第2話

 そして全てが落ち着いた時、俺は、真っ暗な駐車場に大の字になって倒れていた。


「痛てて……、ここは?」

「なんとか間に合ってよかった……。見ての通り、ここは地下駐車場だよ。上はポータル社の関連企業のビルさ」


 座り込んだまま息を整えながら、フジコーが静かにそう言った。

 フジコーの言葉を聞いて、俺もゆっくりと身体を起こす。

 全身が痛いが、それはまだ俺が生きているということでもある。どうやら痛みも打ち身だけで、骨折など深刻な怪我はなさそうだ。


「ひとまずは、助かったのか……?」


 暗がりの中、漠然と俺はそれを確認する。

 とりあえず走り逃げる必要がなくなったことは、俺の脳に少しずつ余裕を取り戻すきっかけとなった。

 外の怪物が消えたわけではないので、実際のところ問題はなに一つ解決していないのだが、それでも、俺は今自分が生きていることを安堵したのである。

 あの怪物の姿と奴が破壊した世界を見ないですんでいるのも大きいかもしれない。

 電気も止まった暗い闇の中、俺はゆっくりと周囲を見回し確認する。

 そう広くはない駐車場に数台の車が停まっているが、人の気配はない。これらの持ち主はそのまま自らの足で走って逃げたのだろうか。


「でも、なんでわざわざこんなところへ? ここも怪物に潰されるんじゃないか?」

「まあ、その可能性はあるね」


 そう言いながらも、フジコーの言葉は落ち着いている。


「ただ、新しい建物だし、さっきも言ったように、なにしろここは天下のポータル社のビルだからね。ポータル社は新市街地だけじゃなく、外側にもいくつかのオフィスを持っているのさ。ここもその一つというわけだ」


 そう言って、フジコーは意味深に笑った。

 顔は見えないが、こいつのそういう態度は口調だけで簡単に想像できる。


「で、ポータル社のビルがいったいどうしたんだよ」

「ポータル社は万が一のゲート事故の際のために、市内各所にオフィスと地下シェルターを用意しているんだよ。流石に今からシェルターには入れてもらえないだろうけど、その近くにいれば、少なくとも耐震的には安全は確保されていると思うよ。シェルターごと埋もれてしまっては意味が無いからね。おそらく、ここが脱出経路になっているはずさ。だから車もそのままだ」

「……お前、なんでそんなこと知ってるんだよ」


 スラスラとそう語るフジコーに、俺もさすがに驚きを隠せなかった。

 言われてみればおかしくない話だとは思うのだが、ポータル社が地下シェルターを持っているなど聞いたこともなかった。


「前に会社見学をさせてもらった際に教えてもらったんだよ。まあ、シェルターの存在についてだけで、他は僕の推測だけれども。ポータル社はその辺りの情報は隠してはいないよ。積極的に発信するつもりもないみたいだけど」

「そうなのか……」

「本当に重要な情報だって大抵は公開されているものだよ。たんに外側から見えにくいだけさ。実際プロのスパイにとっても、重要な情報元の98%近くは公開情報という話らしいしね」


