夢をかなえるタイムマシン

陽澄すずめ

夢をかなえるタイムマシン

「どうしたの、あなた? ぼうっとして」

 私の呼びかけに、夫ははっとする。

「……あぁ、ごめん。まだちょっと夢の中にいるみたいだ」

「そう……てっきり料理が口に合わないのかと思ったわ」

 テーブルの上には、少し焦げてしまった朝食のフレンチトーストがある。私は料理が苦手で、よく失敗してしまうのだ。

 夫は慌ててかぶりを振る。

「いや、まさか。君の作るフレンチトーストは僕の大好物だ。今日もとてもおいしいよ。ぼうっとしてしまったのは、きっと今朝見た夢がすばらしかったせいだ」

 夫は不細工な焦げ目のついた一切れをほおばりながら、楽しそうに言う。私は少しほっとする。

「そう、それならよかったわ。いったいどんな夢だったの?」

「聞いてくれるかい? 夢の中で、僕は天才科学者だったんだ」

 私は思わず瞬きをする。

「天才科学者?」

「そう! それで僕はなんと、タイムマシンを発明するんだ。過去にも未来にも自由に行ける夢のようなマシンさ」

 夫はナイフとフォークを動かす手を止め、きらきらと瞳を輝かせながら話をする。

「僕はそれに乗って三百年後の世界に行ったんだよ。未来には今よりもずっと進んだ科学技術があって、僕はいろいろなノウハウを現代に持ち帰るんだ」

 私は彼のよりもひどく焦げた朝食を少しだけかじる。やはりちょっと苦い。

「えぇ、それで?」

「いいかい、すごいのはここからだ。僕が持ち帰った技術のおかげで、現代の科学は一足とびに進化を遂げるんだ。宇宙開発が進んで月や火星のテラフォーミングと人類の移住が始まり、溢れすぎた人口問題は解決する。今問題になっている食糧難だって、バイオテクノロジーの進歩によって荒野でも育つ小麦が開発されて、世界から飢えはなくなる」

 まさに夢のような話だ。私は頷くのみで、続きを促す。

「そしてこの街は最先端の科学都市になり、街じゅうに高性能のAIを搭載したアンドロイドが溢れ、僕たちの日常生活は考えられないほど便利になる。一家に一台のメイドロボットは当たり前の世の中になるんだ。めんどうな家事だって、全部彼らがやってくれる。栄養管理された完璧な食事を作ったり、家のすみずみまで掃除をしたりね」

 夫がウインクをして見せるので、私は笑みを作って相槌を打つ。

「……それは素敵ね」

「だろう? 僕はすばらしい技術をもたらした科学者としてノーベル賞を受賞し、世界に――いや、太陽系に名をとどろかせる英雄になる。現在と未来を行き来しては星々を飛び回り、数多くの理想郷を作り上げるんだ。まさに人類の夢をかなえるタイムマシンだよ」

 そこまで話し終えた夫は、やや上気したような顔でぼんやり虚空に視線を漂わせている。きっと夢で見た理想郷に焦点を合わせているのだろう。

 私は苦いフレンチトーストをどうにか食べ終え、コーヒーをひと口すすってからからに乾いた口内を湿らせる。

「それにしてもずいぶん長くて詳細な夢ね。しっかり眠れていないんじゃないの? ちゃんと疲れは取れた?」

 夫はぽりぽりとうしろあたまを掻く。

「うん、君の言うとおり、ぼんやりするのは睡眠不足のせいかもしれないな。まるで本当の現実のように長くてリアリティのある夢だった。なんだか昨日のできごとが遠い昔の記憶のように思えるよ。それこそタイムスリップしたみたいだ」

 私は微笑む。

「ご冗談を。さぁ、早くしないと遅刻するわよ」

「おっと、いけない。せっかく君が作ってくれたフレンチトーストもすっかり冷めてしまったね。僕としたことが」

 夫は残りの朝食を急いで口に運び、書類かばんを手に取って席を立つ。彼が玄関扉を開けようとするその瞬間、思わず私は声をかける。

「ねぇ、あなた」

 夫は振り返る。

「うん?」

「……ネクタイが曲がっているわ」

 ネクタイを直してやると、夫は優しい笑顔を私に向ける。

「ありがとう。ところで今日の夕飯はなんだい?」

「今夜はポークシチューにしようと思うのだけど……またお鍋を焦がさないように気をつけるわ」

「やぁ、夕飯も僕の大好物じゃないか。僕は世界一の幸せ者だな。今日も早く帰ってくるよ」

「えぇ、約束よ。いってらっしゃい」

 夫は私を軽く抱き寄せ、短いキスをくれる。ぱたんと扉が閉じたあと、私は小さく息をつく。

 幸福感と不安がない交ぜになった感情が、とめどなく胸を渦巻いている。私はうまく笑えていただろうか?


 なぜなら夫が語った夢の内容は、決して夢などではないのだ。



 それはかつて、紛れもない現実だった。

 タイムマシンを発明した夫は、理想郷の創始者となった。各地で英雄と崇められ、莫大な財と名声を手に入れた。

 私の生活もすっかりオートメーション化した。メイドロボットにより毎食バランスのとれた食事が出され、家じゅういつもぴかぴかで、庭にはきれいに洗濯されたシャツやシーツが干された。

 料理の苦手な私が毎朝フレンチトーストを焦がすことも、もはやなくなった。しかしそれは単に、メイドロボットが私の代わりに家事をやってくれるからという理由だけではなかった。

 手にした栄光の一方で、夫はいっさい家に帰ってこなくなったのだ。

 私が見かける彼の姿は常にモニターの中、それも他人ごとのようなニュースの中だけだった。映像装置の電源を切ってしまえば、彼が今どこで何をしているのかわからなかった。

 いつまで待ち続ければよいのか、それすらも。

 ロボットの動作音だけが響く部屋、一人ぼっちで食べる「栄養管理された完璧な食事」は、ひどく味気なかった。


 だから私は、夫の発明したタイムマシンに乗り込んだ。

 科学者になる前の彼に会うために。



 私はダイニングに戻り、すっかりきれいになった夫の皿に目をやる。

 英雄になんてならなくていい。

 与えられた理想郷などいらない。

 不器用な私の、焦げたフレンチトーストをおいしいと喜んでくれるのなら。

 大丈夫、彼はきっと帰ってくる。私の作るポークシチューを楽しみに、約束どおり早く帰ってきてくれる。

 玄関扉を開ける夫の姿を想像して、私は腕まくりをした。



―了―

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