「ゲームファンタジー」に毒された世代

林檎無双

「ゲームファンタジー」に毒された世代

 最近のオンラインでの軽いファンタジー小説に水を差すつもりはないのですが、私のような年寄りの意見も案外こういう時代だからこそ役に立つかも知れない。

 そう思い、筆を執りました。というのは嘘ですけども、水を差すつもり満々ですけども、あまり後ろ向きに捉えないで読んで欲しいと思います。


 「イベント」という言葉を日常の変化に対して使う今の時代(の一部の人たち)、すっかり(愚かしいという意味で)ゲームチックな考え方になってしまった感があります。

 人生とまで云わずとも日常を過ごす上で「イベント」の選択を意識する人がどの程度いるのでしょうか。大抵は取りあえずというような曖昧な分岐の様な内容をその時々の状況や気分に合わせて随時選択している。その結果は、後から見るとなるほど「イベント」に見えるかも知れませんが、しかしながら厳密にはそれを「イベント」を「選択」して発生した結果と考えるには語弊がある場合が多いのではないでしょうか。事は案外複雑で、後になって分かるのは結果だけなのですから。インプットとアウトプットに単純な繋がりを求めるのは作家としても怠惰です。

 現在進行状態で「イベント」を「選択中」として行動する人というのは、私から見れば痛いです。そういう人が、現実にいようがいまいが関係なく、人から言われて何となくでも痛いとイメージして頂けたらいい。

 行動基準を「イベント」内に収めるように限定するつもりなのか、こいつは。と思ってしまうのです。舞台役者では無いのですから、劇的でもない詰まらない劇を演じるのは失礼ながらとても愚かに見えます。

 それは小説という作品の中にも言えるのではないでしょうか。

 ゲームの登場人物が主人公のゲームの中の話を書くならありなのでしょうが、どんな話なんでしょうね、それ。そういうものは見ないので、一般的には普通に人が主人公の話が多いのではないでしょうか。仮に人でなくとも中身を人に近い、というより現実的な、考えて生きている何かとして書いているのが普通ではないでしょうか。

 そんな現実的でありたい人物を想定して登場させた主人公などが、小説の中で「イベント」を「選択」するというのは、やはり同様に痛いと思うのです。そのような作品が多い様に思えます。

 とまあ、水を差し始める訳ですが、そんな「イベント」を「選択」する人の話なんて一部だろうと思うかも知れません。しかし私には、何処とは言いませんがオンラインにその手の作品がとびっきり多く揃っているように見えます。


 ゆっくりと外堀を埋めましょう。

 ファンタジーの影響から、「イベント」という概念がすっかり広まっております。(このイベントとはゲームシステム的な用例でのイベントです。そこは勘違いしないで下さい。敢えて日本語に当てるならば機能でしょうか)

 皆さんご存知かどうか分からないので、さして鮮明に覚えている訳でも無いのに恐れを知らず恥を覚悟で語りますと、ファンタジーの前身がゲーム機が登場する以前から存在します。「Dungeons & Dragons」と言ったようなテーブルトークRPGです。

 ルールブックに則ってすべての決定権を有する進行役であるゲームマスターに遠慮をしなければ、非常に自由度が大きいながらも、人が担当するゲームマスターが必要なテーブルトークRPGを気楽に楽しむ為にパソコンで実現できないかという試行錯誤から生まれたのが、今のコンピュータRPGです。ファンタジーは、そこで生まれます。

 「ファンタジー」と「ファンタジー」は何が違うのでしょうか?

