お使いの日

 その薄暗い冷蔵室には、幾つもの大きな金属製棺桶が並んでいた。生者ならば体調を崩すほどの気温が常に保たれたこの部屋。その一番隅の棺桶の中から、ゴトリと音。ゆっくりとその蓋が開かれると、中からひとりの女が現れた。

 小柄でベリーショートの若い娘。身に着けているのは、洒落ているとはお世辞にも言えぬ囚人めいた服。

 彼女は辺りを見回すと、自分がどうしてこんな所にいるのか思い出し、そしてじんわりと涙を溢れさせた。

「……なんで、私、こんなことに」

 摂氏に換算して何度かは知らぬが、現状、外の世界ではまず体験できぬ、冷たすぎる寝床。彼女は、最早この部屋を寒いとは思えない。むしろ、涼しい。寝るにはちょうどいい快適な空間。そうとすら感じていた。それが余計に悲しみを加速させる。


 彼女の体には、決定的にして不可逆の、ある変化が訪れていた。

 即ち、彼女は死んだ。

 そして、つい昨晩蘇らされたのだ。

 この『家』の一員……生ける亡者として。


 ……その目から涙が溢れようとした、まさにその時。

 彼女は気付いた。この部屋で、複数の奇妙な物音がしていることに。

 薄暗い中、目を凝らす。すると、すぐ目の前の棺桶が開いているのを発見した。そしてその中で、ふたりの女が、互いの性器を舐め合っているのを。

「ひっ!?」

 しかも、その数はひと組ではない。そのふたつ隣の棺桶にいる細身の女は、一緒に棺桶に入ったもうひとりの女の胸を激しくねぶっていた。責められている方の女は、低く声を漏らしている。それどころではなかった。出入口近くの棺桶では、女同士がその股間を擦り付け合っていたのだ。

「なっ、なっ、えっ、何!?」

 この異様な光景を目撃した娘は、激しく動揺した。仮にも公共の場で、こんな堂々と、あんな破廉恥な真似を!?

「だっ、えっ!?」

「アッハ……見て見て。新入りちゃんが見てる」

 胸を舐められている女がとろけるような声で言うと、舐めていた方の女も胸から口を離し、その口からねとりと糸を引きながら娘を見た。その乳首を取り囲むように、『二九三』のタトゥー。

「あっ、ホントだ……ニクミ、お前見られながらするの好きだろ」

「大好きぃ」

「新入り、コイツがいやらしくイくトコ見とけよ」

 そう言うと女は、ニクミと呼ばれた女の胸から臍の方へ、蛇めいて長い舌をゆっくりと這わせ始めた。ニクミはがくがくと震え出す。そしてその舌は、ニクミの下半身へ――。

「わあああああああっ!?」

 娘は棺桶から飛び起き、弾丸めいた勢いでこの部屋を……共同冷蔵霊安室を飛び出した!

「あっ、ちょっとぉ」

 ニクミか蛇女か……どちらかよく分からないが、どちらでもよい! 女の声を背中に受けつつ、娘は冷たく荒れた廊下を駆け抜ける!

「なんで! なんで!?」

 行先も分からず駆け抜ける娘は、

「あっ、わぁーっ!」

 つまずいて盛大に転んだ! 酒瓶を抱いて廊下で眠る、金髪扇情的ピンクナース服女の肉感的な脚に!

「……ふぁ?」

「あっ、ご、ごめんなさい! お怪我は!?」

 目を覚ますぼさぼさ頭のナース服女! 慌てて駆け寄る娘!

「あらァ、こんなトコで寝てたのね私ィ。大丈夫よォ、平気ィ」

「よ、よかったです、すみません、足元がおろそかに」

「……アナタ新入りちゃんねェ? ほっぺから血が出てるわァ」

 ナース服女が、長い指で娘の左頬を指す。

「あっ、ホント。でも平気ですこれくらい、痛くないし」

「ダメよ放っといたらァ」

 突如娘の首に腕を絡ますナース女!

「治療しなくっちゃァ」

 ナース服女の紫色の舌が、べろりと傷口を這う! 同時に彼女は、己の胸にあるボタンをなぜか開け始めた!

「ひゃっ、だ、大丈夫です! 大丈夫ですぅ!」

 ナース服女を無理矢理突き飛ばす娘! 再び逃走!

「あらァ、力強いのねアナタァ」

 突き飛ばされたナース女は、ニヤつきながら手元の酒を飲んだ。


 ……どこをどう走ったか? 娘にも見当が付かぬ。何度か階段を上った気もする。結論だけ言おう。昨晩見せられた『大広間』に……巨大なバーめいた、ブラックライトと旧世界メタルに包まれた黒と白の大部屋に、いつの間にか娘は飛び込んでいた。

「あら、おはよう、ミレイちゃん。朝から元気ね。よく眠れた?」

「だぁ……はぁ……あっ、おはようございます……その、ママさん……」

 呼吸を整えると、ミレイと呼ばれた娘は、カウンターに立つ女を見た。正確に言えば、その紫色のドレスから溢れかけた、巨大すぎる乳房を。

「ママ、でいいのよ。ママはミレイちゃんの家族なんだから。この『家』ではね」

 金色の髪、旧世界宗教の聖母めいた微笑み。ミレイはふと恥ずかしくなり、彼女から目を逸らした。

「無理しなくていいけどね。これから一生の付き合いですもの、少しずつ慣れれば」

 ……『一生』。その言葉がミレイにどう響いたか、知ってか知らずか。ママは手招きをした。

「さ、お座りなさいな」

 朝という時間の関係もあり、この大広間にも今は亡者が少ない。夜のピーク時には、百人は収容できるこの部屋がほぼ満席になるものだが。朝食を摂る習慣のある者が数名。今日を休日と決め朝から飲んでいる者が数名。一晩中博打に興じ、まだ続けるつもりらしい者が数名。ママとミレイ、そして掃除や給仕に動き回る露出の激しいメイド服女達を除けば、合計十名程度だろうか。

