戦場、あるいは故郷

シャル青井

一年前、カミヤ

一年前、あるいは一年後

第1話

「ほら、見ろよ神谷君。あれらがみんな、あっという間に僕らの知らない街へと辿り着くんだ。まったく、すごい技術だよ」


 真新しい歩道橋の上から青白い巨大な光の幕の中に消えていく車の群れを見て、俺の横で、藤波浩二ふじなみこうじはそんな暢気な声を上げた。

 藤波浩二、通称フジコー。

 俺、神谷真かみやしんの一番の親友にして、誰よりもこの門津市もんつしという街を愛している男。

 まだ高校一年生の15歳という身でありながら将来の夢は門津市長だと公言してやまないこの男は、眉目秀麗頭脳明晰文武両道、しかも人当たりもいいといういわゆる完璧超人で、そのうえそれを自信にしつつも驕ることのない快男児なのである。

 正直なところ俺は、こいつは市長の器が服を着て歩いているとさえ思っているほどだ。

 俺とそんな未来の市長の日課は、歩道橋の上から街を眺めること。

 眼下に見えるのは、街を縦断する片側三車線の巨大な道と、その端にある光の幕の向こうへ消えてゆく車。

 ここからだと、急速に変わっていく街がよく見えるのだ。

 そしてその象徴である光の幕こそが、次元を湾曲させ、二つの離れた場所を瞬時に移動することを可能にしたポータル社の【ゲート】という技術だ。

 目の前の幕は、東京方面へ向かう【ゲート】である。

 これまでは電車を乗り継いで3時間はかかっていたものが、あの【ゲート】をくぐれば一瞬だ。1分もかからない。

 そして現代の人々はこの街を経由し、さらに別の【ゲート】からで他の都市へ行くのである。

 そんな【ゲート】の中間ターミナルに選ばれたことにより、俺たちの故郷は静かで平凡な地方都市から、【ゲート】間を行き交う車と、その【ゲート】を管理するポータル社の各種関連企業とで溢れる大規模ターミナル都市へと変貌を遂げたのだ。

 まさにといってもいい。


「しかし、なってみるとあまりいい未来でもないもんだな。なんだかわからない企業に街がいいように作り変えられてさ……」


 俺の視線の先には、ポータル社の関連企業が立ち並ぶ門津新市街地、通称『P企業街』がある。

 俺が子供の頃どころか、つい一年前にさえ存在しなかったものだ。

 その区画は立入禁止の場所も多く、いつの間にか街は、俺たちの知らない場所に埋め尽くされつつある。

 思い出のどこにもない灰色のジャングル。それがあのビル街だ。

 たった一年で、あっという間に街は変容させられてしまった。

 しかもP企業街以外にも【ゲート】関連施設は増えるばかりで、やがて街全てが彼らに飲み込まれるのではないかと思ってしまう。


「いやいや神谷君、それはちょっと一方的な見方じゃないかな」


 そんな俺の言葉に、フジコーは軽く首を振りながら反論を挟み込んできた。

 こいつが口を挟むときは、いつも正しい言葉が出る時である。


「ポータル社がこの街に多くの物のもたらしたのもまた確かな事実だよ。ほら見てごらん、あそこを走る赤い車。あれは中澤先生のものじゃないかな。きっと東京への出張から帰ってきたところだろう。そんな移動も、あの【ゲート】があればあっという間というわけさ」


 フジコーが指差す先に走っているのは、見覚えのある赤い軽自動車だ。今は道が少々渋滞して速度が落ちているからわかりやすい。


「そういや、英語は今日の授業は自習だったな……」

「残念そうだね。神谷君は中澤先生が好きだからね」


 余計なことを言う。こいつはその観察眼をこういうところにも使うのが厄介だ。


「それは今関係ないだろ……。まあ、なんにしても、確かに【ゲート】はこういう移動には便利ではあるということか……」


 誤魔化すように話を変えると、フジコーも少し意味深に笑うがそれ以上は追求してこない。代わりに自分の話を始めるのがこの男である。


「そういうことさ。ただ使われるだけじゃなく、こちらからも上手く利用して、お互いに利益を得るような形にしていけばいいだけのことだよ。それが公共と民間のあり方じゃないかな」

