百々百々駄惰堕(どど・もも・だだだ)
黒道蟲太郎
暑かった日
「母なる大地の腐れマンコが
怪物べしゃりと産み出した
何故生まれて来やがった
呪わしい命……」
老人の頭のような荒野に、ハスキーな女の歌声が響き渡った。どこか感傷的な旋律のその歌は、乾いた風に乗り、遠くへと飛んで行く。彼女の歌声を聞いた者があるかは、分からない。
歌声の主たるその女は、お世辞にも品があるとは言えないこの歌を、特に何の感情も込めず歌っているようだった。
彼女はボロの修道服を身にまとっていた。とはいっても、普通のそれではない。
肩から先と豊満な胸元の露出が妙に高く、必要以上に体のラインが見えるタイトな作り。その上スカートにはスリットが入り、艶めかしい脚が覗いている。まるで見ろとでも言うように。腕や脚の関節周辺には、染みのついた包帯が巻き付けられていた。
しかし真に奇妙なのは、その尋常でない長身であろう。
メートル法に換算して、およそ二メートルと十センチに少し足りない程度。そんな彼女の腰まで届いているのが、ヴェールから零れ落ちている黒い前髪である。それは、彼女の顔を左半分覆い隠していた。
重いブーツの足音と自作の歌を響かせながら、女は荒れ野を進む。白い肌と黒い修道服のコントラストは、見る者の目をチカチカと痛めるだろう。しかし注意して見れば、それだけでないことが分かる。
彼女の体、あるいは服のあちこちには、赤黒い何かが付着しているのだ。
それは一体何か? 彼女の手へと視線をやれば、すぐに察することができる。
赤く塗られた爪。指の付け根辺りにゴツゴツとした金属が取り付けられた、黒い革の指抜き手袋。それをはめた両手にぶら下げているのは、歪な肉塊である。
それが何かの死骸であることは明白だが、何の死骸なのかが問題である。大きさはどちらも一メートルに満たない程度。体毛は無い。巨大な蝙蝠の翼めいたものが生えているが、それとは別に赤ん坊の腕のようなものが六本。それが、白く球状に近い肉の塊に直接くっついている。目や耳や鼻、口等にあたる器官は見当たらない。
白くて丸いものに翼と手を無理矢理植えつけたような、どこか冒涜的で思わず目を背けたくなる物体。しかしその破けた皮膚から流れる酸化した血液、そして露出された内臓めいたものが、これが確かに生き物であることを物語っている。
彼女はその死骸の腕を、取っ手を持つように握っていた。それは、小さな子供の手を引いて、家へ連れ帰る姉のようにも見える。
「何故生まれて来やがった
呪わしい命……」
何故、の『な』に大きくアクセントを置き、彼女はこの単調な歌を繰り返していた。何度も、何度も。
「母なる……」
女は不意に歌と足を止め、その赤い瞳をギョロリと動かした。
彼女の視線の先には、大きい岩。その陰から、何かの這うような音が聞こえる。
両手の死骸を、彼女はどさりと地面に置いた。
「……あのさぁ、話が通じるならでいいんだけど。マジでどーしても今すぐヤりたい?」
彼女は首をぐりぐりと動かしながら、淡々と言った。
「アタシさ、もう結構ヤり疲れてんのね。だってコイツら飛ぶんだもん。逃げるし。たった二匹でクタクタよ。暑いしさ。肌に悪いよねこの天気」
岩陰の気配は、しばし様子をうかがっているようだった。
「もう一発って気分じゃさ、あんまりないわけ」
ずるり、ずるり。
「お、ひょっとしてこっちの話分かる? つまりさ、アタシの体に興味あるなら一旦帰ってシャワー浴びさせてって話なんだけど――」
草と砂利の音を立てながら岩陰から現れたのは、
「――あー。ごめん、アンタちょっとタイプじゃないかも」
どこか出来損なった白い何か、と呼ぶしかない生物だった。
鱗のないトカゲめいた胴体に、人間の脚に似たものが七本。そのアシンメトリーさが、見る者の心に不快感を湧き上がらせる。引きずっていたのは太い尻尾。鎌首をもたげたその頭らしい部分には、やはり何の器官もないように見えた。
「……まあ、レベル3ってトコ?」
『それ』の体長を確認しながら、女は言った。メートル法に換算して、三、四メートル。彼女より大きい。
「ぃぃぃぃぃぃいいいいいい」
『それ』は震えながら、笛めいて甲高い耳障りな音を立てる。同時に、それの顔にあたる部分の先端に、虚ろな穴が拡がった。
「いいよ。でも疲れてるからさ。さっさとイってね」
準備体操めいて手をぶらぶらさせつつ、彼女は再び歌を口ずさんだ。
「母なる大地に埋めてやっても
亡者がどろりと起き出した
何故素直に死なねんだ
呪わしい命……」
刹那、ごろん、と何かの落ちる音。それは彼女の側から聞こえた。
落ちていたのは、彼女の右肘から先だった。
断面から血液が噴き出す。しかしその腕は、ただ落ちているというわけではなかった。繋がっているのだ。彼女の腕の骨が、チェーンめいて伸びて。
更に注目すれば、それが最早骨とすら呼べぬことが分かるだろう。
紛れもない金属。
更に言えば、似ている。生者が蛇腹剣と呼ぶものに……!
