一年前、あるいは一ヶ月後
第4話
あれから一ヶ月後。
俺とフジコーは自衛隊員が運転する高機動車の後部座席に座り、ある任務のために門津市だった廃墟へと向かっていた。
千谷が語っていたとおり、この一ヶ月は、俺たちにとっても、人類の未来にとっても、まさに正念場となる一ヶ月だった。
あの【フライ】と名付けられた怪物に対する封印の成功は、奇跡のような大きな一歩ではあったが、問題の先送りでしかないのもまた事実なのだ。
封印を維持し続けるために莫大なコストがかかるため、持って三ヶ月だという。
だが、問題は三ヶ月も待ってはくれなかった。
あの怪物襲撃からちょうど一ヶ月後、廃墟のまま復興も進まぬ門津市に、別の
俺たちの任務は、再び現れたその怪物を撃退すること。
はじめは自衛隊による攻撃が行われたが、これは足止め程度で、ほとんど効果をなさなかった。
砲撃も、空からの対地ミサイルも、別次元と重なっているフライに傷を付けられず、無駄な消耗となるばかりだ。それは、以前出現した最初のフライの時と変わらない。
それでも足止め程度は可能であったため、その、決死の時間稼ぎは実行されたのである。
そこまでして足止めを実行したのは、ポータル社が前倒しで、実験段階であった対フライのための特殊部隊の投入を決定したからだ。
それこそが、俺やフジコーの所属する『ポインター』という部隊である。
ポインター。
それがフライと戦うために、ポータル社と門津市が組織した特殊戦闘集団の名だ。
率直に言って、その実態は改造人間に近い。
フライと同じように肉体を半分向こう側の次元に置くことで、身体能力を驚異的に向上させ、同時に、フライと戦うための専用の武器を使いこなせるようにしたのである。
その代償は、一定期間のゲート次元への拘束、つまり現在の門津市の内部に肉体が縛られること。
この街から出られないことを代償として、ポインターはまさに人間をやめるのだ。
それは、ポータル社が発見した、ゲート技術と並ぶ驚異の技術であった。
汎用性の高かったゲート技術に比べて制限が大きすぎたため、これまでほとんど日の目を見ることがなかったのだが、皮肉にも、フライに対抗する手段としてこちらの技術に注目が集まったのである。
この高機動車に乗り込んでいるポインターは、一般人である運転手の自衛官と助手席のポータル社の社員を除き、俺とフジコーを含めて六人。
もう一台に乗り込んだ五人と合わせて、二組十一人が、今回の任務に当たることになっている。
その内俺たち二人を含めた九人が元々の門津市民とのことだったが、俺の知っている人物はフジコー以外にはいなかった。
残りの二名は、市外から来た元自衛官と格闘家志願の元学生であるという。
とはいえ、他のメンバーについても詳しいことはまったく知らない。訓練や検査も別だったし、合流後もそんな話をしている余裕は持てなかった。
『一定期間、門津市から出られない』
『街を破壊した怪物と戦う』
『常識からは考えられない高額報酬』
それらの条件もあって、集まったポインター志願者の大半は門津市の元々の住人という構成となっていた。
それでも、参加した動機は人それぞれだ。
自分の住んでいた街を壊した怪物を倒したいと思う者。
今も街を愛し、怪物を倒して平和を取り戻したいと思う者。
あの怪物の襲撃で全てを失って、金銭的補填を考えている者。
もしくは、破れかぶれでこの街に最後の場所を探している者。
いずれにしても、この十一人こそが、百名を超える志願者の中から選抜されたポインターの中でもトップのメンバーである。
そんな中に俺とフジコーが含まれているのは、やはりポインター計画でも中心人物となっていた千谷静による根回しが大きい。
なにせ、ポインター実用化の最初期実験は俺とフジコーの身体で行われたのだ。
一応は最初に、ポインターに志願するかの確認はあった。
それに対して俺は、なんの迷いもなくその実験への志願を決めた。
全てが許せず、この街へと残る決意をしたのだ。
あの怪物どもも、その原因となったポータル社も、なにもかもを打ち倒すため、俺には力が必要なのだ。
だが、フジコーは俺とは真逆ともいえる考えでポインターに志願していた。
あいつは、この街を取り戻し、守り、造り直すためにポインターになったという。
そんな動機はどうあれ、俺は、フジコーとともに戦えることを喜ばしく思った。
こんな状況で知っている人間がいるだけでも心強いし、それがこの男なら、これ以上頼りになる存在もあるまい。
あの日、二人して志願を決めた時のことを思い出す。
「しかし、お前がポインターなんかに志願するのは意外だったな」
フジコーは運動神経は悪くないとはいえ、暴力沙汰は苦手だったし、あの怪物の恐怖を目の当たりにした以上、もっと他の手段を選ぶと考えていた。
「今の僕がこの街に対してできることはこれくらいだからね。僕からすれば、神谷君が志願していたほうが驚きだな」
「なんでだ?」
「いや、このポインターという組織の主体はあのポータル社だからね。それに正直に言えば、いくら故郷とはいえ、君がこの街に対してそこまでなにかをしようとするとは思えなかったんだ」
「まあ、一理あるな……」
俺は小さく頭を掻いて苦笑する。
実際、俺が故郷のために行動をしようなんて、これまでの人生においてほとんど考えたことなどなかった。せいぜい、フジコーが市長に立候補したら投票しようというくらいだ。
そんな俺が、こうしてポインターとして街のため、故郷のために戦うのだ。いったいどんな心境の変化だろうか。