 何故、敢えて「」を冠するのでしょうか。

 それは、コンピュータでは、どうしてもシナリオや行動の自由度を実現できなかったからです。

 出来た物は、妥協の策として簡易な画像イメージから促される限定的なデバイス入力を起点としたストーリー展開(自由度)や表現が限界だったからです。

 余談ですが、たとえばマップ内を自由に動ける3Dゲームであったとしても、その中で自由に動けている、等と思ってしまったのなら、そこに製作者のほくそ笑みが生まれます。まんまと勘違いしやがった。その程度の自由度の中で騙されている。実際そこに大きな分岐など無く、数少ないバウンディングボックスに触れる可能性しか無い。

 話を戻して、初期の頃にはシナリオさえ無かったのですから極めて制限の厳しい(目標と比べて)出来そこないな代物でしかなかったのです。

 最近は、ネットワーク・インフラが発達しているので、画面の向こう側で予測が難しく多様な行動を選択する人が動かすキャラクターを見ることになり、複雑さと可能性としてかなり進化しておりますが、それでもやはり物理的限界(データ量に由来する通信速度や帯域、同期処理等の限界)の壁に阻まれて、どうにもゲームで表現できる自由度には限界があり過ぎます。これは、簡単には解決できません。未来という条件をつけてでもです。

 何よりも、そもそもゲームをする人にも現実的な生活があるので当然ながら時間的制約がありますから(多様性の出ないシングルユーザなゲームは置いて)その中で都合をつけて進めることのできるゲームシナリオやゲームシステムを考えるのは非常に困難です。無理があるのです。なので、敢えて制約の中で楽しむことを前提としたゲームの中で繰り広げられる「ファンタジー」に本来求めていた自由な「ファンタジー」の実現度を求めるとか無茶です。どこまでも不利です。これはゲームの宿命なのかも知れません。

 「ファンタジー」という言葉は「システム的制限が大きく自由度の低いファンタジー実現度」という意味合いなのです。決して良い意味ではありません。

 そもそもは、目指すべき「ファンタジー」の実現度に近づけることを目的にするが故に生まれた言葉ですので、そこは前向きなのですが、現実は、皮肉です。

 「ファンタジー」という言葉には、そういう悲しい出自があるのです。

 ここで「ファンタジー」と「ファンタジー」を比較しておりますが、では「ファンタジー」を知りたいと思うかも知れません。もしそう思ったなら、「ファンタジー」しか知らない可能性が高く、その場合は、比較対象として登場させられるくらいなのだからと、後は書き手として理解できるはずです。(何かを勘違いしたとしても、定義云々と云う様な恥ずかしい質問は、なしですよ)

 本当に随分と遠回りしましたが、そうです。今では一般的になり過ぎて何かと痛い「イベント」という「ゲーム用語」ですが、この用語も当然「ファンタジー」の構成要素なのです。自由度が無い、つまりあからさまな選択式に頼る上でその機能に「イベント」という機能名を付けたのが始まりであり、それこそゲームらしさである低実現度の表出形態なのです。ですから、この場合の「イベント」という言葉は「縛られた行動選択肢」という様なニュアンスのものだと考えると良いと思います。

 現実には、プランナーやシステム開発者からデザインや仕様やマニュアル製作者といった関係者や関係会社全般に渡って齟齬無く製作進行させる為に誤解が生まれないように機能名を明確にする必要があるからだ、と考える向きもあるかも知れませんが、同じことです。そのような簡単な表現を採用できる時点で「ファンタジー」を作っている証なのですから。


 着実に外堀を埋めましょう。

 それにしても思い出すのです。

 「ファンタジー」という悲しい用語を生み出したそのコンピュータRPGの出現から、いえ、それ以前からも、私が思うに「冒険者」という立場は、今の様な「職業」としての立ち位置では無かったと思います。

 更には、細かい話としてキャラクターステータスとしての「職」(ジョブ)という概念も無く、普通に「役割」のようなニュアンスだったような記憶があります。(昔からあるクラスとは、異なる概念だと考えておりますが、本質的に違いが無い可能性もあります。忘れたので検討できませんでした)

 当時は、そんな感じだったので冒険者というような職業をしているという気分では無く、何の断りもなくダンジョンに放り込まれる、そんな感じでしたでしょうか。

 冒険はいつも突然始まる、というような映画が多くありますが、コンピュータRPGはそれ以上にでたらめに放り込まれる感じでした。

 後にゲーム業界を変えた(業界を創ったと言っても良いほどの)任天堂のファミリーコンピュータの出現と、専用ゲームとして発売された初代ドラゴンクエストから「勇者」という言葉がいよいよ流行りますが、それからも長く一人で遊ぶ時代が続きます。

