第5話
「そういえばティオさん、ちゃんと聞いてませんでしたけど。あの、お店は」
どれだけ沈黙が続いただろうか、口火を切ったのはシャーラだった。
――そしてそれは、ティオにとっては避けたい話題だ。
どうしても場の雰囲気を悪くする答えしか出て来ようが無い。お茶を濁してもそれは悟られる質のものだ。
事情を知らないイリアが、固唾を呑んで見守る中、ティオはそっと溜め息を吐いた。
「領主命令で立ち退きが決まったよ」
それを潔さとは言わないのだろうが、等身大の事実はあっさりと零れ出てしまった。
それ以上でもそれ以下でも無い、ただの実状。そんなものを聞かされた二人の反応にはかなりの差があった。
静かに舌を噛んで受け止めたシャーラと、驚愕のあまりティオの肩に手を置くイリア。
「本当か」
問い掛けに首を縦に振る。
「なぜ」
「客が居ないからだよ」
「私が客になれば」
「お金無いくせに」
イリアはくずおれた。
「おしまいだ……」
自分自身のことのように落ち込むイリアは、これはこれで真剣らしい。決してからかおうというわけでは無く、単に心から地に両手両膝をついている。
端から見れば滑稽以外の何者でも無い。ティオはつい生温かい表情で眺めたが、素直なシャーラの視線は辛辣だ。凍てついた眼で、しかも直視を避けていた。ともすれば喧嘩を売っているように見えたのかもしれない。
イリア=ヨークス。ソロの女冒険者。
どうやったらこんな人が育つのだろう、と。そんなどうでもいいことをティオは考える。
冒険者になる奴は大抵どこかおかしいものだ。生活も仕事内容も拠点も何も、一つとして安定しない。命の危険があることも多く、苦楽を共にするパーティーメンバーもすぐに入れ替わってしまう。三人ぐらいで創設したパーティーだと三人共が入れ替わって残っているのは名前だけ、なんてこともあるそうだ。
その点、イリア=ヨークスは善良だ。そこまで変ではない。
「……イリアはさ、一人で生きてるんだよね」
ふと気になったことが、言葉になって零れていた。
呟きが耳に届いたらしい。イリアが立ち上がり、真意を問うようにティオに向き直った。
彼女は、冒険者としての仕事を、一人で受けて一人でこなす。そんなことが簡単に出来るのならばパーティーなんてものは生まれない。徒党を組むことに利点があるというよりは、普通は集団で以て当たらなければ依頼を完遂できないものなのだ。
そもそも例えソロでも、ほとんどの依頼は即席の同僚と協力する形で受けることになるのだから、最初から固まっていた方が話も早い。即席では『仲間に何が出来るのか』、協力すべき相手の能力が正しく測れない。それはミスに繋がる不安要素で、冒険者が死ぬ切っ掛けになるのはそういうミスだ。
それでもイリアはソロの冒険者として生きている。生きていけている。
「そうだな。その通りだ」
頷いたイリアを前にして尚ティオは、そのことにどうしても納得できなかった。
自分の仕入れとは事情が違う。ティオだって薬草を自分で採取して、栽培して、そうして生計を立てることは出来ていたけれど、決して無茶はしてこなかった。無茶をしなければ目的を成し遂げられない状況に陥るのを避けてきた。
冒険者には無茶をしなければいけない場面がしばしばある。噂話でも聞く話だし、実際の冒険者であるノイトワやアーサーが何度も無茶してきたのは知っていた。
そういう無茶も仲間と協力すれば乗り越えられる、というのは理解できる。美談でもあるし、何よりそれは自然だ。数は力である。
「どうしてイリアは一人で?」
だからこそ、そうしなければならない、必然性があるとは思えなかった。
「さて。私は実際、ソロで冒険者としてやっていけてしまっているからな。切羽詰まっているわけでは無いのさ。だからじゃないか?」
「いや……、そうなの?」
「どうだろう?」
どうやら自分でも確固とした理由は無いらしい。問いに対して返ってくるのは推量らしき不明瞭な言葉ばかり。
が、自身を指して実力があると断言したイリアには気負いが無かった。ただそれを事実として認識している。誇るわけでも無く、宣言するでも無い。これこそが、ソロ冒険者の佇まいというものなのだろう。
「そのことなら、私はあまり他の冒険者と交流したりしないんですけど、それでもそこの人の気になる噂を何度も聞いたことありますよ」
「そこの人って言い方」
「だって……」
「気にするな、慣れている。しかし私の噂ね、それは例えば、魔性とかか?」
なんとも思うところのありそうな風に、イリアはその言葉を吐いた。忌まわしげに歪んだ苦笑、それは間違いなく負の感情によるものだ。
今までカラッと湿り気が無かったイリアの、ティオにとっては初めて見る、本物の苦渋。
「……イリアさん自身からその言葉が聞けるとは思いませんでした」
驚いたように言葉を返したのは、シャーラの方だった。問いに直接は答えていないようでいて、それは事実上の肯定である。魔性、とイリアが実際に噂されているということを、シャーラは何度も聞いている。
