クエスト名は、神々の黄昏

 断崖絶壁を彷彿とさせる人の群れが雄叫びを上げながら押し寄せてきた。

 大乱闘の幕が切って落とされた瞬間であった。


 五軒邸率いる烈怒妖精の、現実と仮想の混成部隊。さすがに子供はいないようだが、俺と同じ歳ごろの男子や、工事現場の作業服を着てるガテン系の青年、ビジネススーツを着ている中年男性とか様々な格好をした集まりであった。刺繍の文字は違えど彼女と同じ特攻服を着ているのは初代烈怒妖精のメンバーと見て間違いない。


 鉄パイプや木刀、拳や蹴りに頭突きが重なりあう中で、二階に潜んでいる美夜の部隊は、彼らがスムーズに戦えるよう銃撃で援護している。

 辺りに人がいすぎてどれくらいの人数が駆けつけてきたのかまでは分からなかったが、大神の手下ひとりに対して、二人掛かり、時には三人掛かりで倒している姿を鑑みるに、敵勢力を圧倒するぐらいの人数がここに来ているに違いなかった。


「さァて、ワシも置いてけぼり喰らう前にお目当てのドグサレ野郎どもを探さんとのう……オーおったおった、飛んで火に入るクソバエ共がこんなトコおった。おう専務、そいつらはワシの獲物や、ちーと代わってくれや」


 五軒邸が灰色の背広を着込んだバーコード親父の肩を叩くと、彼は振りかざしていた金属バットを五軒邸に譲って下がり、背中担いでいたゴルフバックの中からアイアンを抜き取り、違う獲物を探しに人ごみの中へと消えていった。


 額にトライバルタトゥーを入れたスキンヘッドと尖がったグラサンをかけたひょろ長い男。

 見覚えがあった。

 トイレで大神に便乗して俺に暴力を振るってきたやつらである。


「オウ、こないだワシの義弟に手ぇかけたのオドレラやろ、落とし前どないつけるんどゴラ」


 彼らが金属バットで頭を小突かれながら五軒邸の威嚇に完全に竦み上がっている。


「ワシはのう、何の因果もない人間が加害者に同調して行動を共にする、ちゅう思考停止行為が世の中で一等嫌いなんじゃ。今からワシの義弟が味わった地獄をオドレらに見せたる。オラ腹くくらんかい!」


 彼女の戦闘は一瞬でけりがついた。

 彼らは無残に腫れ上がった顔を晒し、床に倒れたままピクリとも動かない。


 視線が気になり振り返ると、口を塞がれ包帯でグルグル巻きにされていた七花が、顔を真っ赤にして俺を睨んでいた。染屋はいつの間にかどこかに消えていた。

 とりあえず口で息が出来るように包帯を解いてやる。


「ぷはーッ、窒息するとこだった」


「プッ、先輩。だるまみたいになってますよ」


「笑うなー! 染屋のやつ今まで手加減してやってたが今度という今度は許さん。鉛弾でドたまをぶち抜き首をもぎ取ってゾンビ共の餌にしてやる……おい、なにボケーっとしている! さっさとこの包帯を解け!」


