第10話

 風呂上りに、自分の部屋で、携帯をにらみつけていた。

 自転車の通りかかる音がして、窓の外で、隣の犬がまた吼えている。あとは悠晴の部屋から、ゲームの音がちょっときこえてくるくらい。静かだった。

 紗枝と、ちゃんと話そうと思った。電話をかけて、今日は楽しかったっていって、それから。

 今度買い物にいくとき、あたし、半袖着ていきたいんだけど、いいかなって。

 紗枝がそれでいやな気持ちになることも、あるかもしんないけど、それでも一緒に遊んでくれるかって。そうちゃんと、訊いてみよう。

 頭の中ではそう思うのに、手は動かなかった。

 紗枝はなんていうだろう。その反応が怖かった。だけどたぶん、ダメだとか、いやだとか、紗枝はそんなふうにはいえない。きっと、我慢してしまう。

 それがわかっていて、そんなこというのは、あたしのただのワガママかな。紗枝に我慢を押しつけるだけじゃないのかな。どうしようもない、自分勝手な話なんじゃないかな。

 だけど、このままなのも、いやだった。いいたいことがあるのを、呑み込んで、気を遣って、それで済めば、そのほうがいいのかもしれない。だけど、それでずっと溜め込んで、心の奥では、何にも悪くない紗枝に八つ当たりして、表面上はなんの不満もないよって顔をして。そんなのはいやだ。

 でも、どういったら、紗枝にいやな思いをさせなくて済むんだろう。いい方を間違えたら、紗枝を責めるみたいに聞こえたりしないだろうか。あたしが勝手に気にして、勝手に我慢してきただけなのに。

 ずっとぐるぐるしていた。時間だけどんどん過ぎていく。これ以上遅くなったら、電話しづらい時間になってしまう。

 ためらい、ためらい、何度めかに手を伸ばしたところで、携帯が震えた。

 びくっとして、おそるおそる表示を見ると、紗枝からだった。とっさに手が止まる。まだ心の準備が出来ていなかった。とらないで、あとでかけなおそうか。お風呂にはいってて気付かなかったとかなんとかいって。

 ――負けんなよ。

 久慈の声が、ふっと耳によみがえった。

 悔しかった。

 あいつは、つまんないやつらに負けるなって、そういったけど。そんなことには、負けるもんかって、いわれなくたって思ってる。あたしが負けそうな相手は、そうじゃなくて。遠くから無責任なことをいってくる、他人なんかじゃなくて。

「負けないし」

 ひとり呟いて、ぐっと携帯を握る。通話ボタンを押す指が、ちょっと震えた。

「紗枝? いま、家?」

『うん。今日、つきあってくれてありがとね』

「ううん。こっちこそ、楽しかったし」

 ねえ、ちょうどよかった。いま話せるかな。訊きたいことがあるんだ。勇気を奮い起こしてそういおうかと思ったとき、電話の向こうで、紗枝がなにかいいかけて、ためらうような気配があった。

「なに、どうかした?」

 訊くと、うん、と頷いて、紗枝はちょっと緊張したような声を出した。

『ねえ、亜希子。いま、ちょっと話してもいいかな――』

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紫鱗に透ける 朝陽遥 @harukaasahi

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