【短編】女の子と一緒に過ごすだけの簡単な刑
柳塩 礼音
女の子と一緒に過ごすだけの簡単な刑です
「初めまして、ご主人さま!」
「……は?」
とある監獄。窓一つなく、壁、床、天井全てが白で統一された殺風景な独房の中。立ちすくむ彼の目の前には1人の可憐な少女の姿があった。真っ白な肌に白銀の長髪。白いワンピースの服をひらひらと翻し、明るく透き通った声がその部屋中に響き渡る。身長は彼の腹程までしかない。歳はせいぜい小学校の中学年くらいだろうか。
そして彼女の背後には人型をした白いロボットが一体、こちらを向いて佇んでいた。この監獄の看守ロボットだ。
「こいつはどういうことだ?」
「彼女が貴方とこれから一緒に過ごす女の子です。判決の結果は聞きましたよね?」
「今日から私が一緒に過ごさせていただくのです。よろしくお願いするのです」
彼はその看守ロボットに低い声を投げやった。しかし、ロボットは感情の無い声で答え、それに合わせて目の前の女の子はぺこりと頭を下げる。
「あぁ、『女の子と一緒に過ごす刑』だっけか。あれは冗談じゃなかったのか」
「えぇ。冗談ではありません。死刑のさらに上位に来る極刑です。貴方は複数の殺人の罪で起訴され、この刑が確定しました」
淡々と説明を重ねて行くロボット。何となく人の顔に似せたようなマスクを頭部に被せているが、表情は全く変わらない。不気味なことこの上ないものだ。
「それでは、これより女の子と一緒に過ごす刑を執行します。内容は女の子と一緒に過ごす。刑期は無制限。以上です」
「あ、おい!」
それだけ言うと、看守ロボットは部屋の唯一の出入り口から外へと出ていってしまった。がちゃりと電子ロックがかかる音がする。そして、その部屋には男と少女だけが残された。
「ったく……どういうことだ……?」
ため息をつく男。彼は一度部屋の隅に置いてあったベッドに腰を下ろし、目の前に立つ白銀の少女を見やった。あの容姿……確かアルビノとかいう特殊な体質だった気がする。
彼女はぱっちりとした目でじぃっと彼の顔を見つめ続けた。そして彼の視線を受け取ると、小さく首をかしげる。
「ご主人さま、何かお悩みなのですか?」
「ご主人さまって……お前は一体何なんだ? 何処から来た? 名前は?」
突然目の前に現れた女の子と一緒に過ごせなんて言われてもそう簡単に受け入れられるはずもない。どこの誰かもわからない少女だ。そもそもこれが刑? 意味が分からない。
「あ、あわわ……そんなに一度に聞かれても分からないのです」
「チッ……じゃあ一つずつ聞く。お前の名前は何だ?」
「わ、私は……名前はまだないのです」
「無い?」
男は思わず反復した。名前が無いだと? どういうことだ。
「無いってどういうことだよ」
「どういうことと言われても……分からないのです」
「……もういい。お前はどこから来た」
「私はここで生まれたのです。生まれてからずっと、ご主人さまのお世話をするため勉強をしていたのです」
「ここで生まれた? こんな監獄でか?」
「かんごく? 何のことですか?」
首をかしげる少女。こいつ、ここが監獄だということを知らないのか? しかもご主人さまとやらの世話のために勉強をしていたとは……ますます意味が分からない。何かの孤児でも連れて来たのだろうか。それとも所内出産とか? 全く、目隠しで連れてこられたせいでここが何処かもわかったものじゃない。その上こんな訳の分からない少女と過ごせなんて、この国はいったい何を考えてるんだ?
「はぁ……もういい。それで、そのご主人さまとやらは俺のことなのか?」
「はい! 今日から私が全力でお世話させていただくのです!」
そう言って、明るい笑顔を向けてくる少女。その色白い容姿も相まって、なんとなく儚いような印象も与えてくれる。
「チッ……お前、俺が誰だかわかってないのか? 殺人鬼だぞ? 人を四人も殺した殺人鬼。俺は警察に捕まってここに来たんだ。やろうと思えばお前一人殺すぐらい何の他愛もないことなんだぞ?」
彼はわざと声を低くして目の前の少女を威嚇して見せた。太い腕を伸ばし、無骨な手で彼女の細い首元を軽く掴む。こんな首、一捻りで簡単にへし折れてしまうことだろう。
「ご主人さまが人を……? まさか、そんな風には全然見えないのです」
「なっ……」
彼がこれだけ威嚇しても、彼女は一切怯えるような素振りを見せなかった。むしろ小さく首を傾げ、きょとんとした顔で彼のことを見つめ続けている。
「私、人を殺すことはとっても悪いことだって教えられたのです。でも、私のご主人さまはとってもとっても素晴らしい人だって教えられたのです。そんな素晴らしい人が悪いことをするはずないのです。今目の前にいるご主人さまもとってもかっこよくて、私、大好きなのです!」
「……」
目の前の少女はキラキラした眼差しを向けながらそう話していった。そして最後には、眩しい笑顔で締めくくる。こいつ正気か? 俺なんて三十代も終わりがかったただのおっさんだ。これまでの人生で格好いいなんぞ言われたこともない。むしろクマだとかブタだとか言われる醜い容姿のせいでこんな人生を歩まされてきたんだぞ。