 この場所は全体を見渡せる最適な場所であった。

 彼らの行動を逐一説明するのは困難だが、大神の手下どもの半数以上は戦意を失いつつあり、逃げ惑っている途中で銃撃され、次々と捕縛されていく。


 よかった。

 どこまでも続く闇に絶望していた俺たちを、心強い仲間たちが光で照らし出してくれた。

 辺りはまだまだ乱闘の真っ最中ではあったが、仲間の力を信頼しているからだろうか、心はすごく穏やかな状態になっていた。

 仲間の仲間が窮地と聞きつけ、助けに駆けつけてくれた第二の仲間たち。彼らの存在もすごくありがたいし、絆の強さを深く認識させてくれるものとなってくれた。

 大神にとってもそれは同じなのだろうが、まるで意味が違っていた。

 共に痛みを分かち合い、共に喜びあい助け合う。仲間とは、こういうものだったのだ。


「イテテ……安心したら急に痛みだしてきた、ちょっと無茶しすぎたかな」


 七花が心配げに俺の頬に手を当ててくる。ところが彼女は後ろの異変に気づき、


「姫騎士!」


 七花の視線を慌てて辿り見ると、混戦から抜け出してきた改造学生服の手下ふたりが、俺に向かってハンマーと木刀を振り上げていた。


 俺を搦め取っていた例の二人であった。

 しかしよく見ると、それぞれの持っている獲物は俺の初見とは違っていて、デブが持っているのはハンマーではなくピコピコハンマーで、痩せ型のほうはおもちゃの刀であった。しかし、それは安心する要因には至らず、このままであれば袋叩きにされることは違いなく、むしろ本気でやられるとおもちゃでも痛い。


 彼らは、まるでお目当ての獲物を見つけたかのように笑い、俺に向かっておもちゃの武器を振り下ろす。そこで、


「らめえっ!」


 その声に彼らの攻撃がピタリと止まる。

 視界の前に突如として現れたのは妹の美雨であった。

 美雨はプラスチック製の虫かごを小脇に抱えながら、敵の前に勇敢に立ち塞がり攻撃を防ごうとしていた。


「び、美雨……お前来てたのか?」


 すると美雨が素早く振り返り、


「おにいちゃん、これ持ってて」


 と俺に虫かごを渡して再び背を向け、手足を目いっぱいに広げて大の字になる。虫かごを見ると、例のミミズが蠢いていた。

 敵は、身を挺して庇おうとする妹の姿を見て明らかに動揺している。

 そして美雨はぐずぐずと鼻水をすすりながらこう言った。


「おにいちゃんは、ボクの大切なおにいちゃんは、ボクをこよなく愛してくれるやさしいおにいちゃんなんだ! バカなボクにお勉強を教えてくれるし、おとうちゃんとおかあちゃんがいなくて寂しくて泣いてたとき、ボクが眠れるまでずっと側にいてくれた。お小遣いが足りなくてプリン買えずに困ってたら黙って48円貸してくれた。そんなおにいちゃんを、そんなおにいちゃんを……何の罪も無いおにいちゃんをなんで寄って集ってイジメるの? なんでイジメられなきゃならないの?」


 それは、まさに心が動かされる一撃となった。

 彼らを見ると、いつの間にか武器を振り上げたまま感涙を流していた。

 俺は泣きこそはしなかったが、彼らと同様、心を揺り動かされていた。


 美夜といつも馬鹿やって、俺を困らせて楽しんでいるのが妹だった。兄貴に対する感情なんて所詮そんなものだとばかり思っていた。同じ家族として、兄弟として、少し変わってはいるが、あくまでも一般的に、普遍的な感情を抱いているにすぎないとばかり思っていた。

 妹を思う気持ちは一方通行ではなかったのだと、甚く感動させられる言葉であった。


「美雨……お前、兄ちゃんのことそこまで、」


「いぎ」


 妹がなぜかそこで笑った。

 俺もそう変わらない顔をしていると思うが、手下の二人が、なぜここで笑うのか、という顔をしている。ここからでは背中しか見えないが、美雨が今どのような表情をしているのか俺には見える。なぜかは知らないが、ハート目のアヘ顔を晒しているに決まっていた。


