第1話:芸術の都と本屋横丁

 拝啓、親愛なる友人


 この度は、修理の依頼を申請してくれてありがとう。


 何せ、外部からの人間が寄り付かないような街の、更に寂れた場所にあるから、商売あがったりでね。いつもつまらないガラクタばかり作って暇を凌いでいるよ。


 初めて来る場所だろうから、店までの道のりを記しておく。くれぐれも、迷わないように。

さもないと、この街の住民に喰われちまうからね。


 まず、駅の北口から出る。そしたらバスターミナルがあるからそこを直進。

 しばらく、アスファルトの舗装された道と暗めの電灯が等間隔で並んでるだけの味気ない道が続くけど、我慢してくれ。

 何でも、街の景観を守るために電灯を暗く設定してあるらしいし、街中に腐る程、本当に腐る程あるって言うのに、緑を植えてるからね。

 気付かないかね、ただ薄気味悪いだけなのに。

 草だけに。


 ……話が逸れた。失敬。

 ずっとまっすぐ進むと、無駄にデザイン凝った電子ロックの門が出てくると思う。

 クリエイター・マンションの入口だ。間違えても入るんじゃあないぞ。マンションの主が、ウォッカ片手に這い寄って来るからな。

 じゃあ無視して行こうか、と、そうしても、一筋縄にはいかなくてね。

 実は、クリエイター・マンションの門が目印なんだ。少し見えてきたあたりで左折してくれ。

 そうしたら、我らが本の虫の巣窟、本屋横丁の入口があるからね。



 便箋の中には二枚、手紙が入っていたが、一枚目はここで終わっていた。

 それを一区切りに、雨宮シノは顔を上げる。

 目の前にあるのは、蔦を模したような鉄格子の門。中央に電子ロックのパネルがあった。


「あやや、やっば」


 手紙に記載されていた、クリエイター・マンションの門だ。その奥に、自動ドアがうっすら見えた。

 マンションの上層階は、曇り空の影響もあってなのか確認が出来ない。

 シノが慌てて離れると、目的地の本屋横丁の入口を探す。

「確か、左、だったはずだけど」

 ――が、シノの期待を裏切り、周囲を見渡しても本屋横丁の入口など影ひとつない。ただ、ぼんやりした空気の中で電子ロックのパネルが不気味に緑色の光を放っているだけだ。

「うぅ……どうしよう、マンションの人に聞いてみる?」


 とはいえ、手紙には一歩も近付くな、と警告の文字がある。ウォッカ片手に這い寄ってくる、なんて想像し得ないが、きっと恐ろしい相手なのだろう。シノは背筋がゾッとするのを覚えて、電子ロックのパネルに伸ばしかけていた手を引っ込めた。