だがしかし、彼女の真っ直ぐな言葉には嘘や建前などと言うものは全く感じられなかった。間違いない。全て本気で言っている。彼はもう少しこの少女を脅してやろうかと思ったが、そんな彼女の調子に意思を完全に削がれてしまった。
白銀の艶やかな長髪に白い肌。幼くて可憐な顔には赤みがかった瞳が浮かび、妖美な姿を演出している。なんというか、この少女の容姿にも不思議な魅力があるかのように感じた。見ていると怒りや哀しみといった負の感情が溶けていくかのような、そんな感覚だ。嗜虐心が消滅し、庇護欲が無意識に掻き立てられる。彼は自然と、彼女の首にかけていた腕を下ろしてしまう。
「はぁ……分かったよシロ。取りあえずはよろしく頼むとしよう」
「シロ……? シロって何ですか?」
「ああ、お前の名前だよ。無いと不便だから一応つけといてやる。見た目が白いからシロ。それだけだ」
全くいい加減な名前だ。と、名づけた本人にして思う。どこの犬猫かと突っ込みたくなるところである。
だがそんな彼の思いに反して、目の前の少女シロは表情を一気に明るくしていった。
「わ、私、ご主人さまに名前を……? わはぁーっ!! 私とっても嬉しいのです! シロ……シロ……わぁぁぁ、ありがとうなのですご主人さま!」
「おいおいそこまで喜ぶもんかよ」
「ご主人さまにつけてもらった名前だからとっても嬉しいのです!」
自分の名を何度も自分で呼びながら嬉しがるシロ。こんな適当な名前でここまで嬉しがるなんて、何だか拍子抜けである。
「ああそうだ。お前もそのご主人さまってのをやめてくれないか? どうもむず痒くてな。俺の名前はリンドウだ。リンとでも呼んでくれ」
「分かりました、リンさま!」
何だ、さまは取れないのか。またもや拍子抜けするリンドウ。とはいえ実際悪い気持ちはしない。彼はそれ以上、彼女からの呼び名については言及しなかった。
―――……
こうして、リンドウとシロの奇妙な同棲生活が始まった。彼の独房は監獄というイメージはかけ離れて充実した部屋だった。まず広さは全部合わせて大体15畳ほどだろうか。入り口の辺りには風呂場とトイレがそれぞれ独立して設置され、更に奥にはキッチンと一体になった寝室兼居間が広がっている。壁やら床やらは白くて殺風景だったが、キッチン用品や衣服なんかの生活必需品は全て揃っていた。その上食糧やその場に無い衣服や家具、更にはマンガや小説なんかの娯楽品までも、壁に取り付けられたタッチパネルで注文すれば届けられるようになっていた。もちろん全て無料である。そこらのワンルームマンションなんかよりずっといい待遇だろう。まあ、外に一切出られないことだけは残念だったが。
シロの方も、絶対にリンドウに逆らうことはしなかった。言われたことは必ずこなし、日ごろの料理や掃除なんかを自主的に全部こなしてしまう。何故それをこなせるかと聞くと、
「シロはリンさまのために一生懸命勉強して来たのです!」
と、可憐な笑顔で答えるだけだった。
リンドウも初めのうちはこの謎の少女に警戒心を抱いていたが、彼女の不思議な魅力、そして従順な態度に少しずつその心の中の氷を溶かされていった。特に、
「はぁ……そろそろ寝るか」
とリンドウがベッドに横になろうとする時には決まって
「リンさま! シロも隣で寝てもいいのですか?」
なんて聞いてくる。
「なんだ、床にもう一つ布団を引いてやるからそっちで寝たらどうだ」
「シロは寝る時はご主人さまに寄り添って暖めてあげなさいと教えられたのです。だからシロはリンさまの隣で寝たいのです」
「はぁ? ……まあ、別にいいが」
「本当なのですか!? ありがとうなのですリンさま!」
彼女は飛び跳ねるようにそう言うと、リンドウの横たわるベッドの中に潜り込んだ。そっぽを向くリンドウ。背中には小さくて温かいシロの身体が触れる。
「リンさま、おやすみなさいなのです」
リンドウは心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。すぐ後ろには可憐な女の子が無防備にも横たわっているのである。思わず、彼は性的欲求を高まらせていく。
「……シロ!」
「ひゃっ……リンさま!?」
彼は突然振り返り、シロの上に覆いかぶさった。太い両手で彼女の細くて白い両手首を抑え込む。驚く彼女。服は薄手の白いワンピースだけだ。一方のリンドウは白いシャツに下はズボンの囚人服。股間の辺りは不自然に膨らんでいる。
「……」
しかし、そのまま黙り込むリンドウ。彼はそれ以上動くことは出来なかった。彼女の顔を見れば見るほど、何故か暴力的な衝動はどこかへと消え去ってしまうのだ。今まで高まっていた性欲はあっという間に消え、股間の膨らみはいつの間にか無くなっていた。
「……リンさま? どうされたのですか?」
「……何でもない。おやすみ」
彼はそれだけ言うと、元の位置に戻って再び布団を被った。今の感覚は一体何だったのだろうか。相手がまだ年端もいかない少女ということもあったかもしれない。だがそんな次元の話ではない気がするのだ。彼女の容姿、態度、声、全てのものが自分の暴力的な欲求を奪い去ってしまうかのよう。あらゆるものに愛されるよう出来ているような、まるでそんな感覚……
そんなことを考えているうち、彼は、そのまま眠りについてしまうのだった。