「けど、ボクのおにいちゃんはそれだけじゃないんだ。幼稚園の頃おにいちゃんがね、夢咲川の辺でえっちな本を拾ったから一緒に見ようと言ってきたんだ。今思えばあのエロ本、うぶなねんねが見る代物ではないハードSMモノで、興奮したおにいちゃんが「大人はこんなことするのかなあ、ねえ今度縛らせてくれる、この本のように」ってド変態顔を晒してきたのを今でも覚えている。あれはボクが小学一年の頃だった、いきなり秘密基地に呼ばれて「病気かもしれないから検査しよう」って半裸にされて色んなところを弄られた。美雨も触ってって無理やりアソコを触らせようともしてた。絶対おねいちゃんには内緒だって言われた。一緒にお風呂に入るたびに「美夜はまだ子供だから」と言ってボクが小学卒業するまで体を洗われたし、おねいちゃんにも一緒に入ろうって毎晩せっついて入ってたけど、毛が生えたのか、言わなくなったのが中2のとき。だから思ったんだ、おにいちゃんの性奴隷になってやろうって。ヘンタイあにきが性犯罪を犯す前にボクが人柱になれば世もこともなし、ていう具合にね。いぎ」


 美雨が変態になったのはハゲ店ではなく、ひょっとして俺のせいではないだろうか。七花はなぜ俺を睨んでいるのだろうか。


「ま、待て、たしかにそんなこともあったと思うが、俺はそこまで」


「ボクの体をこんな風にしといて今さら言い訳するの? このヘンタイおにい!」


「俺は何もしとらん!」


 そこでふと我に返り、手下どもを見ると、やはりこんな最低な兄貴は生かしておけん、と書かれたような顔で、おもちゃの武器を持つ手を強く握り締めている。


「美雨、危ない」


 咄嗟に抱きかかえるようにして妹を庇う。


「おほっ、おにいちゃんにこうやって抱きつかれるのは久しぶりのことだ。このまま強姦即パコの流れかな? ぐしし、まずはベロちゅーからだよおにいちゃん」


「んなことするか!」


 狙いは俺だろうが、このままだと妹に類が及んでしまうかもしれない、と思っての行動であった。

 固く目をつぶる。


「すいっち」


 そこでどこかで聞いたことのある声が耳に届いた。続いて何かが弾かれた音が聞こえる。

 恐る恐る目を開けてみると、そこには、夢咲学園の制服に新聞部の腕章を左腕に巻いた東雲しののめ詠子えいこが、警備員がよく持っている赤いランプが内臓された誘導棒を両手に持って立っていた。

 彼女は赤い点滅を繰り返す誘導棒をクロスさせて構え、


「二刀流スキル、スター、バースト、ストローム」


 時間にして5秒ほどの出来事が目の前で起った。

 右手の誘導棒で水月を貫かれたデブが両膝を折って床に崩れ落ち、彼女はそれを踏み台にして高く飛びあがり、瞬く間の行動に身動きすらできなかった痩せ型の頭に目掛け、二本の誘導棒で叩き割るかのような斬撃を加えて意識不明の状態に陥らせる。

 彼女は誘導棒を、まるで付着した血のりを飛ばすかのように振り払い、背中のフォルダーへと収める。


「A子、なんでお前がここに……」


 すると詠子は青縁メガネをクイッと持ち上げ、事のついでに助けただけとでも言わんばかりの無表情で振り向き、


「コキシネル・ザ・ビゲスト討伐中に、総長の緊急呼び出しがかかったのでここに来た」


「討伐って、まさか」


 詠子はコクリと頷き、


「40層で年に一回開かれる激レア早朝クエスト。LAラストアタックでドロップするコキシネル・オブ・ザ・レインボーティアーは武器強化値を確率無視で最大にできるS級アイテム。売れば一億ゴルは下らない代物。クエスト名は、神々の黄昏。今もまさにそんな状況。クエストを切り上げ駆けつけて正解だった」


「いや、それはありがたいことだが、そうじゃなくてお前の所属ギルドって」


 詠子は再び頷き、


「私は、烈怒妖精副総長、血まみれのスケバンA子。またの名を、デュアルソードマスターA子」


「ふ、ふ、副総長だとおおおっ!」


 あまりのショックに両手が床に沈んでしまった。


「こ、こいつがあの世界で有名な、唯一のエクストラ持ちの剣聖の正体だったなんて……夢高にSAOやってるやつ沢山いるって知ってたけど、こんな身近に上位ランカー2人もいるなんて……方や20層辺りでコツコツ一人でレベリングしている俺って一体……」