 カウンター席に座ったミレイに、ママはコップ一杯の白い液体を差し出した。

「どうぞ。ママのおごり」

「あっ、ありがとうございます……あっおいしい、何ですかコレ」

 妙にとろみとコクのあるその飲み物をひと口飲みながら、ミレイは訊ねた。

「ミルク的なものよ」

「み、ミルク的な?」

 ミレイは思わず顔を上げていた。

「ママのミルクじゃないけどね」

「あ、ああ」

「期待した?」

「い、いえ!」

 ミレイが首と腕を全力で横に振るさまを眺めながら、ママはくすりと笑った。

「……ところで、ナイスタイミングねミレイちゃん。あの子、多分そろそろ来るわ」

 そう言ってママは、壁際の旧世界アンティーク柱時計を確認する。その意味はママにしか分からぬことだが、旧世界時刻にして、午前七時半。

「あの子、ですか」

「ええ」

 ママが頷いたその瞬間。この大広間の重い扉が、勢いよく開かれた。

「あら、そう言ってたら丁度来たみたいね。ミレイちゃん。アナタのお姉ちゃんよ」

「……お姉、ちゃん?」

 がちゃ、がちゃ。

 降り注ぐ旧世界メタルの中でも分かる、ブーツの足音。その音と共にカウンターへ近づいてきたのは、黒く異様に縦長い女のシルエットだった。

 メートル法に換算して、二メートルを超える長身。その身を包むボロの修道服。だが普通のそれではない。見せたくて仕方ないという風に露出された豊満な胸と肩から先。ざっくりとスリットの入ったロングスカート。そのヴェールからは前髪がこぼれ、顔の左半分を覆い、そしてそのまま腰まで届いている。旧世界の熱心な宗教家なら、きっとこの着崩し方に怒り狂っただろう。

 彼女はカウンターへ辿り着くと、そのままミレイの隣にどかりと座った。

「おはよう、ママ」

「おはよう、モモちゃん」

 モモ。それが彼女の名であった。

 モモはそのメートル法に換算して百センチを超えるであろう脚を組み、カウンターに肘をついた。

「そろそろ来ると思ってたわ」

「ママ、飯。ミルクも」

「ハイハイ」

 ママは奥のキッチンへ向かおうとし、振り返った。

「先に言っとくわね。モモちゃん、アナタの妹。ミレイちゃんよ」

 モモの赤い瞳が、ミレイを捉えた。ミレイはびくんと背筋を伸ばす。

「ご飯を待ってる間に、親睦を深めといてね」

 ママはキッチンに消えた。ミレイには未だ何のことやらさっぱり分からぬ。

「ど……どうも、モモさん。ミレイです」

 とにかく礼儀として、挨拶をする。

「……おう。知ってる」

 ぶっきらぼうに答えた彼女に、親愛の情があるのかは伺い知れぬ。

「……あの、よく分からないんですけど、モモさんが、私のお姉さん――?」

「お前さ、処女?」

「はいっ?」

 ミレイの質問は、モモの思わぬ質問返しで打ち消された。

「女相手でも、その、男? 相手でもいいけど。セックス。したことある?」

「せっ……!?」

「無さそうだな。そんな感じした」

 自分の『姉』だという女から、突然飛んできた単語。

「セックスが何かくらい知ってるよな流石に」

 ミレイの頭は軽くパニックになった。今朝見た光景がフラッシュバックめいて脳裏に浮かぶ。

「し、知ってますけどそりゃ、何なんですか突然!?」

「いや……色気ねえなって」

「えっ、えぇ……?」

「お待たせ、モモちゃん」

 ママが金属の盆に載せて持ってきたのは、料理の盛り付けられた皿。そこに乗っているのは、どう見ても白い赤子の手としか思えなかった。ミレイはぎょっとして、モモの顔とママの顔を交互に見る。

「こっちはミルクね」

「ありがと」

 モモがカジノチップ通貨を渡すと、ママはそれを胸の谷間にするりと入れた。

「それで、仲良くなれたかな?」

 ママの朗らかな問いかけに、ふたりは無言だった。

「……あら、あんまりかしら? モモお姉ちゃん意外と人見知りさんだものね」

「ひ、人見知り」

 モモは首をぐりぐりと捻るだけで、返事が無い。

「ほら、ミレイちゃん。モモお姉ちゃんが首を――」

「いいよそういうこと言わなくて」

 モモは左手に持ったフォークで、その赤子の手めいたものをブスリと刺し、ひと口で食べた。右頬からボキボキと骨を噛み砕く音。ミレイの血の気が引く。それをちらりと見たモモは、そっとその皿を差し出した。

「食う?」

「い、いえ! いいです!」

 モモは再び首を捻り、残りの手を食べ、ミルクを飲み干した。露出メイドのひとりが、その食器を引いていく。

「お姉ちゃんも準備完了だし。ミレイちゃんには早速行ってきてもらおっかな」

 それを尻目に、ママはぱちんと手を合わせ、そう言った。

「えっ」

「大丈夫よ、お姉ちゃんが何でも教えてくれますからね」

「行くってあの、どこに」

 困惑を隠せぬミレイの疑問に答える前に、ママは悪戯っぽく人差し指を立てた。

「新生活に早く慣れたいミレイちゃんへ。ママから初めての、お・つ・か・い」




 ……『お姉ちゃん制度』!