さて、このような彼女にまつわる不思議なエピソードは他にもあった。例えば同棲生活がひと月ほど経ち、リンドウが初めてマンガを取り寄せてベッドの上で読んでいた際のことである。
「リンさま、それはどんな本なのですか? とっても小さくて分厚いのです」
と、彼女が興味深そうな眼差しで聞くのだ。
「あ? こりゃマンガだよ。知らねえのか?」
「まんが……私が読んでいた本はおっきくて、薄くて、写真が一杯載っていた本だけだったのです。そんなに小さい本は初めて見たのです」
小さいと言っても普通のA6サイズの文庫本だ。写真が一杯で大きな本といったら図鑑とかそういうものしか思い浮かばない。
「ふぅん……一緒に見てみるか?」
「えっ、本当にいいのですか!?」
そう言ってベッドの方に近寄るシロ。ベッドに座るリンドウの脇に腰かけ、小さな身体をリンドウの身体にもたれかからせる。ふわりと腕に彼女の髪が触れた。同時に、花のようないい香りが彼の鼻をくすぐる。思わず性的欲求をくすぐられるリンドウ。とはいえすぐにそれは収まる。この頃には既に、彼女に対して暴力を振るおうなんて概念自体が消滅してしまっていたのだ。
「うわぁ、不思議な写真が一杯なのです。えっと……ズギュ、ギュギュ、ギュ……えっと……ドカーン……? 変わった文章なのです」
「バカそりゃあ効果音だろ。音を文字であらわしてるんだ。それにこれは写真じゃなくて人が手で書いた絵だぜ」
「へぁー……写真じゃなかったのですか。間違えてしまったのです。それにシロはまだ文字の読み書きが苦手なのです。シロは悪い子なのです……」
それはシロが時折漏らす口癖だった。何か失敗なんかをしたとき、決まってそのフレーズを口にするのだ。そしてその時は大体シロが落ち込むときの合図なのである。いつも明るいはずのシロが表情を暗くしていく。リンドウはそんな様子に思わず自分の気分まで暗くなるような感覚に陥る。
「おいおい、そこまで悲しむこたないだろ……ったくしょうがねぇな。文字の読み書きができないなら教えてやる。それでどうだ?」
「ほ、本当ですか!? ありがとうなのですリンさま!」
「わゎっ!」
そう言ってリンドウに抱き付いてくるシロ。思わず頬を赤くするリンドウ。彼はしばらく胸に顔を埋めるシロをそのままにしておくと、彼女に文字の読み書きを教えていくのだった。
それ以降、リンドウはシロに様々なことを積極的に教えていくようになった。文字の読み書きを始めとして、外の世界のこと、マンガや小説なんかの娯楽、この国の歴史など……どうせ食って寝る以外にはやることの無い独房生活である。暇つぶしにもちょうどよかったのだ。
シロは家事のやり方や小学生程度の基本的な単語なんかは粗方覚えているようだった。彼女曰く、勉強していたか、教えられたからだそうだ。
時には
「教えられたって……誰に教えられたんだ?」
と聞いたこともあった。しかし帰って来る答えはいつも
「覚えていないのです……」
というものだけ。しかもこの「覚えていない」と言う時に限っては何となくいつもの誠意が感じられない。いつもリンドウと話すときには真っ直ぐに見つめてくるはずなのに、視線をわざとらしく反らしてしまうのだ。そこで、分からないとはどういうことかと問いただそうかとも思ったこともあったが、
「シロは悪い子なのです……」
と言われてしゅんとされてしまってはもうそれ以上口出しは出来なかった。
さて、そんな彼女であるが一方でこの監獄の外界の情報に対しては非常に疎かった。この国の元首を聞いても駄目、有名人の名前を出しても駄目、当然最近の事件についても知らないため、リンドウの起こした殺人事件に関しても全くもって知ってはいなかった。そもそもここが監獄だということも知らない始末である。一体どうやってここまで育ってきたのかはたまた謎である。
彼はそんなシロに対する謎をますます教育への情熱へと変換し、色々なことを教えていった。彼女の学習能力は異常なほど高かった。一度教えたことは必ずと言っていいほど確実に覚えてしまうのだ。度々彼はそんな彼女の学習能力の高さに驚かされることもあったが、それもますます彼の教育熱を燃え上がらせることになった。彼はいつしか、彼女と一緒に過ごす時間こそ人生のすべてだと思うようになっていったのだ。時々本当に彼女が自分の娘なのではないかと錯覚するほどである。彼女の可憐かつ妖美な容姿、けなげな態度、そして従順で明るい性格は彼にそう錯覚させるに十分であったのだ。
しかし一方で彼はシロに対して尻目を感じるようになっていった。目の前にいるのは自分に対して非常に従順で明るい少女。自分はどうだ? かつて人を殺めた殺人犯である。それを彼女に認めさせないまま、自分は過ごしていっていいのだろうか。言うなれば彼女を騙したまま、自分は偉そうに親ぶって彼女を見つめていてもいいのだろうか。
それにこれが本当に殺人に対する刑なのかという疑問も募っていった。従順な少女一人といつまでも過ごすなど、寧ろ天国のようにも思えるではないか。なるほど彼女と過ごさせることで更生を狙う、ということなのかもしれない。しかし、そんな刑が死刑より上にくる極刑だと? その点がどうしても引っかかってしょうがなかったのだ。
そして、リンドウがシロと出会ってから1年ほどが経とうとしていた頃。それは突然、やって来るのだった。
