第2話
新人ポインターのシマノは、その初めてのミッションでいきなり窮地に立たされていた。
目の前には、ビルの廊下を埋め尽くす無数の怪物たち。
それに対峙しながら、シマノは彼女のポインター武器である青白い光を帯びた日本刀を構え、必死に戦う意志を奮い立たせる。
彼女を囲む怪物の見格好はまさに人間そのもので、大きさもほとんど人間と変わらない。だが、その頭部があるべき部分に乗せられた無機質な薄型のテレビが、怪物の異様さを際立たせている。
頭部の薄さからして、間違いなく人間ではない。
顔の部分にあたるテレビの画面はずっと砂嵐を映しており、胴体を包む真新しい薄緑色の作業服と相成って、感情が存在しないことを強調する。
それらの怪物が、ゆっくりと、ただ機械のように画一的な殺意を滲ませながらシマノへと向かってくる。
その圧力に押され、一歩ずつ後退するシマノ。
しかし、既に背後の階段からも数匹ほど怪物が出現しており、逃げ切れる見込みは薄くなる一方である。
「どうして、こんなことに……」
後悔と、それ以上に目の前の危機に対する恐怖に駆られながら、シマノはなんとか打開策を見つけられないかと一から状況を整理する。
【廃墟地域北ビル跡地のフライネスト駆除】
それが、シマノがデビュー戦に選んだミッションだった。
門津市北部に広がる旧市街地廃墟地域、そこにある廃ビルに出現したフライの巣を駆除すること。それが今回のミッションの内容だ。
ポインターの華とも呼ばれる大型のフライ討伐に対して、小型フライのネスト駆逐型ミッションは実入りが悪いがその分フライも弱く、ルーキーでも充分戦えるという話であった。
確かにミッションの事前調査書にもあったように、フライの質自体は大したことはなかった。
実際、ビルの周辺にいたテレビ頭のフライは、これがポインターとして初めての戦闘であったシマノでもあっさりと倒すことができたのである。
情報としては聞いていたものの、倒したフライが本当に赤い塵となって消滅したのはさすがに驚きだった。
「行ける……」
その時のシマノは、確かな手応えを感じていた。
今の自分の力でも、この程度のフライならなんとかできる。
それにこの強化された身体能力。この力があれば、あの兄の仇にも立ち向かえる。
既にそんなことさえ考えていた。
だが、思えばそれが間違いの元だったのだ。
裏打ちのない勝てるという余裕は慢心に変わり、個々の戦闘能力だけで物事を考え、ミッション全体での敵の戦力そのものを見誤った。
さらに経験の無さが、それを修正する事を不可能にした。
立ち塞がるフライたちをなぎ倒しながら、シマノは一気に主の待つ上層階を目指し、そして、飽和した怪物に取り囲まれた。
しっかりととどめを刺さずに、ひたすら勢い任せに突破していったことが裏目に出たのだ。
倒しても赤い塵になるだけという手応えのなさもそれに拍車をかけた。
シマノが倒しきらず生き残ったフライは、他の階段から上へと先回りし、反撃の機会を待ち構えていたのである。
その結果、三階に異常なまでのフライが密集することになり、もはやシマノの力では手のつけようがないレベルまで膨れ上がってしまった。
薄暗い廊下を、テレビの頭をした怪物が埋め尽くす。
そこに映る砂嵐が、まさに砂塵のようにシマノを取り囲む。
必死に抵抗し、斬りつけて撃退するが、もはや一匹二匹倒したところで状況はなにも変わらず、フライの波状攻撃に対して壁を背にしてなんとか致命傷を避けるのが精一杯だ。
しかしそれも長くは持ちそうにない。
一撃、また一撃と、受け流しきれない攻撃のダメージが蓄積していく。
ポインターとなった肉体の感覚のおかげなのか、痛みはそれほどでもないが、それでも、身体の動きが鈍くなっているのは強く感じる。
肉体の停止という緩やかな死が、諦めとなってシマノを押しつぶそうとする。
その時だった。
「まったく、世話が焼けるルーキーだな……」
そんな声が聞こえたかと思うと、入口の階段にの後ろのほうで、フライが数匹、次々に赤い塵へと変わって消え去っていく。
そしてその中に、ゆっくりと、フライをかき分けながら進んでくる一人の少年の姿が見えた。
ブルーグレーの薄汚れ古ぼけたジャージに、あらゆる意味でそのジャージに不釣り合いな、両腕を覆う真っ青な小手。
整った顔の中で全てを塗り潰すかのような、複雑な光と闇を抱えた眼。
全てが色あせたかのような少年の中にあって、その小手だけが異様な存在感を示している。