 それは、この『家』に不慣れな新入り亡者の為にママが用意した研修制度である!

 新入りの娘には必ず先輩の亡者がひとり『お姉ちゃん』として付く! お姉ちゃんとはいわゆる指導係! この猥雑なる亡者の世界で『妹』が一人前に暮らせるよう、教え、導き、守り、時に叩き込まねばならぬ!

 代わりに……ママはこう言う。

「お姉ちゃんは妹を教育し、助け、守ります。妹ちゃんは、お姉ちゃんの言うことを何でもよく聞いて、一日も早く立派な女の子になってください」

 この『何でも』が曲者である!

 これは現在拡大解釈され、このような意味になっている!

 即ち、『姉の言うことは、内容にかかわらず絶対!』と!

 ミレイがそのことを知ったのは、ふたりが『お使い』に出かける直前……廊下で再び、あのナース服女に出会った時であった。

「あらァ……モモだったのねェ、新入りちゃんのお姉様はァ」

 ナース服女は、豊満な胸に酒瓶を抱き埋めながら、廊下を歩くモモに、そしてその後ろをおぼつかぬ足取りで歩くミレイに絡んできた。

「トワ、また廊下で寝てたのかよ」

「モモにはお見通しかァ。そうですよォ、お馬鹿なトワはまた廊下で寝ましたァ、通りすがりの悪い女にレイプされるかもしれませェん」

 トワというらしい彼女はヘラヘラと答えると、胸元が強調される前屈みの姿勢で、ミレイを舐めるように見た。そう、舐めるように。

「新入りちゃん! 自己紹介遅れてごめんねェ。私、トワっていうのォ。アナタのお姉様のセフレでェ、ベロとおっぱいでお金稼いで暮らしてるのォ。よろしくねェ?」

「ひぇ……よろしく、お願いします、ミレイです……」

 その自己紹介だけで、ミレイはもう一度逃げ出したい衝動に駆られた。

「ミレイちゃんっていうのォ? これから大変ねェ、毎日毎晩怖ァいお姉様にエッチな命令をいィっぱいされちゃうんだわァ」

 その太腿を妙にもじもじさせながら、トワは言った。食い込みの激しいストッキングを、ガーターベルトが支えている。

「えっ、えっ……ち?」

「そうよォ? お姉様の言うコトは絶対だからァ、よく聞くのよォ? この『家』イチバンの絶倫お姉様のご命令をねェーッ? いいなァ、私も妹になりたァい」

 トワがほとんどミレイの額にぶつかるほど顔を寄せ、その紫色の舌をべろりと出していた所を……モモがその襟を掴み、ひょいと引き剥がした。

「言わなくていいっての、そういうことは」

「アハァ……大丈夫よォ、他でもないモモの大事な妹だものォ、勝手に取って喰ったりしないわァ」

 子猫のような体勢のまま、トワはニタニタと笑った。

「でもとっても可愛いのよォ、このウブな感じがいいのォ……ねェモモォ、その子も入れて3Pしましょうよォ」

「あぁ、じゃあ今夜な」

「へっ、へぇ!?」

 ミレイが一切関与しない所で、自分の純潔が今夜散ることになった。

「聞いたァ? 妹ちゃん。今夜よ今夜ァ、お姉様の言うコトは絶対だからねェ? アハァーハァーハァーハァー」

 更なる酒を求めてであろうか、ぐらぐらと正気でない足取りで、トワは大広間の方へと歩いて行く。ミレイの耳に残ったのは、トワの馬鹿になりそうな声色と、甘い香りの吐息、そして去り際に残した高笑いであった。




「めーみみくちはなめめっとかみかみ

 ないふでそいそいでー

 かたうでっとくびはらっへそちくび

 がりがりかみついてー

 かーはんしんだけ じっくりくりこりかりかりこー

 のこさずおいしくたーべーよーうー

 ずっぺろれろれろれー」


 灼熱の太陽の下、先頭のモモは奇妙な歌を繰り返していた。

(何この歌)

 その後ろを苦い顔で歩いているのが、ミレイである。

(亡者の人ってやっぱおかしいよ。人のいるところで変なコトはするし、いやらしいことしか考えてないし、うるさい音楽が好きだし、変な歌は歌うし)

 ふたりを見下ろすビル群が、ミレイには自分を嘲笑っているように感じられた。

(なんでこんな人達の仲間に生まれ変わっちゃったんだろ。やだよ。誰がそんなお節介を? 私が頼んだわけでもないのに)

 明らかに生者と価値観が違い過ぎる。自分の生きていた頃の人達は、もっと……。

(生きてた頃?)

 その時、ミレイは気付いた。

 生者としての記憶が、既におぼろげであることに。

(どんなだっけ?)

 それはミレイを急激に不安にさせた。死んだのは一昨日、目覚めたのが昨日。自分を蘇らせた『先生』なる人物からは、そう聞いている。それで既にこう?

