第3話

「……俺は、この街の人間だ」


 それまでの饒舌さから一変して、カミヤの答えはそれだけだった。


「この街? まさかあなた、もしかして、街のためにポインターになったの?」


 その意志はシマノにとってはあまりにも意外なものであった。

 元々両親が他界する前から色々な街を転々と引っ越し続けていたシマノにとって、ひとつの街にそこまでの思いを抱くということ自体が理解の範疇の外側だったのだ。

 ましてやこの門津市は、シマノの記憶にある限りなにもない街なのである。一体何が彼をこの街にとどめているのか。


「……悪いか?」


 押し殺したような声とともに、カミヤの眼がシマノを睨む。

 感情をなくしたような無表情の中に浮かぶ、ドス黒い、強烈な怒りに満ちた眼。

 それを見ただけで、シマノは心の底が急速に冷えるのを感じた。


「あ、いえ、悪いわけではないけれど、瓦礫しか残っていないし、こんな街にそこまでするのかと……」

「……こんな街でも、ここが俺たちの生まれた街であり、俺たちの街だ」


 カミヤの声は、静かで、強く、そして淋しげだった。

 それだけ言って冷静になったのか、カミヤはすぐにつかみどころのない笑顔にも真顔にも見える微妙な表情に戻る。


「ポインターの一般応募が始まって十ヶ月だが、ポインターの構成員は今も元々の門津市の市民が半数以上を占めているからな。ポインターの寄り合いであるギルドだって、最大手は『門津市民会』というこの街の元からの住人たちによる互助会だ。ポインターを上手く続けていきたいのなら、不用意な言葉は避けたほうがいい」


 カミヤの言葉はすっかり元の投げやりな助言に戻ったが、シマノはそれに対してなんと答えればいいのかを見つけ出せずにいた。

 シマノの脳裏には、先ほどのカミヤの眼が焼き付いている。

 二人の間に再びぎこちない沈黙が生じそうになるが、その間を嫌ったのか、カミヤがそのまま別の話を切り出してきた。


「で、そろそろ、敵陣の再構成が終わりそうだが、行けるか?」


 一度廃ビルを横目に見た後、カミヤはシマノを見据えてそう尋ねてくる。

 だが、シマノはすぐには答えられない。

 死ぬかもしれない、という恐怖はもとよりない。

 だが、今の自分ではこの少年の足を引っ張ってしまうかもしれないと考えると、その口は重くなる。


「まだ答えは出ない、か。だがまあ、こうして待っていてもこれ以上は敵が充実していいくだけだからな。あと一分だ。それで再突入するぞ」

「えっ、もうあと一分?」


 有無を言わさぬその態度に、シマノは思わずそう尋ね返す。

 自分になにができるのか、それがまだ見つからないのだ。

 だが、そんなシマノに対しても、カミヤの態度はまったくブレることもない。


「当然だ。というか、そもそも、これはお前のミッションだろう。ミッションの途中キャンセルにはポータル社から大きなペナルティがあるからな。ましてや稼ぎの少ないルーキーなら、そのペナルティの挽回だけでリタイア、ようするに死を迎えることになりかねないぞ……。ミッション違反の代償はデカイぞ」


 強い助言と少しの脅しの混ざり合ったカミヤの言葉は、シマノの耳には重く響いた。


「代償……」

「そう、代償だ。この世界は、この街は既に、感情よりシステムを軸にして回っているんだ。いかに効率よくポインターを運用し、フライを撃退するのか。ポータル社によるそのためのシステムこそがミッション制度ってわけだ。逸脱すれば、それ相応の代償がある……。フライなんていうとんでもない怪物を前にそんなことを語るのもバカバカしいが、ポータル社様が決めたルールだからな」


