やり抜き通すことの意味

「よしゃ、これで全部やな。オウ、みんなようやってくれたの、お疲れサン」


 五軒邸率いる烈怒妖精のメンバーと、統率された夢咲学園軍部の見事な活躍により、大神一派は余すところなく捕らえることができた。

 真犯人を捕まえるという一つの目標が、こんなにも大勢の人たちを巻き込むことになるなんて思いも寄らず、まさに部活動や学校行事などで、クラスのみんなと何かを成し遂げたような感覚であった。みんなに笑顔が戻りはじめている。そんな光景を眺めながら気づかされる。


 ――そうか、こういうことだったんだ。


 自然と笑みがこぼれ、


「なんかやり遂げたって感じっスねえ、先輩」


 隣にいる七花はミイラのような姿で腕を組み、その光景を眺めている。


「そういえばあのファッキン染宮はどこへ行ったのだ? まさかミーの殺気を感じ取って先にとんずらしたのではあるまいな」


 辺りをぐるりと見渡してみる。

 美夜と五軒邸が縛られて正座している大神たちの前で談笑を交わしていて、美雨はミミズの入った虫かごを東雲に見せびらかせており、彼女はそれをスマホに撮って収めている。


 もしこの場に染屋がいるとすれば、一発で居所を掴めるはずなのだが、彼女だけが忽然と消えていた。活力の塊のような彼女の声も聞こえてこない。

 そこで、


「みんなお待たせーッ!」


 突如として上がった染屋の声に反応し、エントランスの方に目を向けた。

 染屋はみんなに向かって大きく息を吸い込み、


「ハイハイ活目注目衆目ーッ! さてさて、ここに連れてきたのは一体誰なのでしょうーッ? ハイッ総理大臣、ブブーッ! ハイッ天皇陛下ッ、ブブーッ! ハイッ聖徳太子ッ、ブブブブーッ!」


 彼女の訳のわからない言葉に七花がたちまち怒りだし、


「朝っぱらからギャーギャーうるさいぞバカ染屋! 用があるならさっさと言わないとその無駄に回るクソ舌をなます切りにしてやるぞ!」


「もーチョチョゲリスはせっかちなんだからーッ! あ、それではそれでは瞠目すべきお二方に登場してもらいましょうッ、トゥルルルットゥルーッ!」


 すると彼女の後ろから、遠慮の塊がおずおずと姿を現わし、

 

「や、やあ、みんなお待たせ」


 現れたのは、鼠色のジャージを着た遠慮の塊であった。

 今回の盗難事件で辞職に追い込まれた歌の国アルヴヘイムの店長、白銀透、その人である。

 そして更にその後ろから、純白のスーツを着込んだ、株式会社ユグドラシル、カラオケ事業部営業本部長、権三郎エルヴァインが現れる。


「白銀殿ッ!」


 彼のもとに真っ先に駆けつけたのは、先ほどまで男勝りな行動を取っていたとは思えないほど桃色女子と化した姉である。

 美夜は胸を押し当てるかのようにすり寄り、


「嗚呼、貴方様の帰還をどれほど待ちわびたことか。一日千秋。否、一日億秋の思いに身をかられ独り淋しく枕を濡らす日々を送っておりました。そのジャージとても似合っております」


「美夜くん、心配させて申し訳なかったね」


 美夜が、歯を光らせながらウインクを決めるといった、難易度の高いイケメン仕草に悶えている。七花がその様子を羨ましそうに眺めている。


「先輩、奪い返しに行かなくていんすスか?」


 ところが七花は、なぜか俺を見てサッとうつむき、


「い、いい」


「え、姉貴に盗られますよ?」


「み、ミーはもういいのだ。そそそれはともかく、今日はその……ありがと」


 おかしい。いつもの七花じゃない。熱でもあるのだろうか。


「と、当然じゃないスか。あんたは俺のバイト仲間だし、先輩だし、それに……友達なら助ける理由はいらないって教えてくれたの、先輩じゃないっスか」


 なぜ俺がもじもじせねばならんのか。

 七花は人差し指をつつきながら、


「まーその、とにかく嬉しかったんだ。……あとその、さっきお前……大事なものを見つけたって言ってたよな? うん言った。たしかに言った。絶対に言ったぞ? よ、よくよく考えてみるとだな、あれはひょっとして、ミーのことが……」