「堕ッ!」
掛け声と共に、彼女は右腕を大きく振り上げた!
ジャリジャリジャリジャリ!
鎖のような音を立てながら、彼女の腕が大きく宙を舞う!
「惰ァッ!」
彼女がその腕を勢いよく振り下ろすと、彼女の肘から先が尋常ならざる速度で『それ』の首に激突した!
「ぃぃぃぃいいいい!」
衝撃音! 悲鳴!
「駄……ァアッ!」
直後、女はその場で屈み、大きく跳躍!
同時に、再びジャリジャリと金属音! 伸びた腕の骨が縮む音だ!
彼女の体は、『それ』に向かって一直線に飛んで行く! 彼女の手は、既に『それ』の首を掴んでいるのだ!
風圧で彼女の前髪がばさばさとなびく! 嗚呼、その下には……!
赤くただれた皮膚。失われた頬の肉。むき出しの歯……!
それは、目の前にいる『それ』と同じ程度には、怪物らしく見えた。
零れ落ちそうな眼球は、獲物の姿を確かに捉え、赤く輝く! 『それ』は大きく口を開ける!
「唾ッ、ウウウ!」
彼女が左手の手袋を口で外すと、その手の甲から何かが飛び出した!
それは、剣の切っ先! 彼女の左腕もまた、武器であったのだ!
彼女の左腕の筋肉がブチブチ音を立て盛り上がる! 彼女は『それ』の脳天に、左腕の剣を突き刺した!
「ウッ! ウッ! ウゥーッ!」
何度も! 何度も!
「ウゥオーッ!」
「ぃぃいいいい!」
気の狂ったような叫び声! 飛び散る血液、そして脳!
「オァァアアアハハハハハ! 入ってる! 脳犯してる! ェアハハハハァァァ!」
彼女は目をぎらつかせ、奇声とも笑い声ともとれる声を上げていた。もっとも、顔の左半分は既に笑ったような顔であったが。
やがて『それ』は倒れた。
倒れてもまだ、彼女は刺すのをやめなかった。
……そして、『それ』の顔らしき部分が原型を留めなくなる頃。
「フゥ……ゥウウーッ……」
彼女は大きく息を吐き、首を数度捻った。
腕が外れたままその場に座り込み、空を見上げる。
恍惚の表情。そのぽかんと開いた口の端からは、唾液が流れていた。
「……嘘ついたかも」
彼女は目だけで死骸を見下ろし、震える声で話しかけた。
「今脳汁すごいよ……今日帰ったら絶対すぐセックスしよ……シャワーとかいい……キキでも捕まえて……冷えた寝室で……」
彼女は内股でゆらりと立ち上がると、左腕の剣を引っ込め、右腕を元に戻し、手袋を拾った。
「あー……でもこれ……早く帰んないと……アタシがヤる前にイくわ……」
ほどけた包帯を傷口に再び巻きながら、彼女は毒づいた。最後に前髪を再び整えると、ぼんやりし始めた頭で改めて獲物を見る。
この『レベル3』は思わぬ収穫だった。持って帰れば、ママもそれなりの小遣いをくれるだろう。
「ママ、母乳くれっかな……それよりヤらせてほしいけど……」
彼女は右手に羽の生えた死骸を二体持ち、空いた左手で『レベル3』の尻尾を持った。そして歩き出す。百キロを超えるであろう『レベル3』の巨体は、彼女にあっけなく引きずられ始めた。
しかし直後、彼女はその場でうつ伏せに倒れることになった。
「あっ。ダメだ」
重さのせいではない。包帯に血が滲み、左の二の腕はズタズタに裂けている。
「……張り切りすぎたかぁ」
出血が多すぎた。体の動きに制限が出るほどに。
「どーすっかな……」
弱々しい声が、その喉から漏れた。
(ここで死んだら超やだな……いや死んではいるんだけど……そうじゃなくて……)
視界もぼやけだす。
(……セックスが……母乳……あー、困ったな……)
聴覚も弱り始めていた。
故に気付かなかった。彼女に接近する、ひとつの足音があったことに。
