全霊を以て推挙したい。ファンタジー戦史の本物がここにある。

初めに、10代の頃に私が好きだった作家を挙げる。
同じ作家に1度でも嵌まった経験がある読者には、
『罪人のレプリカ』に興味を持っていただきたい。

田中芳樹、松枝蔵人、水野良の作品は最も影響が強い。
ただ好きだった、ファンだったというだけではなく、
私が歴史学の道へ進む重要なファクターとなった。

菊地秀行の残酷さと妖艶さ、久美沙織の芸達者で繊細な語り口、
高畑京一郎のロジカルな写実性、時雨沢恵一の乾いた冷静さ、
土門弘幸の骨太さと土臭さ、上橋菜穂子の重厚で立体的な世界観、

80年代から90年代のリアルタイムより少し遅れて、
私はこうした作家陣のファンタジーとSFに触れ、
その名作に並び立つくらい強い物語を書きたいと憧れた。


『罪人のレプリカ』は、その系列にある小説だ。


とりあえず断っておくが、このレビューは非常に長い。
というのも、この『罪人のレプリカ』が非常に長いためだ。
約93万字にも及ぶ4章立てで、分厚い単行本4巻分に相当する。
率直に言わせてもらえば、クレイジーな長さだと思った。

その字数、『銀英伝』ならヤンが死ぬあたりまで行くし、
『アルスラーン』ならとっくに王都奪還できてしまうし、
『瑠璃丸伝』や『ロードス島戦記』本編は完結するし、
小説版『ドラクエ』天空三部作にも迫る勢いだと思う。

通常の文学賞の応募要項には長さの上限が定められており、
エンタメ系では、多くても原稿用紙600枚(約20万字)だ。
もともと無限だったメフィスト賞でも現在は720枚である。
ウェブ小説じゃなかったら、93万字が1冊とかあり得ない。

去年、上限600枚の文学賞に応募した際、アドバイザーから
「なるだけ短い枚数に抑えるほうが有利だ」と助言を受けた。
無名の新人による作品なら、短ければそれだけ安価だから、
高価な大長編より、冒険的に買ってもらえる可能性が高い。

長い作品は、読者にとって極めてリスキーである。
無料で読めるウェブ小説にも、それは言えることだ。
20万字という上限を、私は書いて体感したからこそ、
それを超える作品に手を出すことは滅多にない。

字数による足切りは、私のポリシーと言ってもいい。
応募歴がある書き手なら空気読めよ、くらいに思う。
そうでありながら『罪人のレプリカ』をフォローし、
読了してやろうと決めるに至った理由はただひとつだ。


作者、カスイ漁池という書き手への信頼があるから。


信頼は裏切られなかった。
長い長い読書時間は無為ではなかった。
面白かった。
だから、長い長いレビューを書こうと思う。


〈第一章 拙い腕と手のひらの温度〉

1つしか能力を持たない木偶の坊のレプリカと蔑まれてきた。
深く強い怒りを覚えつつも、感情を表に出すことはない。
若草色の〈腕〉を持つ超能力者、ニールの世界は狭かった。
屈辱的で退屈で無色で強迫的で、意味も価値もなかった。

物語の序章で、ニールは国立超能力研究所の実験台となる。
瞬間移動の実験のために発生したワームホールは予測を覆し、
ニールを呑み込んで中近世ヨーロッパ風の異世界へと弾き飛ばす。
彼はその地で、剣と魔法の戦いの中で生きていくこととなる。

大国エニツィアの南部の町バンザッタは古来、軍事的な要衝で、
現在は有能な為政者カンパルツォ伯爵の下、平和に繁栄している。
この国の社会制度は、ヨーロッパ史における近世末期に当たる。
カンパルツォは腐敗政治を為す貴族制度の打倒を目指している。

ニールは、「土の民」の末裔フェンに拾われ、彼の助けを受け、
世界の成り立ちや常識、魔法の仕組み、武術などを仕込まれる。
そんな日々の中、収穫祭の「水渡り」をきっかけに一騒動あり、
ニールはカンパルツォに誘われ、大望を掲げる彼の仲間となる。

ニールの使う超能力は、魔法の体系に属さないものだ。
幽界につながる〈糸〉を始め、曖昧な力である超能力は、
ニールの視点を通して極めて「体感的に」語られる。
描写が身体性を持ち、異能にリアリティを裏付けるのだ。

リアリティとは何だろう?
異世界ファンタジーという非現実的なジャンルの物語で、
主人公は超能力を用い、命懸けの戦いを余儀なくされる。
でありながら、この物語には一貫したリアリティが存在する。

ニールがもと居た世界の現実は断片的にしか語られない。
非常にデジタル化された近未来であろうか、と読み取れる。
我々の現代社会が進む先にその未来があるかもしれないが、
ニールを通して語られるその「現実」はリアリティを欠く。

ニールが体と心をフルに使ってリアリティを見出すのは、
彼にとっても読者にとっても見知らぬ異世界でのことだ。
何もかも軌範的に頭で判断するだけだったニールが
次第に感情を開いていく様は、生き生きとして迫力がある。

私が特に好きで共感するテーマが、この作品を貫いて描かれる。
テーマとは、「人を殺すことの罪深さと恐ろしさ」だ。
敵であれば、価値のない人間であれば、殺してよいのか?
人殺しを為した罪は、罪を犯した人間は、赦されないのか?

唾棄すべき貴族の命を前に、短剣を手にしたニールは怯える。
守る〈盾〉となるためには、一線を越えねばならないのか?
〈剣〉である少女アシュタヤは何を思い、何を為す?
守ることとは、命の奪い合いに身を投じることなのか?

カッコよく戦って都合よく勝てるチートなバトルは、
そんな非現実的でチープなものは、この物語に存在しない。
だから好きだ。
そのリアルな苦しみが好きだ。

無論、苦しみの描写だけがこの物語の魅力ではない。
ニールとアシュタヤを始め、登場人物がみんないい。
天真爛漫な少女ベルメイア、きまじめな兄貴分フェン、
大望に燃えるおじさんたち、戦の『呼び水』ギルデンス。

国の根幹を、武力ではなく思想によって改革する。
王侯貴族が牛耳る社会制度に激動を起こそうとする。
そんな大きな物語が今、バンザッタから始まった。
ニールはこの異世界で、これから何を目撃するのか。

『じゃんけん』や『バスジャック』のカスイ漁池は鳴りを潜め、
リズミカルな文章はそのままに、シリアスな語りが続く。
と思いきや、幕間では例のカスイ節が見事に炸裂した。
うん、こっちもやっぱり好き。


〈第二章 融解する器〉

改革の理想の実現に向け、カンパルツォ率いる一行は
バンザッタを発ち、街道伝いに王都レカルタを目指す。
反改革派の貴族が放った刺客が先々で現れては行く手を阻み、
護衛を務めるニールたちは全力を以て迎え撃つこととなる。

『呼び水』ギルデンスは引き続き、不気味な暗躍を続ける。
そしてまた、彼とは別種の殺人狂『雷獣』フーラァタが、
ただ獲物を嬲り殺す享楽のためだけに執拗に追ってくる。
「魔装兵」の中でも、2人の手強さはあまりにも別格だ。

ニールにとって穏やかならざる事件はもう1つ発生する。
もと居た科学の世界から、天才児ジオールがやって来た。
彼はニールをもとの世界へ連れ帰ろうと説得する一方で、
魔法のメカニズムに強い関心を示し、その習得を試みる。

ニールがなぜレプリカと呼ばれ、蔑まれるのか。
同じ顔のジオールは何者で、ニールとどんな関係なのか。
科学と超能力が歪めてしまった「ニール」の正体を、
ニールはここで初めて明かし、迷いながらも決断を下す。

超能力も魔法も一貫した理論に基づいて「科学」される。
その「科学」は、文系人間の私に身構えさせることなく、
読みやすい文章によって説かれ、奇妙な説得力を持つ。
超常現象ってあるんじゃないかと、読者を術中に嵌める。

棄てられた村を巡る内憂外患の力のバランス、
土の民フェンの決意、迫り来る戦の予感。
容赦のない事実が連なり、物語は緊迫する。
この迫力は、緻密で立体的な世界設定があればこそだ。

普段は道化役のセイク、ヤクバ、レクシナが、
あるきっかけで本気の素顔を見せるのだが、
そのギャップにやられる。ヤバい、カッコいい。
無駄なキャラが1人もいないから素晴らしい。

刺客の掃討作戦に繰り出したニールは仲間と別れ、
公認盗賊の森でフーラァタと対峙し、痛め付けられる。
体も心も追い詰められ、右腕を致命的な傷を受け、
絶体絶命となったとき、現界を振り切って見えたモノ。

ここでもまた「人を殺すこと」の意味が問われる。
いや、問うという生易しい言葉では表現できない。
ニールの脳には殺傷への抑制装置が付いているはずだが、
この異世界において装置はどれほどの意味を持つのか。

痛々しい物語は、思いも掛けない方向へと転がる。
2年半の月日を経て、傭兵に身をやつすニールは、
エニツィアにおいてはひどく目立つ金髪を隠して
王都に出向き、次に自分が赴くべき戦場を見出した。


〈第三章 「きみは嘘をつけない」〉

孤独な逃避行を選んだニールは盗賊兼傭兵となり、
金髪隻腕の『化け物』として知られるようになった。
かつて人の輪に溶け込むことが得意だった少年は、
今では、世話になる傭兵団の中でさえ孤立している。

傭兵団は職業斡旋所の依頼を受け、戦場へと赴く。
東の隣国ボーカンチの武装集団が8年の沈黙を破り、
突如としてエニツィアに牙を剥いたのだ。
レプリカと名乗るニールは先陣を切って敵を屠る。

エニツィア軍はラ・ウォルホルへと転戦する。
要塞への無謀な突撃作戦を引き受けたニールは、
『太陽』を相手取って命懸けの戦いをするが、
それをきっかけに転機を迎えることとなる。

本章の前半、戦に次ぐ戦がニールを追い詰める様子は、
もうやめてくれと叫びたくなるほどに凄惨を極める。
ラ・ウォルホルに近接したラニア領で、ニールは
アシュタヤの両親と出会うが、その場面も痛々しい。

法律上の罪か、道徳上の罪か。
ニールは自身を赦せずにいる。
弱さゆえの苦しみを自覚している。
救いの手をすべて拒んでいる。

かつて若草色をしていた〈腕〉は黒く染まり、
ニールは『化け物』と人間の狭間で苦悩する。
初めて人を殺した感触に今でも苛まれるニールが、
罪を拭いたくて殺人を重ねる姿はあまりに悲しい。

しかし、やがてニールには進むべき道が示される。
彼が故郷と呼ぶ南部の要塞都市バンザッタへ、
戦の気運に導かれ、2年半の時を経て帰り着いた。
ともに行くのは傭兵団の娘、男勝りなヨムギだ。

ニールにとって、バンザッタは再出発の地だ。
もと居た世界では生命力の希薄だった彼が、
バンザッタで暮らし始め、人間として生まれ直した。
今回もまた、ニールはバンザッタから再出発する。

南の隣国ペルドールの『虎』との戦に臨むとき、
とんでもない人物と間近に向き合うこととなる。
最強の魔装兵、『呼び水』ギルデンス。
ニールは仇敵を前に、憎しみを抑え切れない。

ギルデンスは自分の欲望に極めて忠実に生きている。
彼は魔装兵として天才的な能力と技術を持つが、
それ以上に「人々の心の憎しみを育てること」の天才である。
狂気的で圧倒的な独善性が異様な魅力を放つキャラクターだ。

戦の先陣でギルデンスが語る国家論の台詞も強烈で巧いが、
ラニアやカクロの何気ない台詞が非常に「大人」で印象が強く、
人民と領地を預かる者としての度量を感じさせるから好きだ。
そうした脇役たちの描写や演出が本当に綿密で、心憎い。

それにしても、一体どれだけの知識と思想が
この1冊に詰め込まれているのだろう?
作者の読書量と博識には驚嘆せざるを得ない。
何人ぶんの人生がここに投射されているのか。

再会と再出発のエピソードが多層に重なり、
かつての台詞がすべて伏線であったと判明し、
物語はいよいよクライマックスへと突入する。
最後の戦で、ニールはどんな結末を見出すのか。


〈第四章 化け物のつくりかた〉

化け物とは何だろうか?
人間ひとりの知恵や力を凌駕する、生きた存在。
傭兵としてのニールは『化け物』と呼ばれるが、
作中ではまた別の化け物像が語られ、形作られる。

ギルデンスは内乱の勃発時期を予言して去った。
ニールたち一行はギルデンスと貴族軍を止めるため、
年末に向けて慌ただしい王都レカルタへと赴く。
そして東部へ、会うべき人と会うための旅をする。

道中、まじめで優しく誇り高いはずのフェンに異変が起きる。
それは強さを求めた「副作用」であり、フェンは選択を迫られる。
畳み掛けるように、レカルタに戻るや否や敵襲に見舞われるも、
エニツィアの梁山泊カンパルツォの下、決戦の準備は整えられる。

仕掛けられた戦を前に、最後の余暇を楽しむ面々。
ニールとアシュタヤの結び付きは温かくも危うく、
道化トリオは相変わらず楽しくて示唆的でもある。
彼らの様子を軸に、この異世界の伝統や常識が描かれる。