「ああ、あれは先輩がいつも言ってる、海兵隊は仲間を見捨てないってことッスよ。俺たち永遠に仲間、ずっ友、OK?」


 七花はなぜか顔を真っ赤にして怒りだし、


「You're thelowest form of life on Earth.You are not even human fucking beings! You are nothing but unorganized grabasstic pieces of amphibian shit!」


 そう、これがいつもの七花なのである。


「うじ虫は卒業したって言ったじゃねえか!」


「Shut the fuck up ! もう二度とお前とは口きかんっ、フン」


「クッ、ああ今俺もそう思ってたと――、」


「みかどくん」


 店長だった。隣に美夜を従えている。


「あ、店長。おかえりなさい」


 店長は少しの間だけ俺を見て、


「男子三日会わざれば刮目して見よ、か、なるほど。その名の示す通り、アルヴの姫たちを守ってくれたんだね。本当に、ありがとう」


「はい!」


 実際に守れたのはひとりだけど、これでいい。

 今の俺は、自分の使命をやり抜き通したたことに自信を持っている。それは尊敬する姉も認めてくれたことだ。それだけのことを、やってのけたのだ。

 店長が美夜と一緒に喜んでくれている。


「オゥごんざぶ、どや、銭形のとっつあんもビビり上がるぐらいの働きっぷりで、オドレが所望しとった犯人しょっぴいたったでえ。約束通りワシらの大将返してもらおか」


 権三郎は、彼女の有無を言わせないといった顔を見て後ずさり、


「す、好きにするザマス」


「おおきに。ほな、アトクサレのないよう祈るでえ」


 と言って店長に向き直り、


「透、シャバに出たとこ悪いけどさっそく仕事や、このボンクラどもの落とし前どないつけるか、ちゅーこっちゃが、ワシはまあ、エンコ詰めさしてポリに突き出すってのがケジメの取らせ方としては妥当や思うがのう、お前さんやったらどないする?」


 五軒邸が、正座している大神一派に嫌味ったらしい笑みを浮かべて見回すと、彼らは縛られたままで後ずさり、首を振ってなけなしの抵抗運動をはじめる。一方、美夜の強烈な一撃を喰らった大神は気絶したままの状態で、弟の大神英治は、まるで割腹覚悟を決めた侍のように目を閉じたまま、その言葉にも動じず正座している。

 五軒邸はその彼の前に立ち、


「首謀者は大神やが、金盗み出したんはコイツや。肉親を屁とも思わん救いがたきボンクラ大神の弟や」


 店長はそれを聞いて表情を硬くし、無言で正座している彼の前にしゃがみこみ、


「刑法二三七条によって規定される事後強盗という罪には、五年以上の有期懲役が科せられ、執行猶予がつくのはほぼ皆無に等しいということを君は知っていたのかな?」


「……」


「刑事処分が相当と判断された場合、少年法の枷は外れる。これほどの罪を犯したんだ、周りの連中も無論ただでは済まないが、主犯格である君たち兄弟の実刑判決は免れないだろうね」


 俺の記憶に爪痕を残し、強盗にまで手を染めた男、大神英治。

 同情する気なんかこれっぽっちもなかった。


「売上げを盗んだから2年? 店の物を壊したから1年? 原理主義たる法治国家のお咎めは所詮その程度のもの、実に解かりやすい刑罰の仕組みだ。ああ、何もそれを否定しているのではないよ、けど、強いて言うなればひとつだけ。その仕組みには盲点が存在する。それは、被害者家族の感情を汲み取らないことだ。……さて、回りくどいのはここでやめにするよ。ようするに僕にとって何より我慢ならないのは――