その足音は、彼女の隣でぴたりと止まり――。
「……モモじゃん」
直後、彼女の耳にも届く大きな女の声。
「……あー……その声キキ? ……ちょっと頭上げらんねぇから分かんねぇけど」
地に伏した女……モモは、その姿勢のまま返事をした。
「また失血死してんのかよ。何なの? 脳味噌ねえの?」
キキと呼ばれた女は、嘲りと呆れの中間のような声で笑った。
「テメェ、三匹も狩ってんじゃねぇか。レベル……3? 3か? 大物までいんのに。食えよレベル1でも一匹くらい」
キキは、モモの殺した異形達を眺めながら言った。
「何度も言わせんな、アタシはグルメなんだよ。未調理の肉とか食うか。いいから助けろ」
「低いトコから見下しやがってテメェ」
霞むモモの視界に、茶色い塊が飛び込んできた。
食欲をそそる独特の匂い。
「燻製肉?」
「見えねえのかよ。相当だなテメェ……で? 何を出す?」
キキの声が、途端に商売人のそれとなる。
「あー……」
思考のおぼつかぬ頭の中で、モモは算盤を弾いた。
「……レベル1。二匹ともやるよ」
「聞こえんなぁ?」
「ハァ? 燻製肉一個だぞ?」
「違ぇな、テメェの命の値段を聞いてんだよ」
キキキと甲高い忍び笑いが、モモの耳にも届いた。
「うわぁ、お前絶対殺す」
「死んだら殺せんぜ」
「クソが……じゃあ……今夜アタシのマンコに拳ぶち込んでいいよ」
「いいね、だがもう一声ッ」
「ハァ? 何だよもう一声って」
「あるじゃあごぜぇやせんか、レディ。立派な立派なブツが」
モモにキキの顔は見えなかったが、彼女が何をチラチラ見ているかは想像できた。
「オイオイオイオイ、ふざけんなよ。いくらなんでもレベル3は」
「全部とは言わねえよ。ソレ半分とテメェのガバマン開発権で勘弁してやるって言ってんだ」
「半分でも多すぎるわアバズレが、脳味噌ファックすんぞ」
出せる限りの大声で、モモはキキを罵った。しかしキキはケラケラと笑うばかりである。
「ハッ、リーズナブルな命だこと。この場でテメェの獲物全部持って帰ってもいいんだぜ」
その声には明らかに、他者の生死を握る愉悦が混じっていた。
「亡者の屑がこの野郎……分かった、分かったよ。レベル3三分の一。レベル1も二匹くれてやる。これ以上は譲らねぇ」
「キキキ、良かろう。存分に食い給え、無力なレディ」
荒野にキキの嘲笑う声が響き渡るのを、モモは奥歯を噛みしめて聞いているしかなかった。
「笑ってねえで早く喰わせろ、クソ売女」
「おやおや、モモちゃん? 喋るお口はあるのに食べるお口は無いんでちゅか」
「疲れてんだよ……舌動かすので精一杯だ。というかアタシうつ伏せなんだよ、分かんだろぐぇっ」
モモが言い終わるか言い終わらないかのうちに、その体がキキの足によって仰向けにされた。
「そんじゃあまぁ、特別大サービスで食べさせてあげるとしますかね。一生懸命舌使えよ」
キキの声の後、噛み千切る音、咀嚼音。
次の瞬間、モモの口が僅かにこじ開けられ、そこに何かが入ってきた。
「んっ」
モモはそれが何か分かった。
キキの舌だ。
肉と共に、キキの唾液が流れ込んでくる。
モモはそれを飲み込もうとするが、食欲とは別の感覚が襲ってくる。キキの舌はナメクジのように、モモの歯の裏側をゆっくりと這っていた。
「んんんっ!?」
直後、ねちゃりと音を立て、モモとキキの口が糸を引きながら離れた。
「モモ、あんまりこぼすなよ、行儀悪いぜ」
キキの指摘通り、モモの皮膚が無い左頬から、唾液や肉が漏れ出していた。
「……あんな這わすから――」