 何にしろ「冒険者」という職業が生まれたのは最近の話です。

 時代は変遷し、ついにMMORPGへの道を切り開いたウルティマ・オンラインの登場から少しして、勢いをつけ始めたネットワーク・インフラの発達に合わせて世はMMORPG時代を迎える訳ですが、その辺りからでしょうか。まさに今の時代に生まれた子どもたちが、それしか知らないレベルで「ファンタジー」の世界で生きることを楽しみ、その世界から残酷にも勘違いした「ファンタジー」を学ぶようになったのは。

 当然ながらそれは「ファンタジー」などでは無く、妥協としてのゲーム仕様に縛られた「ファンタジー」なのです。

 体験は、創作の糧になるのでしょうが、それが単純化されたとても不自然な世界で得られた体験であれば、その体験が逆に可能性の余地を殺しかねない不安な要素になり得ます。

 「ギルド」や「職」、「クエスト」等など。どれもゲームの為に生まれた概念だったりします。本来の昔ながらの「ファンタジー世界」(分からないなら自由な世界を漠然とイメージしてください。それで充分です)には無い概念の筈です。

 「ギルド」は、確かにそういう組織が歴史的にも存在しておりますが、「ファンタジー」ではそれがかなり捻じ曲げられています。ギルドを構成する要素は簡単なものではありませんから。

 余談ですが、基本的な話としてギルドを作るには、「団体」を構成する必要があり「拠点を持つ資金力」を持った団体である必要が最低限必要で、それでも各地に支部を持つなど商人組織以外には運営費の問題で現実的に有り得ないです。でもそこは開き直ったゲーム業界ですから、なんでも有りです。パラメータ名として大して意味が無くとも遠慮無く使います。

 話を戻して、色々とおかしな進化を遂げた「職」(ジョブ)は、ゲームシステムを把握し易い様に纏められた概念として、「クエスト」は「イベント」と同じ意味合いで(意味など無いようなものですが)差別化を図る為に使われ始めた名前です。これらは「ファンタジー」の構成要素として生まれたものです。

 実際、「職」(ジョブ)に制限される武器なんて現実的な話だと思いますか?

 この概念は、縛りばかりの多い、太古からの「ファンタジー」なんです。それも、より現実的でないゲームとしての面白さを追求する為のものです。

 それにしても、能力に合わせて「職」(ジョブ)を選択するとか、職を失った中年オヤジじゃないのですから、それは若者としてやめてほしい。

 更には、「武器屋」や「アイテムショップ」などという代物も、やはり「ファンタジー」から生まれた要素です。

 実際に歴史に武器屋なんてものはそうそう無い筈です。商人や領主相手の鍛冶屋はあれど普通は武器など扱いません。剣や盾なんて代物で熊や狼と戦うなんてことは普通はしないでしょう。そんな狩猟なんて聞いたことがありません。普通は、罠を仕掛けます。

 剣や盾などの武器は、動きの激しい戦場で人を殺す為の武器です。なので普通は、武装した人間を相手にする為の装備です。要所に配置される兵士などに国や領主が、基本的に敵兵士を相手にする為に渡す装備です(威嚇用途としては幅広くですが)。

 なので兵士でも無い人が剣や盾を持つことなど有り得ないことで、一般人がそんな代物を持っていたら普通は怪しまれます。捕縛されます。熊を相手にする為に持っているなんて言い訳は通じません。普通は、剣で熊は殺せませんからね。そもそも人を殺める為に造られた武器が一般に出回ることなどある筈が無く、「どこで手に入れた?」という話になる訳です。

 そういう訳で、普通に武器屋なんて存在できません。武器屋も、「ファンタジー」の為に生まれた舞台装置なのです。ゲーム進行に必要な武器を提供する手段を安易に分かりやすく提供するユーザーにも便利な舞台装置です。

