のお店なのでしょう?
「ケラー、お邪魔するよ」
フィーニスさんに続いて建物の中に入ると、そこには。
「わあ……!」
私は思わず感嘆の声をもらしました。
そこにならんでいたのは、つるりとした、艶々と光る、滑らかな表面。
色とりどりの、つややかなかたまりたち。
透き通るような純白に一筋、鮮烈な赤がひかれた角皿。
冴え冴えとした青色の丸い大皿。
深みのある緑の器。重厚感をかもしだす漆黒の陶器。
どれもこれも、そこに盛り付けられた料理すら香り立つような、美しく、見事な食器たちが並んでいました。
そして、奥には一人、座って作業をする人物が。あれがケラーさんでしょうか。
何かに向かって、一心に手を動かしています。
こちらに気付いた様子はありません。
「作業中だね。今は声をかけても無駄だから、少し待ってみようか」
そういって、フィーニスさんはその人に近づいていきます。
近づいてみてわかりました。
滑らかな土のかたまり。
そしてそれを乗せて、回転する円形の台。
これは、ろくろです。
じっと見守る私達の目の前で、まるで手品のように、土塊は変化していきました。
するすると。くるくると。
滑らかに動く指と掌にそって、水が流れるように、粘土が形を変えていきます。
丸っこい塊から、すらりと伸びて。
流線型をした、優美な縦長に。
そうしてしばらく静かな時間が流れた後。
ふと、その人物は手を止めました。
そして、初めて気付いたように、かたわらに立つフィーニスさんを見上げます。
「なんだ。きていたのか」
「声はかけたんだけどね。こんちには、ケラー。今日はお仲間を連れてきたよ」
やはり、この方がケラーさん。
その言葉に、ケラーさんの視線が私の瞳と合いました。
50代ほどでしょうか。がっしりとした体格に、白髪の頭。口ひげをたくわえていて、向けられたその目は、鋭く光っています。
「……ほう。これはまたずいぶんと可愛らしい嬢ちゃんだ」
まるで怒っているかのような仏頂面で、そっけなく言い放たれます。
たじろく私を慰めるように、フィーニスさんがとりなしました。
「ああ、気にしないで、シュガーちゃん。ケラーは別に機嫌が悪いわけじゃない。愛想のない奴でね、これが普通なんだ。そのつもりで接してやってくれ」
「ふん。焼き物に愛想はいらんのでな」
放っておくとすぐさま作業に戻りそうなケラーさんに、私は慌てて話しかけます。
「あ、あの」
けれど、上手く言葉がでてきません。
そんな私に。
「……悩んでるようだな。茶くらいいれてやろう」
ケラーさんは、あたたかいお茶を入れてくれました。
朝露に濡れた草木のように生き生きとした、緑色の湯のみ。
綺麗な器に入ったお茶をいただいて、緊張のほぐれてきた私は、ぽつりぽつりと、話し始めました。
「……ケラーさんは、ここでどうやって暮らしていますか?」
「――ふん。どうやって暮らしている、とは。そりゃあまた、漠然とした問いだな」
「すみません。自分でもそう思います。でも、最近同じことを、お客様に問いかけられたんです。――そのとき、私、愕然としてしまって」
「なんでだ?」
「初めて気がついたからです。お店で目覚めてから、私は食事をした記憶がないことに。眠った記憶もないことに。そしてそれを不思議にも思わなかった。意識することすらなかったのです。お客様に問いかけられるまで」
「……」
「私にあったのは、お菓子を作り、お客様と過ごした時間だけ。食事も睡眠もとらずに、わたしはどうして、何事もなく暮らせているのでしょう?――なぜ、こうして生きていられるのでしょう?」
「嬢ちゃんは、どうしてだと思うんだ?」
「わかりません。食事もせず、睡眠もとらない。そんなこと、普通の人間にはできません。そうでしょう?」
「そうさ。よく分かってるじゃねえか」
「……え?」
「普通の人間にはできない。だから、普通の人間じゃねえんだろう。嬢ちゃんも、俺もな」
「……どういうことですか?」
ろくろで回し終わった器を、そっと日の当たる場所にうつし、新たな土を練りながら、ケラーさんは言います。
「菓子を作ってると言ったな。じゃあ、嬢ちゃんはどうして菓子屋なんぞやってる?」
どうして?
どうしてと、言われれば。
「え……それは。私には記憶がなくて。でもお菓子作りだけは覚えていて、記憶を取り戻すには、鱗を集める必要があったから……」
「俺の場合は器だな。陶芸をやって、客に満足してもらって、同じように鱗を集めてる。あの妙な蛇の奴のな。――じゃあ、それはなぜだ?どうしてどうして鱗を集める必要があるんだ?」
「え?」
「記憶を取り戻すために、鱗集めが必要な理由はなんだ?」
「そんな……そんなことは、考えたことも」
土をこねては折り曲げ、それを繰り返すケラーさん。
「それはな。贖罪なんだよ。俺達は罪を犯したんだ。その罪滅ぼしに、鱗集めが必要なのさ」
「罪……」
私が罪を?
それは一体、どんな罪だというのでしょう。
「……さっぱり分からねえって顔だな。まあいい。後は自分で考えな。じゃねえと、意味がねえ」
回転させながら練りこまれる土の塊。折り込まれた表面がまるで菊の花のようです。
それ以上、ケラーさんは説明してくれることはなさそうでした。
「じゃあ……あなたは?」
「ん?」
「先ほど、どうして私はお菓子屋をやっているのかと聞かれました。じゃああなたは――ケラーさんは、どうして、陶芸をされているのですか?」
「そんなもん決まってらあ。好きだから、生きがいだからだよ。陶芸がな。これ以外に、やりたいこともねえ」
「生きがい、だから」
「そうさ。土を練り、形を創り出して、焼き上げる。そしてそれを誰かに使ってもらう。それが俺の生きる理由だ」
「じゃあ――もし、陶芸が、できなくなったら?」
ケラーさんはちらりと私を見て、言いました。
「そうさな。この手――器を作る、この掌、触覚。それを失ったら――。俺はもう生きちゃいられねえな」
その言葉を聞いて、私は電気が走るような衝撃を受けました。
触覚。そうです。ケラーさんにとっては何より大切なその感覚。
それは、私の場合は、味覚です。
お菓子作りに必要不可欠なもの。
触覚も、味覚も、人間の五感の一つ。
では、私が味覚を失ったら、その時は――?
そう考えたとき、私は思い出したのです。
私が犯した罪とは、何なのか。
私は、何者なのか。
「話は、終わったかな?」
「フィーニスさん」
「ゆっくり話ができるよう、席を外していたけれど」
「……はい。おかげさまで。思い出すことができました。全部。忘れていた、大切なことを。ケラーさん、ありがとうございます」
「ふん。俺はなんもしちゃいねえ。思い出せたんなら、あんたの場所に帰りな」
「はい。フィーニスさん。連れて行ってください。ウロさんのところまで」
***
フィーニスさんに連れられ、私は戻ってきました。
始まりの場所。私が目覚めた、ノンシュガーの店内へ。
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