第2話:修理屋トマリギ
細い路地に入ると、昼にも関わらず陽が翳りランプが所々に灯っていた。
空き家が二、三件並び、更にその先にはレンガ造りの壁に『本屋横丁61丁目』と印字されたプレートが掛かっている。
可笑しな番地ね。目的地は31丁目なのに、すぐ近くに61丁目があるなんて――シノは再び手紙に目を通しながら目的地、『修理屋トマリギ』を探す。
思えば『修理屋トマリギ』の店主、止木キュウカと再開するのは一年ぶりの事だった。
所沢市は江古田市と同じく、芸術の都と呼ばれているが、都市のイメージは対極的だ。
開放的で美しい、博物館や美術館、商業向きアトリエ、オペラハウスが立ち並ぶ江古田市に比べて、所沢市は閉鎖的でどことなく泥臭い。倉庫や汚れたアトリエ、クラブハウスとさして変わらない劇場。
江古田市を表舞台とするなら、所沢市は舞台裏だろう。
そんな中で、キュウカは江古田市にも戸籍を持っている――シノとの初めての出会いも、一年前に会ったのも、キュウカが偶然江古田市に帰ってきていた時だった。
にも関わらず、ずっとこの所沢市に留まり続けて、人目につかないような場所で今時需要があるのかも分からない修理屋を営んでいるのだ。
「考えてみれば、キュウカが本業をやってるのは初めて見るのね」
一体彼女はどんな仕事をしているのだろう。
真面目なのはいいけど、少し――いや、だいぶ――かなり変わってるからなあ。
少しだけはやる気持ちを抑え、周囲を見渡す。
すると、先ほど見たレンガ造りの壁のほうから物音が聞こえてきた。
「……?」
ガタゴトとそれなりに重量があるものを動かす音に混じって、人の声も聞こえてくる。
「無い!? どこだ、探せ、アレがないと今日は店が出せないんだよ!」
「んな事今日いきなり言われてもだな……もうだいぶ陽が落ちてきたぜ? 帰って貰ったらどうなんだ?」
聞き覚えのある声が、急かすように叫ぶ。
聞き覚えのない声が、宥めるように言う。
その後激突音と同時に壁が揺れた。何か重量のあるものでも投げつけたのだろうか。
「ええと、キュウカ、そんなに慌てなくても」
私もう、着いたし。
壁の向こうのどんちゃん騒ぎがどうなってるか分からないが、聞き覚えのある声、キュウカに言うシノ。
しかしややあってから――ひときわ大きな声が聞こえてきた。
「あった! 何で歯ブラシ入れの中に入ってるんだ! おいホクト、店に戻るぞ!」
ガサガサと紙面を踏み付ける音に、金属品に何かぶつけたのか耳に突き刺さるような音が続く。
「ええ……何で俺も」
男のやる気のない声が音に紛れて聞こえる。
いいよ来なくて。キュウカに巻き込まれてもろくな事ないでしょ――シノの心の声は聞こえない。
そしていよいよキュウカは、ホクトと呼ばれた細身の男と共に、反対側の入口から、ではなく、レンガ造りの壁をぶち抜いてシノの前に飛び出してきたのだった。
ぶち抜いた拍子に飛んできたレンガがシノのすぐそばを掠め、丁寧にパーマを掛けた長髪が揺れた。
すぐ近くに居ても危なかったのに、ぶち抜いた当人達は全くの無傷である。
「あ、シノ。なーんだもうすぐ近くまで来てたんだ、ようこそ本屋横丁へ」
あっけからんとするキュウカ。軽く会釈をするホクト。
シノはもう一度、叫ぶのだった。
「一体どうなってるのよこの街はあああああ!」
店の奥にカウンターがあり、そこがそのままレジ台と作業台を兼ねていた。奥に一つある窓のひさしは、置物が並んでいる。
カーテンが黄ばんでいる。恐らく、ずっと洗濯していないのだろう。
パネルを嵌めたような窓から、照明と似たりよったりの光を放つ、夕陽が差して狭い店内を照らす。
チョコレートブラウンの木材を使った店内を飾るのは、銅色の金属の