―――……
「外出許可?」
「はい。と言ってもこの所内から出ることはできませんが。とにかく、この独房から出る許可が出たのでお知らせします」
目の前の看守ロボットが無機質な声でそう述べていく。リンドウも隣にくっついているシロも、一度目を丸くしてお互いの顔を見やった。
「時間さえ予約すれば、1日1回30分だけ独房の外を出歩くことが出来ます。屋上には展望台もありますので、久方ぶりの外の空気を楽しんでください。それでは」
そう言って、また看守ロボットは独房から外へ出ていってしまった。外出許可とは、初耳だ。初めてここへ来た時もそんなことは話されなかった。一体どういう風の吹き回しだろうか。
「外出許可か……シロ、お前は知ってたのか?」
「いいえリンさま。私も初めて聞いたのです」
「そうか……まあ、折角許可が出たってなら外に出てみるか」
「外にですか!? わぁい! シロは嬉しいのです!」
飛び跳ねて喜ぶシロ。実に微笑ましい光景である。リンドウはそこで、一度部屋の中を見まわした。一年の間、色々な物が増えてきた独房の中。最初は白一色だった部屋の中も、今では色とりどりの家具や物に溢れている。彼の心の中と同じだ。シロのお陰で確固たる彩を得ることが出来た彼の心の中。この部屋は、それを現しているかのように思える。
彼は考える。ここに来てから一度もこの狭い独房から出たことは無かった。シロもそうだ。この狭い部屋で一年間、昼夜も自動調整される電燈の明かりだけで判断して生活して来た身。ここで一度、久々の外の空気を吸いたいものである。それにシロはこの監獄の外のことは全く知らないと言っていた。それなら展望台に上って外の景色というものを見せてやれるかもしれない。
彼は早速部屋のタッチパネルで外出の予約を取り、独房の外へと出てみることにした。30分だけの小さな自由。この殺風景な部屋から出られるなら取りあえずはそれだけで十分だ。
「……よし、そろそろ時間だな。行くか」
「行きましょうリンさま!」
暫くして、外出の予約時間が訪れた。がちゃりと言う音を立てて、頑なに開くことの無かった独房の分厚い扉の鍵が開く。片開きの四角い扉。リンドウが扉の取っ手を引くと、恐ろしいほどに軽くその扉は開いた。その先には、独房と同じ真っ白な廊下。それが左右にどこまでも続いている。
彼らはとりあえず右に進んでみることにした。1年ぶりの部屋以外の風景だ。まだ屋内とはいえ、解放感が全く違う。廊下には全く同じ独房の扉がいくつも並んでいた。他にも同じ刑の受刑者がいるのだろうか。しかし、廊下には人など誰一人としていない。看守ロボットさえその姿が見えないのだ。
「そういや、シロは最初部屋の外から来たよな。ここのことは良く知ってるんじゃないのか? 展望台とやらの場所も」
「いえ……シロはすぐにリンさまの所に向かったのです。だから、この廊下のことぐらいしか知らないのです」
「向かったって……どこからだよ」
「それは……覚えていないのです」
再び口をつぐむシロ。また不自然に視線を逸らす。赤みがかった瞳が、ふと彼女の足元の方へと向かった。
「やっぱり答えられないのか?」
「……シロは、悪い子なのです」
この頃になるとリンドウは明らかにシロが何かを隠しているということを見抜いていた。しかし詮索してもすぐに彼女は表情を暗くするばかり。最早彼もそこまで彼女の秘密についてはあまり気にしなくなっていた。彼女を落ち込ませるぐらいなら何も聞かないほうがいい。そんなことより彼女さえいてくれればそれだけで十分なのだから。
「おいおい、だからそんな悲しそうな顔をするなって。答えられないんならそれでいいさ。気にしちゃいねえよ」
「リンさま……」
顔を上げて上目づかいでリンドウの目を見つめてくるシロ。肌の色は廊下の白と同じほどに白く、髪は相変わらず艶やかな白銀の長髪。彼女の放つどことない儚さに、彼はつい彼女今にもこの廊下の白の中に溶けていってしまうんじゃないかという妄想に襲われてしまう。彼は一度首を振ると、そのまま廊下を進んでいくのだった。
「……ここは?」
しばらくいくと、廊下の突き当りに大きな鉄扉が現れた。これまで並んでいた独房の扉とは一回り大きく、固く閉ざされてしまっている。こじ開けるなんてのはまず無理そうだ。一応、道は左の方に折れてまだ続いていた。しかし、リンドウは一度その鉄扉をよく見ようと一歩前へ進もうとする。
「あっ、そっちじゃないですよリンさま! こっちです!」
「えっ? ちょ、おい」
すると、シロが突然リンドウの腕を掴み、左の道の方へと引っ張っていった。リンドウ驚いたまま彼女に先導され、鉄の扉から引き離されていく。
「おい、どうしたんだシロ?」
「シロは思い出したのです。展望台の場所はこの廊下の先なのです」
それだけ言って、ぐいぐいとリンドウを引いていくシロ。彼はむしろ彼女が積極的な意思を見せたことにひどく驚いていた。これまで従順でリンドウの意思を超えることは無かったシロ。そんな彼女が、今はリンドウの意思を無視して廊下を先導していくのである。こんなこと、これまでに一度としてなかったことだ。そんなに展望台に行きたかったのだろうか。
