第3話:芸術的体質

「『芸術的体質アーティステック』?」


 聞き慣れない言葉を耳にして、シノは大きく首を傾げた。


「そ。芸術的な価値を持つ者、とでも言うべきかな」

 キュウカは修理道具――ドライバーやスパナ、インパクトなどは取り出さず、銅箔とピンセット、金属磨き用のアルコールに小さな布切れを取り出す。

「まあ今は、時計の姿を――いや、本来の姿をしているけど」

 ホクトは取り出しかけていた書類を引っ込め、別の書類を出してシノの前に置く。


 シノの時計を見て二人が判断を下したのは、この時計は壊れているのではなく。

なのだ、という事。

「そいつが"もの"である可能性も、"人間"である可能性も、どっちも存在しているんだ」

 ホクトが出した書類は、修理票控えだったものが依頼品控えに代わっていた。

「シノ。あんた、芸術の都江古田市と所沢市にどんなイメージを持ってる?」

ピンセットで銅箔を貼り付ける作業をしながら、キュウカはシノに問い掛ける。


 確かに江古田市も所沢市も、どちらも芸術の都として注目を集めている都市だ。

 シノ自身も、江古田市の近くに住んでいるのでよく江古田市内にあるミュージアム・ショップを見に行く。

 この逆さ回りの懐中時計も、江古田市で買ったものだ。


「ええっと、江古田のほうは綺麗で皆が知ってる場所で、所沢は知る人ぞ知る穴場……みたいな?」

「間違いじゃないな」

 ホクトが苦笑気味に答える。そのあと、ボールペンと共に書類をシノに差し出した。

「江古田では『芸術的体質』がしっかり管理されている。芸術品としても、人間としても。

逆に所沢は、無法地帯でずさんな『芸術的体質』がそこらに転がってるのさ」

「……ごめん、どういう事?」

 ボールペン片手に頭を抱えるシノに、一つ咳払いをしてホクト解説を続ける。

 "もの"は"人"であり、"人"は"もの"。

「『芸術的体質』は、芸術品としての価値を持つ人間の事――芸術品としても存在するし人間としても存在する。簡単に言えば、"もの"人間、かな」

「"もの"人間……」

 ホクトの言葉を反芻するが、"もの"人間と言われても今自分が持っているボールペンが人間に変身するなど、想像がつかなかった。

「『芸術的体質』は、"もの"が発端のやつも居れば後天的な、人間が発端のやつも居る。何でもかんでも"もの"が変わる訳ではないさ」

 難しい顔をするシノをホクトが宥めるように言うが、やはり納得のいかないようにシノは周囲を見渡している。


「ええとつまり……私が持ち込んだその時計も、"もの"人間だって事?」

「そゆこと」

 ふっ、とキュウカが息を吹き掛ける。銅箔貼りは完了していた。


「もしかしたら、シノの時計も所沢に呼び寄せられたのかもね」

「そんな事を言われても……」

 一体この懐中時計にはどれ程の価値があるのか、そして家へ持って帰れるのか、ましてやもっと丁重に扱えと恨みつらみを吐かれるのでないか。

 考え込むシノを見て、今度ははあ、とキュウカは息を吐く。

「ホクト、ラチが明かないね。お茶請けさんを見せてやろう」

「あー、うんまあ、それが一番か。『芸術的体質』を理解するのは」


 二人の会話に、顔を上げるシノ。

 美味しいパウンドケーキとお茶を淹れてくれたお茶請けさんは恥ずかしがり屋――と先程までは言っていたが、そう思っているうちに、ホクトが給湯室のドアをノックしていた。


「お茶請けさん、悪いが入るぜ」

 返事はない。しかしややあってからホクトは頷くと、シノを呼んだ。

「よく見て」

 ホクトが給湯室のドアをゆっくり開ける。

 自分の唾を飲み込む音がやけに耳に響いた。



 しかしそこにどんな奇っ怪な"もの"があるかと思いきや、ワンフロア全体が厨房になっていて、切り出したパウンドケーキがぽつんと置いてあるだけだった。

「……まさかとは思うけど」

「ケーキだったら今頃アンパンマンでもやってるよ」

「じゃあ、あのナイフがお茶請けさんの正体?」

「いいや。パウンドケーキから離れてくれ」

 前のフロアと同じようにチョコレートブラウンの柱を基調に、白い壁紙に撥水加工のしてあるタイルが広がる厨房。

 シノは"もの"人間のお茶請けさんを探すが、キッチン用品を挙げてはホクトに首を振られるばかりだ。


「これも違うの?」


「違うな」


 かちゃん、落胆気味にポットを元に戻す。

「シノさんよ、俺は確かに"もの"人間とは言ったけど……『芸術的体質』、つまるところ、芸術品だからな」

 ほら、とホクトは正面を指し示す。またもや何の事か分からず首を傾げるシノだが、ふと振り返ってみると、思わず息が止まりそうになって、それに目を奪われた。




何故、この部屋を一目見た時に、違和感と共に目に留める事が無かったのだろう。


そう思わせる程、立派で荘厳な絵画が一枚、厨房の壁に掛かっていたのだ。



【給仕をする女】

 黒いワンピースに白いエプロン。胸元にはカスミ色のリボンが結んであり、背景の茶色よりもワントーン明るい茶髪は一つに纏められてヘッドドレスの後側にセットしてある。

 目は伏せられていて、長い睫毛と薄紅の頬が使用人であるのにも関わらず、どこかの令嬢のような美しさを表していた。

 彼女は絵の中で、いつもの日課、自分の仕事である給仕をしている――丁度、紅茶の準備をしているところで切り取られている。

 彼女がいつ生まれたのかは記載されていないが、彼女の雇い主――作り手の名はエリク・パーシバル女史とパネルに刻まれていた。




「驚いたか?」

 口がまだポカンと開いたままのシノに対して、得意げに笑うホクトは、絵画に向かって手招きをした。

「江古田に行ったことがあるなら分かるだろうけど、あそこは美術館なり、博物館なりにちゃんと管理されているし、誰一人として食いはぐれる人間はいない」


「ただ、俺達所沢の住民は、自分の価値が無くなった瞬間にそこら辺に転がってる『ガラクタ』になっちまう。それこそ、仕事なんて自分で見つけるしか無い」


 絵画が一瞬だけ光ると、もうそこには【給仕をする女】の姿は無く、代わりに黒いワンピースに白いエプロンで、胸元にはカスミ色のリボンが結んである、明るい茶髪は一つに纏められてヘッドドレスの後側にセットされた、女性が立っていた。


「だから俺達は、お互いに価値を守って生きているのさ」


 絵画から姿を変えたお茶請けさんがシノに丁寧にお辞儀をする。つられてシノも口を閉じてお辞儀を返した。

「さ、さっきは美味しいお茶とパウンドケーキ、ありがとうございます!」

 お茶請けさんは何も言わない。ただ、目を伏せて頷いただけだ。


 その代わりに、はっとホクトが気付いく。


「悪い、最初にドタバタし過ぎて忘れてた」




「俺は雪島ゆきじまホクト。格好よく言うなら、キュウカと一緒に価値を守るのが仕事かな」



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いつか夢見た時計の理想 重宮汐 @tokei

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