「愛する家族に危害を加えたことだ」



 そこではじめて大神英治が顔を上げた。

 店長の顔はここからでは見えないが、固唾を飲み込む大神英治の行動が、言うまでもないことを明らかにしている。


「君の刑罰がたとえ最長の5年だったとしても許し難い。僕にとって君たちが犯したその行為は、万死に値するものだ」


 すると大神英治が根性をかき集めた硬い表情でこう言いきる。


「い、言い訳なんて端ッからするつもりはねえ、煮るなり焼くなり、アンタの好きなようにしてくれ」


 店長が言うように、大神英治はやってはいけない事をやってしまったのだ。

 兄貴にそそのかされたとはいえ、同情なんか絶対にしない。斟酌する余地すらない。

 ところが、


「あはははは」


 店長が突然、面白おかしく笑いはじめた。

 周りのみんなが、なにがどうなってしまったのか、という顔をしている。

 彼は一頻り笑ったあと、


「なーんてね、まぁその辺りはみんなが僕に代わってケジメを取ってくれたみたいだから、もうこれ以上言うつもりはないよ」


「……ッ!」


 そして、あってはならないことが起こった。

 店長が、大神英治を縛りつけた縄を解きにかかったのだ。

 周囲の動揺がざわめきとなって店内に広がっていく。

 俺は納得がいかなかった。


「ちょ先輩、アレいいんですか? 何とか言ってくださいよ」


 七花に水を向けるが、いつもの彼女らしからぬ態度で、無言で首を振って終わらせる。あんな目に遭わされたというのに不問にしてもいいのか。

 だったら他のみんなはどうか、と美夜を見て、五軒邸を見た。彼女たちは一様として、店長の決めたことに同意するといった顔をしていた。

 唯一の例外といえば、例のミミズをかごから引っ張り出して楽しそうに遊んでいる染屋と東雲と美雨の三人である。


 大神英治は、我が身に起きた奇跡を信じれないといったように、解放された自分の手を眺めている。


「ただ約束して欲しいことが二つある。ひとつは、二度とこの店に立ち入らないこと。帰るときは君たち全員の名前、住所、連絡先は置いていってもらおう。ふたつ目は、盗んだお金と、壊した器物を弁償すること。見たまえ、君たちがしでかしたこの店の有様を」


 店の惨状に改めて目を向けてみる。


 足がもげ、もはや然るべき機能を果たせなくなったプラスチックチェアとテーブル。液晶画面が割れて電子部品が丸出しとなったゲーム機の筐体。クレーンゲーム機の割れた窓からぬいぐるみがこぼれて床に散乱し、今流行りの歌手が載った販促ポスターは下半身のところから破かれおり、カラオケ部屋のドアがなくなっている場所もあったり、あったとしてもドアガラスが割れてたり無残にへしゃげているのがほとんどで、ドリンクバーはボロボロに破壊されて、床に緑とオレンジ色の川を作っていた。


「これではまともに営業すらできない。人気のないこの店でもお客様は今日もいらして下さる。この店が好きだと言って来て下さるお客様のために、この店の子たちは毎日一生懸命になっておもてなしをしてくれていた。君たちは、そんな彼女たちの生きがいを、お客様の生きがいさえも奪ってしまったんだよ」


 気がつけば、烈怒妖精と軍部の連中が壊れた備品類の後片付けをしてくれていた。そしてそのうちの何名かが、店長の意図を汲み取り、縛り上げていた大神一派の縄を解いてあげていた。


「もしこの約束を破ったら、今度こそ本当に当局に突き出すつもりだ、と、君のお兄さんによく言って聞かせといてくれたまえ」


 店長が立ち上がって振り返り、


「部長、これでよろしいでしょうか?」


 接客されれば一撃で常連になるほどの見事な営業スマイルであった。

 権三郎は何か言いたげにしていたが、五軒邸の射抜くような目つきに短い悲鳴を上げ、居ずまいを正すように咳払い、


「本社に頼らずやり遂げたアータたちに免じて、今回は大目に見るザマス」


 みんなの歓声が爆発した。

 店長はこの快哉のなか「営業は修理と平行して行います。修理業者の見積もり後でメールしときますね」と権三郎が聞き取れるくらいの声でそう言った。

 染屋が一際喜びを露にして権三郎に飛びつき、


「さっすがユグドラシル営業部ザマス本部長! きいろはそう言ってくれると信じてたでザマスよパリーッ!」


「ハァ、社長はこのことに納得してくれるのかしら……て、ちょっとアータ! さっきからいい加減離しなさい! アタシは女に抱きつかれても嬉しくないのよ!」


 そして店長は再び俺の前に来て、


「僕の下した決断が、不満のようだね」


 美夜が子犬のように、彼が行くところに付きまとっているのが気になって仕方がない。


「はい。正直言って納得できません」


 少しふてくされたように言ったのはわざとであった。

 店長のことは好きだし尊敬もしているが、笑って縁を切れだとか、この件を必要以上に咎めないだとか、考え方だけはどうも好きになれない。みんなが彼の意見に賛同したことが納得できない。美雨の周りに人だかりができていて、五軒邸に専務と呼ばれていたバーコードのおっさんがデレ顔で名刺を渡している姿に激しい苛立ちを覚える。