「分かった分かった。分かったから手を離してくれ」
「あっ! リンさま……シロは悪い子なのです」
「いいんだいいんだ。さぁ、展望台とやらに行こうじゃないか」
「はい!」
シロの意思をむしろ好意的にとらえたリンドウ。彼はシロの示した方へと向かっていった。彼女の知らないという外の世界。それを俺が初めて教えてやるんだ。そんな考えを胸に秘めて。
さて、廊下を進んでいくと、突き当りには螺旋階段が現れた。上だけに続いていく真っ白な階段。境目が見えづらく、ちゃんと登らないと足を踏み外してしまいそうだ。
「お、もうすぐみたいだぞ」
「シロは楽しみなのです」
ひたすら階段を上っていく2人。見やると、彼らの頭上には何やら四角い窓が口を開けているのが見えた。そこから、新鮮な空気が吹き降りてくるのが分かる。間違いない、外への出口だ。
「おおぉっ!」
「わぁぁぁぁ……!」
そんな四角い窓から外に出る2人。そこには、リンドウにとって久方ぶりの、シロにとっては初めての外の世界が広がっていた。
相変わらず真っ白な材質で作られた簡易な展望台。広さはそう広くもなく、上には白くて四角い屋根がくっついている。そして、その四角い屋根の各頂点からは四つの柱が伸び、四角い展望台の各頂点に降りていた。白い床、白い手すり、そしてその手すりと屋根の間には、色鮮やかな景色が広がっている。
時は夕暮れ時だった。赤くて柔らかい光が斜めに差し込み、リンドウとシロの二人を包み込む。この監獄は孤島の上に建てられているようだった。目下には白くて四角い無骨な建物が佇み、遠くにはひたすら海が広がっている。そしてその海の上に赤い絨毯を引くように、真っ赤な夕日が彼らに向かって光を下ろしていた。潮の香りが風に乗って彼らの身体中を駆け抜けていく。まるで全身が洗われるような感覚だ。
「こいつは綺麗だな」
「……」
「ん、どうした? シロ」
目の前に広がる景色を見たまま動かないシロ。そんな彼女の様子を察知して、リンドウは彼女の方を見た。
「……リンさま。私は病気なのでしょうか。目から水が溢れて止まらないのです」
彼女は涙を流していた。ぱっちりとした目元がキラキラと輝いている。そして、彼女の白い頬には二つの筋が赤い太陽の光を反射して赤く色づいていた。これまで従順で明るい振舞いをずっと続けてきたシロ。リンドウは、そんな彼女の涙を初めて見た。
「シロ……」
吹き抜ける風に白銀の髪をなびかせ、白い肌に赤い光を反射する彼女。余りの可憐さに、その姿はまるで天使のようにも思えた。そんな様子に、彼はついにこれまでの胸のわだかまりを解こうと決断する。
今なら、言える。いや、今言わなければいけない。自分が殺人鬼であるということを。捕まってこの監獄に入れられたんだということを。彼女に信じてもらわなくては。
「シロ。俺がお前と初めて会った時、俺は自分を殺人鬼だと言ったのを覚えているか?」
「えっ。もちろん覚えているのです。でも、リンさまはきっとそんな人じゃないのです。だってとっても優しくて、かっこいい人だからなのです」
涙を拭き、リンドウの方へと向き直るシロ。そして、そんなことをさらりと言ってのける。そんな言葉も、今のリンドウにはいたく突き刺さるものがあった。やめろ、俺はそんなできた人間じゃない。俺はただ快楽のために人を四人も殺した殺人鬼なのだ。
「すまないシロ……今まで言えなかったんだが、俺は本当に殺人鬼なんだ。ここに来たのも、本当に人を殺し、捕まって裁判で刑を言い渡されたからなんだよ。俺は素晴らしい人間なんかじゃない。逆だ。ただ快楽のために人を殺したクズなんだよ……」
彼は誠心誠意をもってシロに語りかけていった。しっかりと目を見つめ、夕日の下で淡々と語っていく。シロの方も、それを真剣に聞き続けた。リンドウの誠意が伝わったのだろうか。
「そう、なのですか……でも、リンさまは私を殺さなかったのです。これまでずっと、優しくシロに色々なことを教えてくれたのです。シロは、それだけで十分なのです。だって、シロはリンさまが大好きですから」
笑顔を向けるシロ。彼女の顔は夕日の光を受け、艶やかに輝いていた。リンドウもその光景に、いつ振りかもわからない涙を流した。
思えばそうだ。俺がそもそも殺人を犯した理由は何だったか。醜い容姿に生まれ、親兄弟には虐待され、そして学校では惨めにいじめられてきた。あらゆるものから、俺は否定され続けてきたんだ。そしてその否定は自らの劣等感から自分を否定するあらゆるものへの憎しみへと変わっていった。そう、俺が人を殺したのは自分を否定した社会……いや、世界全てへの復讐だったのだ。
だが、目の前にいる彼女はどうか。彼女にあるのは否定じゃない。俺がこれまでの人生で味わえなかった感覚……そう、肯定である。彼女は俺のすべてを受け止め、無条件に肯定してくれた。これこそ、俺がずっと求めていたものじゃあなかったか。人を殺した時もそうだ。人を殺す瞬間、俺はその人間を支配し、無条件な肯定を得られた気分を味わえたんだ。それは確かに俺にとって快感だった。憎しみと、そして快楽とが俺の罪の動機だったんだ。
だがシロの存在はそれとは比べ物にならない。彼女がいるだけで俺は生きている実感を味わうことが出来る。彼女がいるだけで、俺は永遠に肯定され続けることが出来るのだ。これまで彼女を傷つけられなかったのは、そのことを本能的に感じてしまっていたからじゃないだろうか。