 しかし「武器屋」はともかくとして剣が人相手の武器という話はちょっとおかしいのでは、と思う方もいるでしょう。そこで挙げられる話として古代ローマのコロッセオ(フラウィウス円形闘技場)ではどうやってライオン等と戦っていたのか等という話になるわけですが、猛獣に剣で挑んで勝つのは余りにも厳しいので普通はそんなことしていなかった筈です。やるにしてもそれは意図的に弱らせた獣を使うか、実質的な死刑という見世物として扱われます。だって勝てないもの。少なくとも大怪我をしても仕方がないです。

 現実的に猛獣相手に戦うなら、多人数で囲って網を投げるなり獣の動きを鈍らせて、安全距離を保ちつつ槍で突くような形になります。この戦い方の根底にあるのは、安全にとか、有利にとか、まあ同じような派生概念を並べると分かるかと思います。これは、時と場合に合わせる必要もありますが、基本は、この様な考え方です。つまり、命がけなのだから当たり前のように、工夫している、です。

 つまり、武器屋どころか、冒険者が仲間と共に猛獣型モンスターと対峙するのも、それもやはり「ファンタジー」なんです。ただこれについても、制限上の話以外に「面白さ」としてゲーム仕様になっている類ですが、やはりどこまでも「ファンタジー」です。

 人型のモンスターですか?

 その世界には、人型のモンスターしか存在しないのでしょうか。何かと便利で都合の良い魔法のかかった剣ならまあ納得すべきでしょうけども。剣だけを持ってうろつくつもりですか?

 余談ですが、実際、映画的なファンタジー世界で魔獣と戦うのは、大体が兵士と相場が決まっています。それもなるべく大勢で囲む、つまりは軍隊の仕事です。それも戦わざるを得ない状況でしか普通は戦いません。討伐として請け負うことすら断られるのが普通だと思います。リスクが高すぎるのです。


 嫌な方角にも話が広がり始めた。そう思われるかも知れませんね。

 では、何故これほどまでに話を広げたのか? と謎に思っているかも知れません。

 理由を言わせて頂ければ、「武器屋」や「アイテムショップ」や「イベント」等といった当たり前と感じてしまっている「ファンタジー」の舞台装置を当たり前のように受け入れておりますが、既に語ったように”制限の為の概念”を、どうしても使う意味が本当にあるのでしょうか、と問題提起したいのです。

 先ほど書きました、


「その世界には、人型のモンスターしか存在しないのでしょうか。何かと便利で都合の良い魔法のかかった剣ならまあ納得すべきでしょうけども。剣だけを持ってうろつくつもりですか?」


 にしても、そのような考え(経験)に縛られなくとも、構想で解決したら良いのです。小説の自由度は、ゲームとは比較になりません。

 本来、人の想像力は、無限では無くともかなりの幅を持つものだと私は考えます。

 その想像力が制限の多いファンタジーを当たり前のように身につけてしまった為に、抑制されて幅を減らしてしまう可能性があるのです。

 しかもです。ゲーム仕様というものは、概ねどれも同じようなものです。今時は、ハードウェアに底上げされて頑張っており、根本的に新しい仕様なんて出てきておりません。ゲームの進化の歴史を見てきた方なら知っていることでしょう(若い方が今からそれを学ぶのは困難だと思われます)。

 そんな似たり寄ったりなファンタジーに毒されて幅のある設定や展開を書くのは大変です。

 分かって書いているなら良いのですが、そうでは無いのが問題だと私は考えます。

 それを問題として提起させて頂きました。


 そして、水を差させて頂く。

 「ファンタジー」に拘っているのか、「ファンタジー」しか知らないのか。

 どちらなのでしょうね。書く上での難易度もあるのでしょう。誰だって手抜きして集中したい部分だけを書きたいでしょうからね。本題とは逸れますので、それにはとやかく言いません。問題ではあるのでしょうが。

 最終的に言いたいのは、「武器屋」や「アイテムショップ」等もこれも実のところ「イベント」なのです。デバイスからの入力で目的へ向かって進行するのです。今時は、色々と細かくなっておりますが、例えば、後ろ向きのおじさんに話しかけても会話への移行を含めて進行が速いでしょう?

