エピローグ 脇役騎士の物語

いいバイトの条件

 歌の国アルヴヘイム始まって以来の干戈かんかを交えた大決戦から、ようやく1ヶ月が過ぎようとしていた。


 ちなみにあれから特に何事もなくいたって平和、のように見えるアルヴヘイムなのだが、これはあくまで傍から見ての話しであり、俺にとっては以前より常識の箍が外れた日々が、ここで繰り広げられている。


 今なんてまさにそんな状況で、俺と店長は背嚢を背負って銃を担ぎ、先導する銀髪の鬼軍曹に続いてミリタリーケイデンス軍隊歌を歌いながら走らされている。


 もちろん店内でだ。


「1,2,3,4, alfaheimr Marine Corps!」


「1,2,3,4,アルヴヘイムマリーンコー!」


「1,2,3,4, I love the Marine Corps!」


「1,2,3,4,アイラヴマリーンコー!」


 現在午後6時45分。

 まだ5月というのに、汗だくである。

 ちなみに客は、ゼロである。


 店長に追い抜かれたところで足を止め、


「サー、もう勘弁してくださいよお、いつまで走らせりゃ気が済むんすか、サー」


 七花が目にも留まらぬ速さでギュルンと振り返り、


「What do we do for a living,lady?」


 訳すと「ミーたちの商売は何だ、お嬢様?」か。もちろんお嬢様とは、女々しく見える俺を皮肉った言葉である。


「あー、そりゃもちろんカラオケ屋の店員っしょ?」


 七花が求める答えを知りながらそう答えたのは、皮肉に対する当てこすりであった。

 もちろん彼女は子供のようにムキになって反応し、


「違うっ! ちがーう! 何度言ったらわかるんだっ、ミーたちはこの店の海兵だ! さっさと猿からゴリラ程度に進化しないとその首切り落としてクソ流し込むぞプライベートパイパイスキー!」


 こうなることは分かっていたが、色々と限界がきていた。

 あの一件から、右肩上がりに強度を増す日々の訓練内容に、ほとほと嫌気が差していたのだ。

 何が入っているかよく分からない重たい背嚢を床に下ろし、


「クッ、毎回毎回バイト来てマラソンして腕立てしてスクワットって、頭おかしいんとちゃうか! ドンドンドンドン接客とかけ離れていっとるし、一体俺をどーする気やねん!」


 七花は、OD色のキャンペーンハットの鍔を親指でクイッと持ち上げ、


「お前のあーいえばこーゆー性格が直るまでこの訓練は続く。お前が立派なミーの海兵となるその日まで永遠にな! ……ミーのナイトさまは強くなければいかんのだ、ふひひ」


 最後はボソボソと言って聞こえなかったが、どうせ小言を抜かしているに決まっている。いきなり笑い出すところが気持ち悪い。


「アホか、バイトしにきたんやぞ俺は! ね~店長、なんとか言ってやってくださいよ~、このままほっといたら勝手にヘンな部隊とか作りますよこの人」


「いや~久々の運動は疲れるね。アルヴヘイムマリンコー最高ー!」


「すでにヘンな部隊の隊員ですかあんた!」


 相変わらずのん気すぎて言葉もでない。最後の砦の彼でさえこの調子では、本気でこの店を彼女に乗っ取られるのではないだろうか。

 ふてくされてその場に座りこむ。尻の部分が冷たくて火照った体には丁度よかった。


「まーいい、ちょっと休憩だ。はーちかれた」


「こっちが疲れたわ。てお前なんもしてへんやろ!」


 七花はそ知らぬ顔でペットボトルのジュースを取り出しゴクゴクと飲みはじめる。店長も同じようにして喉を潤す。実にうまそうな飲みっぷりである。


「て俺のは!」


 そろそろ本格的に転職するべきではないだろうか、と考えを巡らせていたところ、エントランスの方から呼び鈴が聞こえてきた。


「あ、待ちに待ったお客さんが来てくれたみたいだね。じゃあみんなで接客しに行こっか」


「はーい」


 銃と装備類をテキパキと事務所に格納し、3人走って受付部屋の中に入った。


「お帰りなさいませご主人様」


 ちなみにこの店の接客用語は完璧にマスターしていた。客にしゃべりかけるタイミングや、場面に応じて抑揚を調整したり、いつどんな状況で話しかけられてもつつがなく対応できるようになっている。すでに七花を抜いた気でいる。もはやこの店で俺の右に出る者はいないのではないかとさえ思える。


 射し込む西陽にようやく目が落ち着き、改めて客の全体像を見る。

 見覚えのある目つきに一瞬で氷漬けされた。

 ――ッ!