 ――絶対お前らなんかに妹渡さんからな!


 店長は嫌な顔ひとつせず、そんな俺にこう言ってきた。


「ヨハネ福音書第七章七節。神の子はこう言った「君たちの中で罪を犯したことのない者が、この人に石を投げなさい」と」


「……どうしてそこで羊飼いの話が出てくるスか?」


「つまり、人が人を裁くということ自体、罪深いってことさ」


 こじつけのような気もするが、表裏のない完璧な笑顔も相まって、心に湧き出た怒りの感情が静まりはじめる。

 細長いため息をつき、


「そこまで言われちゃ引くしかないじゃないスか、もう。分かりました」


 納得するには及第点といったところだが、店長が最善であると決めたことだ、彼を信じてついていく気持ちに嘘がない限り、素直にそれに従うのも、バイトとして最善の選択なのだろう。と自分に言い聞かせる。


 時にはこうやってぶつかり、折れることもあったり、また、納得させられることもあるのだろう。

 そうやって俺たちの絆は、強くなっていくのかもしれない。

 本当の仲間とは、そういうものなのかもしれない。


 いつしか、敵同士だった者たちが健闘を称え合っていた。


「あら~笑顔が若干引きつっていますわよ~」


「げっ、礼子さん? い、いつのまに元に戻ったんスか」


 五軒邸だった。

 彼女はいつもの淑やかな状態に戻っており、特攻服と髪がまったくといっていいほど似合ってなかった。


「一度決断したらあとは笑って身を任せるのが男だって、あっちの礼子ちゃんが言っておりますわよ~」


「ははは……便利ですね、ソレ」


「そうそうその調子ですわ~」


「姉さま!」


 それにしても、


「あら~子供のミイラみたいでカワイイですわね~」


「あはははッ、せっかく巻いたのに解いちゃダメだよナナッチーッ!」


「うるさいこのバカ染屋! さっきお前がだるまみたいにしたから窒息しかけたんだぞ!」


「違うよナナッチ、だるまじゃなくてマトリョーシカだよッ!」


「お前の目は腐ってんのか! どっちも口があるんじゃボケー!」


 ――とてもいい朝だ。


「総長、コキシネル・ザ・ビゲストの討伐は失敗に終わったようです。今連絡がありました」


「あらそれは残念ですわね~。副総長が抜けた穴は大きかったのかもしれませんわね~」


「でもこっちにきて正解だった。あの世界で覚えた技はリアルでも通用することがわかった。なにより、黒を基調とした中二臭い出で立ちで名前だけ強そうな恋人を助けることができた」


「て、いきなり俺か!」


 ――これが、店長がいつか目にすると言っていた、


「おにいちゃん、ボクに内緒でこのメンヘラ女子と付き合ってたの?」


「お、お前、恋人がいたのかっ?」


「はっ? ハッタリに決まってんでしょうが!」


「嘘じゃない。二年前のバレンタインのとき告白された」


「よく覚えてますねそんな話! あれは言い逃れするためで本気で言ったわけじゃねえ!」


 ――黄金の朝焼けである。


「なので監視行動を継続した。先日恋敵が現れたのは不覚だった」


「恋敵? そんな物好きおるか!」


「いぎ、この手の女子はパフィーニップルと相場が決まってるから相当敏感だよ? 精液封入だけでもイッちゃう特殊な体で、ボテバラになっても激しいまぐわいを求め、性奴隷にはもってこいの微レ存的存在価値の高い代物なんだ」


