穴を塞ぐ日
そこには道があった。ひび割れ朽ち果てた、旧世界道路の残骸が。
かつてはアスファルト舗装され、多くの人通りがあったであろうこの道。再び整備しようとする者は、最早誰もおらぬ。その技術を持っている者自体、最早この世界に残ってはいないだろう。亀裂から伸びた草は、風に乗り揺れていた。
その上を、ゆっくりと進む鉄の塊があった。
旧世界の人間が見れば、これが何かすぐに答えられよう。それは、彼らがトラックと呼称した、大型の車両であった。
塗装は剥げ、窓に張られていたガラスは割れ、燃料は尽きている……燃料が? では、このトラックはいかにして動いているのか?
単純である。
トラックの前方に、ワイヤーが繋がれていた。ぴんと張ったそれの先には……嗚呼、旧世界生物、馬が出来損なったような、白い生き物があった。
トラックより少し低い程度の高さ。体毛の無く、ぬめぬめした肌。筋肉質な体。五本の脚の先端には、黒い蹄めいたもの。首は異様に細く、その先端ではバランスの悪い頭らしきものがカクカクと揺れている。目、耳、鼻、口。怪物の顔には何もない。しかし代わりに、不思議な金属片や棒状のものがいくつも埋められていた。怪物の体の一部だろうか? 否。これは後天的に埋め込まれたものである。
「シロ。もうちょっとだぞ」
化物に向けられた、女の声。それは、トラックの運転席……ではない。その屋根の上から聞こえた。赤く裾の長いコート。黒いミニスカート。劣情をそそる網タイツ、そしてブーツ。ポニーテールの頭の上に、大きなシルクハット。豊満な胸の谷間には、漢数字『一二六』を記号化したタトゥー。
猛獣使いめいたその女は、目の前の異形に……そう、まるで愛玩動物に話しかけるが如く、語り掛けていた。怪物は黙々と歩を進める。荷物を満載した、グラム法にして何トンもある鉄の塊を引っ張りながら。
この光景を見て驚く者もあるやもしれぬ。無理もない。この異形の怪物共といえば、人間と見れば生者も死者も関係なく襲い掛かる存在。それがこの呪われし新世界の常識である。ところが、このシロと呼ばれた個体はそうではない。それどころか、死者の為に荷を運んでいる。
これはいかなることか? 答えはやはり、その頭にある。
シロは、『先生』と呼ばれる女によって脳手術を受け、そしてそれが成功した唯一の個体なのだ。脳漂白、トレパネーション、ロボトミー、そして無数の金属片埋め込み。先生の電撃的インスピレーションに基づく手術の結果、化物は凶暴性を失った。そして、この猛獣使い女の命令だけを、忠実に実行するようになったのだ。
「ほら、見えるかシロ。おうちだぞ」
嗚呼、遠方に廃墟ビル群。それを指差しながら、猛獣使い女はシロに語り掛けた。
「ご飯が食べれるぞー」
シロの体に一斉に裂け目ができ、かっと開いた。それらは無数の目であった。緑色の瞳が、全て同時に廃墟ビル群を見た。
「えへへ。楽しみ? シロ」
彼女は無邪気な笑みを浮かべ、そして歌い始めた。
「ライ、ライ、ラリリライ
ラリリライリライ
今宵は飲むのさ
ラリリライリライ」
彼女の最も親しい友人が歌っていた曲である。
「ライ、ライ、ラリリライ
ラリリライリライ
今宵は喰うのさ
ラリリライリライ」
「いぃー」
目を引っ込めたシロは、代わりに顔部分に口めいた空洞を出現させ、女の歌に合いの手を入れた。甲高い笛のような鳴き声であった。
「いいぞーシロ、一緒に歌おっか。ライ、ライ、ラリリライ、ラリリライリライ」
「いぃー」
「明日も一緒さ、ラリリライリライ」
「いぃー」
荒野に響くその歌を聞いている者はいない……否。いるといえばいる。
トラックの後ろに、四つの死体。
数時間前まで、生者だったもの。
