出だしでやられた

なぜこの作者は、こんなにも繊細で緻密な描写ができるのか。内容を読んでもいないうちの、出だしの二行でやられてしまった。

作者が書いた、別のエッセイに仕込んだ謎かけに応じて、この作品を読もうとしたが、謎を解く前に唸って読むことをやめた。
文章は上手くなりたい。書くほどに技術が上がっていることを自分でも実感する。しかしこの作者は、筆者と違う山を登っているように思えてならない。筆者がいくら研鑽を積んでもたどり着けない、別の山の高みを目指しているように思える。

これが20年前の青臭い作品ですと?
それでは、ますます差がつくばかりではないか。

羨望、嫉妬、そして大いなる挫折感。しかしそれは気持ちの悪いものではない。
目の前にある急峻な岩山を、いとも簡単に登っていくクライマーの手腕に、ただただ感心し、賞賛する自分がいる。

付け足しのように言って申し訳ないが、作品はとても良かった。感銘を受けた。作者が掛けた謎も解いたように思う。

しかし敢て、その解いた謎には触れない。
なぜならば……

外れていたら、恥ずかしいからだ!

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