「一体どうなってるのよ、この街……!」


 値段をアテに修理の依頼をしたが、これなら"壊れたまま"でも良かったかも知れない。


 旧い友人には申し訳ないが、引き返そう――


 と、振り返ると、こちらを不思議そうに見つめる"街の住人"が、ぽつんと立っていた。



 シノはピンク色が好きだ。

 だからなのか、今日も藍色のワンピースの上にピンク色のポンチョを着て、アイシャドウもピンクを使っている。

 比べて、そこを偶々通りかかった"街の住人"は、よれよれの黒いパーカーに、くたびれたジーンズ、ビーチサンダルと、使い古した鞄を提げていた。


「あ、あのっ、この街の人ですよね」


 初めの一瞬こそ奇異の目を向けていたが、自分の境遇をはっと思い出し、"街の住人"に駆け寄った。

「本屋横丁って、どこにありますか!?」

 思っていた以上に必死だったのか、シノはつい声を荒らげる。

 それに対して、顔色一つ変えず、怪訝そうに"街の住人"はしばらく考え込んでいたが、シノが街の外から来た事を告げると、「ああ」と、頷いた。

「それなら、今いる場所から一歩も動かないで」

 シノがその場で硬直したのを確認すると、すっ、と左手の人差し指で、手紙の通り左側を指し示す。

「そこにある」


 シノは言われた通り首だけを左に向ける。

 すると、先程までただの植え込みだった場所に、大きなアーチが立っていた。

 その奥にはずっと、丈の変わらない、文字通り横丁が続いている。

「え、あっ」

 本当だ。

 でも、どうして先程まで見えもしなかったのにすぐ見つかったのか――訊ねようとしたが、既に"街の住人"は反対側の右側、本屋横丁とは打って変わって、西洋の街並みに似た、赤レンガの道が続く方向へ歩いていってしまっていた。

 シノも詳しい事情には首を突っ込まないでおこうと考え、諦めて歩き出そうとした時だった。


「あ、そういえば」

 不意に、"街の住人"が足を止め、振り向きざまにシノに訊ねる。

 半分しか開いてないのか常に世界を睨んでいるのか分からない目が、シノを捉えて離さない。

「何で、俺が"住人"だって分かったの?」

「それは……」

 シノは目線を落として、自分のあやふやな考えを言おうか言わまいか、迷いに迷ったが、やがて自信なさげに、答えた。


「あなたが"そういう人"だって、思ったから。

それ以外は、特に無いというか」




 シノと"街の住人"は、本屋横丁の人の波の中を、歩いていた。

 クリエイター・マンションの前に居た時は、曇り空でよく分からなかったが、今はちょうど昼過ぎの、太陽が一番心地よい光を放っている時間だ。大通りには人が行き交っている。

 しかしシノと"街の住人"は――大通りの真ん中を、人を避ける事なく、進んでいるのだ。

 それは決して、"街の住人"が大名よろしく名の知れた人物で人が道を作っているのではなく、そもそもからだ。

 幽霊のように、立体映像のように。


「幽霊でも無ければ、立体映像でもないよ」

 シノの疑問に、"街の住人"は薄ら笑いながら答える。

 本屋横丁に入る前よりも、少しだけ感情が見えてきたように、シノには思えた。

 まるで感情がない人間らしくない。シノがこの男を"街の住人"だと直感したのもそれが一因していたのだ。

「これは、全部本の登場人物さ」

 それでも、"街の住人"の叙情的な言葉から、人間味を見い出せない。

 それこそ、あなたこそ、本の登場人物みたいよ。

 シノは喉まで出かかった言葉を飲み込んで、"街の住人"の話に耳を傾ける。

「本屋横丁の連中は、全員こぞって本の虫だ。誰でも必ず本に没頭するんだ。それが小説でも、エッセイでも学術本でも、漫画でも関係ない」

 曰く、誰も彼も本職はある。けれど皆、"本"をこよなく愛しているのだと言う。

「だから、本の中と外が曖昧になってる。その結果、本の登場人物がこうやって飛び出してきてるんだよ」


「だから存在はしてる。でも実体はない」


「へえ、そうなんだ……」


 言われてみれば、確かに。

 市井しせいを歩いているのは、実に様々な人層だ。現代でよく見かける短いスカートの女子高校生が歩いていれば、詰襟に外套を羽織るかなり昔の学生も歩いている。


 片や、実際に存在していた偉人が精悍な顔つきで闊歩かっぽしていれば、存在もしていない緑髪のツインテールの少女が、魔法のステッキ片手にスキップしていた。


 "街の住人"に、人間味を見い出せなかったシノと同じで、興味など毛ほどもなかった"街の住人"が、どうして肩を並べて本屋横丁を歩いているのか。


 それは、"街の住人"がシノに件の質問を訊ねてから、街に不慣れ、それこそ所沢に来たことが無いのなら、と"街の住人"がシノの目的地への案内を買って出たからだった。

「私としてみればありがたいけど、何か用事があったんじゃないの? 大丈夫?」

「別に。暇人だから」

「そっか」

 これが俗に言う、ナンパというやつなのか。

 シノは一瞬そうとも考えたが、この昼間に、それこそ、見た目に何の拘りもない(ように見える)男が自分を誘ったには思えない。

「それに、久々にアーニャちゃんに会いたかったし」

「アーニャちゃん?」

 "街の住人"は、シノに聞かれて顔を綻ばせた。ジーパンのポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで画像を表示する。