それらが縄で縛られ、トラック後部に繋がれ、見せしめのように引きずられている。囚人めいた服を着たその女達は、最早その扱いに抗議の声を上げることすらできなかった。
「ライ、ライ、ラリリライ、ラリリライリライ」
「いぃー」
「死ぬまで一緒さ、ラリリライリライ」
「いぃー」
女は空を見た。太陽の位置は低くなりつつある。日没までには帰ることができようか。『家』の皆が、積み荷を待っている。
「ちょっと急ごっか」
女がそう声をかけると、シロは歩みを早めた。
「よし、偉いっ。あとちょっとだぞ」
それを満足げに見ると、女は再び歌い始める。
「ライ、ライ、ラリリライ、ラリリライリライ……なんか頭に残るメロディなんだよね、いい歌作るなぁ、モモ」
「良い声で鳴くなぁ、モモ」
薄暗くひんやりとした冷蔵霊安室、その中央にある大きな棺桶の中。モモと呼ばれた女は、気の狂ったような叫び声を上げながら、六十六回目の絶頂に達した。メートル法に換算して二メートルを超える仰向けの体が、下半身を仰け反らせびくびくと痙攣する。
「うぁー……あぁ……」
モモは口の左端から大量の唾液を流し、虚ろな目をしていた。彼女の顔は、左半分が崩れている。頬の肉も無いので、夢中でセックスをしているといつもこうなるのである。
「モモ、まだイけんだろ?」
「おう……新記録……まだまだ、更新……」
「キキッ、だよな」
モモの体を激しく責め立てていたもうひとりの女は、モモの返事を聞くと、ニタリと笑った。
身長はモモの四分の三程度。肩まで届く銀髪。服は脱いでいるが、首や腕、脚など、体中のあちこちに革のバンドをきつく巻いている。臍の周りには漢数字の『七』を三つ並べたようなタトゥー。一見すれば、魅惑的な体の美女。
しかしその手が、彼女の異常性を物語っていた。甲殻類の殻のように異様に硬質化し、小さな棘がびっしりと生えた手の甲。そしてそれだけでは飽き足らず、小型の刃まで何枚も埋め込んでいる。
「キキ、早く……百回、まだまだ……」
「分かってるって」
彼女は……キキはそう答えると、生者が見れば叫び声を上げるような顔をしたモモと、何の躊躇も無くディープキスを始めた。舌を絡め、歯の裏を這わせ、口の中の性感帯を責める。慣れたものだ。何せキキは、モモが最高と認めるセックスフレンドのひとりなのだから。
この部屋がある亡者達の棲家……通称『家』に住む女達は、そのほとんどが性欲に取り憑かれている。一日一度以上セックスをするのは当然であるし、相手も固定せず、日によって違うという場合も多い。『チーム』を組んでいれば、必然的にそのメンバーとのセックスが多くなるが。
そのような『家』の性事情を前提としても、モモの性欲は尋常ではなかった。責める方も責められる方もこなせる柔軟性を活かし、モモは八割以上の女と最低一回は寝ている。そして、大抵の女は途中で音を上げ、もう勘弁してくれと懇願しだす。体力が違い過ぎるのだ。死者が体力を気にするというのも妙な話だが……常人なら気絶するほどの回数絶頂しても、モモが平気で行為を続けるのは確かなのだ。
現存する住人のうち、モモの旺盛すぎる性欲に一晩中ついて行けるのは、三人ほどだと言われている。
ひとりはトワ。
ひとりはイロハ。
そしてこの女、キキ。
このうちモモと寝た回数ならトワが断然多く、プレイの激しさならイロハがトップであろう。しかし一番内容の充実したセックスができる相手は誰かと問われれば、モモはキキを選ぶ。
今日もふたりは同じ日に『休み』を設定し、一日中セックスをし続けるという記録に挑戦していた。目標としてはモモが百回イくことが設定されており、事実その七割近くが既に達成されている。
