第3話
「ただいま。ちょっと聞いてくれよ! 今日上司が――」
仕事から帰ってきた英二は、真っ先に鏡の前に向かう。彼の愚痴を頷きながら黙って聞く、鏡の中の女。
「――だぜ! 腹立つだろ?」
ムッとした表情を浮かべ、大きく頷く女。
「だよな? ……それにしても、お前が喋れたらなあ」
英二が残念そうに呟く。最初の恐怖心はどこへやら、今では朝のおはように始まって夜のおやすみまで、家にいるときはほとんど鏡の前に座っている。
「なあ、名前なんていうんだ?」
女は指で空中に名前を書いた。
「あ……い? あい、か。いい名前だな。俺は英二だ」
喋ることはできないが、答えられることにはそうして答えてくれる。
「ところで、なんで鏡の中なんかにいるんだ?」
英二が聞くと、女はうつむき首を大きく横に振った。
「言えないのか……。でも生きてるんだよな、その中で」
顔を上げた女の目は潤んでいた。コクンと頷くと、その涙が一粒零れ落ちた。それを見た英二は思わず「あい……」と女の名前を呼び、鏡に手の平をあてた。その手の平に、鏡の中から女も自分のそれを重ねてきた。
「不思議だな。なんとなく……温かいよ」
英二の言葉に泣きながら微笑む女。その顔を見ながら、英二の顔は徐々に鏡に近付いていった。女もまた近付いてくる。二人の距離が鏡一枚分ほどに近づいたとき、女が目を閉じた。自然と英二は鏡を隔てて女にキスをした。
その瞬間、稲妻のような閃光が部屋を貫き、雷に撃たれたような衝撃が英二を襲い、彼は気を失った。
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