「リンさま!? リンさまも目から水が流れているのです!」
「……すまない。大丈夫だ。そろそろ時間だし、部屋に戻るとしようか」
「は、はいリンさま……」
目を抑え、咄嗟にシロから顔を反らすリンドウ。そのまま、彼は階段の方へと戻っていこうとした。
「うっ、げほっ! ごほっ!」
しかし、それは突然のことだった。リンドウの背後で、シロが激しくせき込み始めたのだ。
「ん? どうしたシロ!?」
すぐに振り返りシロの姿を見るリンドウ。彼女は口を両手で抑え、展望台の床にうずくまっている。尋常じゃない様相だ。一体どうしたのだろうか。
「げほげほっ! がはっ!」
「シロ? おい大丈夫か?」
シロの近くに寄り、腰を下ろすリンドウ。シロは相変わらず激しく咳を続けていた。明らかにただの咳ではない。苦しそうに呼吸を乱し、身体を丸くうずくまらせている。
「げほっ! がはっ! はぁ……はぁ……り、リンさま……」
しばらくの咳の後、ようやく彼女は口を覆った手を離した。今にも掻き消えそうな声で、彼の名前を呼ぶ。
「……!」
だかしかし、更に彼を驚かせたのは彼女の手と口元にべっとりと付いた大量の血だった。真っ白な肌を、赤黒い血が一面覆いつくしている。その血はワンピースにまで広がり、赤い絵の具をぶちまけたような斑点を作っていた。
「こ、こいつは……とにかく急いで部屋に戻るぞ!」
「はぁ……はぁ……リンさま……」
リンドウはすぐさま彼女を抱きかかえると、階段を下り、廊下を駆けて元の独房へと戻っていった。
独房に辿り着くと、彼はすぐに血で染まった彼女の身体を拭き、服を換えてやった。そしてぐったりとする彼女をベッドに寝かし、すぐに壁に取り付けられたタッチパネルを操作する。
「緊急通報……緊急通報……どこだ……?」
彼は彼女の容体を看守に伝える項目を探し続けた。今まで使ったことは無かったが、何かあった時のために外の看守やらに連絡する手段があるはずだ。
しかし探せど探せど、そんな項目はどこにも見つからない。家具や食料、娯楽用品なんかを注文する欄が並んでいるだけだ。とはいえタッチパネル以外に外部と連絡を取る方法は皆無。ここになければ他に手段は無い。
「おい、何でないんだ? 嘘だろ……?」
彼はそれでもそのパネルを操作し続けた。明らかのシロの様子は尋常ではない。これまでピンピンしていたのに急に血を吐いて倒れるなんて……いったいどうなってるんだ!?
「無い……無い、無い無い!」
「……リンさま……」
「シロ!」
彼の背後、ぐったりとベッドに横たわるシロがか細い声を上げた。通報の項目を見つけられずに苛つく彼は、一度シロの元へと向かう。
「シロ、大丈夫か? 痛くないか? 俺がすぐに治してやるからな」
「リンさま……もういいのです。シロはもう幸せなのです。十分長くリンさまと過ごせたのです」
「バカなことを言うな! もうすぐ死ぬわけでもあるまいし……」
十分長くだと? たった1年でか? そんなわけあるか。俺はこいつといることを最後の生きがいにしようと決めたんだ。それになんでそんな知ったような口を……まさかこいつ、自分がこうなることを知ってでもいたってことなのか?
「……シロは悪い子なのです。シロは、もう長くは生きられないのです」
「はぁ!? 何でお前にそんなことが分かる!」
「……シロは悪い子なのです……」
そう言って、弱弱しい視線を彼から逸らすシロ。このままじゃあ埒が明かない。
「もういい! お前はきっと俺が治す。絶対にお前を死なせたりなんかしない。これは命令だ。分かったな!」
「リン……さま……」
こうして、リンドウはシロに出来る限りの看病を施していった。
―――
毎日毎日看病を続けるリンドウ。自分で食事を作り、薬が無いから取り寄せられる材料でできるだけ健康に良さそうなものばかりを選び、彼女に食べさせていく。夜には必ずシロの脇に寄り添い、彼女が眠れないときは夜通しで頭を撫で続けた。
しかし、彼女の病状は回復するばかりか目に見えて悪化していく一方だった。初めは激しい吐血で始まった彼女の症状。そこから断続的な高熱、激しい全身の痛み、そして時には昏睡状態に陥ることもしばしばあった。次第に食事は喉を通らなくなり、目に見えて彼女はやせ細っていった。
それから10日ほどが経ったある日の夜。その日は初めてシロの病状が落ち着き、2、3日ぶりに夜も眠りにつくことが出来た。それに合わせてリンドウも安心し、シロに寄り添って数日ぶりの眠りについていた。
「……?」
ふと、彼は目を覚ました。真っ暗に電燈が落とされた独房内。彼はベッドの上にシロに寄り添って眠っているはずだった。
しかし、彼の横にシロはいなかった。すぐに起き上がり、シロの姿を探す彼。ベッドの横に置いてあったスイッチ式の小型電燈を取り、スイッチを入れる。
「これは……」
すると、彼はベッドの上から独房の入り口に向かって血の跡が伝っているのを見つけた。ぽたぽたと滴り落ちたかのような丸い血痕。見やると、独房の扉が開いているじゃないか。タッチパネルには外出予約時間の文字。まさか、シロの奴、外に出たのか……!?