応接用のテーブル席で待つシノの目には、とてもここが修理屋には見えなかった。
強いて言うなら、店主
そうして辺りをシノが見渡していると、入口近くの階段の陰にあるドアからホクトが現れ、応接用のお茶とお茶菓子を運んできた。
「あ、ありがとう――緑茶?」
手渡されたティーカップを覗いて、シノは首を傾げた。お茶菓子はプレーンのパウンドケーキが乗せてあるし、ティーカップは西洋柄のそれだ。
しかし中身は透き通るような緑色。丁寧に茶柱も立っている。
「ただの緑茶じゃないぞ」
ティーカップをウイスキーグラスのように上から持って、一口、口に運んでからキュウカが言う。
「河口茶店の新フレーバー、『
キュウカのこだわりにシノが相槌を打っていると、依頼書や注文表を持って戻ってきたホクトが割り込んでくる。
「良ければ、食べてくれ」
ホクトに勧められたパウンドケーキに再度目を遣るシノ。
「これ、作ったんですか? まさかキュウカが作ったとか、そういう訳ではないですよね?」
「まさかって何だまさかって」
口をへの字に曲げるキュウカに、シノは涼しい顔でパウンドケーキを手に取る。
「キュウカ、ゲテモノしか作れないじゃない」
「まあ、確かに」
「ちゃっかり頷いてるんじゃないよ……」
シノに便乗するホクトに調子を狂わされて、残りの緑茶を飲み干す。
直後、シノの甲高い声が響いた。
「んんん! 美味しい! 何これ!」
パウンドケーキはスポンジ生地にしっかり食感が残るのが特徴なのは言わずもがなだろう。
その食感のせいで喉に引っかかりがちだ。
しかしシノが今食べたパウンドケーキは、しっとりした食感を残しつつも、喉への引っかかりが無く、すっ、と消えていく。
「褒めてくれるなら何よりだ。お茶請けさんもきっと喜ぶぜ」
「お茶請けさん? とりあえず、キュウカが作ったんじゃないのね。良かった」
「おい」
知らん顔でお茶を啜るシノ。緑茶、『新緑芽吹き』も説明の通り、飲みやすさは抜群だった。
「ここの修理屋、本当はお茶請けさんが居るんだけど」
ホクトが自分の背後を見遣る。
階段の陰に隠れているのは、チョコレートブラウンの、ポットのマークが付いたドア。給湯室だ。
ホクトは困ったように眉を落として笑った。
「少し、恥ずかしがり屋さんでな」
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
パウンドケーキも半分以下になり、緑茶も二杯目になった頃に、キュウカがカウンターから脚を下ろして切り出してきた。
「シノ。修理して欲しい品出せるかい?」
キュウカの問いかけに、シノは鞄を漁る。
そうだ、と気を取り直す。お茶とパウンドケーキに気を取られていたシノの目的はそれではなく、思い出の品の修理なのだ。
取り出したハンカチの中から姿を現したのは、銅色の懐中時計だった。
「へえ」
「時計か。キュウカの専門分野じゃないか?」
同じ卓に座っていたホクトが、先に懐中時計を受け取る。年季が入っているのか、所々に錆は見られるが大きな破損がある訳では無さそうだった。
しかしいざ懐中時計の蓋を開いてみると、ホクトは眉をひそめて唸った。
「ははあん。なるほど」
「何だ何だ、もったいぶらないで、私にも見せてくれよ」
言われた通り、懐中時計をキュウカに渡す。
キュウカも初め、ホクトと同じ反応を見せたが、ややあってからにやりと笑った。
「よく来たねシノ。ドンピシャだよ」
シノが持ってきた懐中時計は、時計だというのに、反時計回りで時を刻んでいた。
ここは
普通の品が、巡り合うことは、ない。
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