後編
小振りの社が、ぽっかりと開けた空間に建てられていた。
地上より少し高く床の上げられた日吉造の、その階段部分に少女は無造作に座り、れんげと茂林を迎え入れた。
「まあ、適当に座れ」
少女が言い、れんげは階段の傍にあった脛の高さほどの岩に腰を下ろし、茂林は仏頂面で少し離れた地面にどっかと座り込んだ。
懐から油紙を取り出し、包まれていたものをひとつ、いかにも好きそうに口に運ぶ。
油揚げだった。
食べ終えて、少女はぐっ、とれんげを見る。
「それで、れんげと云うたか。
この狸とは知り合いか」
「つい先ほど、です」
「なら捨ておけ。
義理立てするほどの者でもあるまい」
「――一体、何をしたのですか?」
「何を、ではないわッ」
少女は階段に拳を打つ。
みしっ、と階段の木が抗議の音を立てる。
「これまで幾度、そこの阿呆に難儀しておるか!
盗んだ賽銭で飯を食う、化け物に変化して人を脅し食べ物を奪う、あるいは熊などに化けて畑を荒らす、数え上げればキリがないわ」
「――食べ物絡みが多いのですね」
「己の食い意地に抑制のきかぬ餓鬼よ。
それだけではないが、特に食い物に関した事が多いのは確かじゃ」
少女とれんげが茂林を見る。
ぷい、と茂林はそっぽを向く。
「度々懲らしめてはきたものの、懲りぬ」
少女はびしっと茂林を指した。
「このまま野放しにしておっても人の害にしかならぬ。
ゆえに――」
「待ってください」
れんげは咄嗟に言っていた。
黙ってれんげと少女のやりとりを聞いていた茂林もれんげを見る。
「この茂林に救いの道はもう与えられないのですか」
「ならぬな」
きっぱりと少女は言い捨てた。
「れんげ。
散々悪さをしてきたこやつに今更何がある?」
少女の言はもっともだった。
だがれんげはまっすぐに少女を見上げる。
「修行を積み、仏の教えを乞い、改心に導くことができます」
「ふン――。
これが一人で、修行などするものか」
「私が」
れんげは立ち上がって言っていた。
「私も修行中ですが、私と共に仏の道を修めることはできましょう」
「お前が連れてゆく、と」
少女は楽しそうに言った。
「ならばそれなりの覚悟があろうな。
こやつは儂が、
少女も立つ。
「それを解き、お前に預けるのに只渡すことはできぬ。
――れんげ。
儂にその意志を示してみい」
そう言うなり少女は瞬時に茂林のそばに移動していた。
「っ!!」
がつん、と茂林の――男の額に少女の小さな拳が埋まる。
「がッ!」
一拍おいて茂林は吹っ飛び、転がりながら狸の姿に転じた。
「なっ!」
「あれを連れ、抑え、諫め、そして改めさせる。
お前にそれを徹す志があることを証してみせいッ!」
狸になった茂林は横たわって動かない。
「御狐様っ」
「死んではおらぬ」
少女はゆるりと笑う。その手にはいつの間にか一房の稲穂を提げていた。
れんげは懐から、独鈷杵――仏道の修行に使う法具で、剣の先のような突起を一対、握りを挟んで繋ぎ合わせた形状の杵――を出す。
左手に握り、少女と対峙する。
「ふ――鬼の匂いの根元はそれか」
少女は言葉と同時に、れんげの懐にいた。
「ぁ!!」
□■□■□■
少女は、その可憐な外見とは裏腹に、非常な膂力だった。
さすがに、神の使いである。
れんげの懐からぐん、と拳でれんげの交差させた腕に突く。それだけでれんげは三尺ほども押され、さっきまで座っていた岩につまずき、尻餅をついてしまった。
すぐさまれんげは跳ね起きて再び構える。
「防ぐだけか。かかって来い」
少女は余裕綽々と言い放つ。
「――そんな、畏れおおいこと」
「たわけがっ!」
少女はまたも一足でれんげに近寄る。
「お前があの阿呆を連れるに足るか、力を見せよと言うておるのだッ。
手加減は要らぬ。たかが付喪神ごときの力で儂はどうにもならぬ」
「はっ――はい」
れんげは構えなおす。
「ではッ」
れんげから少女に向かう。
「遅い!」
少女は稲穂でれんげを払った。ばぢん、と草で殴ったとは思えない堅い音で止められ、れんげは片膝をつく。
れんげの頬から血がじわり、と溢れ出す。
「そんななりではあれを任せられぬ」
れんげは低い体勢で少女に注意を払いながら考えを巡らせる。
立って、構える。
少女は間合いをとって稲穂を揺らす。それだけを見るとただの村の娘のようでもある。
れんげは深く息を吸った。
独鈷杵を持った左手で、右手の肘から指先を撫でる。
れんげが走る。無造作に立つ少女に、左の独鈷杵を正面に、右腕を横いっぱいに伸ばしてから振り回した。