 それを語るカミヤ自身、不満を隠しきれていないようであったが、それでも、シマノにそれを指摘することはできない。


「……ご心配なく、私は、ミッションを降りたりはしないわ。代償なんかよりも、これは私の責任だから。この街で生きていく以上、責任は果たす……」

「そう意気込むのはいいが、自分の力量はわきまえてろよ。俺が尻拭いするのは今回だけだぞ」

「わかっているわよ。私は、私の力だけを信じなければいけない……」


 答えたのか、自分に言い聞かせたのか、それはシマノ自身にもわからない。

 ただ、最終目標が兄の仇討ちという個人的なものである以上、シマノの中には、他人を巻き込むわけにはいかないという意志が明確にあった。

 そんなシマノの意志を汲み取ったのか、それともただ単に呆れたのか、カミヤはそれ以上はなにも言わず、ただ小さく頭を掻いて、再び、ビルを睨むように眺める。


「意志の確認が終わったところで、そろそろ実践編だ。雑魚の方は俺がなんとかしてやるから、お前が親玉を倒すんだ」

「私が?」

「当然だ。さっきも言ったが、これはお前のミッションだ。お前が決着をつけなければ意味が無い。それに、俺は少し別の気がかりなこともあるしな……」

「わかったわ……」


 シマノはただひとことつぶやいて、カミヤの言葉に頷いた。




 そして、シマノとカミヤはもう一度廃ビルへと突入する。

 シマノが最初に突入した時のように、警戒にあたっていた怪物たちが侵入者に向けて押し寄せてくる。


「倒してもきりがないからな、相手をするのは適当にしておけよ。だが、相手にしたら確実に倒せ」


 言いながら、カミヤは手刀で次々にフライを屠っていく。

 一方のシマノも必死に、一体ずつ確実に、手にした日本刀で斬りつける。

 しかし、ポインターの技術によって向上した身体能力はともかく、戦闘経験などないシマノはなかなかフライを倒しきれずにいた。

 斬り方に迷いもあるし、そもそも、どう斬れば相手を確実に倒せるのかも理解できていないのだ。もう一度戦うことでそれを思い知る。先ほどの自分がいかに無謀だったのかをあらためて痛感する。