 自分にいたであろう親の顔も、住んでいた場所も、どうして死んだのかも、ミレイと呼ばれる前の名前も……すべてが曖昧である。

「あ……えっ……」

 ミレイが思わず叫びそうになったその時、

「着いたぞ」

 モモのひと声で、彼女は現実へ引き戻された。『家』を出てからこっち、モモが歌以外の言葉を発するのは、これが初めてだった。

「あぁ……えっと、ここが」

「『本の柱』だ」

 モモが指したのは、一本の六階建て廃墟ビル。窓ガラスは割れ、外壁は色褪せ、中には何の光も灯っていない。ほとんどの廃墟ビルがそうであるように。

 そう、ここが目的地。ママのお使いを果たすため、ミレイは、そしてモモは、ここに足を踏み入れねばならない。

「多分、中に化けモンがいっから」

 モモは軽く言った。

「えっ」

「お前も分かんだろ、あの白い奴。出てレベル1か2だろうけど」

「レベル」

「……アタシの下半身までしかない奴はレベル1。それよりデカい奴はレベル2。アタシよりデカかったらレベル3以上。基本デカい奴が強い……分かるか?」

「は、はい」

 ミレイはモモを見上げた。メートル法に換算して、五、六十センチは目線が上。人間の形をしているならばまだいいが、これが怪物だったら。

(どうしよう)

 先程までのそれとは別種の不安が、ミレイの脳裏に持ち上がった。

(私、やっぱり今日で死ぬんじゃないかな……もう二度目だけど)

「お前さ」

「はいっ」

 モモがミレイを見下ろしていた。何を考えているか分からぬ赤い瞳が、ミレイにプレッシャーをかける。

「……な、何でしょうか、モモ、お姉、様……」

 モモは一度首を捻った。

(癖なのかな)

 ミレイが頭の隅で考えていると、

「……服、ダサいな」

「……えぇ……」

 突然の辛辣なひと言。

「裸で歩いたがまだマシだろそれ」

「裸ですか……うぅ」

「いや今脱ぐなよ。命令じゃねぇ」

 上に着ていた囚人風長袖Tシャツを、ミレイは顔を逸らしつつ半分ほどたくし上げていた。記号化された漢数字『三○一』のタトゥーが、鳩尾のあたりに見える。

「……先生にカネ出して頼め。ちゃんとした服寄越せってな。こっちは命令」

「はい……」

 ミレイが服を着直したのを見届けてから、モモは『本の柱』内へと足を進めた。ミレイも慌ててそれに続く。ガラスの破片を踏みしめるジャキジャキという音が、辺りに響いた。ミレイは裸足だったが、踏んだことにすら気付かない様子であった。


 ……『本の柱』の中は、カビのような臭いがした。入ってすぐの所に、大きなカウンター。そして、少し奥に多数の本棚。そこに詰まった多くの……。

「本……」

「読んだことあるか?」

「文字は読めます、多分」

「ふーん。私は興味ねえ」

 そう言いつつ、モモは奥へと進む。

「上行くぞ。ブツは確か……四階だったと思う」

「はい」

 ミレイはモモの後ろを歩きながら、照明のない建物内をあちこち眺めた。

 天井からぶら下がった何らかの札。

 壁に貼られた色褪せた紙。

 そして、本棚の間に……何かの影!?

「ひゃう!?」

「人間だ。死んでる方の」

 モモはよく見もせずに言う。ミレイがよく確認すると、なるほど、それは人間らしかった。占い師めいた服を着、布で顔を隠した猫背の女。

 彼女はこちらの存在に気付くと、挨拶も会釈もなく、そそくさと去っていった。

「……あの人も『家』の?」

「ニイナ。本見ながら文字に興奮してオナニーする変態」

「……あ、あの人も――」

「変態しかいねえよ」

 ――あの人も変態なんですね。そう言おうとしたミレイの思考を読んだように、モモは言った。

「地味な奴も、澄ました顔した奴も。アタシも。みんな毎晩セックスしてる」

 モモの話を、ミレイは何とも言えぬ顔で聞いていた。

「……ママさんも?」

「だったらどうする?」

 ミレイはママの顔を思い浮かべた。胸はともかくあの笑顔は、一見すると性的事象に結びつきづらい。

「うーん」

「……ママもしてるよ、セックス。でも先生としかしねぇ」

「……そうなんですか」

 あまり聞きたくなかったかもしれない。ミレイは複雑な表情をした。

「気持ち悪いか?」

 その顔を見、モモが続ける。自分の思考が透けている気がして、ミレイは咄嗟に顔を逸らした。

「いや、それは……うーん。分かんないです」

「アタシは気持ち悪いと思うよ」

 モモの口から出たのは、少々意外な言葉だった。

「じ、自分もやってるのに」

「いやさ。考えたらシュールじゃね? みんな毎晩裸ンなって、マンコ気持ち良くし合って。性欲無い奴が見たら絶対笑うって。そんな奴いないけど」

 ミレイは、モモが何を言っているのか分からなくなった。

「……モモお姉様?」

「気持ち悪いよな、どんな立派そうな奴でもマンコいじったらアヘアヘ言い出すって考えたらさ。でも、仕方ねえよな。気持ちいいもん。アタシさ、セックスすんの大好き。気持ち悪いけど、気持ちいいもん」

 モモが何を主張したいのか、ミレイの頭が完全に追いつかなくなった……その時である!


「い、い、い」


 すぐ側に見える階段。その上の方から、笛を短く鳴らすような奇妙な声。それも、何度も。同時に、べしゃりと何かの滴る音。それらが反響し、うわんうわんと。

「……何?」

 ミレイは血の気が引いた。人間の出す音には、どう考えても聞こえない。

「ミレイ」

「はっ、はい」

 まさか。ミレイは嫌な予感がした。


「い、い、い、い、い」


 全身から白い液体を滴らせる、縦長い肉棒に脚が三本生えたような、不浄の生物。階段を一歩下りる度、頭頂部近くの暗い穴から、その耳を犯すような声が漏れる。その高さ、メートル法に換算して一メートルと半分ほど。

「レベル2ってトコ? ……ミレイ、ヤれるか?」

 予感は的中した。

 階段を下り切った化け物は、一瞬動きを止めた。そして直後、体中に突然裂け目ができ、それが開いた。すべて、緑色の目であった。それらが一斉にミレイを、そしてモモを睨みつけ、

「いっいっいっいっいっ」

 喘ぎ声にも似た音を立てながら……べしゃべしゃと白い足跡を残しつつ……ふたりへ向けて駆けて来たのだ!

