圧倒的な描写力とテンポの良い言葉運び、高僧と見紛うような洞察力溢れる論の運びに、読後しばらく言葉が浮かばなかった。
何度か黙読した後、数日経ってようやく心落ち着けて音読・レビューに戻った次第だ。
久保田氏の作品はどれも高い完成度を誇るが、その中でも私はこの作品に最も魅かれている。心の奥深くにあるものを見据えながら、徹頭徹尾、眼差しが温かい。単なる「いい話」では終わらせない、深淵なる人間愛をヒタヒタと感じさせ、タイトルの如く、終盤には未来への希望の光を見せてくれるところに痺れる。
死は永遠の別れではないと、作品を通じて感じた。ここには、生きることの喜びが詰まっている。読後に、生きて居ることがこんなにも有り難く嬉しいことだったのだとの思いに浸ることができたのは、何よりのプレゼントだ。是非今年の大晦日に自身へのご褒美としてまた音読に来ようと思う。
己の稚拙な言葉が氏の作品レビューに全く釣り合わない事実を前に、遥か高い頂きを見せ付けられる思いだが、素晴らしい作家さんに出会えたこともまた素直に喜びたいと思う。
なお、氏の創作論エッセイで本作品をある実験として紹介されている。恐らくはこのことか?と思う点はあったが、近いうちに種明かしをされるご意向のようなので、楽しみに待ちたいと思う。
また、書き手の皆さんはぜひ音読されることをおススメしたい。黙読の時とはまた異なる気付きをもたらしてくれ、それだけ多くのものを氏がこの作品に籠めたことにも気付かれることだろう。
なぜこの作者は、こんなにも繊細で緻密な描写ができるのか。内容を読んでもいないうちの、出だしの二行でやられてしまった。
作者が書いた、別のエッセイに仕込んだ謎かけに応じて、この作品を読もうとしたが、謎を解く前に唸って読むことをやめた。
文章は上手くなりたい。書くほどに技術が上がっていることを自分でも実感する。しかしこの作者は、筆者と違う山を登っているように思えてならない。筆者がいくら研鑽を積んでもたどり着けない、別の山の高みを目指しているように思える。
これが20年前の青臭い作品ですと?
それでは、ますます差がつくばかりではないか。
羨望、嫉妬、そして大いなる挫折感。しかしそれは気持ちの悪いものではない。
目の前にある急峻な岩山を、いとも簡単に登っていくクライマーの手腕に、ただただ感心し、賞賛する自分がいる。
付け足しのように言って申し訳ないが、作品はとても良かった。感銘を受けた。作者が掛けた謎も解いたように思う。
しかし敢て、その解いた謎には触れない。
なぜならば……
外れていたら、恥ずかしいからだ!