「また新たな必殺技か。なー姫騎士の妹、いったいどこで覚えるのだそんな技? せめてちっぱいズリーだけでも教えてくれ」


「一生覚えんでいい!」


「秘宝殿の店長に言ったらすぐに手取り足取り教えてくれるよ。なんてったってボクのお師匠さまだからね、いぎ」


「やっぱアイツのせいか……殺そ。絶対に殺そ」


「あの、」


 大神英治だった。

 彼は五軒邸の前に立ち、気まずそうに頭をかきながら、


「アンタ、烈怒妖精の初代総長……だよナ?」


「はい~そうですわよ~」


「オ、オレ、ずっと……アンタに憧れてた。仲間とつるんで走ってンの見て心躍ったし、男勝りの武勇伝を聞くたンびに胸を焦がした。いつかアンタのようになりてえって、ずっと思ってた。そんな……そんなアンタが働いてるこの店を、こんなにしちまった。知らなかったとはいえ、ホントに、すまなかった」


 五軒邸は深々と頭を下げる彼を見て、


「あなたお名前はなんておっしゃるの~?」


「エージ。大神、英治」


 そこで五軒邸が手を上げると、特攻服を着て頭にねじり鉢巻をした厳つい男がこちらに来て、折りたたまれた布を彼女に渡した。そしてそのまま大神英治に渡した。

 彼は震える手でその布切れを広げ、


「こ、こりゃ烈怒妖精の……」


「ワレ単コロ転がせるんか?」


 いつの間にあっちの礼子と替わっていた。


「ま、まだ免許ねえけど、一応」


「ほうか、やったら表に停めとるワシのバイク、オドレにやるわ」


 五軒邸はそう言って、特攻服のポケットからキーを取り出し、無造作に放り投げる。

 大神英治はそれを慌てて受け止め、


「え、FXバイクを……ッ? そんな、なんでまた」


「ワシにはもう、無用の長モンやからのう。今日からオドレが頭じゃ、二代目烈怒妖精総長、大神英治、返事は?」


「だからなんで俺に……ッ!」


「ここでお前さんに出おたんもワシの運命やったんかもしれんのう。ただし仁義は通せ。兄貴のように筋の通らんことしよったらいつでも喰らわしたるさかいのう。金スジも一目置く看板に泥塗らんよう、ビッと気合の入った走り魅せてオドレ色のチーム作ってみい、返事は?」


 大神英治は六畳旗をかき抱き、気合の入った声で「押忍!」と言った。


「白銀殿、あの、軍法第五十七条によると、頑張った兵士にはご褒美を与えなければならない、とあります」


「お前今思いついたやつやろソレ」


「加えて私は負傷兵の身。先ほどからいやがうえにも右手が痛くなっております。どうか早急に、あ、愛の手当てを」


「ふひ、部長らしからぬ貧弱発言がとうとう出たな。これでは部下にも示しがつかん、軍部も終わりが見えたな、シシシシ」


「はて、そこはかとなく腐臭がすると思えば、こんなところにゾンビが一匹」


「だっ、誰がゾンビじゃー!」


「戦争に勝って勝負に負けた鬼畜米帝の一兵卒、七花ミイラよ、棺に戻って眠れ、そして二度と目覚めるな、よいな?」


「勝手に人の名前を変えるなこのクサレビチグソ尻軽女ー!」


 吹き抜けの天窓から、一日のはじまりを告げるやさしい光が射しのびていた。

 アルヴヘイムは昨日と同じような陽だまりの世界へと戻り、足元でくしゃくしゃになって落ちていた割引チケットの妖精が笑いかけているように見え、天井裏の小窓から入った小鳥が囀りを響かせる。


 美夜が、しどろもどろになりながら店長と会話していた。

 五軒邸が、烈怒妖精のメンバーたちに大神英治とその仲間を紹介していた。

 染屋が、ホットコーヒーを沢山乗せた長方形のシルバーを抱え、一杯50円で元気に販売している。

 美雨が素手でつまんだミミズに、権三郎が必死の形相で逃げ回っている。

 東雲が、スマホを使って周りの様子を収めている。


 そして俺たちは、そんなの光景を眺めながら、笑っていた。


 逃げるだけでは見えてこなかった景色が、やり抜き通した者にしか味わえない黄金の景色が今、俺の前に広がっている。


 ――やり抜き通すことの意味。見つけたぜ、親父。

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