第5話

 爪が迫る。目の前の状況に集中する。必死に今どう動くかを考える。

 回避? もう間に合わない。

 いなす? 質量がありすぎる。

 となると、正面で受けるだけだ。

 ポインターの動体視力と瞬発力を最大限に活かし、とっさにガンドレットに覆われた両腕で防御姿勢をとる。

 その上から重い一撃が浴びせられ、俺の身体はそのまま地面へと叩きつけられ、二度三度と瓦礫の上を転がった。


「神谷君!」

「いや、大丈夫だ……」


 駆けつけようとするフジコーを手で制し、ゆっくりと身体を起こして土埃を払う。

 ぎりぎりでの防御が功を奏したらしく、痛みはあるが致命的なダメージはない。

 ポインターの身体能力はやはりすざましい。

 一方で怪物も殴られたことに驚いたのか、その無機質な目で俺を見る。

 狼の顔を載せてはいるが、その目は死んだ魚のようであった。


「やはり、怪物は怪物ということか」


 もう一度構え直し、今度は慎重にその怪物と対峙する。

 他のポインターたちも、俺の攻撃とそれに対する怪物の反応を見て、下手に動けずに一歩引いて様子を見るばかりである。

 だが、そんな膠着は長くは続かなかった。

 怪物側に状況を待ち続けるなどという意志など持ちあわせておらず、そのまま、こちらへと突撃してきたのだ。

 どうやら、完全にこちらを敵と認識したらしい。

 クモのような多足がそれぞれポインターを狙うように振り下ろされ、巨大な腕や牙もまた、ポインターを刈り取らんがばかりに振るわれる。

 巨体に似合わず、その一撃は恐ろしく鋭い。

 最初の怪物よりも、より戦闘に特化しているかのようだ。

 ポインターの身体能力もあって初撃は各々なんとか回避していくが、さらに立て続けに容赦の無い攻撃が続く。

 一撃、二撃、さらに一撃。

 最初に崩れたのは、怪物の姿に動揺を隠せなかった、門津市外から来た元学生のポインターだった。

 格闘技の経験があっても、いや、むしろリングという場で戦うことに特化しすぎたためか、回避行動の後退時に瓦礫に足を取られ、そのまま地面へと倒れこんでしまう。


「ひっ……!」


 そして俺たちは、ポインターの最期というものを目の当たりにすることになった。

 倒れこんだ彼の腹部に、怪物の鋭い脚が一直線に降ろされる。

 形こそクモのようであるが、どうやら、強度や鋭さはまったく別物らしい。

 その鋭い怪物の脚が彼の腹部を貫通する。

 だがそこから、血液も肉片も飛び散ることはなかった。

 彼の腹から噴き出したのは、色鮮やかな赤い粒子だ。

 血液よりもはるかに彩度の高い、まるで砂粒のような粒子が、光を反射しながら空気の中に溶けて消えていく。

 それはまさに、ポインターが既に人間ではないことの証明であるかのようだった。

 目の前の残酷な悲劇も、まるで作られた映像に見える。

 そして怪物はまるでゴミでも払いのけるように脚を振るい、その先に刺さったまま残っていたポインターを放り出した。

 投げ飛ばされた彼はさらに粒子をまき散らしながら宙で何度も回転して、地面へと叩きつけられる。


「だ、大丈夫ですか!?」


 フジコーがそう声をかけると、彼はなんとか立ち上がろうとしたが、力が入らずそのまま崩れ落ちる。

 そうして倒れた身体はまるでなにかに蝕まれているかのように、貫通された腹部から粒子が剥がれ、腹部の穴は止めどなく拡がり続けるばかりである。


「あ……え……」


 そんな状態でも彼自身の意識は鮮明であるようで、必死にその流出を抑えようと自らの腹部に手を当てる。

 だが、粒子は一瞬彼の指先にまとわりついたのち空気に消えてゆき、穴から漏れる赤色が彼の身体全てを飲み込んでいく。

 そして彼は、そのまま全身が粒子となり消滅した。

 これが、ポインターの最初の殉職であった。

 だが、問題は彼の消失だけで終わることはない。

 むしろそれこそが破滅の始まりだったのだ。


 十一人がかりでどうにか相手をしていた怪物に対し、一人欠けたことでそこから戦線が崩壊しはじめる。

 相手のいなくなった分の怪物の脚が他のポインターに対して波状攻撃を仕掛け、各人がそれを支えきれなくなったのだ。

 最初の青年に続いて、元々の門津市民だった中年男性が怪物の攻撃に飲み込まれた。

 脚による攻撃に気を取られたところに、狼の爪が彼の身体を切り裂いたのである。

 同じように、血の代わりに赤い鮮やかな粒子が噴き出て消えていく。

 だが今度は怪物がとどめと言わんがばかりに追い打ちの一撃を加えたので、中年男性ポインターは、身体をバラバラにしながら粒子となった。


「おい、マズいぞ、これは……」


 誰ともなくそんな声が漏れる。

 二人の異様な死を目の当たりにしたこともあるが、それ以上に、今は現実として危機が俺たちの精神を縛っていた。

 このままでは、次は自分たちがその異様な死に様を迎えるのを待つだけなのだ。

 現状のままではもう後がないというのは各人共通の認識であり、それぞれが集まって互いを補うように防御態勢を取る。

 これならば、怪物の攻撃に対して少なくとも守りを固めることはできる。

 しかし、これではただ時間を稼ぐことしかできず、やがて終わりが来るのも目に見えていた。

 それを打開するべく動いたのは、他ならぬ俺だった。


「まず、俺が切り込む……」


 その言葉に、他のポインターたちが驚きの目を俺に向ける。


「本気か?」

「ここまま黙って死ぬのは絶対に嫌だ。おそらくさっきのパンチの手応えから考えても、あの怪物の体は一定以上の負荷がかかれば崩壊するはず。だから、俺の後に、囮と攻撃の二手に分かれて、一点集中攻撃を浴びせれば……」