「ヤるって、その。殺す、ってことですよね……?」

 思わず五歩引いてそう言ったミレイを、モモは振り返らなかった。

「でも、あの」

「……見てろ」

 モモが首を捻り静かに手袋を外すと、その左手の甲が盛り上がり……何かが皮膚を突き破った! その白く美しい手が、赤く染まる!

 嗚呼、それは! 剣の切っ先である!

 怪物は既にモモの目の前に迫り! 体を大きく逸らし! 何らか攻撃の予備動作を取っているように見えた!

「お姉様、危ない!」

 直後、怪物の胴体から突如生えた大量の細く先端の尖った触手! それが一斉にモモへと襲い掛かる!

 だが、モモは避けない!

「堕ッ!」

 その剣で、相手の胴体を……切り裂いた!

「いぃーいぃいぃーい!?」

 化け物の胴体から、血液が噴出する! 内臓らしいものが零れる!

 代わりにモモの体には、突き刺さった大量の触手! モモの胸! 腕! 腹! 首! その全てに穴が開き、出血!

「お姉様!?」

「……これが基本だァ!」

 突き刺されたまま、モモは大声で叫んだ!

「避けていいのは! 頭への攻撃! 一撃で死ぬ系! あとは毒とか電気とか!」

 体液と血液でぬるついた魔物は、慌てて触手を引き抜こうとする! しかし遅い! モモは左腕を振り上げ!

「惰ッ!」

 更なる一撃!

「あとは全部避けんな! 首から上が無事なら死なねえ!」

「死なないって、私達もう死んでるじゃないですか!」

「ハッ、そうだよ!」

 そのショッキングな光景に動揺したミレイが思わず発したツッコミを、モモは鼻で笑った!

「偽物の命、下んねぇ命だ! 死んでるからこれ以上死にようがねえ! 刺されても斬られても殴られても首絞められても焼かれても溶かされても! ……だからかえってヤりやすい!」

 化け物を斬るモモの手は止まらない! 悲鳴! 悲鳴! 悲鳴!

「オイ、のんびり見てんじゃねぇぜ!」

 モモは首を百八十度回転させ、ミレイを見た! その顔は、最早先程までの何を考えているか分からぬ表情ではない! 興奮! 快感! 愉悦! 殺す喜びが、今! モモの頭を支配している!

「お前もヤるんだよ、ミレイ! 一番おいしいトコ! コイツの脳をぶちまけろ! それで殺せる!」

 殺せる。

 殺せる。

 殺せる。

(殺す? 今? 私が?)

 未だに現実感が無かった。

 目の前の女と自分が、同じ人間だということ。

 今自分が、醜い化け物の命を絶つよう命じられていること。

(何がそんなに楽しいの?)

 ミレイの脚がわななき始める。彼女は怯えていた。二度と戻れざる一線を、己の手で踏み越えてしまうことに。

 嗚呼、モモの瞳が赤く燃える!

「どうしたァ! 処女膜破れんの怖ぇかァ!」

 苛立ちや怒りの声ではない! この状況を楽しんでいるというのか!

「い……い……」

 怪物の口らしき穴から漏れるのは、最早声でなくただの吐息に近い! このままでも死ぬのでは? ……否、モモが脳を破壊せよと言うなら、そうせねば死なぬのだ!

 逃げることもできず! 進むこともできず! ミレイは哀れな死にぞこないの化け物を見る!

 確か『武器』の使い方は、昨晩先生が言っていた。まだ使ったことはないが、感覚で分かる。きっとすぐ動かせよう。あのような惨状。殺してやるが化け物の為か? しかし、自分が……!?

「う……うぅう……?」

 ミレイの喉から音が漏れ出した……まさにその時!

「ミレイぃ! 上だァ!」

 モモの表情が変わる。ミレイは首を上へ向ける。

 天井の割れ目。そこから何かが飛び降りていた。そうだ。化け物は一体ではなかったのだ。天井裏で獲物の臭いを嗅ぎつけ、そしてミレイへ向けて急降下してきていた。そうだ! 化け物は! 一体では! なかったのだ!

「ぃいいいいいいい!」

 大きさはメートル法に換算して一メートル程度! 細い腕と脚の間に、旧世界のモモンガめいた皮膜! バランスの明らかに悪い巨大な頭部! 顔の大部分を占める円く巨大な口、それに沿って生えた牙! 甲高く、そして脳に直接手を入れて引っ掻き回すようなその声! それがミレイの、ほぼ眼前にまで迫っている!

 どくん。

 己の大きな心音が、たった一度ミレイの耳に届いた。

 極度の緊張。止まる思考。動かぬ体。スローモーションめいて鈍化する景色。目の前に迫る口。動物の死骸を集めて常温で何日も放置したような、吐き気を催す口臭。

 ……モモは何と言っていた? 頭は傷付いたらダメ?

 守らないと。

 でも、

 でも、

 でも――!?