「レベリングよりも基礎剣術スキルを上げることに重きを置いたほうがいい。基礎剣術とはどのような剣戟で敵を倒すかによって伸びるスキル。普通の攻撃で倒しても伸びないスキル」


「はいはい言われなくても十分わかってますよ剣聖さま」


「今度、名前だけ強そうなシリアルキラーのスキル上げに付き合ってやってもいい」


「なんで俺のユーザーネーム知ってんだよ! て名前だけ強そうって失礼だな!」


 彼女はメガネをクイッと持ち上げ、


「ずっと監視してるからそれくらい常識。……あ、ピンキーピッグの貯金箱が危ない。助けに行かないと」


 東雲詠子はそう言って再び誘導棒を抜き放ち、混戦の真っ只中へと消えていく。


「ふむ、これはもう必要ないだろう」


 アヘ顔の妹を抱えたまま美夜の方へと視界を転じると、美夜が軍刀を鞘にしまっているのが見えた。彼女の目の前には、自軍の劣勢状況に大顎を開いて唖然とした大神が立っている。


「これで心置きなく貴様と一献交えることができるな」


 彼はそう言われてはじめて自分が置かれている状況に気づき、慌てて周囲を見回し、折れ曲がった鉄パイプを藁をも縋る気持ちで拾い上げ「ナメんじゃねえ」と追い詰められた鼠の如く、美夜に向かって振り下ろす。が、美夜は真横に移動してその攻撃をあっさりと躱し、足を引っ掛けて大神を派手に転倒させた。

 美夜は、大神の手から鉄パイプを奪い取り、怪力でへし曲げて無造作に放り捨て、


「大口に釣り合った行動とはとても思えぬな」


 大神はこれまでの言動から想像もできないくらいの脅え方で、


「ひぃ……悪かった、おお、俺が悪かったヨ」


「愚女子なおもて大和魂を有す、いわんや愚男をや。……いざ」


 美夜が片手で挑発する仕草を取って構える。

 彼は物乞いさながに床に頭をこすりつけ、情けない声で姉に懇願した。

 美夜はその体たらくを見て短いため息をつき、背を向け、


「もうよい、貴様など手を下す価値もない」


 すると大神がその隙を見て走りだし、いまだ意識を失い倒れている弟のもとに駆けつけ、上半身を無理やり起こして強く揺さぶり、


「おいエージ起きてくれぇ、いつまで寝てんだよォ、頼むから起きて兄ちゃんを助けてくれ、兄ちゃんがどうなってもいいのか?」


「う、うぅ……なんだ兄貴か、俺はいったい」


 ところが大神は、弟が目覚めた途端に態度を豹変させ、


「目を覚ますのにどンだけ待たせンだ、アン! まァいい、とにかくあの女をヤれ。今すぐヤらねーと家から追い出すぞ!」


 大神英治は兄の手を払いのけ、胸倉を掴んで立ち上がり、


「いーぜ、オメーにシッポ振ンのも飽きてたところヨ。こっから先は、俺一人の力で生きてやる。これはその祝砲だ、受け取りやがれ」


 と言って殴りかかる。が、美夜にその腕をガッシリと掴まれ、


「邪魔すンじゃねえ!」


「どんな理由があろうと肉親に手を上げるのはならぬ。その拳は、守ろうとする誰かの為にとっておけ」


 彼はそう言われて勢いをなくし、少し考え、


「フン、勝手にしろ」


 美夜から解放された大神英治は義兄を強く睨みつけたまま、腕を組んでその場に胡坐をかいて座りこんだ。

 今度は美夜が、大神を突き刺すように上から睨みつけ、


「肉親に手をかけるとは、まさに凡愚の極み。最早、看過できるものではない」


「ヒィ、たったったっ助けてえ」


 美夜は逃げようとした大神の肩を掴み、拳に気を溜めるかの如く振りかぶり、


「是非に及ばず……の思い、その身に刻めえッ!」

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