付喪神蓮華草子[異聞]木の葉と油揚げ

あきらつかさ

前編


 その声は弱ってはいたがしっかりとした、渋めの男性の声だった。

「もし……」

 れんげは立ち止まって振り返る。が、人の気配はない。

 まだ人の足跡の少ない山道だった。左右には木々が茂り、差し込む陽光を柔らかくしている。急勾配ではなく緩やかな登り坂で、町にはやや遠い。

 時は天保。幕末間近、維新は近いが泰平の世。

 れんげは簡素な蘇芳すおうの着物で、旅をしていた。

 人の姿をしているが、人ではない。

 付喪神つくもがみ、という妖怪の一種だ。

 百年ほど前に、造化の神の力で人の姿を得た。

 見た目には十代後半くらいの娘。

 そのれんげは周囲を見回し、声の主を探る。

 時刻は昼頃。鳥の声が遠く響く。

「――どなたか、いらっしゃるのですか?」

「ああ、そこのお方――慈しんでもらえるならどうか、水を一杯、もらわれへんやろか……」

 声は関西訛りの言葉遣いだった。

 れんげが声のした方を見ると、木に肩を預けた男性が現れていた。

 先ほどまでは誰もいなかった場所だ。

 男性は壮年ほどに見えた。濃紺の着物に草履、短い髪、負傷してなお鋭い一重の双眸――何かの職人か、僧のようにも見える。

 深く低く座り込み、服は所々破れ、片方の草履の緒は切れ、額には血がこびり付いている。

 が。

「あなた――人ではないですね」

「な!?」

「さすがに面と向かえば、気配を探ることが不得手な私でも判ります」

「なるほど――そういうあんたも、人と違うな」

 男の言にれんげは否定せず頷く。

「水でええんやけど――持ってへんか?」

 れんげは男に近寄って腰を落とす。

「何があったのですか?」

 れんげは、持っていた竹筒を男の姿をしたに渡した。男はかじり付いて、ひとしきり喉を鳴らす。

 答える素振りのない男の様子に、れんげは質問を変えた。

「このあたりにお稲荷様の社があるとうかがって登って来たのですが、あなた――ご存知ありませんか?」

「んっ!!!」

 男は見るからに驚いた風でれんげを見上げた。

「あ――アカン、そんなトコ行ったらあかんで、あんた!」

「何かご存知なのですね?」

 男は無言で首を振り、竹筒をれんげに返した。

「悪いことは言わん、あそこには行ったらアカン」

「何があったのですか?」

 強い調子で訊くれんげに、男は憮然とした様子で答えた。

「ワイのこの傷な――そこでやられたんや」


  □■□■□■


 男の歩く速度に合わせて、ゆっくりめで男とれんげは山道を進む。

 ぶつぶつと男は呟いている。

「なんでワイが道案内なんかせなあかんねん、ったく……」

「双方の事情を聞くためです。あなたは――」

 れんげが男を覗き込んで見上げる。

「やはり行きたくはないのですね」

「そらそうやろ。やられた所にノコノコ戻るんやで? トドメ刺してもらいに行くようなモンや」

 男はむっすりと言う。

「私がいても、ですか」

 先程まで男が先導する格好だったが、今はほぼ並んで道無き道を歩いていた。

 男が隣のれんげを上から下まで検分するように観る。

「そんな強いんか、嬢ちゃん」

「いえ」

 冷静にれんげは首を振る。

「ですが、お稲荷様が無闇に危害を加えるとは思えません。とすると――」

 男がぴくん、と肩を一度だけ震わせた。

「何かやったのですか?」

「……知らん」

 男はれんげの数歩先に早足で歩く。

「もうちょいで着く。キバって歩いてや、嬢ちゃん」

「――そういえば」

 れんげがその背に声をかける。

「あなたの名前をまだうかがっていませんでした。教えていただけますか」

茂林もりん、や」

 あいかわらず、男の口調は不機嫌だった。

「何をしたのですか?」

「……何もしてへん。

 狸と狐は相性悪いねん」

「――狸ですか」

 茂林、と名乗った男は頷いた。

「ああ。ワイは由緒正しい変化狸の一族や」

「なるほど――」

 茂林が足を止めた。

 促されて、れんげも気付く。


 ――木々の先に、石で造られた簡素な鳥居があった。


  □■□■□■


 それは『気配を探ることが苦手』と自ら言ったれんげでも重厚に感じられる、澄んだ清流のような爽やかな空気だった。

 霊験、と云ってもいい。

 圧倒的なまでの霊気が、そう広くはないこの神社を包んでいる。

 鳥居をくぐって、と深呼吸して気を内に入れ、れんげは鳥居の手前で歩を止めた茂林を呼ぶ。

「入らないのですか?」

「案内したったからもうええやろ」

 と、茂林が一歩退いたときだった。

「なんじゃ、阿呆の狸がまた来おったのか」

「ぁ!」「っ!?」

 二人の目の前に、少女が立っていた。

 まだ十歳程度に見える、幼さの残るおかっぱ頭の小柄な少女は薄い朽葉くちは地の着物姿でれんげと茂林を見上げていた。身長の差から見上げる格好になっているが、視線の雰囲気は逆だ。

 ふたりを

「で」

 少女はすぃ、とれんげに近寄った。

「お前は――物ノ怪か」

「れんげ、と申します」

 れんげは気圧され、頭を下げた。

 少女は上から下までれんげを貫くように見回し、何か得心したように頷いた。

「ふむ――まあよい。

 儂は宇迦之御魂神うかのみたまのかみの使いでこの地に棲んでおる狐じゃ。この地を乱さぬ奴に悪いようにはせぬ。

 お前――修行の身、じゃな。鬼の匂いがするわ」

 れんげよりも、未だ鳥居の向こうにいた茂林が目を見開いた。

「!? ワイをハメたんかッ!?」

「阿呆。

 狸、お前も入ってこい。

 こんな所で立ち話は性に合わん」

 くるりと少女は回って、奥へ向かった。

 れんげが振り返って茂林を呼ぶ。

「ああおっしゃっていることですし、行きましょう。

 私は謀ったわけでもあなたを陥れるつもりもありません。ただ旅の、修行の途中でここへ来た、それだけです」

 無言で茂林は鳥居をくぐった。

「行っとくけどな、屈したんとちゃうで」

 負け惜しみのように言う。

「ぐだぐだ言うておらんで、早う来い」

 少女が二人を呼ぶ。

 どこか、抗えない強さがあった。

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