その姿だけで、彼が尋常でないことがわかる。
「こういう仕事は本来なら俺向きじゃはないんだが、仕事は仕事だ」
少年はそう言いながら一匹、また一匹とフライを確実に粉砕していく。
シマノの目から見ても、その戦いぶりのすざましさは明白だ。
この少年は尋常ではなく強い。
自分とはレベルが違いすぎる。
ただ小手を身に着けているだけで、武器らしい武器も持たず、己の肉体のみで、テレビ頭のフライを屠っていく。
手刀がまさに刃のごとくフライを切り裂き、貫き、粉砕する。
もちろんシマノのような倒し残しなどなく、確実に一匹一匹を葬り去る。一撃で倒せない場合でも、確実にとどめとなる二撃目を打ち込んでいく。赤い塵が彼の周囲から消えることがない。
「まあ、これだけお膳立てしてやればなんとかなるだろう。よし、ルーキー、こっちまで突破してこい!」
フライの向こうで、今度はその少年はシマノに向かってそう叫んだ。
その声に従い、シマノも反転し、気力を振り絞って目の前のフライを斬りつけてその集団を突破する。
希望が見えたことで、足がまだ動く。
「一気に下まで突き進むぞ、一旦外に出て状況を立て直す!」
合流すると、少年は有無を言わさずそれだけ言って走り出す。
なにを答えていいのかわからず、ただ頷き返して、シマノはその少年とともに階段を駆け下りていく。
とはいえシマノは、少年がフライの集団を蹴散らしていく後ろを、ただ必死についていくだけだ。
そしてビルを脱出し、追ってくるフライを振り払って、少し離れたところでようやく落ち着くことができた。
「間一髪、といったところか……」
立ち尽くすシマノを一瞥した後、少年は小さく息を吐いてそう漏らす。その息も疲れからくるものではなく、シマノを見ての安堵と呆れのようであった。
一方のシマノはなにも答えられぬまま、その場で息を整えるのに精一杯だ。
ポインターとして身体能力が向上しているはずなのだが、それまでの戦闘もあって、その限界にかなり近付いてしまっていた。
だがそれでも、そんな荒い呼吸の中で、ひとまず、シマノは自分がまだ生きているのだと実感する。
それは、兄を失ったあの日からずっと、失っていた感覚でもあった。
「もう大丈夫そうだな」
シマノが落ち着くのを見計らって、少年の方からそう声をかけてきた。
「えっと、あなたは……」
なにが起こったのか理解が追いつかないまま、シマノはただ少年にそう尋ねる。
この少年は何者で、なぜ自分を助けたのか。
シマノにはなにもわからない。
そんなシマノの戸惑いを感じ取って、少年の方も少し困惑した様子で再びシマノを見て口を開く。
「そうか、まず自己紹介をしないといけないな。俺はカミヤ。まあ見ての通り、しがないただのポインターだ」
「カミヤ……」
シマノは、あらためてカミヤと名乗った少年を見た。
どこかまだ幼さを残す外見からみて、年齢は自分とさして変わらなさそうだが、先ほどの隙のない身のこなしと戦いぶりは明らかに熟練の戦士のそれであり、自分とは住む世界が異なっているのを感じさせる。
整った童顔であるものの、そこに宿る鋭さは彼から瑞々しさを揮発させているかのようだ。
だが、なによりシマノの印象に残ったのは、その瞳だった。
口調の気さくさに反して、その眼の澱みと光の混ざり合った複雑な雰囲気は、彼が歩んできたであろう過酷な人生を表している。笑顔であるように見えて、彼の笑顔の裏側にあるものを彷彿とさせるのだ。
それがポインターとして培われたものなのか。
それとも、元々そんな目を持つような人物だからポインターとなったのか。
シマノには判別もつかない。
ただ、あらためて考えると、自分の目はそんな少年のものよりも濁っているかもしれないとは思う。
「で、一応、お前の名前も聞かせてもらえると助かるんだが。このミッションだけとはいえ、名前を呼ぶのに支障があるからな」
「私は、シマノ」
ぶっきらぼうにただそれだけ口にする。
自己紹介といっても、それ以上はなにを言えばいいのかわからなかった。
とはいえ、カミヤの方も特にそれを問題にするような素振りも見せない。
「なるほど、シマノ、か」
それだけつぶやくと、カミヤは戦いの場であるフライの巣と化した廃ビルを見つめている。
シマノもそちらに視線を向けるが、ビルは先程まで死闘が行われ、今なお怪物で充満しているとは思えないほど静まり返っていた。
「再分散再配置まで、あと三十分といったところだな」
だが、カミヤに見えているものはシマノとは違うらしい。