 些細な素振りでも良いのですから、そんな安直なイベントを発動させるのでは無く、少し想像を膨らまして一つ二つでも小さなことに悩んでみても良いと思います。

 どうでしょう。

 「イベント」が大好きなどこかの作家さん、割りと多いと思いませんか?(皮肉ですよ)


 余談になりますが、ついでなので「冒険者」という職業を現実的に考えますと、今までの話の流れから、こうなります。


 モンスター退治という公共事業は、多様な武器の携帯を許された軍隊のお仕事とするのが自然です。それも余程の状況でも無い限り、出動できないでしょう。モンスターの居る場所には近寄らない。住み分けが大切だと説教するのが兵士のお仕事となるのでしょう。


 最後になります。

 私は、別にファンタジーを全否定している訳では無いのです。そのような勘違いをしないで下さい。このエッセイで問題としているのは、そこではありません。分かるでしょう?

 ねぇ。あなたは、「ファンタジー」に毒されては、いませんか?






~~~~ 後日追記 ~~~~



 感想って面白いですねぇ。

 本当に読む人によって極端に感想が変わるのですから。

 「「ゲームファンタジー」に毒された世代」に頂いたご感想を読んで色々と思いました。


 私はねぇ、

「ゲームファンタジー」

 って何?

 という立場だったのですよね。このエッセイを形作る切っ掛けだって、「ゲームファンタジー」という良く判らない言葉にとてもインパクトがあって、それで刺激を受けたというのが大きいですから。ある方も嘆いておられたことですし。

 しかし、「ゲームファンタジーなんて寡聞にして知らない」と言うようなご感想を頂いた時、赤面して、しまいました……。

 私も、寡聞にして……だったのですが……。涙が一筋、頬をつたいました。

 (やばい誤解を受けそうです、汗。言葉は知っておりましたが、これは小説界の言葉では、無いですよね? 間違い? まあ、いいですけどね)


 「ゲームファンタジー」にとても思い入れが大きいのか、ものすごい拒絶反応を示す方もおられて、何か複雑な気分です。

 何も全否定しているつもりなんて無かったのですが、そう読める内容なのでしょうか。これは反省すべきなのかも知れません。

 しかし、否定する、その考えを誰に押し付ける気なんでしょうねぇ。とても不思議です。私にでは、無いですよね? ブーメランが多くて……(私も趣味にしておりますが)。

 でも、これも受け取り方なんでしょうか。私にも受け止め方にフィルターがかかっているのでしょうか。

 だとすると、そのファルターが認知可能な代物であることを祈るばかりです。


 いつも同じような内容になって悩んでいたり、他の方の作品との差別化に悩んでいたり、悩みつつ努力しているのに、陰ながらに駄目にする何かがあったら、大変でしょう。

 程度に受け止めても良いですし、真剣に悩んでくださっても良いですし。

 あとは、偶々、それで余計な枷を外せたなら、もう少し柔軟性も出て、書き易くなったら良いなぁと思います。

 まあ、人それぞれなのですから、関係の無い人もいて当然ですね。でも、そんなところにまで大層に気を回すつもりなんてありませんしねぇ。


 武器屋が在っても良いでは無いですか、と存在し得る設定を書いて下さったかたも居られましたが、これはとても正しいと思います。

 設定を考える余地があっても良いのでは、という話でもあるのですから。

 無条件に在って当たり前、なんて思っていたら、設定を考える上で邪魔にならないのかなぁと思うのです。

 この町には、武器屋がないよ!

 って展開もありだし、この国には武器屋が無いよ!

 って展開を考えても良いじゃないですか。

 邪魔な制限は、無くしたほうが良いと思います。

 はい、設定を適当に書いてます。

 だって、そんな細かい設定を考えるのは、本来、誰なんでしょうかねぇ。

 考える必要が無いことも、ご自身で考えるべきですよね。