 ……鮮血が床に降り注いだ。

 全身の力が抜けたようにして、ミレイはがくりと膝をついた。


 ……ミレイの顔辺りまで掲げた右腕に、その怪物は噛み付いていた。研いだ刃物のような牙が服を、皮膚を、肉を裂き、大きく食い込んでいる。

 しかし。

 同時に、化け物の胴体を、先端の尖った棒状の何かが貫いていた。

 それは、人間の背骨のように見える。そしてそれは、ミレイの下半身から延びていた。より正確に言えば、彼女のズボンの尻辺りから、尻尾めいて。

 その骨尻尾は、彼女の身長ほど……否、それを超えるほどの長さを持っていた。彼女の背中側からぐるりと回ったそれは、あたかも旧世界の砂漠に棲むサソリの尾めいて、肩越しに化け物を貫いていたのである。

 骨を赤黒い液体が伝い、また一滴、朽ちた床にぽたりと落ちた。

「ふっ、ふっ、ふぅーっ」

 ミレイは短く何度も息を吐きながら、貫かれた化け物を睨みつけていた。その眉間には大きく皺が寄り、目は血走っている。

 腕は全く痛くなかった。

 震えは止まっていた。

 怪物が口を開け、だらりとうなだれた。吐血。痙攣。喉の奥から、ごぼりと音。

「ふっ、ふっ、ふっ」

 ミレイは立ち上がり、怪物の頭を掴むと、その骨尻尾をずるりと引き抜いた。小さな胴体のほとんどは失われ、その大穴からは向こう側の景色がよく見える。

 ミレイはそれを地面に投げ捨てた。べしゃりと音がして、内臓のほとんどを失った化け物は、地面に転がった。

 ……モモはそれをたった一秒ほど見つめると、首を正しい方向に戻し、自分を拘束していた怪物の頭に剣を突き立てた。

「駄ッ」

「いぃ」

 触手はずるりと抜け、間の抜けた声と共に怪物は倒れた。モモはその怪物に最早一瞥もくれなかった。

 流れる血もそのままに、モモはミレイに歩み寄って行く。

「……ヤったな」

「はい」

「まだ息がある」

「はい」

「ヤれるか」

「……はい」

 地を這う力さえ残らぬ怪物は、それでも逃げようと手足をわずかに動かしていた。努力も虚しく、それはただ宙を切るばかりである。ミレイはその隣に立ち、大きく深呼吸。そして、その頭に、尻尾を振り下ろした。

