私たちは森の中の悪魔に惑わされているだけかもしれない。

私たち(ここで書いている人々)は大海原を航海する探検家で、他人の評価というのはコンパスのようなものだと私はこれを読んで感じた。
おい、いきなり何言ってるんだ? と思うかも知れないが、順を追って説明していこうと思う。
ここで筆者の言いたいことはシンプルで、「お世辞は本人のためにならん」という事に凝縮されるだろう(もしかしたら筆者はこのエッセイにさらに深いメッセージを込めたかも知れないが)。
大海原を航海、という言葉を私は上で使ったが、その言葉は私たちの執筆行為を指す。
私たちはより良い作品を目指して、どれだけ歩いても変化しない道を歩き続けるのだ。それは、大海原を航海という表現ではなく、砂漠でオアシスを探すようなものと表現しても良い。
砂漠であれ、海であれ、景色は一向に変わらず、私たちはどこに進んでいるのかを把握することができない。
そんな時、私たちはコンパスに頼る。「こっちの方角に進めば良いですよ」と教えてくれるコンパスだ。
他人の評価も、私たちの執筆の方向性の良し悪しを教えてくれる。どの方角を目指して書き続ければ良いのかを教えてくれるのである。
しかし、その評価が全く当てにならないもの(過剰なお世辞に代表される)出会った場合、狂ったコンパスに従う探検家のように永遠に目的地にたどり着くことはできない。
永遠におかしな文章やストーリーを描き続け、時間と労力をドブに捨てる事になる。
筆者の論はそうした「惑わされる冒険家」達に意味あるメッセージを送っているように感じた。


ん〜うまく比喩を使って、それっぽいレビューを書いてみようと思ったんだけど、全くうまく書けなかった。
もう少し練習しなくては……このようなレビューを読んでくださった筆者様、ユーザー様、ありがとうございました。


ここは本当に蛇足なんですけど、自分の書いた作品がありまして、それについて辛辣な感想を頂けると嬉しいなと思います(勿論、よろしければという話で、頂けないからといって文句を言ったり、とやかくするという事はありませんので、ご安心ください)。

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