「うへへ」

 多くは語らない代わりに、顔から、笑い声から、テンションの上がりようが伺えるが、シノは違う意味で"街の住人"に不審感を覚えた。

 うええ、オタクじゃねーか。

 さっきまでの仏頂面どこ行ったんだ。

 "街の住人"が差し出したのは、アーニャちゃんの写真――ではなく、グラフィックだった。

 金髪で、頭の上に猫の耳が生えている、碧眼の少女。小さい鼻はちょこんと顔の真ん中に置いてあり、メイド服を着ている。

 ピンクの背景にキラキラしたエフェクトが付いていて、吹き出しには

「おかえり、お兄ちゃん」

 と書いてある――本人から言わせれば、おかえり、お兄ちゃんと言っているのか。

「ふみゅう、お兄ちゃんもこれから会いに行くからね~」

「い、妹……なの?」

 苦し紛れにシノが訊ねる。"街の住人"は照れたように軽く頷いた。

「まあ、アーニャちゃんは皆の妹、かな」

 スマートフォンをポケットに仕舞い、今度はショルダーバッグから小説――アーニャちゃんが表紙を飾っている小説を取り出した。


「触れられない事に変わりは無いけど、会えなかった、手の届かなかった人に会える街だよ――ここはね」

「……ああ、うん」


 本の登場人物は、存在はしている。でも実体はない。


 存在を与えたのはその作り手であり、


 存在を支えているのは、読み手だ。


 本屋横丁は本の虫の巣窟。

だからこそ、本の登場人物が、本当なら文字やイラスト、写真でしか存在出来ない存在が、こうして街に出てきたのだろう。


 ならば"彼女"も、出会いたい"誰か"を呼び出したのか? 存在を、守っていたのだろうか?

 アーニャちゃんの事をずっと語るだけ語っている"街の住人"を無視して、シノは手紙の二枚目に目を通した。


「……で、目的地どこだっけ?」

 ようやくひと段落したが、アーニャちゃんへの愛冷めやらぬ"街の住人"が、ついで程度にシノに訊ねる。

 シノは複雑そうな顔で、手紙に記載された目的地を言う。

 信用してはいいだろうが、とりあえず、もうしばらくは関わりたくない。

「本屋横丁31丁目、修理屋トマリギよ」


「ああ」


 それなら――と、"街の住人"(既にシノの頭の中ではアーニャオタク、と書き変わっている)は立ち止まり、『ムラサキ音楽』と書かれた拝み看板が置いてある店と、『腐海食堂』という看板がぶら下がった店の間、車一台が通れる位の細い路地を示した。


「ここ進めばある」

 そこでシノも納得した。

 場所が場所で、人が寄り付かない。これじゃあ確かにそうだ。

 これで目的地に着いたも同然だと思ったのか、"街の住人"は一人、シノには何も言わず、歩き出そうとしていた。が、今度はシノが呼び止めた。


「ねえ、あなたは知り合いなの? 止木キュウカと」

「んー」


 間延びした声で、それこそ最初に見せていた仏頂面とも、アーニャに対する愛情を見せた時とも違う顔で、"街の住人"はしばらく静止する。

 そして"街の住人"は――捨て台詞とも取れる、それこそ、吐き捨てるように、小説の一部分を再現したかのように、シノに告げた。


「もう縁のない相手、かな」


 シノはしばらく立ち尽くしていたが、まあいいや、と細い路地へと入っていった。

 あなたの本があるなら、少なからず私は買わないわ――。だってよく分からないし。

 オタクの事を考えるよりも、シノの頭は諦めかけていた旧友との再会と、思い出の品の復活で埋まっていた。



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