彼はすぐにその血痕を追った。どこまでも続いていく血の跡。独房を出て、ぼんやりとした闇に包まれた廊下を右に進んでいく。そして彼はすぐに、あのつきあたりの鉄扉の前へとたどり着いた。
「……」
床をライトで照らす彼。すると、血痕はその鉄扉の中へと続いていた。よく見ると、分厚い鉄扉が少し開いているじゃないか。間違いない。シロはこの中にいる。
「ここは……?」
彼はゆっくりと鉄扉をくぐっていった。奥は更に長い廊下になっていた。これまでの廊下と違うところは、両側の壁がガラス張りになっていたところだろうか。そして、そのガラスの向こうにはブロック状の部屋が上下左右にずらりと並んでいた。白いライトで照らされた部屋。それぞれの中全てには、小さな女の子が一人ずつ。眠っている子もいれば、何やら図鑑と思しき本を読んでいる子もいる。それらの女の子は皆小学校の中学年ほどの年齢で、真っ白な肌と白銀の長髪を持つ子ばかり。更に驚くべきことに、皆顔まで同じだったのだ。間違いない、あの顔は……
「シロ?」
そう、どの少女もシロと全く同じ容姿をしていた。声は聞こえないものの、素振りや歩き方までシロと全く同じ。まるで彼女をいくつもの鏡に映したようだ。
「……」
彼は不気味さを感じつつも更に奥へと進んでいった。血痕はこのまま廊下の先へと続いている。シロは重病なのだ。とにかく進まなければ。彼女の命を救わなければ。
廊下を抜けた先、左右に並んでいた部屋が消えた頃、リンドウは一つの広い部屋に出た。床は相変わらず白く塗られた正方形の部屋。しかし、その壁には天井に至るまで無数の円筒状の大きなカプセルが並べられ、その中に満たされた緑色の液体の中には、何やら女の子が浮かんでいる。その女の子には見覚えがあった。シロだ。またシロと全く同じ容姿の女の子が並んでいるのだ。
「……これは……? く、シロ!」
そんな光景に驚愕するリンドウ。だが彼の注意は真っ先に部屋の中央に倒れ伏す少女の元に集約された。足元から伝わる血痕の先に、彼女は横たわっている。あれこそ間違いない、彼が今まで一緒に過ごしてきた正真正銘のシロだろう。
「シロ、シロ……おい嘘だろ……?」
彼はすぐにシロを抱き上げた。口からは大量の血を吐きだし、身体の前面から腕に至るまでが血まみれになっている。
「……リン……さま……」
「シロ……! 良かった……」
だがまだ微かに息はあった。とりあえずはほっと胸をなでおろすリンドウ。彼女は虚ろな瞳をリンドウの方へと辛うじて向け、ぼそぼそと呟くように言葉を発する。
「おいシロ……どうしてこんなところに……」
「……リン……さま……シロは……悪い子なのです……もう一度……最後にあの景色を見ようとしたら……間違えて帰ってきてしまったのです……帰ってきてはいけないと言われていたのに……シロは悪い子なのです……」
「帰ってきただと? どういうことだ!?」
咄嗟に説明を求めようとするリンドウ。だが、彼女にそれに答える体力は残されていない。
「……シロは……初めから長くは生きられない体だったのです……でもその分一生懸命、リンさまのお世話を頑張ったのです……リンさま……シロはちゃんとリンさまのお世話をできていましたか……?」
「あぁ……ああもちろんだ! お前以上に頼りになる奴はいないよ……だからこれからも俺の傍にいてくれ。ずっと俺の世話をし続けるんだ。それがお前の使命なんだろ? そうなんだろ!? おい、返事をしろ!」
無意識に荒くなっていく口調。それでもシロはぐったりと体を動かそうとはしない。目を細く開け、浅い呼吸のままリンドウの目を見つめ続ける。
「……リンさま……シロは、悪い子なのです……もうリンさまのお世話をできないのです……でも、シロは満足なのです……リンさまにそう言ってもらえて……シロは……」
「おい、何を言ってるんだ……やめろ、行くな……やめてくれ……シロ!」
「……シロは……リンさまが大好きなのです……」
紫に染まった唇を微かに吊り上げるシロ。そして直後、彼女はそのまま目を閉じた。呼吸が止まり、彼の腕の上で彼女の小さな頭が力なく傾く。
「シロ……おい嘘だろ……シロ! 返事をしろ!!」
「……」
だが彼女からの返答は無かった。白い肌からは一気に生気が抜けていき、彼女の身体がどんどん冷たくなっていく。リンドウはその場で何度もシロの名前を呼び続けた。そんな、さっきまで容体は安定していたじゃないか。それがどうしてこんな……
「No.461096の死亡、及び受刑者11229番の外出時間超過を確認。それぞれ収容を開始します」
「……! な、何だお前ら!」
すると、リンドウの背後にはあの白い看守ロボットが三体、こちらを向いて佇んでいた。そして無機質な電子音声をその部屋に響かせると、リンドウとシロに掴みかかってくる。
「お、おいやめろ!! 触るんじゃねぇ!!」
リンドウは精一杯その看守ロボットたちに抵抗した。特に腕に抱えたシロを庇いながら、ロボットたちに蹴りを加えていく。
「抵抗は無駄です。大人しく指示に従ってください」