 そう聞くと、フジコーの語る根拠はある程度信用できる気もした。

 そういった情報を当たり前のように集めてあるあたり、やはりこいつは只者ではない。

 もう少しなにか尋ねようとしたとき、地下室全体が揺れにみまわれた。

 怪物がすぐそこまで迫っているのが、その衝撃だけでわかる。

 おそらく、あの怪物はすぐ上にいる。

 だが、その入口はあの怪物にとってはあまりにも小さいはずだ。

 そもそも、あいつの目的や真意はわからないが、なにも俺たちだけを集中的に狙っているわけでもないだろう。

 さらにもう一度衝撃が起こり、上のほうで、なにかが崩れる音がした。

 入り口の光が、心なしか小さくなった気もする。

 その後も、何度も音と衝撃が上で響き、その度に、俺とフジコーは暗闇の中でただ全てが終わるのを待つことしかできなかった。


「……次に外に出るとき、街はどの程度残っているだろうね」


 遠ざかった破壊音を聞きながら、フジコーがぼんやりと、独り言のようにそう口にした。


「壊れた街、か……」


 その言葉をあらためて口にして、俺は、自分の置かれた状況を思い知る。

 世界は、日常は崩壊したのだ。

 これが、俺とこの街に待っていた未来だったのか。

 ゲート技術がもたらす未来とは、この破滅のことだったのか。

 深い絶望が込み上げてくるのを感じ、俺は、そのままただ黙って時間が過ぎるのを待っていた。

 なにもかも、考えるのが嫌になっていた。

 フジコーも同じ気持ちなのか、あの独り言の後にはなにひとこと発することもなく、闇の中に座っているだけだ。

 そんな、遠くに破壊音が聞こえるだけの闇と沈黙の空間の中で、疲れと絶望からか俺はいつの間にか気を失うように眠っていた。


 結局俺が目を覚ましたのは、翌日の昼前だった。

 フジコーの言っていた通り、ポータル社はこの地下にシェルターを持っており、外の様子を見に来た社員らが地下駐車場で眠る俺たちを発見したのだ。

 立ち上がろうとすると、疲れと硬い地面で横になっていた影響か、全身が軋み痛んだ。それも、生きている証拠ということだろうか。


「君たち、ここでなにをしているのかね」


 数人のポータル社の社員たちがシェルターから出てきて、幾つかの質問をぶつけてくる。そしてその中にひときわ目立つ、くたびれたアロハシャツの上に同じくくたびれた白衣を羽織った女性の姿があった。

 整った顔立ちでパッと見は若く見えるのだが、顔全体を覆うどこか疲れきった雰囲気が年齢を不詳にしている。

 ひとことで表すならば、クールビューティーが溶け落ちて生ぬるくなったといったところだ。

 その女性は、俺たちを見るなり意味深に笑い、俺の肩を叩きながらゆっくりと口を開いた。


「いやはや、ここに逃げこむような子がいるとはね。見込みあるよ、君たち」


 そのふざけた態度に、俺は疲れ切ったまま不満気な視線を向けたのだが、そんな俺とは対照的に、フジコーの方は唖然とした表情でその女性を見た後、口を開けたまま言葉を絞り出しそうとしていた。


「あ、あなたは……」

「あら、私の事も知っているとは。ますます見込みがあるじゃない」


 そいつは今度はフジコーへと笑いかける。

 笑いかけられたフジコーの方は、ガチガチに緊張しながらなんとか言葉を続けるのが精一杯だ。疲れではない。むしろそれさえもどこかに吹き飛んでしまったような、畏怖にも似た眼差し。


「も、もちろんです。純粒子展開による亜空間接続理論の発見によって、ポータル技術に多大な貢献をした、若干二十八歳の天才女性科学者、千谷静せんたにしずか博士のことは存じ上げております!」


 千谷静。

 そう名前を出されても、俺にはまったくピンとこない。

 しかしまあ、あのフジコーがここまで驚いているのだから、凄い人物なのだろう。

 とてもそうは見えないが。

 もちろん俺には、その名前付近以外の単語はもはや日本語であるかどうかもわからない。


「女性の年齢をホイホイ軽率に口にしちゃうのはともかく、見知らぬ少年にお世辞を言われるのもなかなか悪くないものね。気に入ったわ。せっかくの生き残りだし、私の権限で君たちもシェルターに入れてあげる。外に出られるようになるには、まだ少し時間もかかりそうだしね」


 千谷静のその言葉を聞いて、俺とフジコーは複雑な表情で顔を見合わせる。

 外は、俺たちの街は一体どうなっているのか。


「やっぱり、外は……」

「うーん、まあ、多分もうダメね。ほら、あの怪物が派手にやっちゃったからねえ。今のところはポータル社の技術でなんとか抑えこんでいるみたいだけど、まだまだ安全とはとても言えない感じよ。【ゲート】にもちょっと問題が生じちゃったしね」