「いやはや、いつものことながら、お前は本当に優等生発言が次々出てくるな」

「まあね、そもそも企業と公共の付き合い方というのは……」


 いつものようにフジコーの長弁舌を笑おうとした、その瞬間だった。

 突如、世界が崩壊したかのような激しい衝突音が俺たちの耳へと襲いかかってきた。

 そしてそれとともに、【ゲート】から出てきた数台の乗用車が、強い衝撃によって弾き飛ばされる光景が目に入る。


「え?」

「は?」


 俺も、フジコーも、その時はなにが起きたのかわからず、ただそれだけしか言葉が出なかった。

 目の前で起こった光景は、あまりにも非現実的だった。

 自分たちの前方、道路の先にある【ゲート】の青白い光の幕の中から、巨大なは出現したのである。

 黒いアスファルトの帯の中央に、ぬめりのある茶色の巨大な影が動く。

 一瞬の静寂の後、そいつが咆哮をあげ、現実が塗り換えられた。

 まるで、錆びた金属が擦り合うような、歪で不快なそのもの。

 特撮映画でしか見たことのないような、家さえも軽々踏みつぶせそうな、人間など軽く丸呑みにしてしまえそうな、あまりにも巨大な怪物が、なんの前触れもなくそこにいた。

 異常なのはその大きさだけではない。

 巨大なトカゲの胴体と、そこに、まるで縫い合わせたかのように無理やり乗せられたカラスの頭部。

 一目見ただけで、それが生物として歪な存在であるのが明白だ。

 車を弾き飛ばしたのは、その怪物の、あまりにも巨大な尻尾だった。

 いきなり現れた尻尾が、道路を凪払ったのだ。

 鉄の塊であるはずの乗用車がいとも簡単に弾き飛ばされ、数台の車が何度か地面を跳ねてゲートの中へと消えていく。

 中澤先生の赤い車も歩道でひっくり返っている。

 天井の潰れ具合からして、おそらくは……。

 その光景は、自分たちの現実が絶望的な世界に侵食されてしまったことを思い知らせるには充分だった。


「おい……、おい、なんだよあれ! ポータル社の余計なイベントかアトラクションかなにかかよ、おい!?」


 そう叫ぶ俺にだって、これがそんなものではないことくらい理解している。

 だが、現実として受け入れるには、あまりにも非現実的すぎる。

 しかし、どれだけ否定しても怪物は消えることなど無い。

 これは現実なのだ。

 巨大な身体を持て余し、怪物はゆっくりと、街路樹や車を踏み潰しながら一歩ずつ前へと進み始める。

 気まぐれに進路上の人々を蹂躙し、その前足や尻尾で蹴散らしていく。

 怪物の周囲には多くの立ち尽くす人々がいたが、怪物はそんな障害物など気に留めることもなくただ前に進むだけだ。

 前足にはじき飛ばされただけで、尻尾に当たっただけで、人の体が形を失い、肉塊に変わるのを目の当たりにする。

 そこにあるのは悲鳴、絶叫、怒号、そしてそれ以上の破砕音。

 怪物が進む跡には、瓦礫の山しか残らない。

 中澤先生がどうなったのか、俺はそれを想像の外に置いた。もうそのことを考えている余裕が残っていなかったというべきか。


「なんだよ、なんなんだよ、アレは……」

「わからない……、僕たちはどうすればいい? なにができるんだ!?」


 俺の言葉に、フジコーもまた混乱した言葉を返す。

 これほど悩み、戸惑い、思いつめたフジコーを見たのは初めてだった。

 それを見て、俺はふと自分の置かれた状況を冷静に見ている自分を見つける。

 こいつでさえ混乱してしまう世界で、俺はなにを見ているだろうか。

 今の俺たちは、怒号と悲鳴、車のクラクションと緊急車両のサイレン、なにかがぶつかり壊れる音が飛び交っている惨状を見下ろすばかりである。

 歩道橋の下はもはや車線も関係なくなり、何台もの車が少しでも怪物から遠ざかろうと逆走などして混乱をきたしていたし、歩道の方も、この異常な事態を知った近隣の住人や動かなくなった車から降りた人々で溢れ、人の群れが叫び声とともに波打っている。少なくとも、下の歩道がもう少し落ち着くまでは、無理に降りても押し潰されるだけでしかないだろう。