キキの絶頂回数はそれよりいくらか少ないが、キキは流石に百回もイきたいとは思っていないし、オーガズムにそこまでこだわりがあるわけではない。しかし、普段からなんとなく偉そうなモモが、自分のテクを前に成す術無くイき続けるのを見るのは、加虐嗜好を持つ彼女にとってはたまらぬ快感であった。
「うっ、うあぁ」
「あっ……あぁ」
モモは六十七回目の、キキは四十四回目の絶頂を迎えた。モモの上に崩れ落ちたキキは、モモの左胸から臍にかけて刻まれたタトゥーを指で撫でる。
「モモ、一旦休憩……酒でも飲もうぜ」
「……おう……」
モモが素直に休憩を受け入れるのは珍しい。モモをここまで追い込めるのは、恐らく自分だけであろう。そう思うだけで、キキの頭から脳汁が溢れ出した。
数度キスをし余韻を味わってから、ふたりは服を着始めた。モモはやたらと体のラインが出る修道服、キキは黒い革のボンデージドレス。モモは髪のセットに少し時間をかけた。顔の左半分だけが隠れるようにするのは、意外とコツがいる。キキは何も言わず、モモのヘアセットを見ていた。
冷蔵霊安室から出、モモが鍵を閉めると、ふたりは亡者達の憩いの場……大広間へと向かった。ドアを開ければ、旧世界メタルとブラックライト光に包まれた、黒と白を基調とした空間。一日中地下の部屋でセックスしていたふたりは気付かなかったが、既に時刻は夕方。亡者が集まり、狩りの疲れを酒や食事で癒し始めている。博打が始まるのはもっと後だ。
「なぁモモ、たまにはゆっくりさ――」
「あっ」
「ん?」
キキの言葉を遮ったモモ。その視線の先には、ひとりの女がいた。赤いコートにシルクハットの猛獣使い女。
「イヅルぅ!」
モモは手を振りながら、カウンター席へ歩いて行った。
「あー、モモ! キキも一緒なんだー、座りなよこっち」
イヅルと呼ばれた猛獣使い女は、モモの声に振り向き、手招きをした。
「……気安く呼びやがって」
キキは一度舌打ちをし、モモに続いた。
「帰って来てたんだな」
モモはそう言いつつ、イヅルの隣に座った。
「うん、さっきね。お酒もいっぱい持って帰って来たよ」
「そうかよ、ご苦労さんで」
やや不機嫌そうに、キキがモモの隣に座った。
「ってモモ、なんかすごい臭いするけど」
「あ、バレた? キキと一日中セックスしてたから」
「えぇ!? 一日って丸一日!?」
イヅルは大袈裟過ぎるほどに驚いた。
「オウ、ふたりで休み合わせてさ。な」
「そうだよ、悪いか」
キキはそう言ってそっぽを向いた。
「すごーい、私もいくら何でも一日はできないよ、仲良しだね」
が、イヅルのその言葉を聞いた途端、再び振り向いた。
「仲、ま、まあ? コイツの性欲に付き合えるのは――」
「仲良くはねぇよ。体の相性がいいだけ」
キキが何か言いかけたのを、モモが遮った。
「ちょっ……まあ、そうだよ、いいよそれで。12号、いつもの」
カウンターに立っていた露出の激しいメイド服女に、キキは酒を注文した。その間にも、イヅルとモモは楽しげに会話を続ける。モモが楽しく会話する相手など、あまり見たことがない。キキはなんとなく落ち着かなかった。
「っていうか聞いてよモモ、帰りに生きた人間に襲われてねー」
「おっ、マジか。生きてるっていうと、『
「違うっぽかったけどなぁ。なんか変な服着てたもん。『塔京』でアレが流行ってんなら知らないけど」
「よく分かんねえもんな、生きてる奴って」
12号は、キキに不健康な緑色をした液体を差し出した。キキはそれをがばがばと飲み、カジノチップ通貨を12号の胸の間にねじ込んだ。胸に開いたスリットにチップが挿入されると、12号は小さく喘ぎ声を上げた。
「でね、でね。ヤバッて思ったけど、シロが助けてくれたんだぁ」
シロ。その名を口にした途端、イヅルは両頬に手を当ててくねくねと左右に揺れ始めた。モモは、そして話題に参加していないキキも、何とも言えぬ表情になる。
「……ああ、シロな」