 各人の俺を見える目は疑い半分ではあったが、他の手もないのも現状である。

 それでも迷う面々を引っ張るかのように、フジコーが決断を口にした。


「なら、僕が囮になるよ」


 それで全てが決まった。

 ひとことで人を動かす。そういう雰囲気をフジコーは持っている。こいつはそういう男なのだ。


「決まりだな。じゃあ、行くぞ」


 そしてまず、タイミングを見計らって俺が単独で飛び出していく。

 難しいことはしない。とりあえず正面から、思いっきり目立つように挑発的に突っ切って行く。

 あの怪物がどういう認識で世界を捉えているのかはわからないが、まずなによりも俺を見るようにするのだ。


「来いよ! こっちだ!」


 それが功を奏して、幾つもの攻撃が俺に向かってくる。

 先ほどのような攻撃後ではなく回避を前提とした状況なら、その攻撃は鋭いものの決して回避ができないほどではない。

 最低限の攻撃を受け流しながら、俺は、背後からフジコーやその他のポインターの第一陣が突撃していくのを確認する。

 完全に俺に気を取られていた怪物は、その新手の敵に対して、完全に受け身に回っていた。

 声にならない叫びを上げる怪物。

 猛烈な反撃が攻撃を繰り出していた囮のポインターたちを襲うが、それと同時に、本命である最終突撃班が一気に怪物に対して攻撃を仕掛けていく。

 各々の武器が一点に集中する。

 怪物の顔がさらにひしゃげ、そこに大きなヒビが入る。


「よし、あと一撃、あと一撃だ!」


 攻撃班の先導を務めた元自衛官が意気揚々と叫ぶ

 しかし、その声に反応するものは極端に減っていた。

 怒り狂う怪物の一撃はさらに鋭さを増したらしく、囮となったポインターたちは壊滅状態となっていた。

 フジコーも、弾き飛ばされて地面に伏している。

 それでも、囮のポインターたちは自分らの役割を全うしたのだ。

 万事休すか。

 いや、作戦そのものは間違っていない、ならば……。


「あともう一撃。俺がなんとかするから、頼む!」


 そう叫んだものの、俺に残された手など実際にはほとんどない。

 できることといえば、この身を投げ出して時間を稼ぐ程度だろう。

 それでも、俺はなんとしてもあの怪物を倒したかった。

 二度も好き勝手に蹂躙されるのは嫌だった。

 そして俺は再び怪物に向かって走り出す。

 今度は、より明確に囮としての動きだ。

 それを見て、怪物の攻撃が俺に向く。

 俺はあえてそれをかわしきらない。

 致命傷だけを避けあえて受ける。

 弾き飛ばされ、それでも立ち向かうことで、怪物の意識を俺に集中させる。

 怪物に、もう一撃程度で俺を殺せると思わせるのだ。

 その作戦自体は成功した。

 怪物は攻撃班にほとんど意識を向けること無く、ひたすら目の前の敵である俺を潰そうと必死になっている。

 問題があるとすれば、俺のダメージが本格的にまずくなってきたことぐらいだろうか。

 なんとか、最後の一撃の準備が整うまで持ちこたえてくれ。

 自分にそう言い聞かせる。

 だが意識が飛びかける。