 俺たちの深刻さとはまったく正反対に、千谷はいかにも他人事で小さく首をすくめてみせるだけだった。


「だからまあ、君たちも街のことは諦めて、しばらくここにいなさいな。ここなら外がどうなろうと概ね安全だしね」

「あんた、なにを言っているのかわかってるのか!」


 そう告げる千谷の笑顔に、俺の精神は限界を突破した。

 叫ぶと同時に俺は千谷へと殴りかかっていたが、その拳は千谷へと届くことはなく、俺は一瞬で周囲にいたポータル社の社員によって取り押さえられる。

 屈強な男たちによって拘束され、身動きも取れず、それでも俺は必死に抵抗の意志を示すべく千谷を睨む。

 この時ほど、視線だけで人を殴れればいいのにと思ったことはなかった。


「……殴らせてもよかったのに。そうするだけの理由は、その子にはあるよ」


 一方の千谷は、そんな俺の視線を見ながら、静かな笑みをたたえてそう言った。

 その妖艶な笑みは余裕と同時にどこか慈しみも感じられて、それもまた俺を苛立たせた。

 だが、もはや俺にできることはなにもない。


「まあなんにしてもその子たちは私の客だからね。丁重に扱ってあげなさいよ。それじゃ、私はひとまずシェルターへ戻るわね。なにかあったら研究室の方へ連絡して」


 笑顔のまま周囲の部下たちにそう告げると、千谷は返事も聞かずに踵を返しシェルターへと戻っていく。

 俺の方も、千谷の言葉に従う忠実なポータル社の社員によって、フジコーと共に移動を促され、周囲を囲まれたままそれに続く。

 社員たちの表情は複雑なものであったが、それでも、俺たちをどうこうするという様子はなく、それぞれの感情はどうあれ、ひとまずの俺たちの安全は確保されたのである。


 その後、俺とフジコーは半日近くかけてひと通りの検査を受け、その後、シェルターの二人用の空き部屋を一室与えられることとなった。

 二段式のベッドと、その横に置かれた小さなテーブルと椅子だけでほぼ部屋が埋まっているような、本当に最低限の広さしかなかったが、一応トイレとシャワーもあり、生き続けるには充分であった。

 廊下でちらりと確認した際、こういった部屋は十部屋程度見受けられ、おそらくその中の幾つかはこの施設に常駐するポータル社の社員が利用しているようであった。

 つまり俺たちは、少なくともここにいるポータル社の社員と同じ待遇にあるということになるのだろう。

 あの千谷の一声の影響力を思い知る。

 そうして部屋に落ち着くと、フジコーはベッドに腰掛け、神妙な顔で言葉を切り出してきた。


「僕たち、本当に生きているんだね……」

「そうらしいな」


 狭い部屋に固い椅子。

 そして実質軟禁状態のこの状況。

 これまでの日常からすれば、とてもじゃないが自由とはいえない。

 それは確かに感じることだ。

 だが、生きていることには変わりはない。


「僕たち、これからどうなるんだろうか」


 静かに、フジコーはそんなつぶやきを漏らした。


「わからないな。ポータル社と、あの千谷とかいう奴がなにを考えているのかまったく読めないからな」

「……生殺与奪の権は、完全にあちらに握られているからね。生きているというよりは、生かされているというのが正解かもしれない」


 フジコーは深刻な表情のままなにかを考えようとしていたが、俺はそこにひとこと割り込んだ。


「それでも、ここに怪物はいない」


 それは、俺の本心の一片である。

 フジコーが無駄に悩むときは、俺が道を作る。そう決めたのだ。


「この先どうなるのかは俺にもまったくわからないが、俺たちは今生きている。それが今、最も大切なこと、だと思う」

「それもそうだね、それは、とても重要だ……」


 それを聞くとフジコーは小さく苦笑し、そのままベッドへと倒れこんで息を吐く。

 俺も椅子に座ったまま、ぼんやりとあの時から今までの出来事を振り返ろうとする。

 怪物、逃避行、地下、そして、千谷。

 明らかにそれ以前とは世界が変わってしまっている。

 どこかで少しでも間違えていたら、俺もフジコーも、いまこうして生きていることは不可能だっただろう。

 それを考えた時、潰れた中澤先生の車を思い出す。

 あまりにも現実感のない光景。

 もし外に出ても、もう中澤先生はどこにもいないのだろう。

 どうなったか確認されることもなく、ただ行方不明者のリストに名前が記されるだけだ。

 少しでも行動がズレていれば、あれは俺たちの姿だったかもしれない。

 しかしもはや危険は壁の向こうに消え、俺の身体は今、安全な椅子の上にあるのだ。

 それは先ほど、自分で口にしたことでもある。

 ここに怪物はいない。

 そのことを心で認識して、俺は、知らず知らずのうちに涙を流していた。

 俺は、ようやく自分が生きていることを実感したのだ。

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