 西陽で輝きを増した金色のリーゼントが、校則破りの学生服をルーズに着こなした数人の手下を従え、受付前に立っていた。


 ――たしかコイツラは出入禁止のはずだ。まさか返り討ち。


 大神が俺を睨みつけ、俺が大神を睨み返すといった構図があっという間に出来上がる。

 目を離したら負けだという暗黙のルールが発生し、眉間のシワがこれでもか言わんばかりに寄せられたそのとき、


「ここに何しにきた」


 上から目線の先制口撃に、大神はテーブルの上に片腕を乗せ、突き上げるように俺を睨みつけ、


「いきなりオレにメンチ切って上等かヨ。そー言えば、こないだデケーの貰った借り返してなかったナ、今ここで返してやってもいンだゼ」

 

 あの一撃で大神をのしたことが勇気の源泉であった。

 もはや彼がどんな挙動を取ろうとも動じることはないだろう。


「懲りねえヤツは女にもてねえって言うぜ、オオカミ」


 蝶ネクタイを乱暴に引きちぎり、構えなしの臨戦態勢を取る。

 ところが大神は、先に目を逸らして舌を鳴らし、


「冗談だ、ここでメンドー起こしたら初代に顔向けも出来やしねえ、それにオレはそこの人に用があって来たンだ」


 一歩も譲らない、とは思いつつも、内心先に折れてくれたことにホッとした。隣で七花がショットガンを構えていたのはその後に知ったことであった。


 大神は、ぶっきらぼうに厚みを帯びた茶封筒をカウンターの上にドンと置き、店長に向かって深々と頭を下げ、


「店長さん、この前は本当に申し訳なかった。アンタが便宜を図ってくれたお陰で、俺たちは今ここにいることが出来てる。この封筒の中身は、オレたちで働いて稼いだ真っ当な金だ。請求書通りの金額入っている。どうか、オレたちの詫びを受け取ってくれ」


 礼は欠きつつも、大神の口から出てきたとは思えないほど丁寧な言葉であった。彼に傅く者たちも一様にして頭を下げている。


 店長が封筒の中の札束を取り出し、一枚ずつ指で弾いて確かめていく。やがて数え終わり、テーブルの上で札を整えながら、


「はい、確かに。お疲れさま、大変だったでしょう。あ、これ領収書ね」


 大神たちが顔を上げて喜びを分かち合う。その中に俺を搦め取っていたやつらがいて、目が合うと親指を突き立て片目をつぶる仕草をしてみせた。


 店は、馴染みの業者の手際の速さによって一週間程度で通常営業ができる状態に戻った。常連客の何名かが同情して見舞金までくれた。そして、こうして修繕費も無事回収することができた。

 これですべてが終わってくれたのだと思う。

 これでもう二度と、大神と関わることもないだろう。


 ところが、


「さーて、これでオレたちは晴れて自由の身だ。オイ姫騎士、部屋を用意してくれ」


「……は?」


 言葉の意味に理解が追いつかないでいると、大神は面倒くさそうに首をゴキリと鳴らし、


「ハじゃねーヨ。この一ヶ月みっちり働いたからストレス発散も兼ねてここに来たンだっつーの。余った金を修繕祝いとして落としていっから早くしろ」


 なんて図々しいやつなのか。


「いや、お前出禁だろ! 用が済んだらとっとと帰れよ」


「野暮ってえこと抜かしてンじゃねーヨ、ねえ店長さん」


 俺たちは競って店長の顔を見る。

 店長はまず俺を見て頷き、そして次に大神を見て、客に対する用語を口にした。


「お待ちしておりました、ご主人様」


 一ヶ月前のあの事件。店長は、強盗をやらかした大神一派を、無罪放免で野放しにしたあの笑顔で、因縁深き実行犯の弟である大神英治を、分け隔てのない温かみを以って迎え入れたのである。

