第40話ショートケーキ(後編)

「スポンジはしっとりと柔らかくて、すうっとほどけていくの。焼きあがった卵のいい香り。クリームはふんわりと軽くて、なめらかで。だけど乳のコクがしっかりとしていて、ミルクの香りたっぷり……。贅沢な甘さで、でも後口のキレがいいから、しつこくならないのね。それに、果汁たっぷりの新鮮な苺。ほおばったときの甘酸っぱさと、クリームの甘さがちょうどいいわ」

 歌うように語りながら、お客様は一口一口、ゆっくりと噛みしめるように召し上がります。

「気取ってなくて。着飾ってなくて。素朴だけどケーキの魅力はぎゅっと詰まってる。なつかしくて、ほっとする味。するすると口に入ってきて、お腹のなかでほんわかあったかくなるような、何度でも食べたくなるような、そんなケーキ……。」

 最後の一切れを、名残惜しむようにお客様は召し上がりました。

「ごちそうさま。――美味しかったわ、とても」

「ありがとうございます」


 しばしの沈黙の後、ぽつりとお客様が話し始めます。

「もうこのショートケーキは食べられないと思っていたのに、不思議なものねえ。こんなところで、もう一度出会えるなんて」

「先ほども同じようなことを仰っていましたね。よろしければ、どういうことかお伺いしても構いませんか?」

「……そうね。これも何かの縁だもの。聞いてもらおうかしら」

 何かを吹っ切るように頷いた後、お客様は懐かしそうに話し始めました。

「私ねえ、娘がいたの。昔からパティシエになるのが夢で、毎日毎日呆れるほどたくさんのケーキを焼いていたわ。なかでもショートケーキは、それこそ数え切れないくらい焼いていたわねえ……。その度に、私も味見に付き合わされて――。もういいでしょうって、何度言っても納得しないの。どれだけ食べたか分からないわ。最初は上手く形にならなくて、でも作る度に上達していって。美味しく作れるようになった後も、基本だからって、やっぱりショートケーキは一番よく焼いていたわね。だから今でも、その味はよく覚えているの。不思議と、食べ飽きなかったのよねえ……」

 お客様の視線が、そっと私にむけられました。

「不思議ね。あなたのショートケーキの味は、佳奈が……娘が作ってくれたものにそっくり」

「……えっ」

 驚きました。

 これまでたくさんのお客様にケーキを食べていただきましたが、誰かの味にそっくりだと言われたことは、一度もありません。

 これは――。

 もしかしてこれは、私の記憶に繋がる、重要な。


「久々に懐かしいものを食べられたわ。ありがとう」

 お客様はふと思いついたように、ぐるりと店内を見回します。

「懐かしいと言えば……そうね、その絵も」

 そう言って、お客様は指差します。

 壁にかけられた、一枚の絵画。木々に囲まれた、月夜の湖――アートさんにいただいた、その絵を。

「昔、家族で毎年キャンプに行っていたの。静かで、自然が豊かなところ。その森の奥に、きれいな湖があったわ。夜になると月の光を反射して、銀色に光って……とても綺麗だった。小さいころの娘は、その景色が大のお気に入りでね。あの子が大好だった絵本にでてくる湖によく似ているからって。なんていったかしら、その物語――きれいな妖精がでてくるのよ。壁にかかっている絵は、その湖によく似ているわ。――あら、そういえば、あなたも」

 なんでしょう。

 私は今、とても大事なお話を聞いている気がします。

 アートさんのところで、心惹かれてやまなかったあの湖の絵。それをお客様も、心にとめていらっしゃる。そして――私?


「あなたの外見――銀色の髪に、紫の瞳。とっても綺麗で可愛い、砂糖細工みたいな。あなたは、絵本に出てきたその妖精さんにそっくりね」

「それは――」

 それは一体、どういう。


「ふふ……不思議ね。ここに来ると、懐かしいことをいっぱい思い出すわ。思い出に触れるものが、たくさんあるみたい。ここにこられてよかったわ。ありがとう」

 お客様の事情を詮索するのは、店員としてほめられたことではありませんが。

 その時は、問いかけるのを我慢することができませんでした。

「その……娘さんは、今は?」

 娘さんにお会いすることができれば、私のことが何か分かるかもしれない。

 そんな自分勝手な思いで私が問いかけると、お客様は寂しそうに微笑んで、答えました。


「亡くなったわ。まだ23歳だった」

「! 申しわけありません。立ち入ったことを……」 

 最低です。お客様の記憶をいたずらに掘り返すような真似をしてしまうなんて。

 やはり、差し出たふるまいをするべきではありませんでした。

 そう後悔するかたわらで、お客様は気にしないでとでもいうように首を振っています。

「いいのよ。ね、それより、あなたのことを聞かせてくれると嬉しいわ。あなたみたいな小さな子が一人でお店をやってるなんて、どんな事情が――ううん。細かいことを聞くのはやめておくわ。でも、大変ではない? ご飯とかは、どうしてるの? 困っていることはないのかしら。たった一人で、ちゃんと暮らせてる? おばさん、それが心配だわ」

「はい、私は――」

 何気なく答えようとした、そのとき。

 私は愕然としました。


 私は。

 私は――?


 私はここで、何を食べて、どうやって暮らしているのでしたっけ?


***


 お客様が帰られた後。

「よお」

「ウロさん……」

「ししっ。なんでえ、しけた面しやがって」

「ウロさん、私――」

「――ふん。俺の鱗も、だいぶ集まったみてーじゃねーか。そろそろ、頃合だな。おい、シュガー。明日はフィンについていけ。行き先は、あいつが勝手に導いてくれらー。そこに行けば、お前の知りたいことも少しはわかるだろうぜ」


 今まで取り戻したいと思っていた自分の記憶。

 ですが、それを取り戻したとき、私はどうなってしまうのでしょう?

 今はそれが少しだけ、こわくなってきたのです。

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