モモが言い終わる前に、キキは再び肉を食いちぎり、舌を入れ始めた。
「うんんっ!」
「ぷはぁ、だから全部飲み込めってぇ」
「だからァゥッんんん! ぷはぁ!? や、やめ、普通にンンンんん――!?」
「――もういい、いい、自分で食える」
四、五回ほど繰り返した後、モモが左手を挙げてキキを制した。
「お、動けるじゃねぇか。よかったな」
「よかったなじゃねぇよ……あんな……寄越せ」
モモはその左手で燻製肉を奪うと、それを貪り始めた。
それを丸々一個食べ終わる頃、モモは完全に身を起こせるようになっていた。
「キキキ、これで帰れるな」
モモはうんざりしたような顔でキキに視線をやった。今なら完全に見える。
胸元の開いてボンデージめいた黒い革のドレス。首、腕、脚、至る所に巻かれた革のバンド。肩まである銀色の髪。そして何より。
「それより、約束忘れんなよ」
彼女がモモの眼前に突き出したのは、拳。
甲殻類めいて硬質化した表面に、細かい棘。そればかりか、金属で作られた小さな刃まで、いくつも埋め込まれている。
「契約違反者は殺していいって、ママも言ってたぜ」
細い眉を片方だけ上げ、キキはニヤリと笑った。
「分かってるよ」
モモは、今夜自分の膣が辿る運命を想像しながら、己の――しかし今やその多くがキキのものとなった――獲物を再び拾い上げた。
「キキキ、恨むなよ。テメェがチーム組むなり何なりしねぇから、こういう悪徳商売に頼らなきゃいけなくなるんだぜ」
「自分で言うかよ悪徳って」
キキの獲物は、彼女の身長程度の大きさがある、全身に触手がみっしりと生えた生物が一匹。その死骸を担ぎながら、キキは不機嫌そうな顔のモモを見た。
「そんなに嫌か、チーム」
「ヤだよチームとか。邪魔じゃん他人って」
「モモとヤりたい奴、結構いると思うけどな……ま、いいけどよ」
キキは一度フッと息を吐いた。
「大体モモは自分ルールが多過ぎんだよ、無駄に血の出る戦い方はする、そのくせサポート役は連れて行かねえ、肉はそのままじゃ食わねえ……せめて肉は持ってけや」
「馬鹿、持ってったけど食っちまったんだよ」
「馬鹿はテメェだ馬鹿」
「いいから帰ろうぜ。晩飯作ってママが待ってら」
モモがそう言って歩き出すと、キキもそれに続いた。
「そうだな、冷房効かせたスウィートホームで」
「酒も待ってる」
「博打も」
「冷たい寝床も」
「熱いセックスもな」
「……忘れてねえって」
ふたつのブーツの足音が、辺りに染み渡る。
「母なる大地の生んだ子供が
母ちゃん殺して喜んだ
何故生まれて来やがった
呪わしい命……」
歩きながら、突然モモは歌い始めた。
「相変わらず陰気臭ぇ歌」
「好きだって言ってたろ」
「嫌いじゃねえって言ったんだ。陰気なモンは陰気だぜ」
そう言いつつキキもまた、その歌を真似し始めた。
「何だっけ? 母なる大地の腐れマンコが?」
「怪物べしゃりと生み出した」
「そうか。なーぜ生まれて……」
「違ぇよ、『な』にもっとアクセント置いて、こう、『ぬゎぁ~ぜ』って感じで」
「好きに歌わせろや。ホント自分ルール多いなテメェ。ぬわぁ~ぜ生まれて……」
「やればできんじゃねぇか」
ふざけ合いながら、ふたりはママの待つ『家』を目指した。
日は既に傾き始めている。夕日に染まった廃墟ビル群が見え始めれば、あと少し。彼女らの頭は、既に今夜の享楽のことで一杯だった。
その日はとても暑かった。昨日が暑かったのと同じように。
明日もきっと暑いだろう。
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