 誰も他人のことなど考えている余裕もないし、こんな状況で歩道橋に登ろうなどと考える者もいるはずもない。

 まるで、歩道橋の上に取り残された自分たちの周囲だけが、別世界か空白地帯であるかのように感じられる。

 人々は必死に、なんとかして怪物から離れようと逃げ惑い、まだ開いている道へと殺到する。

 これほどの人が街にあふれたのを、俺は見たことがなかった。

 しかしその人々も、怪物が街を進む度に後方から潰され、弾かれ、さらには崩れた建物の下敷きとなり、それを見てさらに前方のパニックは加速する。

 怪物はそんな人々を全く気にすることもなく、ただただ進路にあったあらゆるものを破壊していく。


「神谷君、僕たち、ここで死ぬのかな……」


 そんな風にして街を闊歩する怪物を目の当たりにして、フジコーは震えながらそうつぶやいた。

 今はまだこの歩道橋は怪物の進路上ではなく、距離もまだ離れてはいたが、あの様子では遠からぬうちにここも含めて街全部が破壊され尽くすだろう。

 歩道橋の上から見る限り、怪物の周囲は既に瓦礫の山へと変わっている。

 もう、中澤先生の乗っていた車もどこにあったのかさえわからない。


「……死にたくないな」


 フジコーがさらにつぶやく。それを聞いて、俺の中でなにかのスイッチが入った。


「なら逃げよう、今からでも!」


 俺はありったけの力を込めてそう言った。

 フジコーに出来ないなら、俺がそれを言うしかない。


「どこへ」

「せめて、行けるところまで!」


 自暴自棄ともいえる俺のその言葉に、フジコーは一瞬唖然とした表情浮かべたが、なにか思うところがあったのか、そのまま笑い出した。


「ハハ、ハハハハハッ、逃げるか、そうか、それはいいね。でも、それならばもう少しいい考えがあるよ」


 ひとしきり笑い、冷静さを取り戻したのか、フジコーの眼に知性の光が戻る。

 未来の市長はそうでなければ。


「こっちだ」


 フジコーはそう言いながら俺の手を引いて歩道へと降りると、まばらになりつつあった人の波から外れ、怪物のいる方向へと向かって走り出した。


「で、どこに行くんだ」


 あえてそう尋ねるが、俺はフジコーの行動に疑いは持っていない。

 それでも確認はしておきたい。

 それが、俺のフジコーに対する礼儀だ。


「この街で生き残るなら、最適の場所があるんだ」


 フジコーも、いつものようにもったいぶった答えを返してきた。



 鈍重に見えていた怪物の動きは、あらためて地面から見上げると、それが間違いであることを実感する。

 確かに、動作そのものは決して俊敏というわけではないのだが、その一歩の歩幅が、あまりにも人間とは規格外なのだ。

 ほんの少しこちらのいる方向へと踏み出しただけで、物凄く接近したような錯覚を受ける。

 俺たちが必死に走って逃げて距離を引き離そうとも、奴がたった一歩前に出るだけで詰められてしまうだろう。

 しかも怪物が踏み出す度に、地響きが起こり、破壊音が聞こえ、それらが近くなるばかりなのだ。

 怪物の音が、壊れた瓦礫の欠片が混ざった風が、重圧となってのしかかる。

 粉塵と埃の向こうに影が見えるが、あまりの巨大さに距離感がわからない。

 奴の次の一歩でもう踏み潰されてしまうのではないか。

 まだ距離があるにもかかわらず、そんな風にさえ思えてしまう。

 それでも、フジコーは怪物の方向へと向かって走って行く。

 俺もそれに従って走る。

 もはや人も少なくなり、怪物の破壊した区画が自分の目で確認できるほどだ。

 怪物がさらに進路を変え、その顔が俺たちに向かって正面を向く。

 遠くにあるはずの無機質なカラスの眼が、俺を見た気がした。

 もうダメだ。

 そう思った時、フジコーが急に手を引いて、脇へと進路を変えた。


「こっちへ!」

「なにを?」


 わけがわからないまま引っ張られ、転がり込むようにして、俺はフジコーとともにそこにあったビルの地下駐車場へと滑り込んだ。

 足がもつれ、スロープを文字通り闇の中へと転がっていく……。

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