第4話

『あー、びっくりした。何だ? 今のは。雷でも落ちたのか?』

 英二は頭を押さえながら上半身を起こして、周囲を見回した。

『火事にはなってないな……って、あれ?』

 いつも見ている部屋とは、何かが違う。一見どこも変わっていないようだが、よく見ると部屋ごと鏡に映したかのように、全てが反転している。英二は慌てて鏡を見た。

 そこには、いつも見ていた部屋に立ち、男を見下ろしている【あい】がいた。

『お前……何を……』

「うーん!」

 両手を上げて思い切り伸びをしたあと、男の問いには答えずに喋り始める。

「ふう……一ヶ月か。399人目にして最短記録かな?」

 初めて聞こえた亜衣の声に、男は戸惑った。

『えっ? 声……俺――』

「あ? なんか言ってる? 悪いけど鏡の中のあんたの声、外に聞こえないから」

『鏡の中……だと? どうなってるんだ? お前一体なにしたんだよっ!』

 叫びながら鏡を殴る男に対して「鏡割れたら、あんた死ぬよ」と、冷ややかに言う亜衣。男の手はピタリと止まり、呆然とした顔で鏡を見つめる。

「一応礼言っとくわ。あんたのおかげであたしは出られたんだしね」

 もう一度大きく背伸びをしたあと、亜衣は声を出して笑った。

「さてと、あたしはそろそろ行くから。あとは骨董屋のおやじがその鏡引取りにくるの待っといて」

『ちょ……何がどうなってるんだ? 俺はどうなるんだよ!』

 鏡の中から、聞こえない叫び声を張り上げる男。

「だから、あたしと入れ代わったんだってば。なんかヤバイ鏡らしくてさ、それ。自分が出るには、誰かと鏡越しにキスして入れ替わるしかないんだって」

『なっ……そんな――』

「あたしが例のおやじから鏡買ったのが三ヶ月半前。そん時鏡の中にいたのがいい男でさ。今からそいつんとこ行くんだ」

 嬉しそうに言いながら玄関に向かう亜衣。

『まっ、待ってくれ!』

 もちろんその声は亜衣には聞こえない。玄関にある男の靴の中から、履けそうなものを鼻歌交じりに選んでいる。その後姿を見ながら、男は尚も叫ぶ。

 亜衣はようやく一足の白いスニーカーを選び出し、満足気に振り向いた。

「あ、そうそう。鏡の中って結構快適だよ。なんでも揃ってるし……って、あんたの部屋そのまんまだけどね」

 おどおどとした様子で辺りを見渡す男を見て、亜衣は楽しそうに続けた。

「最後にいいこと教えてあげる。その奥にあるノート、歴代の被害者がいろいろ書いてるから。そこに、持ち主にネタばらしたら鏡割れて死ぬとかあって、なかなかためになるよ。ばらさずにキスしてもらう裏技とかさ。あたしも泣き落とし作戦書いたから、あんたも書けば? あはは、じゃあね」

 笑いながら玄関から出て行く亜衣を、男はただ呆然と見つめることしかできなかった。

 それから数時間後、鏡を届けてくれた宅配業者が鏡を引き取りにきた。運び出すための白い布がかけられたとき、男の居る部屋一面もまた真っ白に染まった。男は膝を抱えたまま揺られながら、誰の耳にも届かない声で呟いた。

『このための住所、だったのか……』



 数日後、駅前の通りにある古びた骨董屋の店先に、一枚の姿見が置かれた。ふと足を止めた長い黒髪の後ろ姿に声がかかる。

「おや、お嬢さん。この鏡気に入ったのかい? 今回は……そうだな、400円でどうだい?」



(完)


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淋漓堂 @linrido

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