「武器持った奴らがわーって来たんだけど、そこをシロが触手でぶわーってやって、蹄でばーんって」
「クールだな」
「でしょ」
モモの心の込められていない称賛を受け、イヅルのテンションは更に高まった。
「ホントにカッコイイんだよシロ! 力持ちだし、優しいし、歌も歌えるし、何が襲ってきてもやっつけちゃうんだから! だからホントに大好きなんだー!」
「……みてぇだな」
「しかも殺し方が上手なんだよ、お陰で状態のいい『検体』が四つもできて」
「マジか。やったな、大儲けじゃん」
ここはモモの本心であった。
「そうなんだぁー、いいでしょ! 先生も喜んでた!」
「長旅は大変だしな、それくらいは良いコトねぇとやってらんねぇだろ」
イヅルはえへへと笑った。
「……まあ、シロ様様だよな」
「うん、シロにも後でご褒美あげるんだー!」
「……オウ、そっか」
モモの返事が曖昧に戻った。
「あら、モモちゃんキキちゃん、来てたの?」
そこへ料理を持って現れたのは、紫のドレスを着た、頭よりも巨大な乳房を持つ女であった。
「あ、ママ」
「ママ」
モモとキキは同時に声を上げ、ママと呼んだ彼女の方を見た。
「今日はふたりともお休みだったっけ。いっぱい遊んだのかな? ……はいイヅルちゃんお待たせ、レベル4のお刺身ですよぉ」
モモとキキをからかいつつ、ママはイヅルの前に皿を置く。花のように美しく盛り付けられた、高級異形肉の刺身。黒っぽい液体、すりおろされた緑色の物体、ギザギザした謎の葉も共に添えられていた。
「レベル4かぁ、豪勢だな」
「儲かった日くらいはね。はいママ」
「はい、どうも」
イヅルが高額カジノチップを数枚差し出すと、ママはそれを胸の間にしまった。
「モモもよければ何か奢るよ?」
「おっ、マジか?」
モモの赤い瞳が一瞬で輝いた。
「何でもいいのか?」
「勿論。一番高いのでもいいよ。今日の私お金持ちだから」
モモは即座にママ手書きのメニュー表を開き、一番高い品はどれか確認し始めた。
「キキもほら」
イヅルはにこやかにキキを見た。キキは顔をしかめた。嫌味の無い顔なのが、余計に納得いかない。しかし……キキは頭を抱え、数秒考えてから、
「おい、テメェ……こんなんで私を懐柔できたと思うんじゃねぇぜ」
「うん……うん? とりあえずどうぞ」
モモと共にメニューを見始めた。
旧世界時間に換算して一時間ほど、ふたりはイヅルの金で飲み食いを続けた。そしてイヅルと共に大広間を出、部屋に戻ると、酔ってハイになった頭でセックスの続きを始めた。
薄暗い、タイル張りの手術室。並べられた四つの手術台、四つの死体。いずれも女のそれ。しかも頭髪が剃られ、頭蓋骨が切り開かれている。
「……こいつもかイ」
その傍らに立つひとりの女。後ろで縛られた、色素の無い髪。褐色の肌。黒い下着の上に直接着た白衣。
その指先からは、様々な手術器具……そして機械に用いるような工具が直接生えている。彼女はこれらを用い、死体の頭を切り開き、そして脳を取り出すつもりだった。しかし、これは……。
「驚きだネ。揃いも揃って脳味噌クラッシュなんてサ」
そう、彼女らの脳は、頭蓋骨の中で粉々になり、焼け焦げていたのだ。
嗚呼、これはいかなることか? シロが、イヅルがやり損なったか?
「……いや、無いネ」
先生は一瞬でその可能性を否定した。脳を破壊すれば、死体は検体としての価値を完全に失う。この『家』にそれを知らぬ者はいない。初歩的なミスでないのなら、答えはひとつ。
「自分でヤった……ってことかネ?」
脳に残された奇妙な焦げ跡を見ながら、先生はそう結論付けた。頭の中に丁度脳が砕け散る程度の爆弾を仕込み、己が死ぬタイミングを見計らって爆発させた? 随分と器用なものだ。しかし何の為に?