 化け物の頭は、砕けた。

 破壊された脳が周囲に飛び散り、ミレイの服に新たな模様を描いた。

 モモは無表情でその死骸を見つめ、次にその視線をミレイの顔に移した。

 ミレイは……。

「ふふ、ふ。ふ。ふふっ」

 ……笑っていた。

 低く。

 小さく。

 涙を流しながら。

「……どうだった」

 モモは表情を変えぬまま訊ねる。

「……気持ちいいです。お姉様。いのち壊すの。気持ちいいです」

 涙が次々と溢れていく。

「ふ、私。私が、気持ち悪いです。でも、ふふ。気持ちいいんです。気持ちいい自分が気持ち悪いです」

 モモは何も言わず、ミレイの言葉に耳を傾けていた。

「ふ、へへ。戻れなくなっちゃった。汚れちゃった。どうしよう。気持ち悪いよお」

 そこでようやく、ミレイはわっと泣き始めた。その顔をくしゃくしゃにして。

 モモが黙ってその様子を見ている時間は、しばらく続いた。

 やがて彼女は一度首を捻ると、ミレイの後ろに回り、その血に塗れ露出されっ放しの骨尻尾を、突如として触った。

「びゃ!?」

 ミレイは驚愕のあまり叫び声を上げた。

「ぢょ、ぢょっどぉ!やべでぐだざい!」

「アタシさ、ムラムラすんだよね。こういう、尻尾とか触手とか系? 見ると」

 モモはその手で、ミレイの骨尻尾を何度かしごいてみせた。

「あ゛っ!? あ゛っ、あ゛ぁっ、ぢょっど、まっで!」

「触手とか尻尾ある女ってさ、大体そこが性感帯だよな」

「お、お姉様! だめ、ホントに!」

「なあ、今夜挿れてみてくれよ、アタシのマンコにコレ」

「そ、そんなぁ、あっ、ひんっ!」

 モモがひと通り骨尻尾をいじり倒した後、

「ちょっとぉ! もう! やめてって言ってるじゃないですかお姉様っ!」

 顔を真っ赤にして、ミレイは骨尻尾をぶんと動かし、モモを振り払った。モモは素直に引き剥がされ……そして、うっすらと微笑んでいた。

「えっ、な、何ですか! 人の尻尾をこんな!」

「……いや。上行くぞ」

 モモは表情を元に戻すと、ミレイからひょいと顔を逸らし、階段を見た。

「あっ、そ、そうでした、ね。お使いでしたもんね」

「帰ろうぜ。お使い済ませて。戦利品持ってさ」

「……はい」

 ミレイは首を縦に振った。尻尾を散々いじられている間に、涙は引いていた。

 怪物の残した足跡を辿るように、モモは、そしてミレイは、階段を上っていく。

「なあ、ところでお前さ。AVの良し悪しとか分かんの?」

 階段の途中、前を向いたまま、モモは後ろのミレイに訊ねた。

「いえ……まずAVっていうのがよく。旧世界の記録だとしか」

「セックスを記録した円盤だぞ。しかも映像で」

「えっ!? え、映像!? いやらしいことのですか!?」

 ミレイは大いに動揺し、その骨尻尾を固くした。

「面白いなその尻尾。アタシの前ではずっと出しとけよ」

「なっ、なんですかそれ! っていうかママさんのお使いって、結局いやらしいことだったんですか!?」

「新入りは絶対取りに行かされんの。『本の柱』に、AVを自分チョイスで一本」

 ミレイの大騒ぎを背中で聞きながら、モモは足を進める。

 そして目的の四階へ……旧世界セックス映像記録、即ち『AV』の待つ地へ到着したその時。モモは突然立ち止まり、振り返った。

「あのさ」

「はい」

「今話すことじゃねえかもしんねえけど。あの死骸、持って帰れっか」

 ……それがあの怪物共の死骸を意味することは、ミレイにも理解できた。

「アタシ達はさ、アレ売ってカネにして、それで遊んで暮らしてる」

 ミレイは神妙な面持ちで、モモの言葉を聴いていた。

「アタシ達の人生ってさ、クソだよな。なんでこんな気持ち悪いコトして生きてんだろ。生き返りたくて生き返ったわけでもねぇのに」

 ミレイははっとした。同じだ。自分がここに来ながら考えたことと。

「あの――」

「でもさ、さっきも言ったけど。アタシ、気持ち悪いコト、大好きなんだ」

 思わず叫びそうになったミレイを、モモは己の声で制した。その時のモモの顔は、不思議と穏やかだった。

「殺しも飯も酒もセックスも博打も。全部気持ちいいし、大好き。気持ち悪いよな? でも止めらんねぇ。気持ちいいことしないと、クソな命がもっとクソになるもん。悪いか?」

「……分かんないです」

 少し考えて、ミレイはそう答えた。それは、今のミレイの本心だった。

「そっか……うーん。でもさ、ミレイさ」

 モモはそこで一度言葉を切り、また首を捻ってみせた。

「……アイツは、お前がヤったんだよ。遊ぶ金欲しさで。それは事実で、でもそれはそれとしてさ。その。うーん。それは、なんていうか、全然オッケー、っていうのとは違うんだけど……当たり前のことで。許されてほしいって。思う」

 何度も言葉に詰まるモモを見て、ミレイはやっと気付いた。

 モモは、自分をどうすれば励ませるのか考えていたのだと。ミレイの『姉』として、彼女なりに懸命に、首を捻りながら。

 それはきっと、今日一日ずっとだったに違いない。何と言えば自分に伝わるか、彼女なりに気を遣いつつ。そして、それを気取られまいとしながら。

「……でもさ。どうしても悩んだり、その……

 モモは、少し照れくさそうに斜め上を見た。

「一応姉貴だしさ、その。付き合うから……そんだけ」

「……はい、モモお姉様」

 正直に言えば、ミレイとて完全に心の整理がついたとは言い難い。しかし、目の前にいるモモには、ついて行ってもいいような……そんな気がした。

「行くぜ、AVはあっちだ」

 モモが再びブーツの音を響かせだすと、ミレイもその三歩後を歩く。

 やがてふたりは、『R-18』と描かれた黒いボロのカーテンの向こうへと消えていった。




「はァい、皆さん、ちゅうも~く!」

 夜!

 ママの間延びした声が響く大広間には、多数の亡者達が集まっていた!

 いつもは騒がしい旧世紀メタルも、今日は流れていない! なぜなら今晩は、ミレイの歓迎会が行われるからである! 『あの』モモの! 初めての妹の!

「知ってる人も多いと思いますが、改めて紹介しまぁす! 昨日からこの『家』の家族になった、ミレイちゃんでーす!」

「イエーイ!」

「ヒュー!」

「ファーック!」

 大きな拍手、囃し立てる声! その中心にいるのは、ミレイであった……しかし先程までの彼女ではない!

 耳にはピアス! 臍周りの布が無い、髑髏の印刷された黒いタンクトップ! 太腿を丸ごと露出したショートパンツ! 尻が上三分の一ほどはみ出し、骨の尻尾が覗いている!

(なんでこんな……恥ずかしいよ)

 ミレイの気持ちをよそに、コーデを担当した、下着の上から直接白衣を着た女……『先生』は、カウンター席で腕組みし、ご満悦だ。

「やっぱタトゥーは出した方がクールだよネ。尻尾もセクシーでサ」

(自画自賛してるし! っていうか服にいっぱいついてるこの安全ピン何!?)

「はいそれじゃあ、ミレイちゃん。自己紹介よろしくね」

「でぇッ!?」

 段取りを何も聞いていなかったミレイは驚愕! 今すぐ逃げ出したい衝動に駆られるが……生憎彼女の席は、この大広間のど真ん中! 享楽の日々を生きる亡者達の中心である!

「……あぁー……どうも、皆さん、初めまして。ミレイです」

 ミレイは観念し立ち上がると、ひとこと挨拶をした。

「イエーイ!」

「ヒュー!」

「ファーック!」

 既に酒の入った女達による盛大な拍手、囃し立てる声!

「わ、分からないことだらけですが、どうぞよろし――」

「タチ!? ネコ!?」

「どこ責められるのが好き!?」

「指何本入る!?」

 ミレイの声をかき消す、品の無い質問の数々! 質問者には朝の蛇女もいる!

「はいはーい、質問は後で個人的にしますよぉ」

 ママがそう言うまで、ミレイへの質問攻めは続いた!

「みんな、私達の三〇一番目の家族、ミレイちゃんと仲良くしましょうねー」

「イェーイ!」

「ヒュー!」

「ファーック!」

 盛大な拍手! 囃し立てる声!