 それでも、目の前で最高の手本ともいうべきカミヤの効率的な戦闘ぶりを見ることができたことで、シマノもおのれの戦い方を固め、確立し始めていた。

 特に、これだけ戦ってもほとんど疲労感が無かったため、様々な戦い方を試し、それによって上手く倒せた方法をすぐさま自分のものにすることができたのだ。

 斬る、刺す、突く、払う。

 どこにその一撃を加え、次の攻撃に繋げればいいのか。考えながら戦うと、それが結果としてついてくる。

 戦いの中で、自分が強くなっているのをシマノ自身も実感する。

 もちろん、カミヤと比べればその差はまだまだ歴然としているが、少なくとも今なら、あの時のように死を覚悟することもなかっただろう。

 そんな風に自分も強くなり、さらにカミヤという最強の助っ人もいることで、シマノの二度目の突入は信じられない程順調に進んでいった。


「さあ、そろそろ、本命のご登場だ……」


 カミヤのその言葉を聞くまでもなく、最上階に上がった時、シマノもフロア全体の気配が変わったのを感じ取った。

 奥に、なにかいる。

 目の前にも例によって数体のテレビ頭がいるのだが、その存在感をかき消すかのような、禍々しい気配を感じる。


「……いいか、無理だと思ったら引き返してもう一度体勢を立て直せよ。死ぬのは論外だ。生き延びることが最優先だぞ」


 一方的にそれだけ言い放ち、カミヤは脇のフライを潰して道を開いていく。

「当然よ……」


 覚悟を決め、シマノはその横を抜けて、奥の部屋へと踏み込んだ。





「なに、これ……」


 だが一歩踏み入れた瞬間、シマノは思わずそうつぶやいていた。

 そこは憎悪にも似た気配が充満しており、その中央には、外にいたフライたちと同じ、頭がテレビとなった人間が立っていた。

 そこにいたのはその一人だけだ。

 だが、その頭部のテレビに映るのは砂嵐ではなく、とある人間の顔であった。


「なんで……」


 シマノは、その人物を知っている。

 だが、その人物のそんな表情など見たこともない。


「なんで、お、お兄ちゃんが……?」


 そこに映っていたのは、死んだはずの島野美佳の兄、島野光佳の顔である。

 そのテレビ頭はシマノの反応にもなにも応えず、ただゆっくりと、シマノの存在そのものへの憎悪を滲ませながら歩いてくる。

 兄の憎悪の表情に睨まれるだけで、シマノは動けなくなってしまう。

 本当の兄はいつも優しく、静かで、怒りや憎しみなどおくびも見せない人物だった。

 一度だけ、シマノはそんな怒りに震える兄を見たことがあった。

 しかし、それはこんな荒々しく濁った感情ではない。

 そんな怒りに駆られるような時でも、むき出しの憎悪ではなく、静かに、だが鬼気迫るような雰囲気でそれを示していた。

 だからこれは、兄ではない。

 そう思いながらも、シマノは兄の顔を見たこと、なにより兄の顔に憎悪を向けられたことに耐えられず、心が停止してしまいそうになる。

 あんなにもう一度会いたい、せめて顔だけでも見たいと思っていた兄が、こんな形で現れるなんて。

 だが、そんなシマノの感情など無視して、フライは静かに間合いを詰めてくる。

 既に完全に間合いに入られてしまっている。

 シマノもそれに気がつくが、遅い。

 鋭い、殺意と憎悪の篭った拳による一閃がシマノを襲う。

 なんとか身構えてその一撃を受け止めようとするが、衝撃を殺しきれず、そのまま壁まで弾き飛ばされる。

 唯一フライに対抗できる武器であるポインターウェポンの刀も弾き落とされ、立ち上がることもできず、シマノは無防備なまま怪物と対峙する。

 怪物の顔であるテレビの向こう側から、兄が、まるで悪魔でも見るような眼で自分を睨みつけている。

 自分の生命の危機よりなにより、そのことがシマノには辛かった。

 崩れ落ち、壁にもたれたまま座り込むシマノに怪物の蹴りが飛ぶ。

 なんとか身構えて腕でガードしようとするが、その衝撃で腕はすぐにこじ開けられてしまう。

 構えの崩れた隙間に、固い長靴の鋭いつま先が蹴りこまれる。

 一撃、また一撃。

 ポインターの身体のためか、シマノ自身が予想していたよりも痛みは少ないが、その分、着実に自分の身体が削られている実感がある。

 自分の肉体から赤い塵が飛び、すぐに埋め合わされる。

 しかし、その間隔は徐々に大きくなっていて、自分の身体に蓄積する衝撃を実感する。

 死ぬのか。

 そんなことがぼんやりとシマノの脳裏に浮かぶ。

 生き延びろというカミヤの言葉がどこか遠くに響くが、それを兄の憎悪に殺されるという感情が塗りつぶす。

 兄に殺されるのなら、仕方ない。

 そんな諦めがよぎった時、シマノは自分の前にある異常に気が付いた。

 兄の、憎悪?

 シマノの記憶がさらに混濁する。

 兄は自分を憎悪していたのか?

 兄の最期を思い出す。

 目があったこと。

 兄の表情が絶望に染まり、悲しそうな視線を向けたこと。

 そして、そこでシマノ自身が感じたこと。

 そうだ。

 自分は、

 こんなに殺されるためじゃない。

 あの時の感情が再び心に火を灯し、シマノの中に憎悪が宿り、回り始める。

 戦う理由を思い出す。

 そうなると、もう、迷う理由はなくなった。

 怪物の顔の中に映る兄は変わらず憎悪をシマノに向けていたが、今のシマノには、それが作り物めいて見える。

 もし兄が、本当に自分を憎悪しているというのなら、その理由はだ。

 ならば、自分はこんなところで死ぬ訳にはいかない。

 もう一度、あの男に会い、そして倒す。

 たとえ兄が自分を憎んでいたとしても、自分にすべきことはただそれだけだ。

 思考が加速する。

 どうすれば目の前の怪物を倒せるか。

 反撃を考え、弾き飛ばされた刀に視線を向ける。

 ダメだ、届かない。

 無理か。

 だが、今のシマノの中に、諦めるという選択肢は一切ない。

 武器が手元にないなら、道を切り開くための新たな武器を手に入れればいい。

 作ればいい。

 武器とは、なにか。

 シマノは自分が意識するよりも先に、それがどういうことなのかを感じ取る。

 シマノ自身の感情はもはや爆発寸前に滾っている。

 兄を騙った敵を倒す。

 生き延びて、兄と自分を殺した相手を倒す。

 そのために、今はただ生き延びねばならない。

 そうだ、生き延びろ! 生き延びろ! 生き延びろ!

 心の中でそう念じ、祈り、叫んだとき、シマノは自分の腕になにか固い感覚が生まれるのを感じていた。

 感情と、意志の外で働いていた彼女の中にあった力が混ぜ合わされ、形となって腕を覆う。

 そこにあったのは、ゲートの青白い膜のような輝きを持つ、装甲のような小手だ。

 だが、その見た目に反して、重さはまったくない。

 ただ強い存在感だけがある。

 それは、生き延びろというあの言葉を、そのまま形にしたかのようであった。

 だから、シマノはあらためて叫ぶ。決意を言葉にする。


「私は、生き延びる!」

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