 リアリティーに引っかかっている方……も、おられましたが。

 それは、便宜的と言いますか、比較対象として書くのが楽だったのです。

 いわゆる「ゲームファンタジー」の醍醐味は、無条件に楽をする事だと思いますので、それを自覚しやすい比較対象として、比較的に楽の出来ないリアリティーを選んだ訳ですが、誤解を招いたようですね。

 しかし、何と比較すれば良かったのか。

 その場で適当にファンタジー設定を考えて、それと比較すべきだったのでしょうか。

 「ファンタジー」って何という様な定義のお話でしょうか。

 しかし、それは、このエッセイにおいてどうても良いと思っていたことですし。これが間違いだったりして。

 難しいですね。


 それにしても過度に、極端に、狭量に捉えて読まれる方は、大変だと思います。

 本来、他人の忠告や感想や指摘や苦言や諸々なんて、なんでも無条件に100%受け入れて良いものでは、ないですから。

 極端に受け取るというのは、それが否定であっても、本質的には、同じことだと思いますけどね。

 可能性としてですけども。


 それにしても、こんな可能性がありますよ。無意識に縛られていたなら、それは考えた方が良いと無遠慮に指摘するのは、気まずい行為だったのでしょうか。

 これが「とんでも理論」であったなら、気まずいのでしょうけども。

 ……いや、とんでも理論である可能性もあるかも知れませんが、しかし、実際に余計な邪魔の存在に気づかれた方も居られますし、対処の仕方は個々人で考えて頑張ってもらうとして、まずは、無駄でも無かったのかな、と思ってしまいますね。

 それにしても、世の中って厳しいですね。

 色々とご意見を聞かせて頂いて、その中に、作家になる為だから人気のある手段を使うのは、仕方が無い、というものがありました。

 大変そうですね。手段なんてどうでも良い、というお話なのでしょうか。作家という肩書がどれほどに眩しいのか、私には、分りません。しかし、それがどうあれ、その考え方を、否定はできないでしょう。しかし、公に当然と叫ぶことでも無いでしょうに。

 さて、それは兎も角として、私も私なりに努力したいですね。


 ここで私の更なる意見を書きます。

 世に自分に必要な完璧な答えを教えてくれる存在があると、当たり前の様に考えているなら、それは馬鹿の証です。余りにも愚かしい。

 答えを教えろと、苦言を述べるのはそれ以上に愚かしい。世の中を舐めているのか、というお話です。まあ、そんな意見を述べる人は、実際に世の中を舐めているのでしょうけども。

 一つの本を読んで答えが出るというような楽な話など無く、何冊も本を読んで取捨選択する、こんなのは当たり前の話です。どうしようも無く役に立たない本に出合うことがあっても仕方ありません。

 しかも、これは単なるとても短いエッセイ(といいますか、すでに評論や創作論にカテゴライズしてしまいましたが)です。だとするなら尚更でしょう。何を期待しているのだ、と私は言いたい。

 最近、色々なところで「で、答えは何よ?」という愚かしい感想を目にします。

 双方向が売りなインターネットですが、だからと言って、甘えるな、と釘を刺したい。

 何を信じるのか、何に影響を受けるのか、それは受け手の資質(相談相手などの資産も含めて)に任されます。

「騙された奴が悪い」という話ですね(これは流石に嘘ですよ)。




 感想を書いて下った方々、この場で感謝を述べさて下さい。

 ありがとうございます。



 これからも書いて下さる方にも先に感謝を述べさせて下さい。

 ありがとうございます。





 最後に。

 私は、TRPGを賛美しておりません。そもそも、元凶は、こいつです。

 いえ、存在を悪だと否定しているわけでもないですよ?

 またまたぁ。

 本当に、すぐに、極端に捉えるのですから……。

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