「そんなに嫌かネ、こっちに来るのガ」
蘇りの拒否。
殺傷力も無い爆弾を脳に仕込む理由など、それしか思い浮かばぬ。
「何でもいいけどサ……どうせならいっそ大爆発するようにしたらいいのニ。私ならそうするネ。敵を巻き込めるもノ」
先生は大きくため息をついた。
「しかし、よっぽど私達が嫌いな奴らがいるんだネ。生者の中にサ」
今更イヅルに金を返せとも言えぬ。この死体は『食人同好会』にでも転売するしかない。それでも全額は取り戻せまい。
「うーん、大損ダ」
先生は死体を放置し、ふらりと部屋を出た。少し外の空気を吸いたい。呼吸など必要ないが。
階段を上り地上階へ出ると、むわりと暑い空気が彼女を迎えた。
地下の手術室の方が、遥かに快適である。それでも彼女にとって、外に出て深呼吸をすることは重要な頭のリセット手段であった。
宵闇に包まれた廃墟群。風の音が支配する沈黙の世界。滅びた文明を静かに見下ろす、精子を泳がせたような星空……この『家』では珍しいが、彼女はこの景色に何とも言えぬ愛着を抱いていた。
大きく息を吸い、吐く。首を回し、肩を回し、伸び。彼女の頭はなんとなくスッキリした。
「……一旦酒でも飲もうかナ」
彼女がそう言って再び地下へ戻ろうとした、その時である。風に乗って、その音が聞こえてきたのは。
「い、い、い、い、い」
「たすけてぇ、しぬぅ、しんじゃうぅ」
「………!?」
先生は眉間に皺を寄せ、音の方を見た。この特徴的な甲高い声は、間違いなくあの異形生物のもの。そして同時に聞こえる声。助けを求めている。
「……あの化け物が、夜ニ?」
異形の多くは、夜に活動しない。現在のところ、それが定説になっている。まれに凶暴な夜行性の怪物もいるが、アレがこの辺りで出るという話は聞いたことがない。
「……仮にそれだとすると……ヤバいかナ」
「う、うぅ、だめ、やめでぇ」
「い、い、い」
助けを呼ぶべきか? とっさの判断。
「いや、それじゃ間に合わないかもネ」
先生は大地を蹴り、跳躍! 同時に白衣を脱ぎ捨てた!
直後、皮膚を突き破り、噴き出す血液と共に現れたのは……大量の金属触手! それが彼女の全身に絡みつき、形成したのだ! 鎧めいた、強化外骨格を!
彼女は滅多にこの姿にならぬ。狩りは娘達にさせるもので、自分で狩りをする機会など滅多にないからである。しかしこのような緊急時は話が別!
「これで殺せる相手だといい……ネッ!」
その一歩で彼女は大幅に前進! 機動力が大幅に上昇しているのが、誰の目にも明らかである! 彼女は声へと一気に近づいた! 近くの廃墟ビルがひとつ、声はそこから聞こえる!
「どれ、見せてごらン! そこにいるのは誰かナッ!?」
彼女は目を暗視モードにし、割れた窓から中に……勢い良く飛び込んだ!
「い、い、い」
「ひっ!?」
「……あ、あレ」
先生が見たのは、予想だにしない光景であった。
確かにそこには異形生物がいる。そして、その下で襲われている女もいる。
ただし襲われているとは、この場合性的なそれを意味していた。
仰向けで地面に倒れる、裸にシルクハットの女。
その上で、腰を振る蹄の異形……。
「……イヅル、と、シロ……だよ、ネ……?」
「へぁ、せ、先生ですかァ? ひゃ、だめ、こんなお見苦しいっ、し、シロ、止めてぇ、止めてェ」
彼女の言葉に反し、シロはその動きを止めない。シロは、全身から生やした触手でイヅルの性感帯という性感帯を責めていた。同時に、下半身から生やしたひときわ太い触手をイヅルの性器に挿入し、腰にあたる部分を激しく前後運動させてもいる。その皮膚から分泌される白い液体が潤滑剤となり、彼女の愛液と混じってぬちゅぬちゅとやかましく卑猥な音を立てていた。
「……オーウ……」
先生は強化外骨格を解除し、困惑の表情のまま立ち尽くした。
「……あの、興味本位というカ……教えてほしいんだけどサ。その、今日が初めてじゃないよネ? なんかノリノリだもんネ?」
「おほっ、ごめんなさい先生ッ、もう、何年も、前からァ……シロ、止めてってばぁ、とぶ、私、とんじゃうッ」
「……い、いや、いいよ別ニ……怒ってるワケじゃないシ……お好きニ……ビックリしただケ……」
「あぁ!? トぶぅ!? トんじゃうよ、トぶよぉ!?」
「……お好きニ」
先生の前で、イヅルは激しく絶頂に達した。同時にシロもびくりと体を震わす。直後、イヅルの腹が大きく膨れ上がった。シロが触手を引き抜くと、彼女の性器からは白い液体がどろりと溢れ出した。
「もう……シロぉ、こんなに中に出してぇ……」
そう言いつつ、イヅルの顔はいやに満足気だった。
「……オーウ……アー……うん、大丈夫だヨ……イヅルにもシロにも子供作る能力は無いからネ……中で出してモ、平気」
完全にどうすればいいか分からなくなった先生は、何のフォローにもなっていないコメントをした。
ところが、
「……あれ? そうなんですか?」
イヅルから返って来たのは意外な返事。
「エ? 当たり前だよネ? まず君達種族が違うよネ?」
「そ、そんな」
イヅルが明らかにしょんぼりとするのが見て取れた。
「……あレ?」
「こんなに出してるのに? だって、AVでは中出ししたら妊娠するって」
「えっ、ちょっと待っテ。整理させテ」
先生は頭を抱えた。
「……ひょっとして、子作りしてるつもりってこト? シロ、ト?」
「えへへ。いいでしょ?」
イヅルは白い体液まみれで横たわったまま、イノセントな笑顔を見せた。
「私、夢なんです。赤ちゃんいっぱい産んで、みんなで一緒に交易トラック引いて、お酒とか運ぶんです」
「……母なる大地ヨ」
先生は思わず祈りの声を上げた。
「先生、何とかならないですか? 私とシロの赤ちゃん、できませんか? 私、ママになりたい!」
「……オーウ……」
先生は頭を抱えたまま数秒間考え、口を開いた。
「……今後の研究待ちだネ……」
「やったぁ! 研究してくれるんですね! シロ、私達の赤ちゃんができるぞー!」
「……できるとは言ってないよネ……」
ぼそりと付け加えた言葉が、イヅルには聞こえていないようだった。
「あぅ!?」
シロはその股間の触手を、再びイヅルに挿入し始めていた。イヅルは既にそのぬらりとした感触を膣で味わうのに夢中である。
「……オーウ……」
イヅルとシロの交尾が再び始まった。ひと突きする度に、シロは鳴き声を漏らし、イヅルは喘ぐ。それは先程よりも更に激しいように見えた。
そのあまりの勢いに、イヅルが被っていたシルクハットが地面に落ちた。
そして露出された。
彼女の頭に刺さった……大量の……金属片……そして、棒状物体が……。
「シロぉ! あう、好き、大好きィ! 作ろ! シロ! 私たちの赤ちゃん作ろ!」
盛り続けるひとりと一体を尻目に、先生は複雑な表情のまま建物出口へ歩き始めた。イヅルは先生に一瞥もくれず、目の前の快楽に集中している。
(幸せな頭持った娘だネ)
カツカツとハイヒールの音を響かせながら、先生は建物を出た。
(何に恋しようと勝手だけどサ……当のシロがどう思ってるかとか、考えたことあるのかネ……いや、何も考えてないんだけド)
……そう、先生は知っている。
シロに思考能力が、ましてや恋愛感情があるはずはないのだ。
知能の低い化け物だから? 否。それは偏見に過ぎぬ。化け物にどの程度知能があるのか、未だハッキリとは解明されていない。
では何故そんなことが言えるか?
簡単だ。先生が手術で、その思考能力を奪ったからである。
シロは手術の結果、大人しく従順になったのではない。傀儡になっただけだ。シロと同じく脳手術を受けた結果、シロにテレパシー命令を送る能力を得た、イヅルの。
イヅルの言うこと何でも聞く?
違う。
言う際に願っていることを読み取り、それを実行しているのだ。
歌が歌える?
違う。
歌に合いの手を入れてほしいとイヅルが願うから、そうするのだ。
強くて優しい?
違う。
襲ってきた生者を殺してほしいと彼女が願うから、そうするのだ。
セックスをしたがる? イヅルを愛している?