 身体もまともに動かない。

 目の前に怪物の脚が迫りつつあることに気が付いても、それを身体に伝えることができない。

 俺も死ぬのか。

 ふとそんな考えがよぎる。

 だがそこで、誰かが俺の背中を強く押し、怪物の脚はギリギリで背中の後ろを通過した。

 助かった!?

 それと同時に、俺は、見たくもない光景を目撃した。

 そこにあったのは、全身を投げ出して俺を押しのけ、代わりに怪物の一撃で半身を持って行かれたフジコーの姿だ。


「フジコー、お、お前、なんで……」


 驚く俺の横で、怪物は最後の一撃を受けて消失していく。

 勝鬨が聞こえる。

 しかし、もはや怪物も勝利もどうでもいい。

 俺は、俺の目の前で親友が消えかかっていることがただただ信じられなかった。


「……さっきの囮の時に、ちょっと致命的な風穴を開けられたからね。もう助かりそうもなかったよ。だから、せめて最後に君だけでもなんとかと思ったのさ」


 そう口にしている間にもフジコーの肩と腹から、赤い粒子が漏れ出し続けている。

 先ほど俺をかばってもげた右肩と、おそらく、囮の際に受けた左脇腹の二箇所。

 血と違い、赤く染まることもなく、身体が剥がれ落ちている。

 それはまるで、藤波浩二という人間の魂そのものが消えることを象徴しているようでもある。

 俺は必死にそれを抑えようとするが、指の隙間から、フジコーを構成していた赤い粒子は零れ落ちていくばかりだ。


「お前、市長になるんじゃなかったのかよ!」

「そのはず、だったんだけどなあ……」


 苦笑いするその顔を、俺はまともに見られなかった。

 そうしている間にも、俺の親友の身体はもう殆どが消失してしまっている。


「なんでお前が死んで、俺なんかが生き残るんだよ!」

「……君のほうが、現実が見えているから、かな……」


 返す言葉を考える。だが多分、もうなにも間に合わない。


「まあ、君のために死ぬなら、悪くも無いか……」


 藤波浩二は最後に弱々しい笑みを浮かべ、その笑みさえ、粒子となって何処かへと消えていった。

 そこに残されたのは、フジコーが選んだ武器である、ポインター用の青白くシンプルな剣だけだった。




 これが、俺の、そしてポインターという集団の初陣である。

 十一人中、犠牲者は計四名。

 最初に倒れた二人に、途中の囮で死んだ致命傷を受けた者、そして、最後に俺をかばって死んだ、誰よりもこの街を愛していた男。

 結果としては三分の二以上が散ったことになる。

 だがそれでも、ポインターという人類による戦闘部隊の手で、フライは倒された。

 その事実こそをポータル社は強調し、重要視した。

 我々には、人類には怪物に対抗する手段があるのだと。

 そして世界もそれを歓迎し、歓喜した。

 こうして、ポインターは俺の感傷とは裏腹に、華々しく世間にデビューすることになったのである。

 それが今からおよそ一年前、ポインターが初めてフライを倒した日のことだ。

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