外観から分かる情報からで状況を分析し、指で幾度か灰色のビルの外観をなぞるようにしてなにかをつぶやく。
どうやら作戦を立て直しているようだ。
「あの……」
そんなカミヤに、シマノは遠慮がちに声をかける。
「なんだ?」
「えっと、助けてくれてありがとうございます。……でも、どうして私を助けたんです? そもそも、なぜこのビルに?」
「その理由、言わないと駄目か?」
にべもなくそう聞き返してくるカミヤの態度に、シマノはなにも言い返せなくなってしまう。
やはり、この少年と自分とでは世界が違う。
それはポインターとしての経験の差なのか、それとも他の要因が溝となっているのだろうか。
「まあ、強いていうなら、特に語るほどの理由なんてないといったところだな」
黙ってしまったシマノに気を使ったのか、カミヤはぽつりとそうつぶやいた。
そしてゆっくり、今度はシマノのその戦いぶり分析して語っていく
「それより、俺が来なかったらお前はどうするつもりだったんだ? 確かに、勢いに任せて敵陣の奥まで切り込んでいって短期決着を狙うという発想自体は悪くないが、詰めが甘すぎる。まあ、それこそが経験の無さ、とも言えるが」
「それは……」
なに一つ反論の言葉は出てこない。
実際、シマノにはなんのビジョンもなかったのだ。
「そもそも、デビュー戦からこんなミッションに一人で挑む事自体が無謀としか思えんな。ネスト駆除型ミッションが経験不足のポインターに向いているという意見には確かに真実の一片はあるが、あくまでグループでのアタックでその新米に経験を積ませるという意味で、だ。単独でのミッションなど無茶がすぎる。お前、ギルドとかには所属していないのか?」
「ギルド?」
聞きなれない単語に、シマノさらに言葉を失う。
自分が本当になにも知らないのだと思い知らされる。
「……ギルドも知らないとは、本気で筋金入りのルーキーなんだな……」
なにも言い出せないシマノの表情を見て、カミヤは不意に顔を上げ、まじまじとシマノの目を見ながらひとつ質問を口にした。
「……お前、ポインターになって何日だ?」
「今日で、三日目よ」
「み、三日!?」
それにはさすがにカミヤも驚きを隠しきれなかったらしい。
その言葉を聞いた後は、開いた口が塞がらないまま絶句してしまった。
シマノの方もなにを言っていいのかわからず、二人の間に不自然な沈黙が続く。
「……なるほどな。だいたいわかった。まあ、助けた責任もあるし、お前がこのミッションを生き残れるように協力しようじゃないか。だから生き残れ、この先もな」
ようやく落ち着いてそう告げたカミヤの目は、濁りよりも光のほうが強くなっていた。
「どうしてそこまで……」
「さっきも言ったが、取り立てて理由はないさ。それより、俺が気になるのはお前がポインターになった理由のほうだな。ポインターになるような奴は、金に困った崖っぷちか、正義感を持て余したヒーロー気取りか、退屈に耐え切れなくなった狂人くらいだ。だが、お前はどれとも思えなくてな」
「買いかぶりすぎよ……」
反論というほどの強さもなく、シマノはボソリとそうつぶやいた。
それは、カミヤに伝える言葉ではない。
シマノ自身が己を戒めるための言葉だ。
金銭面でないにしろ崖っぷちではある。
正義などないが仇討ちを気取っている。
退屈の代わりに復讐の狂人ともいえる。
なにしろ一度死んだはずの存在なのだ。
少なくともまともな人間ではあるまい。
それを自覚してこの世界で生きるのだ。
「私には、他に道がなかったのよ」
それだけがシマノに答えられる言葉だ。
「そうか……」
「そもそも、それを言うならあなたこそいったいなぜポインターをしているの? 狂人にもヒーロー気取りにも思えないし、お金に困っているにしても、その年齢からポインターをするには相応の理由があるはず……。先ほどの戦いぶりから見ても、私なんかと違って経験も豊富っぽいと思うし……」
シマノがそれを尋ね返したのは、意趣返しという意図もあったが、純粋な興味の意識のほうが強かった。
自分と同じくらいの年齢の彼が、どんな理由でポインターをしているのか。
自分のような事情があるのか、それとも他の理由があるのか、それが気になったのだ。
「……俺は、この街の人間だ」
それまでの饒舌さから一変して、カミヤの答えはそれだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます