愛を買う日:②冷たい人形

「ひゅるりらるりら もういない

 餅をぺたぺた 月兎

 しかし兎は 誰じゃろな

 誰も知らない ひゅるりるら」


 ――モモとミレイが『家』を出てから、旧世界時間に換算して三時間ほど後。モモはミレイを連れ、荒野を歩いていた。昨日とは反対方向に。奇妙な歌を口ずさみながら。はじめの頃こそ怪訝に思っていたが、ミレイも最近はこの歌に慣れてきたし、そもそも今の彼女にはそんなことを気にしている余裕がなかった。彼女の小さく膨らんだ胸は、今、大きく高鳴っている。

「お姉様、4号さんの好きなものって何かありますか?」

 歌い続けるモモに、ミレイはふと思いついて訊ねた。

「あ?」

「食べ物とか、花とか、あ、あとお人形とか?」

「知らねぇ。興味ねぇし」

「えぇー、プレゼント考えようと思ったのに」

「……そうかよ」

 そんな話をしている間にも、ふたりの眼前に広がる光景が少しずつ変わってゆく。何らかのオブジェめいて大地に突き立てられた鉄骨。その先端に、異形生物の腐り果てた遺骸が、有刺鉄線で巻きつけてある。やがて見えるのは、鉄屑のゴミを寄せ集めて作られた巨大アーチ。その隣に何本も規則正しく立てられているのは、錆び果てた赤い逆三角形標識。白い文字でこう書いてある。『止まれ』と。

 亡者達はここから先をこう呼ぶ。『鉄屑墓地』。金属でできた旧世界遺物が大量に遺棄され、そのゴミ山を隠れ家にせんとする小型異形生物が、そしてそれらを餌にせんとする大型異形生物が集う地である。

「雑魚は気にすんな。ここの奴らは気弱だから」

「はい」

「変な奴がうろついてると思うけど、アイツらも気にすんな。こっちが何もしなきゃあっちも何もしない」

「はい」

「レベル3よりデカい奴だけ気にしろ。アイツらは間違いなく襲ってくる」

「はい」

「……話聞いてっか?」

「はい」

 モモは肩をすくめた。ミレイは既にアーチを潜り抜け、周囲をきょろきょろと落ち着きなく見回している。モモもまた周囲を見渡した。阿呆のように雲ひとつない空。亡者を腐らせ滅ぼそうとするかのような、照り付ける太陽。

 その下を動き回る人影がちらほらあった。それは、全身の腐り果てた全裸の女達。ある者は行くあてもなさそうにうろうろし、ある者は歯も無い口で鉄骨を懸命にかじり、またある者は鉄パイプを性器に突っ込んでゆっくりと前後させている。

 彼女らは不幸にも……不幸かどうかは彼女らが決めることだが……先生のような者による改造を経ぬまま死後二十八時間が経過し、無知性亡者と化してしまった者達である。自分達が今何をしているのか、彼女ら自身にも分かってはいまい。ただ、この鉄屑の山に本能めいた異様なこだわりを見せ、肉体の崩壊を待ちながら、日々それらと戯れているだけなのだ。

 ほぼ確実にレベル3に出会える場所。それを探しているなら、ここが確実な場所のひとつである。他の女達も滅多に寄り付かぬ、ここはいわゆる穴場スポットだと言えよう。何故か? それは彼女らが亡者なりに生理的嫌悪感を抱くからかもしれない。一歩間違えば。たまたま遺体を『家』の者に拾われなければ。自分がこの墓場の住人だったかもしれないのだから。

「あっ」

 ミレイが小さく声を上げた。

「何だ、見つけたか」

「いえ、ほらこれ」

 ゴミ山の側にしゃがみ込んだミレイは、手に持ったそれを子供のように見せつけてきた。直方体を組み合わせて人の形を模したらしい、金属製の人形。

「可愛くないですか?」

「……分かんねぇわお前のセンス」

「これ綺麗にしてプレゼントしたら、4号さん喜んでくれますかね?」

「……なぁ」

 赤い瞳をキラキラさせたミレイに向けて、モモはおもむろに言った。

「はい?」

「………」

 モモは一度口を閉じ、首をぐりと一回転させた。

「……アイツの好きな食べ物、教えてやろうか」

「えっ、さっき知らないって――」

「カラフルなチップだよ。アイツは胸の口でそれを喰うのが大好きだ。アホほど食わせてやったら、下の口涎まみれにしてお前の尻尾も喰ってくれるだろうぜ」

「……真面目に聴いて損しました」

「真面目だけどな、アタシは」

 モモは側に立つ早贄鉄骨に寄りかかり、ミレイを見下ろす。

「昨日自分で言っといてアレだけどさ。お前、ガチで好きになったりしてねぇよな、4号のこと」

 ミレイは一瞬びくっとした。

「4号とセックスがしてぇんだよな?」

 念を押すようなモモの問い。ミレイは少しだけ戸惑ったように見えたが、やがて汚い鉄人形を胸に抱きかかえ、もじもじと体をよじり始めた。

「……えっと、これが好き、なのかは分かんないですけど。4号さんと、その、してるときも。朝、広間まで手繋いで歩いた時も、ちゅーして別れた時も、すっごい満たされる感じがして」

 モモは視線を天へと向けた。

「今も4号さんのこと考えるだけでドキドキしてきて、また会いたくって、4号さんの喜ぶことをいっぱいしたいなって――」

「いい、分かった、分かった」

 モモは大きくため息をついた。

「……まあ、いいよ。その気持ちだけでレベル3殺せりゃ御の字だろ」

「お姉様、私頑張ります。頑張って戦って、4号さんと――」

 その時である! ジャンクの山が崩れる、けたたましい音が響き渡ったのは! それも、そう遠くはない!

「……来たかもしれんぞ」

 モモのその言葉を、ミレイは最後まで聞かなかったに違いない! ミレイは恐るべき速度で跳躍! ゴミ山の足場となる部分を瞬時に見分け、崩れる前に次々と飛び移っていく! いつの間にそんな瞬発力、そして判断力を!?

「……姉貴がいい、ってだけじゃなさそうだな」

 それは、残念ながらモモには真似できぬ動きであった。元々の体格に加え、先生による肉体の改造。モモの体重は、グラム法に換算して百キロを超えている。同じことをしようとすれば、たちまちゴミ山が崩壊し、その下敷きとなってしまうであろう。小柄だからこそできる技。モモは迂回するしかない。

「まあ、着くまでは生きとけよな」

 モモはゴミ山をぐるりと回るように走り出し……そこで、出会った。腐った無知性亡者の胴体を口からぶら下げた、白い生物に。

「嘘だろ」

 メートル法に換算して四メートルはあろうか。人間のような四肢を持つ……否、それどころか指の無い腕をもう一本持つ、白く乾燥した皮膚の、筋肉質な怪物。顔はなく、首のあるべき位置に直接牙の生えた口がついている。化物の胴体に無秩序についた大量の目のうちいくつかが、ぎろりとモモを……睨んだ!

「豊作かよ、レベル3」

 モモの判断は一瞬! 手にはめた黒い革の手袋を地面に放り……!

「堕ッ!」

 ジャリジャリジャリジャリジャリ!

 墓場に轟く、チェーンが伸びるような金属音! 一体何処から!? そう、モモである! モモの腕が、右腕が! 胴体から分離し、伸びているではないか! チェーンで……否! 生者が蛇腹剣と呼ぶもので繋がれて!

「ぃぃぃいいいいい!」

 化物は不快な高い叫び声を上げる! そして飛んできたその腕を……右手で! 掴んだではないか! 何たる動体視力か!? しかし直後!

「ぃいいぃ!?」

 その異形が突如悲鳴を上げる! これは何事か!?

 腕をキャッチした方の手を見れば、答えは分かる! 出血! 血が出ている! 手の甲を貫いて、赤く染まった剣が飛び出しているではないか!

 怪物は思わず手を放し、パニックを起こしたように右手を振り回す!

「ちょ、ちょちょ、クソッタレ!」

 モモの体も同時に引きずられる! たまらずモモは剣を、そして腕を引っ込める選択をした! ジャリジャリジャリジャリ! 音を立ててモモの元へ戻る右腕! モモは派手に転倒した!

「クソッ、歯は高いっつってんだろうが!」

 モモは鉄屑の山から、一本の鉄パイプを引き抜く! 途中で一度引っかかったが、構いはせぬ! 力技だ! 大きくバランスを崩すジャンクの塔! 落下物を避けるように、モモは……大きく跳んだ!

「惰ァァあ!」

 鉄パイプをしっかりと握った右腕! モモはそれを再び投擲! ジャリジャリジャリ! 狙うのは、怪物の胴体! 勢いよく飛んで行ったそれは……化物の左肩に深々と突き刺さった!

「いいぃぃぃいい!?」

「ウォォオオオォォウアア!」

 その手を離さぬまま、モモは腕を縮めようとする! すると何が起こるか! モモの体が、化物に引き寄せられるのだ! フックショットめいて!

「駄ァァァアァァアァァアァアア」

 獣めいて叫ぶモモ! はたき落とさんと再び襲い来るのは、化物の左腕! しかしモモは怯まぬ! 絶叫の中左手を掲げ! その先端から飛び出すのは、やはり! 剣の切っ先!

「ァァアアアアアッシャアアァアアァアアァア!」

 化物の手に! その剣を! 振り下ろす! 切断! 飛んだ! 化物の指が! 赤く熱いシャワーと共に宙を舞ったのだ!

「いぃいぃいいいぃ!?」

 絶叫する化物! 勢いを止めぬモモ! 引き寄せる勢いで、化物の胴体に、その刃を! ぶち込んだ!

「ぃぃいいいいいぃいぃいーいいぃぃ!」

 引き抜く! 突き刺す!

「ぃいいいぃい」

 引き抜く! 突き刺す!

「いいぃいいぃいぃいい」

 引き抜いて突き刺す! 掻き回す! 嗚呼、だが! 手の甲を貫かれた腕が! 指を失った腕が! 出来損なったもう一本の腕が! 全身全霊でモモを叩き潰そうとする! モモはしかし、飛び上がるようにしてこれを回避! その勢いで化物の肩に乗る! そして今度は背中の側から! 化物を突き刺す!

「うおぉっ、うおっ、おおぉおおおぉ! 脳をぉ! ファックさせろぁ!」

 そう、モモはこの異形の脳を探していた! 分かりやすい頭は無いが! 大体上半身にあると相場は決まっている! 推測! 計算! 今のモモにその概念は無い! 勘! 総当たり! 大体その辺りを刺せば、いつかは脳にぶち当たる!

 そして! 数度目の突きが! 怪物の体を大きくよろめかせた!

「当たり!? 当たりかァ!? 当たりなのォオオーアアアハアーァァア!?」

 掻き回す! 掻き回す! 掻き回す! それが脳への致命傷であったのは間違いない! 受け身を取ることすらなく、ずんと音を立て! 化物は地面に倒れ込み……二度とは動かなかった……!

「ひぃ、ぃ、へぁ……脳味噌……レイプしたぁ……」

 生きた脳を、己の剣で滅茶苦茶にする。その得も言われぬ快楽を、モモはぶるぶると細かく痙攣しながら味わっていた。脳内麻薬が彼女の全身を駆け巡り、下半身からは涎めいた液体が垂れ――。

「……あ」

 ぼんやりとした頭に、ひとつ重大な事案が浮かんだ。

「忘れてた、ミレイ」

 然り! 耳をすませば聞こえてくる! そう遠くない場所から、金属の山がひっくり返る音が! 余韻を味わっている場合ではない! ミレイは、妹はどうした!? 相手はレベル3なのか!? 戦っているのか!?

「やべえやべえやべえッ」

 モモは転がるようにして立ち上がり、音の方へ急いだ! 足が大地にめり込み、ブーツの足跡を深く残す! 腕を『伸ばし』、近くに見えた早贄鉄骨を掴む! そして地面を大きく蹴り、跳ねる! 同時に全力で縮み行く腕! 弾丸めいた速度で空中を移動!

「唾ァァッ!」

 勢いに乗り、手を離す! モモの巨体が大砲めいて飛んで行く! ゴミの山をひとつ超え、大股を開きズンと着地! スカートにざっくりと開いたスリットが、こういう際に役立つ!

「いいいぃぃぃい!」

「堕ァア!」

 すぐ側で聞こえる、ミレイのシャウト! 化物の鳴き声! 近い! そしてまだ生きている! 目の前にあるゴミ山!

「ミレイィ!」

 モモは叫ぶと、鉄屑を間をすり抜け、辿り着いた! ミレイの格闘現場に!

 その広場めいた場所には、確かにいた! ミレイが! そして、メートル法にして五メートルはあろうかというレベル3が! 旧世界生物、蛸に近似した姿! 七本の触手めいた脚! 歪に大きい頭! 通った後に残る白い粘液! 体中にある吹出物めいた突起物! いくつかは潰れ、どろりとした膿が吐き気を催す臭いを辺りに漂わせている!

 そしてモモは見た! ミレイが手に持っているのは、身長ほどもある巨大な刃! 恐らく何らかの旧世界遺物のパーツであろうが、咄嗟にそれをもぎ取り、武器にする選択をしたというのか! 確かに亡者の筋力があれば扱うこと自体は簡単だが……!

(ってか……ヤってんじゃねぇか)

 然り! モモの気付いた通り、その即席のナマクラ大剣は、既に化物の太い脚を一本切り落としているのだ! そればかりではない! 化物の頭には、既に幾つか棒状の錆びた金属が刺さっている! ミレイが脳を狙って投擲したというのか!

「フゥーッ!」

 威嚇するような声! 獣が取り憑いたかのような表情! ミレイが地を蹴る! 軽やかに飛び上がる! それを襲う化物の脚! ミレイはそこに尾を突き立てる! 当然出血!

「惰ァァアア!」

 ミレイは更に、脚にぶら下がったまま! 化物の脚を大剣で切り裂いた! 当然研ぎもせぬ剣では切断とは行かぬが、それでも半分ほどは刃が通っている! 潰れる吹出物! 返り血と膿を浴びるミレイ!

「いいぃぃいぃい!」 

「ァアアアァ!」

 更に一太刀! 二太刀! 三太刀! 続けざまに繰り出す! 落ちる脚! 同時に落下するミレイ! 即席大剣を地面に突き刺し、衝撃緩和! そのままひらりと大剣の上に立ち、化物を睨んだ!

「フゥーッ! フゥーッ!」

 ミレイは跳んだ! そして駆ける! 腕を二本落としたことによって生まれた、真空地帯! 胴体への一本道を!

 最早大剣は不要、それどころかその重さがスピードを邪魔する! 相手の動きも、出血によりやや鈍っている! 要は胴体に辿り着きさえすれば良い! あとは己の尾を振るい、その脳を徹底的に破壊するだけ!

 殺す! 持って帰る! そして、4号に……!

「駄ァァァアアアア!」

 ブシュッ。

 何らかの液体が噴き出すようなその音と共に、ミレイの視界が真っ白に染まった。何かが顔にかかったのか? 前が見えぬ。一体何が起きた?

 答えは、化物の胴体から突如生えた、管めいた突起物にあった。そこから大量の液体を噴出し、ミレイの視界を妨げたのだ。この軟体怪物にとって、これはまさに何度もは通じぬ奥の手。故に隠していた。本当の危機が訪れるまで。

 嗚呼、しかし視界を奪われたミレイに、そんなことは分からぬ! ミレイは思わず立ち止まってしまった! そこに絡みつくぬらりとした感触! 宙に浮く体!

「あっ……!?」

 ミレイにも分かった! この異形の触手が、己を捕らえたことを! その瞬間、ミレイの中で燃えていた炎が、魔法が解けたように消えた……!

「……あ、ああ、あぁあっ!?」

 酔いから醒めた後に残ったのは、ただそこにある恐怖! 怪物に捕らわれたという! 死が迫っているという! ただそれだけの事実!

「やああああ! わあああああ!」

 がむしゃらに尻尾を振るい、触手に突き刺す! 化物は若干怯んだように感じられたが、取り落とすまでには至らない! 嗚呼、この尾では小さすぎるのだ、脳を破壊するならともかく、触手を使えなくするには! だからこそ、あの即席大剣を選んだというのに!

「やだぁ! やだぁああぁ!」

 ミレイはほとんど祈るように触手を手で掴み、力技で脱出を試みる! しかしそのぬめりのせいで上手く力が入らない! 泣き叫ぶミレイ! 最早何をすればいいのか分からぬ! ミレイは絶望の中、手足をばたつかせながら赤子のように泣き喚いていた!

「だずげでぇ! だずげでぇーッ!」


「しょぉぉぉぉおおおオがねぇなァァァァァアアア!」

 ジャリジャリジャリジャリジャリ!


 その時であった! 豪快に響き渡るその音が、ミレイの耳に届いたのは!

「堕ァァアアアアアアアーァァアアアアア!」

 絶叫! 続いて、何かの突き刺さる音! 液体の噴出音!

「ア! ア! ア! ア! アァァーアア!」

「いぃぃいいぃいぃいぃぃいぃぃぃ!?」

 そして、ぐしゅぐしゅと湿っぽい音! まるで、よく濡れた場所に何かを出し入れするような! その直後、ミレイの拘束がいきなり解かれた!

「へっ、うわぁあああ!?」

 顔面へ衝撃! ミレイは顔から地面に着地していた! 折れる鼻! 欠ける前歯!

「うぅ……」

 ミレイは顔を上げ、目の周りを拭い、そして取り戻した視力でそれを見た。真っ赤に染まった周囲。飛び散った脳漿。軟体異形の上に座り込み、口を開けながら白目をむく、大きな女の姿。

 前髪で隠していた顔の左半分、それすら今は露わになっている。ただれて変色した皮膚。失われた頬の肉。そこから垂れる唾液。飛び出しそうな目玉。快楽と共に現れる、彼女の隠されたもうひとつの顔。

「……モモ、お姉様」

 ミレイの目から、再び血の涙が溢れ出した。ミレイは立ち上がり、駆け寄った! 姉の元へ! 崩れ落ちた死骸の上に飛び乗り、そして抱き付く! 安心を全身で表現するように!

「わあぁあああん! 怖かっだですぅぅううう!」

「………」

 モモは泣きじゃくるミレイを少しの間見下ろし……デコピンを一発繰り出した。

「あぅっ!?」

「……いいか。化けモン共は大概隠し玉を持ってる」

 モモは呼吸と髪型を整えつつ、ミレイに説教を始めた。

「レベル3以上なら尚更だ。デカくてキモいだけだと思ってたか? 他の弱ぇ奴らがチーム組んで殺す意味を考えろ」

 モモの声色は、普段の落ち着いた時と変わらない。ミレイは顔をくしゃくしゃにしたまま、モモの話を聞いていた。

「『武器持って調子乗った奴から死ぬ』んだよ……分かったか」

「……はい……」

 顔を血で濡らしたまま、ミレイは俯き、また泣き始めた。ミレイに見えない所で、モモは一回首を捻った。

「……まあ、直前までは良かったよ。尻尾だけに頼らねぇで」

 ミレイはそっと顔を上げた。

「……ホントですか」

「動けるモンだな、顔から着地女のクセにさ」

「また前歯折っちゃいました」

「高いっつってんだろ……アタシも折ったけどな、ホラ」

 モモが『い』の口を作ってみせると、ミレイはほんの少し笑顔を取り戻した。モモは鼻を一回フッと鳴らした。

「どこで覚えた? アレ」

「はい?」

「動き。ビビりながらレベル1狩ってる時とは全然違った」

「え、うーんと……」

 ミレイは眉間に皺を寄せ、腕組みをして考え始めた。

「覚えたっていうか、思いついたっていうか……気付いたら勝手に体が動いてたっていうか。あの時はレベル3やっつけるぞーってしか考えてなかったから。持って帰って、4号さんに……あっ!」

 ミレイが突如思い出したように大声を出した。

「何だよ」

「お、お姉様、この、レベル3」

「お前のだよ」

 モモはゆらりと立ち上がりながら言った。

「い、いいんですか!」

「今日はサービスしとく。アタシはアタシの獲物がいるしな……次からは分け前要求すんぞ。あとその不細工な顔は自腹で治せ」

「はい! ……あ、そしたら足りますかねお金、その、4号さんの指名料とか」

「チッ……いいよ、不足分くらいは出してやる」

「いいんですか!」

 ミレイの顔がぱっと輝き、その尻尾は興奮でぶんぶんと左右に揺れていた。ウキウキしたその気持ちを周囲にだばだばと漏らしながら、ミレイは化け物を抱える。

「うー、おぉ重い! お姉様ぁー」

「それは流石にテメェで持て、何でも頼んな。4号とセックスすんだろ」

「えぇー!」

 死してなお残るそのぬめりに苦戦するミレイ。それを尻目に、モモは自分の戦果を回収しに向かった。

「……大したもんだわな……だから、怖ぇんだけど」

 どこへともなく、そう呟きながら。




 ……そして、夜!

「アハーハーハー、それでホントに出してあげたのォ?」

「そんな気前良かったかテメェ?」

「お前みたいな守銭奴よりはな」

 旧世紀メタルの響く、大広間の四人掛けテーブル席。モモと共に座っていたのは、彼女のふたりのセックスフレンドである。注文前から既に酔っているぼさぼさ頭のナース服女、トワ。そして銀髪のボンデージドレス女、キキ。

 先程までこの席には、もうひとり娘が座っていた。そう、ミレイが。彼女は現在、心臓を爆発させそうにしながら、カウンターに向かって一歩一歩足を進めている。色とりどりのカジノチップ通貨と、『鉄屑墓地』で拾った鉄人形を抱えながら。

「キキッ、なんだアレ、尻尾までガチガチじゃねぇか。たかだか女買うだけで何をあんな緊張してんだよ」

「……それがな」

 モモがため息をつき、左手で頭を掻いた。

「なァにィ? モモらしくない深刻なお顔ォー」

「……どうも、ミレイさ。ガチで惚れちまったみてぇなんだよ、4号に」

 一瞬の間。

「……ハァ!? マジか!?」

「えぇーッ!?」

 次の瞬間、キキとトワは同時に大声を上げ、そして笑い出した。

「キヒヒぃーっ……え? なんで?」

「……アタシも悪いんだけどさ。あとトグロとニクミも。変に煽ったらマジになりやがって」

「あらァー、お姉様ァ? 責任重大なんじゃなくってェー?」

「だから悪かったっつてんだろ……」

 ニタつくトワに向け、絞り出すようにモモが言葉を吐く。

「キキキ、セックス中毒ならまだマシだけどなぁ」

「ガチ恋は大変ねェーアハハ」

「アハじゃねえ馬鹿」

「あ、言うみたいよォ」

 トワのひと声で、モモとキキが同時にカウンターを見た。

「あら、どうしたのミレイちゃん?」

 口を真一文字に結んだミレイを見、カウンターに立つ紫ドレスの異常に乳房が発達した女……ママは、微笑みながら首を傾げた。

「何かご注文かな?」

 緊張、期待、不安。様々な感情がミレイの中で渦を巻き、今にも破裂しそうになっていた。今日も会える、4号に。昨日よりもっと喜ばせてあげられるだろうか? プレゼントは気に入ってもらえるだろうか?

「あっ、あの」

 喉が乾ききっている。ガクガクと震える顎を律しながら、ミレイは声を発した。

「……ママさん、4号さんを……くださいっ!」

 言えた。顔を真っ赤にしたまま、ママを見る。ママは困ったように笑っていた。

「あら、ごめんなさいねミレイちゃん。4号ちゃんね、今日はもう売れちゃったの」

「へ?」

 ミレイは一瞬何を言われているのか理解できなかった。4号は今日も自分を待っていてくれているはず。お金を持って行けば会えるはずなのに。

「………?」

 混乱した表情のミレイに、ママは続けた。

「あら、ショックだった? ごめんね、仕方ないのよ。4号ちゃん人気だから、早い者勝ちなの。みんなの4号ちゃんだから、順番に遊ばないとね」

「………?」

 ミレイはまだ正確には飲み込めずにいた。今、どういう話をされた? よく分からない。仕事が忙しいという話だったか? まあ、それなら仕方ない。

「また空いてる時に買ってあげて? 4号ちゃん喜ぶわ」

「えっと」

 まだ整理できぬ頭の中で、ミレイはようやく言葉を発した。

「4号さんにプレゼントがあるんです、これ。渡したいんですけど、今どこでお仕事してますか? 4号さん」

「ちょっと分からないけど……よければママが代わりに渡しておくわよ?」

「そうじゃなくて」

 ミレイの声は、少しだけ大きくなっていた。

「ミレイちゃん?」

「直接渡したいんです……ちょっと探してきます」

 ミレイは走り出した。カジノチップ通貨をその場に散らかし、人形だけを持って。ドアが開き、閉じた。近くにいた数名が、何事かと顔を向ける。

「あらあら……5号ちゃん、拾っといてあげて」

 一番近くにいたメイド女が、素早くチップを回収し、ママに手渡した。

「……オイオイオイ」

 少し離れたテーブル。キキはモモを振り返り言った。

「なんか出てったぞ?」

「知ってるよクソが……」

 モモは唸るような声を発した。トワは気味の悪い顔でクスクスと笑うばかり。

「……だから恋愛とかさぁ……盲目っつーか、周りが見えねぇっつーか……特にアイツは世間を……クソ、マジでクソ」

 ブツブツと呟いた後、モモはやおら立ち上がり、カウンターへ向かった。

「ママ、4号買ったの誰だ?」

「えっ」

「誰だよ」

「あらあら落ち着いて。えっと、コロちゃん達よ」

「マジか、最悪……分かった、あんがと」

 そしてドスドスと早歩きで大広間を出る。キキとトワ、そして先程から騒動を見守っていた女達の視線を背中に受けながら。しかしそれも一瞬の出来事。女達の興味はすぐに目の前の酒へと戻っていった。

 荒れた廊下に出たモモは、まずこの階にミレイがいないか探した。シャワー室。リネン室。先生の手術室。倉庫……いない。となれば下へ降りたか。それはよくない。コロの個人冷蔵霊安室があるのは、この階から僅かふたつ下である。上に行っていればいいが。モモは階段を駆け下りた。この階は個人冷蔵霊安室しかないので、廊下にいないならばここにはいないということだろう。

「あぁー……」

 モモは苛ついたような声を上げながら、階段をもうひとつ降りた。そして、出会った。立ち尽くすミレイに。ミレイは震えていた。一点を見つめながら。モモもそちらを見た。そして、聞いた。廊下に反響する水音と嬌声を。

 半開きになったドア。これは故意にそうしている。コロは、自分達の行為を他人に見せて興奮する異常性癖の持ち主であるし、モモもそれを知っていた。しかしその程度の変態ならばこの家には何人もいる。

 冷蔵霊安室の中には、複数名の女達。コロの主宰する『チーム』の女達だ。床で勝手に盛り合っている女達、ふた組ほど。を見ながらオナニーしている女、見える限りでひとり。

 そして、部屋の中央、大きな棺桶の中。そこで息を荒くしている隻眼の女。裸の彼女の股間には、腕が挿入されていた。そう、切断された腕が。

 誰の腕か? よく確認すれば分かる。サバイバルナイフを突き立てられている、腕と脚の失われた、血まみれの女の肉体。そこに繋がっている顔は。ミレイが今日一日恋焦がれた顔。4号のそれであった。

 自慰女が玩具として使っていたのは、4号のもう片方の腕。部屋の隅に視線を遣れば、彼女の脚で素股をしている女もいた。それらの持ち主……4号は。その性器を隻眼女から激しく責め立てられ……動物のように鳴いていた。白目を剥き、口からは血と唾液の混合物を垂れ流しながら。

 恐怖の表情のまま硬直したミレイの足元に、鉄人形ががらんと落下した。

「……う、あぁ、なんだ、モモか?」

 その音が聞こえたのか、隻眼女は息の荒いまま顔を上げた。

「そしてそっちはミレイか? 歓迎会以来だな、オレのこと覚えてる? コロっていうんだけど」

 隻眼女……コロは、4号の返り血を浴びたままの姿で手を振った。ミレイは返事もせず、その場で震えていた。

「どうした? 入るか? いいぜ、オレらのチームはオープンだから。な、4号」

 コロはそう言って、4号の首筋を舐め、唇にキスをした。4号は呼吸を乱したままふたりの方を向き、にこりと微笑んでみせた。

「……オープンか知らんが、ドアはクローズしとけ」

「あ、苦情か? 悪い、そんなにうるさ――」

 コロの返事を最後まで聞かず、モモは乱暴にドアを閉めた。鉄のドアが音を遮り、廊下に再び静寂が戻る。

 モモはミレイの眼前で手をひらひらと振った。ミレイは瞬きを繰り返すばかり。モモは首を捻った。

「……4号なら平気だぞ、分かるよな? 肉食ったら治る」

 ミレイは何も返さない。

「乱交と猟奇プレイは別料金。カネあんだよアイツら、ウチのチームじゃ強い方だ」

 やはり返事は無い。

「アイツにもだいぶチームに入れって勧誘されたけどな、断ってる。だって――」

「4号さんが」

 消え入りそうなミレイの声に、モモは言葉を切った。

「……どうした」

「4号さんが、嬉しそうでした」

 ミレイはドアを見つめながら、拳をぎゅっと握った。

「声が聞こえて。4号さんが、襲われてるのかと思って……助けなきゃって。でも、笑ってて」

 血の涙を溜め、目をうるうるとさせながら、ミレイはモモに顔を向けた。

「……4号さん、ひっ、私じゃなぐても、いいんだっでぇ、わだじど、ひっ、えっぢしでるどき、いっぱいいっぱい、ひっ、ぎもぢぞうに、やざじぐ、えっ、わだじだがら、よろごんでぐれだんじゃ、ひっ、えっ、ないんだなあっでぇ」

 ミレイは、それ以上話すことができなかった。モモの胸に……いや、それにはいささか身長が足りぬ。腹が限界であった。とにかくそこに飛び込んで、ミレイは大声で泣き始めた。

「……ホント馬鹿なのな、お前」

「だっで、だっでぇ」

「言ったろ、4号はチップが一番好きだって」

 ミレイの背中を、モモはぽんぽんと叩いた。

「というか、好きとか嫌いとかじゃねぇんだよ……あのさ。アタシらが化けモン殺しでカネ稼ぐみてぇに、アイツらはセックスで稼いでんの。だからカネ出してくれそうな相手には目いっぱい媚びるし、出してくれたら全力で喜ばす。お前が相手でも、アタシが相手でも、コロが相手でも……仕事なんだよ、それがさ」

 ミレイの泣き声がむせび泣きに変わるまで、モモはぽつりぽつりと言葉を紡いでいった。ミレイが落ち着いたのを見て、モモは少し言葉を切り、

「……なぁ、交ざりたいと思ったか?」

 静かな調子で、ミレイに問うた。

「交ざりたいならさ、今からでも遅くねえ、ドア開けてコロに言えよ、入れてくれって。多分いいって言うから。確かに腕も脚もねぇし、後でチームに入れって勧誘がうるせぇかもしんねぇけど、多分4号とは滅茶苦茶セックスできる」

 ミレイは何とも返事をしなかった。

「優しくてセックスが気持ちいいから、4号が好きなのか?」

 ミレイは、モモの修道服をぎゅっと握った。

「……分かんないです」

 モモは首を大きく捻り、息を深く吸って、吐いた。そしてもう一度ミレイの背中を叩き、それから数歩先へと歩くと……ミレイの持ってきた鉄人形を拾い上げた。

「どうでもいいんだけどさ。お前が4号が好きなんだろうと、4号とのセックスが好きなんだろうと」

 再びミレイの元へ歩み寄り、モモはそっとそれを差し出す。

「セックスって、変なことじゃないから。4号と気持ちいいセックスしてぇからバンバン化けモン殺してぇ、って。それはそれでいいと思うぞ」

 ミレイは、鉄人形を静かに受け取り、その円い目玉とじっと見つめ合った。問いかけるように。モモはその様子をしばらく眺めていたが、やがて踵を返し、階段を上ろうとした。

「……お姉様」

 その時。姉の名を呼んだミレイが、その裾を掴んだ。モモは妹を振り返る。モモはどうしたとすら問わなかった。ただ、ミレイの次の言葉を待った。

「……のみます」

 たどたどしく、これ以上何かが溢れるのを精一杯堪えるように、ミレイは言った。

「おさけ、のみます」

 ミレイの、それが現在出せる精一杯の回答らしかった。

「……そうか。付き合う」

「おねがいします」

 モモは再び前を向くと、ミレイに見えない所で、ほんの一瞬小さく微笑んだ。ミレイは鉄人形を胸に抱え、モモの後をついて歩いた。

「できたか? 好きな酒」

「……甘いのがいいです」

「今日は辛めのヤツ飲め。少しは大人になったろ」

「……飲んでみます」

「そうしろ。強いの飲んで、訳分かんなくなるまでヤって、寝ろ」

 ふたつの足音が、階段を上っていく。その姿が、闇の中へと溶けていく。

「今日はトワもキキもいるし。メイドほどじゃねぇけど、アイツらみんな上手いし。せいぜい楽しもうぜ、クソッタレの夜をさ」

「……はい」

 冷たい鉄人形は黙したまま何も語らず、ただ、ほんの少し明るくなったようなミレイの声を聞いていた。




 その日はとても暑かった。昨日が暑かったのと同じように。

 明日もきっと暑いだろう。

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