第12話 神は囁く
その山間の温泉街にも、秋は当然訪れる。
生きている限り、季節は巡り、また繰り返す。
小岩井万菜美は、夜も明けきらない道を、てくてくとひとり歩いていた。
時刻は午前6時。
夏の盛りも過ぎた秋の早朝は、夏のような朝といった雰囲気は全くなく、前回は5時の次点の明るさが、今は1時間過ぎてちょうど良い感じになっていた。
ふと、背後から何か車の音が聞こえて、振り返ると一台の軽自動車がこちらへ向かって走ってくる。車は万菜美の横を通り過ぎると、ウィンカーを上げてその進路方向を遮るように路肩に寄せて停車した。
車の運転席のドアが開くと、見たことのある男が、困惑気味の表情で車から降りてくる。相変わらず、軽自動車が不似合いな上森に、万菜美は「おはようございます」と笑いかけた。
上森は眉間に皺を寄せながら、
「おはよう……。久しぶりだね」
と話しかけてきた。
「久しぶりですね」
あの、事件のあったあの日以来だ。こちらに近づいてくる上森を見上げれば、あの時と全く変わらない顔でこちらを見ていた。
温厚そうな、優しそうな、でも、少し困ったような顔。
2か月ぶりに再会したが、まだ万菜美のことを覚えていてくれたようだった。
「どうしたの、こんな時間にこんなところで?」
おそらくこれからいつもの通り会社なのだろう。前回と違うところは1時間ずれてしまった時間だが、相変わらず早朝出勤の上森に、万菜美はやんわりと微笑みを投げ返す。
「樹里愛の……弔い、みたいなものですかね……」
昨日は、あの旅館に再度泊まった。樹里愛の宿泊していた部屋は、2か月経った今は部屋としては存在していたが、誰も宿泊させていないようだった。殺人事件のせいで旅館の経営も危ぶまれたのかもしれないが、スピード解決だったこともあって大した風評被害もなく、経営を再会できたようだ。
旅館は、本当に、何事もないかのように、そこにあった。
花を添えるなんて、旅館の営業妨害のようなことはできなかったので、ただ、心の中で樹里愛に謝って、そして今朝、ひっそりと宿をチェックアウトした。
早朝に宿を出ていく者もいるのだろう。それとも以前の対策の為か、宿のカウンターにはきちんと人がいて、早朝にもかかわらずきちんと清算ができた。
「弔いって……?」
首をかしげる上森に、万菜美は口元の笑みを崩さずに、答える。
「私、お葬式もお墓にも行ってないんで……。ここだけしか、樹里愛にごめん、っていえるところがなくて……」
「あなたに葬式に出てもらいたくなどない! 帰ってください!!」
葬式に参列しようとした時、万菜美はそう、樹里愛の母親に叫ばれて突き飛ばされた。
「なんで……っ! なんでうちの娘がっ……!」
あの事件の詳細は、あまり多くの人に知れ渡ることはなく解決したのだが、被害者遺族である樹里愛の母親には、殺された動機などは言われたのだろう。
『あなたの娘さんは、友人の女の子と間違えられて、その子の不倫相手の奥さんに殺されました』
何て酷い不運。
不倫だなんて知らなかった……。相手に騙されていた……。
そんなこと、万菜美の都合なだけであって、樹里愛の母には関係ない。
それでも、万菜美があの男と付き合ったばかりに、樹里愛は間違えられて、そして殺された。
「結局、死んだ樹里愛を、一度も見ないで終わっちゃったから、何だか、どうしようも、なく、て……」
学校が始まっても、たまに授業終わりに樹里愛を探してしまう自分がいた。
啓介とはあの日以来、大学内ですれちがうこともなく、連絡も取っていない。お互い、顔を合わせづらいこともあるし、一部の生徒の間では、樹里愛と自分たちが仲が良かったことを知っているので、一緒にいる気にもなれなかった。おそらく世間的には『別れた』ということにはなっているだろうが、お互いにもう二度と会いたくない相手であることは確かだった。
結局、万菜美は後期の授業を親と相談して休学扱いにしてもらうことになり、今はアパートも解約して、実家に戻っている。来年から再び大学に復帰できるのか、自分でも自信はない。
行かなければ……とは思うのだが、樹里愛のことを思い出すと、どうしても辛くて、大学に行けなかった。
「だからって……、こんな時間に歩いて帰ることないだろう」
呆れたような上森の声に、万菜美は思わず俯いて唇を噛みしめた。
「だって──……」
旅館に泊まっても、樹里愛が生き返るわけではない。それでも何かしたくて、何かできないか探していて、じっと泊まっていることもできずに外に飛び出してしまった。
「こっちくるなら、うちにも寄れば、ばあちゃんだって歓迎したよ?」
下を俯いている万菜美の頭を、ポンポンと優しく上森が叩く。
「ねぇ、小岩井さん」
「……」
「君の友達を殺したのは君じゃないんだから、どうしようもなくても、生きてくしかないんだよ? だって、君、死ねないでしょ?」
思わず顔を上げてしまう。
抉るような言葉は、樹里愛が死んでからずっと、まさに万菜美の心に燻っていたもの。そのもので──。
(どうして分かるの?)
涙が零れそうになるのを必死に堪えながら、上森に目でその言葉の続きを促すと、上森自身も傷ついたような笑顔で、万菜美に笑いかける。
「死んでなんとかできるんだったら、とっくの昔に死んでるよねぇ?」
そう。
万菜美が死んだところで、樹里愛は返ってこない。
万菜美が謝っても、何をしても、樹里愛は返ってこないのだ。
「上森さん……。私、どうやって生きていけばいいの……?」
まだ20歳の少女に、色々なめぐり合わせで訪れた悲劇は、その肩に重く、重く、のしかかり、そして小さく軋んでいく。
その傷みを過去に知っていた上森が、我がことのように受け止めて顔を歪める。
そして、万菜美の頭を引き寄せて、その胸に抱きしめた。
「どうしようもなくても、生きてくしかないんだよ」
耳元で囁かれた上森の言葉は、万菜美の胸を熱くして、万菜美はそろそろと上森の背に自分の手を回すと、ぎゅっ、と強くその背を掴んだ。
「うわああああああああああああああああ……」
子供のように泣き叫ぶ声が、静かな道に響き渡る。
その声を聴くのは、同じようにまた傷ついた男で──。
そして、それらを車の中で、そこを社としている神は、興味深げに見ていた。
神は、誰にも聞かれることのない声で、囁く。
「小岩井万菜美、まだ終わりじゃないぞ?
お前は儂の社の巫女。そしてこの社を動かす男は、神ならぬ神、死神だ。
死神に救われたお前は、死神を救うことができるか?」
神には何もかも見えている。その二人に寄りすがる縁の糸の、模様も色も、何もかも。
「もうすぐ、上森昴に災いが来る。良きに計らえ。儂の巫女よ」
抱き合う二人は、恋人のようにも見えたし、兄と妹のようにも見えた。そんな二人が強く抱きしめあう姿は、まるで失った何かを互いで埋め合わせるかのような強さで。
絡まりあう糸の先を、ただ、神は見ていた。
(続く)
ふるふるはとうげのしらべ ―上森昴と私と殺人者― 榎木ユウ @esukiyu
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