(無秩序の極みだ……)

 ミレイは改めて、己の今後を心配した。

「はい、ミレイちゃんありがとう。座っていいわよ」

 ママに促され、ミレイは着座した。

 目の前のテーブルには、名も味も知らぬ透明の酒。そして、化け物の生肉を使用した料理の数々。その中心にあるは、ミレイが今日殺した化け物の皮膜部分を中心に捌き、活け造りめいて盛り付けたもの。

「今日はママのおごりです。皆さん、大いに盛り上がり、ミレイちゃんといっぱい仲良くなりましょう! 『母なる大地に』」

「『母なる大地に』!」

 全員が一斉にグラスを掲げ、乾杯した(既に複数回盃を乾かしていた者も大勢いたが)。ミレイもおずおずとそれに続いた。

「は、『母なる大地に』」

「さぁ、いっぱい食べてねミレイちゃん。それ、ミレイちゃんの初獲物よ」

(知ってますよぉ!)

 ミレイはそのグロテスクな料理を目の前にし、思わず頭を抱えた。今日どんな思いで自分がこの化け物を殺したか、ママは知る由もないだろうが……しかし、ママの見ている手前、食べないというわけにもいかぬ! ミレイはそのひらひらしたものをフォークで取り……目を閉じ、覚悟を決めて……口に入れた。

 呪われし血の味。まろやかさのある脂肪分。そして肉が本来持つ食感。それらが合わさり、じんわりと口中に広がってゆく。

(……おいしい)

 ミレイは、最早味覚すらも生前のそれではなくなった自分に気付いた。しかし今は、前ほど嫌悪や不安の情が湧いてこない。ミレイはもう数切れ一度に取ると、それを口に運んだ。ミレイは後で気付いたのだが……それを食べれば食べるほど、目の前での食材によって今日負わされた傷は、塞がっていった。

 美味い物を食べた者の顔を、ママは知っている。それをミレイに認めたママは、にこりと笑うと、席を立った。……そして直後、そのミレイの元にドッと集まる女達!

「レベル1? それ皿の上のレベル1か? まあ最初はそうだよなぁ」

「お酒飲んでる? 全然減ってないじゃん、飲まなきゃホラホラ」

「モモの『妹』なんでしょ? もうヤった?」

「しっぽエローい!触っていい?」

「それ挿れてよー私の目にー」

 処理できぬほどの質問の雨! ハーレムめいた不気味な女の洪水! 口に押し込まれる大量の肉! 未知の酒!

「ひ、ひえぇ」

「お前ら」

 頭と口のパンクしかけたミレイの代わりに声を上げたのは、

「モモお姉様」

 隣に座っていたモモだった。モモは肘をついたまま、周りを赤い瞳でぎらりと見回す。ふたりの周りが、一瞬静まった。

「……妹が、困ってる」

 直後、湧き上がる歓声!

「『妹が、困ってる』だって!」

「もうベタベタじゃーん!」

「ってか『お姉様』って! 『お姉様』って!」

 一同は勝手に、そしてそれぞれで盛り上がり始めた。ミレイの周りが多少広くなる。ミレイの顔が酒と恥ずかしさにより赤くなってゆく、その横で、モモは小さく息を吐いた。

「……馴染めそうか?」

「……分かんないです」

 ミレイはどこかで聞いたような返事。

「そうか」

 そしてモモも、興味があるのやらないのやら分からぬ反応。だがミレイは、それを必要以上に不審がりはしなかった。モモはきっと、こういう人なのだ。人見知りだけど、優しさもあって、そして――。

「はいはーい、皆さん! お待ちかね!」

 そこへ割って入ったのは、ママである! いつの間にかそこに準備されていたのは……奇妙な旧世界機械!

 ミレイは知らぬ! これが『映写機』という名を持つことを!

「本日のメインイベント、ミレイちゃんが持って帰って来てくれたAV鑑賞会が始まりますよぉー!」

「イエーイ!」

「ヒュー!」

「ファーック!」

 盛大な拍手! 囃し立てる声!

「うええぇぇぇ!?」

 ミレイの悲鳴! 上映!? 『ミレイが選んできた』という触れ込みのいやらしい行為の映像を!? ここでみんなで!? 観るというのか!?

「ちょ、ちょっと、待っ、それはよく分かんなかったから適当に……」

「上映、開始ぃ~!」

 ミレイのその声は、ママの掛け声、そして女共の黄色い歓声にかき消された!

 白い壁に映し出される映像! 流れるチープな音楽! 劣情を煽る動きでカメラに目線を送る、全裸にハイヒールの巨乳女! 大写しになるタイトル!

 その名も! 『爆乳Gカップ 愛とパイズリの日々』!

「ウオォーッ!」

「出たあああァァッ!」

「乳フェチモノだあぁぁぁ!」

 大広間が揺れた! 画面では全裸ハイヒール女の豊満な胸が揺れている!

「これが趣味なのォ!? 大丈夫よォ! 私これ得意ィ! 今夜そのふっとい尻尾にいっぱいしてあげるわねェ!」

 躍るような足取りでドタドタと近づいてくるナース服女! トワだ!

(あっ! そういえば今夜そんな約束が!)

 肉棒を挟み上下に弾む女の胸を見ながら、盛り上がりが最高潮に達する大広間。既に服を脱ぎ始めているトワと、それを諌めるモモ。その間で目を回すミレイ。

 カオスの協奏曲めいたこの大広間で、ママだけが、その映像を静かに、そしてうっとりと眺めていた……。




 その日はとても暑かった。昨日が暑かったのと同じように。

 明日もきっと暑いだろう。

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