「……俺の動機は、あくまで個人的な怒りだ。俺はお前みたいに、街を積極的に良くしようなんて考えたこともなかったし、自分に郷土愛があるなんて思ってもいなかった。でも、俺は、俺の世界を壊した奴らを許せなかったんだ。それはあの怪物もだし、ポータル社もだ。それになにより……」
そこで言葉を切って、右手を強く握る。
「千谷さんか……」
切った言葉の残りを、フジコーが小さくつぶやいた。
俺はもう何も答えない。
「なるほど、ね……」
その言葉に納得したのか、フジコーはただひとことそう言うと、ゆっくりと頷いてみせた。
「そういうお前こそ、ポインターよりもっと他の手段はなかったのか? お前なら、他にいくらでも道はあっただろうに」
「道があっても、街がなくなっては意味が無いよ」
いつになく静かで、鋭く、それはフジコーの決意そのものであるかのようだ。
「僕は、自分の故郷がなくなるのを、外からぼんやりと見ていたくはない」
そうだった。
こいつが市長になりたいと言い続けていたのも、ひとえに、この街を愛しているからなのだ。全てはその手段でしかない。
愛するものが危機に晒された時、間違いなくこいつは立ち上がり、なんの躊躇もなく渦中へと自ら飛び込んでゆく。
藤波浩二とはそういう男なのだ。
「なら、戦うしかないな」
「もちろん。今度は、あの怪物をこっちが倒す番だ」
ポインターに与えられた特殊な身体強化技術と武器は、それを可能にしているように思われた。
『君たちポインターの最大の目的は、実体化前のフライと同次元的存在となり、先手を打ってフライを殲滅すること。そうすることによってのみ、人類はようやく安穏を手に入れることができるってわけね。この門津市の復興だけではない。ゲート技術の維持も、フライに怯えずに住む生活も、君たちの勝利なくしてありえないのよ、わかるわね?』
ポインター選抜試験の時に、千谷はそんなことを語っていた。
だが、その言葉は俺たちには大きすぎた。
誰もが、そんな言葉のためではなく、自分たちの理由でここにやってきたのだ。
ここにいるのは俺を含め、あの最初の怪物が出現した時、戦うこともできず、死ぬこともできなかった人間ばかりなのである。
だからこそ、ポインターとなり、その力を得てあの怪物と戦えるとなったとき、全てを投げ打ってでも戦うことを選んだのだ。
人類や世界、未来のためなどという大きな言葉はいらない。
自分のため。故郷のため。それで充分だ。
「もうすぐ到着です」
助手席でずっとなにかをチェックしていたポータル社から派遣された社員から、そんな連絡が入る。
そして高機動車は停車し、俺たちは廃墟と化した門津市へと降り立つ。
一週間ぶりに見る故郷は、最後に見た時と同じく、無残な瓦礫の山だった。
そしてその瓦礫の向こう側に、輪郭のぼやけた巨大な影が一つ。
「あれが、フライ……」
そんな声を漏らしたのは、県外からこのポインターに志願してきた元自衛官の男だった。
元門津市民を含めても一番冷静であると思われた彼がそこまで驚いているのだから、同じく外からの志願者であるもう一人の驚愕と動揺はいうまでもないだろう。
もはや戦う前から戦意喪失しているかのようであった。
一方で、元々の門津市民たちのその怪物を見る目は、恐怖はあるものの、それを塗り潰さんがばかりの激しい怒りに満ちている。
これ以上好きにはやらせない。
ずっとそれを証明する機会を待っていたのだ。
今回の怪物は、大グモの体の上に、無理矢理狼の上半身を接合したような姿をしており、あの初めて現れた怪物とは似ても似つかないものだった。
「それでは、健闘を祈ります。人類を救ってください。ご武運を」
運転手である自衛官のそんな言葉に送り出されて、俺達ポインターはついに対フライの実戦へと赴いていく。
奇しくも、もしくはフライの出現条件が一致するのか、俺たちが降りた場所は、あの日、地下へと逃げ込んだ場所のすぐ側だった。
そして俺たちは、そのフライに向かって走りだす。
訓練や、これまでのいくつかの負荷テストからもわかっていたが、ポインターの身体には、一般人に比べて圧倒的な運動力がある。
いざ動いてみるとあらためてそれを実感する。
あの日、あんなにも必死に逃げていた道を、今の俺は息一つ切らさず倍以上の速度で駆け抜けていく。
しかも、その力を持った人間が十一人いるのだ。
この力さえあれば、あの怪物にだって勝てるはず。
瞬く間に怪物に接近し、一気に一撃の間合いへと詰める。
そのままの勢いで攻撃態勢へと移る。
「このまま、あの怪物を叩く!」
地面を蹴る。
跳ぶ。
一気に怪物の顔へと迫る。
あの時とは違う。もう恐れはない。
「喰らえ! これが、この街の怒りだ!」
目の前の怪物の横っ面へと、俺のポインターとしての武器である真っ青なガントレットを装着した拳を叩き込む。
ここまでは、理想に描いていた通りの流れだ。
だが、そこまでだった。
グニャリとした、拳に伝わる奇妙な手応え。
肉というよりは、なにか発泡スチロールを殴りつけたような感覚に近い。
それでも、この特殊ガントレットによる一撃は、この怪物に確実にダメージは与えたはず。
実際、殴りつけた場所は大きく奇妙にへこんでいる。
しかし、それでこの怪物を止めたわけではなかった。
「神谷君! 後ろだ!」
下からフジコーの叫びが届く。
同時に、背後に圧力が迫るのを感じる。
その声に従い、瞬時に顔を下へと向ける。
「マジかよ……」
目の前に、鋭い爪を持つ腕が迫り来るのが飛び込んできた。
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