『 ∝ ⊆ ⌘ ﹆ ∵ ⊿ ∠ 』

鳥辺野九

† √ ℃


「あのね、単身赴任で他所に行ってるお父さんが仕事で帰ってくるの。それで、お母さんが、あのね、太郎くんをごはんに連れて来なさいって」


 照れ臭そうに、とっても照れ臭そうに彼女は言った。映画デートの帰り道、照れ臭そうに言ったんだ。


「ちゃんと紹介しなさいって。いい、かな?」


 僕は心の中でガッツポーズを決めた。彼女と、香久夜かぐやちゃんと付き合って一年と三ヶ月。ついにこの日がやって来た、と夜空に輝く上弦の月に拳を突き上げたのだ。心の中で。


「うん。ぜひ、行きたい。香久夜ちゃんのお父さんお母さんに会いたいよ」


「ほんとう? お父さん、ちょっと変わってるから、恥ずかしいんだけど、引いちゃ嫌だからね」


 本当に照れ臭そうに香久夜ちゃんは言った。眉毛の上でぱっつんと切り揃えた前髪をくちゃくちゃにして照れていた。


 そして次の日曜日。僕は初めて香久夜ちゃんの実家に行った。豪華な夕食が並ぶ食卓へ通されて、彼女のお父さん、お母さんと対面した。


 僕の目の前に、全身銀色の目玉が大きく鷲鼻の宇宙人と一本の極太の淡竹はちくがあった。


 香久夜ちゃんはちょっと変わってると言っていたと思うが、ちょっとどころじゃないぞ。どこから手をつけたらいいかわからないレベルだ。


「香久夜の母です。太郎さん、いっぱい食べてってね」


 出された食事は春の香りいっぱいのタケノコご飯だ。まずはこいつからつっこんでおくべきか。共食いですか? 共食いですよね?


 喋る淡竹は頭部(なのか?)の笹の葉をしゃらんしゃらんと鳴らして笑った。


「男の子ってたくさん食べるんでしょ? いっぱい作ったから、さあ、遠慮なさらずにたんと召し上がれ」


 香久夜ちゃんの太ももくらいありそうな極太の喋る竹に、声帯はどこにあるんですか、と知的なつっこみを入れようとしたら銀色のお父さんがビール瓶の栓を抜いて先制攻撃を仕掛けてきた。


『∞ ⊆ ⁂ ﹆ ∃ ∝ ◉』


 何語だ。何語なんだ。


「お父さんがビールは飲めるよなって」


 香久夜ちゃんが通訳してくれた。何語と言うより、むしろ何星人だ。


「はい、ビール好きです。いただきます」


 お父さんが細長い指で瓶ビールを器用に傾けて酌をしてくれた。黒目だけの大きな目玉が僕をじっと見つめている。あれだ。ラージノーズグレイと言うタイプだ。


『† √ ℃』


「カンパーイ」


 香久夜ちゃんの乾杯の音頭で僕はお父さん星人とグラスをコツンと触れさせた。お母さん竹は笹の葉を嬉しそうに揺らしている。根っこは? 根っこはどうしてるんですか? 引っこ抜いてるのか。いやいや、普段はどこにいるんですか? 裏山か。


「しかし、私達の顔を見て驚いた表情一つ作らないなんて、ほんと、感じのいい子ねえ、お父さん」


『§ コロス £』


 ある意味驚きを超越してもはや無我の境地に達してるんです、お母さん。銀色のラージノーズグレイと太い淡竹が顔を見合わせて幸せそうに微笑み合った。香久夜ちゃんもすごく嬉しそうに、そしてやっぱり照れ臭そうにビールを口に運んだ。


 これとこれからこれが産まれるって、神は何をしていたんだ。そもそも同じカテゴリーに属する生命体かすら疑問だ。


「お父さんが出張で地球にやって来た時に、お母さんのきれいな若竹色に一目惚れしちゃったんだって」


 香久夜ちゃんがさらっととんでもない事を言ってのけた。宇宙の法則が乱れまくりだ。


「ロマンチックですね」


 何とか捻り出した言葉がこれだった。壮大な宇宙の奇跡とか、種のボーダーを超越した生命の神秘とか、危うく口からこぼれるところだった。


「私達、竹の染色体数は24対の48本なの。普通の人間の染色体数は23nで46本でしょ? でもお父さんが実験で持っていたヒト染色体がたまたま48本タイプで、もうこれは奇跡の巡り合わせ、生命の神秘だと思ったわ」


 僕があえて飲み込んだ単語をお母さんが普通に使っちゃった。オッケーなのか。それら種の違いを彷彿とさせる言葉は使っていいのか。


『∞ ▱ コロス Å ▱』


 いや、だからわかんないって。それより、言葉に何らかにノイズが入り混んでないか?


「お父さんは遺伝子工学の専門家が創り出した生体ロボットだから、そのマルチ交配細胞を使って竹の節を房室に併合して、人工授精卵を移殖して、後は二人で大切な時間を一緒に過ごしたんだって」


 二人でって、今のところ会話の登場人物に人間は出てきてないぞ。それよりもとてつもないカミングアウトをさらっと混ぜてくるあたり、香久夜ちゃんもある程度事の重大性に気付いているんじゃないのか。


『‰ kill you ⁑ ⊿』


「来週にはお父さんは仕事で月面に戻らなきゃなんなくって私とお母さんと二人っきりに戻っちゃうけど、太郎くんも自分の家だと思って遠慮せずに遊びに来なさいって」


 本当か? 本当にそうか? お父さんと思しき生体ロボットが発した音数と香久夜ちゃんが通訳した文章量が明らかに違い過ぎるし、ノイズの正体がはっきり聞き取れたぞ。キルユーって言わなかったか? お父さんは実は大切な竹入娘を奪われる悲しみと寂しさで怒り狂ってんじゃないか?


「はい。よろしくお願いします」


 でもつっこまないでおく。うちよりはましだ。




 翌月。今度は香久夜ちゃんを我が家へ招待した。僕の両親へ紹介するためだ。


「はじめまして。太郎の母です」


 香久夜ちゃんの前に現れたのは一本の桃の木と身の丈三メートルはあろうかと言う山男だった。僕の母と父だ。


 なるほど。だからそんなに驚かなかったんだ。香久夜ちゃんは嬉しそうに、そしてちょっと照れ臭そうに笑って言った。


 そうだ。僕達の家庭環境は似たようなものだった。むしろ親近感が湧いたくらいだ。


「桃の木と山男との間に子供が産まれるんですか?」


 香久夜ちゃんは和かな顔してタブーに真っ正面から切りかかった。さすが、宇宙人と竹のハーフなだけはある。


「儂等山男の染色体数は48本で人間よりもイエティや雪男に近いかもしれん。一方の桃は16本だが、たまたま母さんは三倍体の桃の木でな、染色体数がちょうど48本だったんだ」


「わあ、私も一緒の48本組です」


「うむ。相撲の稽古として毎晩母さんの桃の木にぶつかり稽古をしていたらな、こう気持ちが高まってムラムラと盛り上がってな」


「いやだわ、父さん。香久夜ちゃんの前でそんな事言わないでよ」


「いいえ、とってもロマンチックです」


 香久夜ちゃんはやっぱり照れ臭そうにして言った。


 香久夜ちゃんとうちの両親との相性も良さそうだ。まともな人間は一人もいないけど、これからもとてもいい関係を築いていけそうだ。

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『 ∝ ⊆ ⌘ ﹆ ∵ ⊿ ∠ 』 鳥辺野九 @toribeno9

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