しかし奴らはそんなことなどもろともせずリンドウに掴みかかった。すぐに彼は背後から腕を拘束される。
「なっ……待て、シロをどうするつもりだ!!」
「その質問に答える義務は登録されておりません」
「クソッ! ふざけんじゃねぇ! シロを返しやがれ!!」
そしてその看守ロボットの中の一体が彼の腕からシロを剥ぎとった。リンドウは必死に抵抗するもロボの拘束から逃れることはできない。人間の力では到底敵わない力。リンドウはずるずると引きずられ、シロと引き離されていく。
「おい待てよ! シロが死んだだと? ふざけんじゃねえぞこのガラクタ野郎が!」
「……」
「ぐ……おいなんとか言えよこの野郎!!」
ずるずるとさっきの廊下を引きずられていくリンドウ。両側にはシロそっくりの少女が佇む部屋がただただ流れていく。リンドウの罵声に、ロボットは何も答えない。
「おいふざけんな! 離しやがれ!!」
「抵抗は無駄です。大人しく指示に従ってください」
目いっぱい暴れるリンドウ。しかし一年間部屋に籠りっぱなしだった体では思うように力も出ない。ロボットは彼を元の独房へと連れ戻し、そして、そのまま扉を閉めた。
「この野郎!! シロを返しやがれ!!」
リンドウはしばらくの間扉を叩き、看守ロボや監獄の管理人の悪口を喚き散らし続けた。シロを返せ、シロを返せ。シロが死んだ!? そんなはずがない。あいつはずっと俺の傍にいなくちゃならないんだ! あいつは俺の娘なんだ。お前らに奪われる筋合いはない!
しかし、体力が消耗するにつれ、その声は徐々に小さくなっていった。静まった室内の空気が急激に孤独感を彼に叩きつけていく。怒声は涙声になり、罵倒は懇願へと変わっていった。
「おい……たのむよ……お願いだ……シロを……シロを返してくれぇぇぇ……」
シロと過ごす日々は彼の人生の中で唯一、そしてもっとも輝きを放っていた。これまで幸せも意味もこれっぽっちも無かった人生。最後には人を殺め、それに唯一の快感を覚えた人生。それで終わりだと思っていた。
だがシロとの日々はそんな快感とは比べ物にならなかったんだ。毎日毎日彼女の笑顔で目を覚まし、手料理を食し、熱心にいろんなことを教えていく……初めて自分の存在に意味を感じることが出来たのだ。
それなのにどうして……どうしてこんな急に奪われないといけないんだ。もしかして、これが死刑よりも重いという極刑の本質だとでもいうのか。死よりも辛い壮絶な虚無に包まれた生。最愛の存在を失い、死んだほうがましとさえ思わせるような生をいつまでもいつまでも味合わせるという罰なのか。
彼はその晩の間、ずっと涙を流し続けた。最愛の娘とも言えるようなシロを失い、彼は心の中にぽっかりと大きな穴があいたように感じたのだ。せっかく1年かけて色々なことを教えてきたのに。それも全部無駄だったのか。俺のやっていたことは一体何だったんだ。俺の生きている意味は一体……
数刻が経って、時は夜も明けようかというところまで進んでいた。電燈が時間に合わせて微かに部屋を照らす中、彼はベッドにひたすら突っ伏し、小さな嗚咽を漏らし続けていた。
最早涙は枯れた。真っ白なシーツは涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。彼の手にはキッチンから持ってきた包丁があった。これで自分を刺せば、すぐに終わらせられる。こんな虚無に満ちた生、これ以上送っていたってしょうがない。それならいっそのこと、自分の手で終わらせてしまえばいい……
彼はゆっくりと包丁を自分の喉へと宛がった。包丁の先から、一筋の血が肌の上を伝っていくのが分かる。一突きでいいんだ。俺がいつか人を殺した時のように、喉を一突きしてやればいい。
しかし、彼が今にも包丁に力を込めようとしたその時だった。背後から、独房の扉が開く音がしたのである。
「!?」
咄嗟に振り返る彼。すると、そこには少女が立っていた。真っ白な肌に白銀の長髪。それと同じくらい白いワンピースのような服をひらひらと翻して。身長は彼の腹程までしかない。歳はせいぜい小学校の中学年くらいだろうか。
当然、彼はその少女を知っていた。さっきその命を終え、ロボットに連れられて行ったはずの少女。これまで1年間従順につき従い、彼の人生に確固たる彩を与えてきた少女。
「シロ!」
リンドウは彼女の名前を呼んだ。とっくに枯れたはずの涙が、咄嗟に彼の目から溢れだした。視界が歪み、胸が熱い感情で一杯になる。よかった、やっぱりそうだったんだ。シロは死んじゃいなかった。無事だったんだ。
しかし、返事は無かった。一瞬幻を見たかとも疑うリンドウ。だがそれはすぐに否定される。彼女は彼の声に合わせて、小さく首をかしげたのだ。
すぐに彼女は眩いような笑顔を浮かべた。そして、彼女はすぐに明るく透き通った声を、その独房の中に響かせるのだった。
「初めまして、ご主人さま!」
【短編】女の子と一緒に過ごすだけの簡単な刑 柳塩 礼音 @ryuen2527
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