予告どおり、やがてニールたちの目前に戦端が開かれる。
ニールは単身、ギルデンスとの最後の決戦に赴いた。
その戦場でぶつかり合うのは剣と魔法の威力のみならず、
互いの信じる「戦う意味」が真っ向から火花を散らす。

善悪の線引き、正義の在処、守るための方法、幸せの意味。
どれだけ戦っても悩んでも答えの出せない問いを、
血に濡れ、涙にくれながら、ひとつひとつ探していく。
各々が譲れない願いを胸に、幸せの形を探そうとする。

戦の物語を書くことは、命の喪失を描くことであり、
喪失を描くことを通して、命の意味や価値を問うことだ。
その執筆がどれだけ痛いか、忍耐を要するか、途方もないか、
心神を削ってやり遂げた者にしかわからないかもしれない。

長い戦いを描きながら作者がどれだけ苦しんだだろうかと、
燃える森の戦いの果てにふと我に返って、胃が痛んだ。
それはただ戦いの実況中継を文字に起こす作業ではない。
作中で「戦う意味」を問えば、筆を執る者もぼろぼろになる。

戦場に立ち続けるニールが最期に下す決断に、
ただ寂しく、苦しくなる。
『化け物』でありレプリカであるニールの命は、
間もなくついえることがわかっている。

数え切れないほどたくさんの残酷な結末を積み重ね、
その果てにニールの物語はどんな終わりを迎えるのか。
物語の始まりから数えて約3年の月日を経て、
個性豊かなキャラクターたちに未来は訪れるのか。


〈全体として〉

これほど重厚且つ綿密に作り込まれた戦史物語は、
ファンタジーと歴史小説を合わせても久しぶりに読んだ。
ハイファンタジーや歴史物に多い小難しい文体を採らず、
リズムがよくてわかりやすい言葉遣いなのが好ましい。

『じゃんけんに熱狂する村』みたいな路線も面白いが、
個人的な趣味としては、私は『罪人のレプリカ』が好きだ。
全体として骨太な世界観と冷静な地の文で構成されつつ、
キャラクターの掛け合いは生き生きとして軽妙だ。

無論、書き手ひとりでは完璧な物語を創れないから、
『罪人のレプリカ』も完成されてはいないと思う。
特に、これだけの長さがあれば編集も容易ではない。
物足りなく感じる点、過剰だと感じる点があった。

物足りない点を挙げると、フェンの書き込み方だ。
孤児育ちの道化トリオと違い、フェンの負うものは大きい。
その設定が十分に活かし切れていないように感じられた。
「陰があって誠実で優しい男」が好きな私の趣味もあるが。

また、ジオールの役割も不完全燃焼な気がした。
結局、規格外の魔法をもたらす「便利屋」に留まっている。
彼はニールがもと居た世界を象徴し、彼に生き方を問うのだから、
答え合わせ的な再登場があってもよかったのでは、と思う。

過剰だと感じたのは、ギルデンスとの対話だ。
ほぼ一気読みしたからこんな感じ方になったかもしれないが、
ギルデンスとの比較的長い対話が幾度もあるせいで、
最終決戦での対話のインパクトが削がれた気がした。

ギルデンスとの対話では毎回、非常に鮮烈な言葉が使われる。
だから印象には残るが、しかし、読者は記憶し、慣れるものだ。
作者は台詞の言葉のチョイスが巧いから、長い対話の代わりに
「選び抜かれた鮮烈な一言」のみに留める戦術もあると思う。

称賛と推薦をすべきレビューで不躾な指摘をすることを
どうぞ容赦していただきたい、貶す意図は毛頭ない。
岡目八目と言おうか、自分がそう巧く書けないくせに、
他人の作品に対しては小賢しい批評眼を持ってしまう。

語りたいことが多いのは、
こんなに長くなったのは、
素晴らしかったからだ。
この物語が本当に、掛け値なしに好きだ。

膨大な量の資料と史料を読み込んで自分の言葉に換え、
脚色と演出とともに緻密に計算して再編成することで、
この壮大なファンタジーを織り上げたのだと推測する。
真剣に研究しなければ、これほどのものは創れない。

情報の収集と編集、物語の構成力、基礎的な文章力、
強烈な痛みを伴うテーマで長編を書き切る精神力、
それらすべてが高いレベルで均衡していると思った。
カスイ漁池とは、やはり素晴らしい書き手だと実感した。


読んでよかった。

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