れんげの右手が無骨な鉈の形を成している。
「えっ!?」
が、鉈の刃は稲穂で止められていた。
「そう驚くことでもない。気を込めればどんなものでも
ぎん、と鉈の刃を跳ね返して少女は言う。
大きく空いた右脇から少女はまたもれんげの懐に入り掌底でれんげを撲つ。
「っ!!!」
「――なっ!?」
苦痛の表情を浮かべるれんげと、少女の瞳も驚きで大きくなる。
れんげは左腕で少女を抱いていた。
少女がれんげを打った衝撃は、れんげの左手から独鈷杵を伝って少女の背にも与えられていた。
「ふ……あははっ。これは油断したわ」
れんげの腕の中で少女は楽しげに笑った。
「よかろう。
――れんげ、お前にあの狸を任せる」
そう言ってから、少女は呟いた。
「我が名に
まだ転がったままの茂林の背で、何かが弾けて消えた。
がばっ、と茂林が身を起こす。
「――っ!?」
辺りを見回し、傷負ったれんげとれんげが少女を抱いているのを見て、そのそばに駆け寄る。
「嬢ちゃん!」
「大丈夫です。茂林――ただし」
れんげは少女から腕を解き、独鈷杵を茂林に向けた。
右腕は人のそれの形に戻っている。
「私と共に修行をすること。いいですね」
身を挺し、傷ついても茂林を守る姿に、茂林は心打たれた様子で頭を下げ、れんげの足に頭を擦りつけた。
「――わかった。嬢ちゃんについて行く。
この茂林、命の恩人に仇は返さへん」
少女はいつの間にか稲穂をしまい、れんげにしれっと言う。
「これでその狸も自由じゃ。どこへなりと行くがいい」
「ありがとうございます」
「して、れんげは何故、このようなことをしておる。
鬼――不動明王の命なのじゃろうが、それを諾としておる理由は何じゃ」
「――人に害なす妖を改心に導くため。
鬼やその他に圧倒され退治されるより、私がそれを行うことでひとつでも多くの魂が救われれば……」
「それで鬼の下で鬼に代わりはたらく、か」
少女はにっと笑った。
「そやつもその
れんげは頷く。
「すべての魂には成仏へ至る道があります。力で
「正論にして理想論じゃな」
少女は少し、肩をすくめた。
「救いようの無い奴もおろうに。
まあ――お前は嫌いではない」
少女はれんげと茂林から離れ、社に上がった。
「れんげ。
儂は
お前が道を見失わぬ限り、儂はお前の味方となろう」
そう言って、迦鈴と名乗った少女はれんげと茂林に背を向ける。
「なかなかに
儂は少し寝る」
と、社殿に入ってしまった。
あとにはれんげと茂林。
「……で、どうするんや、これから」
「旅を続けます。
人に害成す妖を正しく導くため」
れんげは躊躇なく言う。
「先ほど迦鈴さまがあなたの真名をおっしゃっていました。
行きましょう、館林茂狸貆」
「堅っ苦しいのはイヤや。茂林でええ」
茂林はその場で木の葉を頭に、縦に一回転して、壮年の男の姿になった。
まだ傷は残っているが、れんげと最初に出会ったときよりは元気そうだ。
「それに真名なんてホイホイ喋るモンやあらへん。
嬢ちゃんはれんげ、やったか。
――れんげちゃんでええか?」
「ええ。これからよろしくお願いします、茂林」
そうして、れんげと茂林はその稲荷神社をあとにした。
――今から二百年ほど前のこと。
□■□■□■
「――茂林」
「っ!?」
「また間食しましたね。――まったく、いつまで経ってもあなたは……」
「あ、いや、これはやな……」
現代。
古道具屋<九十九堂>
「まあ――今日のは私がこれ見よがしに洋菓子を出していたことにも原因はありますし、これ以上は言いません」
客のない店内で、れんげと茂林は手持ち無沙汰にしていた。
れんげは何度目かの棚掃除を始める。
「――そういえば」
ふと何か思い出したように、れんげが振り返って茂林を見た。
すっかり
れんげは棚から発見したらしい小さな飾り物の鳥居を手に言う。
「あのお稲荷様――
油揚げでもお土産にして」
「!!――ワイはええわ。行くんやったられんげちゃん一人で行ってや」
くすりとれんげは笑みをこぼす。
「一緒に行かねば訪問の意味もありません」
れんげは鳥居を持ったまま、カレンダーを見るためにカウンターに向かう。
「さて……いつにしましょうか」
どこか茂林をからかうように言うれんげの声は、旧知のことを思ってか懐かしさと楽しみを含んだ色だった。
付喪神蓮華草子[異聞]木の葉と油揚げ あきらつかさ @aqua_hare
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