 改めて大神の顔を見ると、まるで憑き物でも落ちたかのようにスッキリとしていた。久しぶり対峙したあの時と同じものとはとても思えないほど晴れやかであった。


 店長はこうなることを見抜いていたのだろうか。いや、こうなることなど稀で、よほどの深い縁を感じなければこうはならない。


 そこであることに思い至る。


 そうか、店長が言っていた笑って縁を切るとは、すなわち、お客がその行為を反省し、それでもこの店に来たいと思もわせるためのもので、そうなることを予測して伏線を貼る行為だということなのか。客の心理からすれば、ケチの付いた店にもう一度出向こうとする場合、あわよくば良客として迎え入れてもらいたいという心理が働くはずで、迷惑を掛けるようなことは二度と起こさない。彼の真意はこういうことだったのか。

 

 笑って縁を切るとはすなわち、縁を深く感じさせるところに意味があったのか。


 店長の器の深さを思い知らされる。


「オイ、なにボケーッとつっ立ってンだ、さっさと用意しろって言ってンだろ」


 大神の急展開な好意的態度に戸惑いを覚える。

 なぜかすごく負けた気がするのは気のせいだろうか。


「う、うるせぇ」


 大神は俺を一瞥しながら店長に近寄り、


「店長さん、どーやらアンタんトコの店員は、客に対しての口のきき方がなってねーらしいナ」


「ウッ、すす、すみません」


 急な尻すぼみに周りのやつらが腹を抱えて哄笑を上げた。


「これでこの前の借りの半分は返したゼ」


 大神がアフロコームで自慢の髪整えながら、してやったりとした笑みを浮かべている。


「クッ、昔俺のこと散々イジメたクセしやがって」


「おっと、いい事思いついたゼ。残りの半分はカラオケ勝負でケリをつけるってなァどーヨ?」


 また突拍子もないことを。

 そこで七花が、


「おい金髪、ミーに歌でも負けたらそのカラッポの頭が永久に上がらなくなるぞ? どーしてもというならその勝負受けて立つが、そのかわりミーが勝ったらお前はこの店の海兵だ」


「お、なんだか知らねえが乗った。オメーラ二人ともコテンパンにしてヤッからヨ!」


 二人で勝手に決めやがって、と思うほどには、悪い気はしていない。


「ったく、どいつもこいつも……あ、あの、店長、仕事中なんですけど、歌ってきていいスか?」


 いい店長の条件とは、どんなことがあっても笑顔を絶やさないことに尽きる。

 店長も人間だし、店の業績で落ち込んだり、俺たちを叱らなければならない時だってあり、にこやかな状態を保つのはとても至難の技である。がしかし、彼はそれを見事やってのけている。自分の雰囲気が従業員や客に影響すると知っているからだと、俺は考えている。


 それでは肝心の俺たちバイトの条件とは一体何なのであろうか。

 最近、ようやくそれに気づくことができた。


 店長は諸人すべてを幸せにするような笑顔で、俺たちにこう言った。


「もちろんだよ」


 そう、この笑顔を守るのが、いいバイトの条件なのである。


 初夏の澄み渡る青空に、小さな雲がぽつんとひとつ浮かんでいるのが見える。

 この先には歌の国アルヴヘイムが聳え立っており、ゆかいな旅の仲間たちが、今日はどんな冒険をしようと、俺を待ってくれている。


 汗ばんだ右手を絞ってギアを上げ、ペダルをおもいっきり踏みしめる。


 はじめた当初は不安で、ちょっと変わった先輩たちが嫌で、辞めたいと思ったこともしばしばあったけれど、こうして続いているのは、彼らのお陰であり、なによりも、自分に負けることなく続けてこれたことによるものだ。


 まだ手に入れてないが、俺が目指すバラ色の人生ラヴィアンローズは、そんな日々を続けていく先に見えるものなのだろう。


 いつの日かわからないけれど、絶対手にしてみせる、と心に誓う。


 脇役騎士はそうやって一歩ずつ夢に向かって進んでいく。

 脇役騎士はそうやってB級騎士に成り上がっていく。 

 脇役が主人公に這い上がっていくストーリー。


 それがちょっとひねくれた、俺の物語なのだ。

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伝説のシュヴァリエ ~脇役騎士はバラ色人生の夢をみる~ ユメしばい @73689367

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