それも違う。
彼女がシロと交尾したがり、また子供を欲しがるから、偽りの生殖器官を作り、偽りの精液を彼女の子宮に向けて放つのだ。排卵の起こるはずもない、死んだ器官に。
シロが自分の意志で行っていることは、何ひとつない。
シロは人形なのだ。イヅルの望みを何でも聞く、大きな肉の人形に過ぎぬのだ。
喘ぎ声を背中で聞きながら、先生は白衣を拾い上げ、身に纏った。
(ママになりたイ……かァ)
空に向け、彼女は苦い顔をする。
(ごめんネ、イヅル。死んだ女の子はネ、ママになれないんだヨ)
亡者の体には、嘘しかない。流れているのは血のような別の液体。あらゆる内臓は単なる飾り。肉を食い組織を回復させる必要はあるが、呼吸も栄養も睡眠も、何も必要ない。性欲はあるが、性欲の存在する理由が果たされることは……決して無い。
(母なる大地が言ってるのサ。死んだ娘は、ママになっちゃいけないって。……ママであっていいのは、ひとりだケ。たったひとりだケ)
嗚呼、哀しい表情をした科学者の脳裏に、その愛しい顔が浮かぶ。
(私の可愛い、1号ちゃんだケ……)
「うぐぅ、あぁ!?」
酒の回ったモモは、遂に本日百回目の絶頂を迎えた。
「……うぁー……う、やったぜ……」
「……ああ、ヤりまくったな……」
いくら性欲の強いふたりとはいえ、その消耗は凄まじかった。棺桶の中、ふたりは隣同士ごとりと倒れ込む。
「キキ、スゴすぎだろ……戻って来てから……激しすぎ……」
息も絶え絶え、モモはそう声を絞り出す。
「あー、そうだったか?」
「っていうかお前……なんか、怒ってなかった?」
「怒ってねぇよ」
「ホントか?」
「怒ってねぇって」
数秒の間、ふたりの荒い呼吸だけが霊安室を支配した。
「……モモってさ」
先に口を開いたのは、キキだった。
「アイツと仲良かったんだな」
「アイツ?」
「イヅル」
「まぁな」
「えっ」
あまりにもあっさりとしたその返事に、キキは困惑した。初めてだったからだ。モモが誰かと仲が良いと認めたのは。
「あ、そうなのか、へぇ」
「『姉貴』が一緒なんだよ。一時期は狩りも一緒にやってた。今はちょい疎遠気味だけどな。アイツが頭いじくりマワされて交易担当になってから」
どう反応していいか分からぬキキに向け、モモが続けた。
「そうだったんだっけ? テメェの姉貴って、あの――」
「ヨミ」
モモは、久しく口にしていなかったその名を呟いた。
「……ヨミだよな、あのヨミ」
「あの」
モモは淡々と返した。ここの古株で彼女の名を知らぬ者はいない。
「そうか、そうだったな。ヨミ。懐かしいな……今どうしてんだろうなアイツ」
「……分かんねえ」
モモは天井を見た。
「どうしてんだろな、ホント」
「……あ、それよりさ」
キキは何かを察し、話題を逸らした。
「イヅルといえば。アイツ、またシロとヤってんのかな」
「あー……多分な」
モモは眉間に若干の皺を寄せた。
「すげぇよな、いくらなんでも私アレとはヤれねぇ」
「いい奴なんだけどな、イヅル。アタシもアレだけは理解できねぇっていうか」
「ある意味『家』で一番の変態だよな」
「相当変態だよ。相手が化けモンって時点でやべぇけどさ。マジの恋らしいってのがやべぇよ。人間同士でもなかなかしねぇだろ今時」
モモのその言葉が、キキの胸を一瞬もやりとさせた。
「キキ、誰かが好きとかあるか?」
「……あるわけねぇだろ。ダセェよ、恋愛とか。そんな回りくどいことしてる間にセックスすりゃいいだろ。ダセェ」
「だよな」
モモは天井を見つめたまま、もう一度呟いた。
「ホントにダセェ」
キキはその横顔を見……そして辛抱たまらなくなり、突如モモに覆い被さった。
「うわっ、んだよ」
「もう一回だよ、まだまだ記録伸ばせるって」
「マジか、いいけどよ」
ふたりは再び唾液を交わらせ、体を絡め始めた。なんとなく穴が開いたようなその気持ちを、快楽で塞ぐように。
そしてそのままモモは二十回、キキは十九回果てた。
「なあ」
大きく息を吸い、そして吐いてから、モモは言った。
「何だよ」
「今度はさ……百五十回な」
「……キキッ、いいな」
腹も、性欲も、心に開いたような気がした隙間も、いっぱいに満たして、ふたりは泥のように眠った。昨日のような明日がやって来る、そう疑いもせずに。
その日はとても暑かった。昨日が暑かったのと同じように。
明日もきっと暑いだろう。
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