「なぜだ? 他ならぬ私のことだからな、当然知っているさ。というより呼ばれ始めたその瞬間から把握している。なにせそのとき、私は魔物に懐かれたんだからな」
飄々と言葉を紡ぐイリアは、着けっぱなしの籠手の留め金を、ぱちり、ぱちりと、苛立たしげに鳴らしている。腹を立てたときの癖なのだろう。あるいは血管が一つ一つと切れていくかの如く、張り詰めた緊張の度合いを規則的な音色が高めていく。
その様子を見て、台詞を聞いて、ティオの心臓は一つ脈打った。
「冗談――って顔じゃ、ないね」
声はたどたどしく、しかし理性的な目で観察しながらティオは言う。
「嘘もついてなさそうだ」
「私は大真面目の正直者だよ。ふざけているのは現実の方だろう?」
怒りを
「冗談だったらどれだけ良かったか。私が魔性なのか? 世界は私のために狂っているのか? 魔物は私の味方だというのか? 恨み言は尽きないさ。ま、妄言みたいなものだが」
声音から溢れる感情が刺すように痛い。なのに表情だけが動かず、却って不気味さを増していた。イリアも別に本音をもっとさらけ出したって構わないだろうに、なんてティオは思いながら、だが脳裏に貼り付いて離れないのは別のことだ。
――魔物に懐かれる。
その性質に心当たりがあった。
「……エリオットと、同じだ。そっか。そうだったんだ」
かつて、稀にではあれ、エリオット=ミシェルも魔物を従えていたのだ。懐かれるとはまた穏当な表現だが、記憶の中のエリオットとの共通点には違いない。
納得と共に頷く。どうしてこうもティオはイリアに気安く、ともすれば親しみさえ覚えているのか。似ても似つかないエリオットとの類似点がその理由と考えれば、ティオの中での
しかし、逆にシャーラにはその荒唐無稽な話は到底受け入れられるものでは無かった。
「誤解を招く表現は控えてください。懐かれる? そんな動物や子供を相手にするようなこと、有り得ません。噂には尾ひれが付きものです。イリアさんのそれは不運さが誇張されただけでしょう?」
吊り上がった眉に鋭い視線。研究者でもあるシャーラは自らの知識に反する妄言には敵意を向けて接することが多い。今回もそういう気質の表れだった。
イリアは困ったように頬を掻く。
「そう言われてもな、事実に変わりは無い」
「嘘を吐いているわけでは無さそうですが、有り得ません。受け入れられません。それは勘違いです」断言して、シャーラは視線を滑らせる。「ティオさんも黙ってないで何か言ったらどうですか。うんざりするほど言っていたアレ、『魔物は叶えたくない願いの産物』とか。だったら懐くなんてこと」
「違うんだよシャーラ」
ティオは首を振って、繰り返す。
「違うんだ」
「……は?」
「エリオットが。エリオットがそうだったんだよ。僕に魔物のことを、色んなことを教えてくれたあの人が。理由は分からないけれど存在するのは確かなんだ。魔物を従えられる人間っていうのが」
エリオットが撫でている。記憶の中の光景がティオの脳裏に浮かんでいる。それはあの二人が過ごした森の、家とも呼べない粗末な住処で、エリオットがそれを撫でていた。
それが、魔物だった。
思えば、あの頃の日々は魔物に満ちあふれていた。森を出てからはすっかり縁遠くなってしまった異形達も日々を彩る背景の一つで、隣人の一人だったのだ。ティオの思い出の中で、エリオットは繰り返し告げてくる。
――魔物は危険だよ。
そう語るエリオットの膝には、なのに時折その魔物が乗っていて、牧歌的と言って良い和やかさに満ちていた。
――でも悲しい存在なんだ。だから僕は魔物が好きだ。
エリオットは魔物を愛している。我が子のように掻き抱き、そしてきっと。疑いようも無く。膝の魔物も、エリオットを慕っていた。叶えたくない願いの結晶であるはずの魔物が、その願いを忘れているかのように、まるで元々そうしていることを願っていたかのように。
そんな風景を覚えている。だからティオには疑えない。それが事実なのだと分かってしまう。
イリア=ヨークスは魔性だ。そう呼ぶことはきっとある一面において正しいのだろうと、事実なのだろうと、ティオ=エスビルだからこそ肯定した。
「イリアもそうだというなら、今まで聞いて来た噂にも納得できる。すっかり忘れてたし、エリオットだけが特別なんだと思い込んでたけど、一人居るなら他にも居る。当然だった。僕はむしろ肯定するよシャーラ。イリアは勘違いしていない」
断言するティオを前に言葉をシャーラは言葉を失う。納得しがたいが反論も浮かばないのだろう、眼鏡を外して汚れを拭き取りながら、長く長く息を吐いた。
「分かりました」
言葉の上ではそう告げて、眼鏡をかけ直す。曇りの晴れたレンズ越しに、シャーラ=ネフィルアイスは二人を見すえた。その瞳に分かりましたなんて殊勝な文字は無い。むしろ敵意が浮かんでいる。
どさり、と。紙の束が机上に置かれた。雑に置かれた書面の山が雪崩を起こし、机を埋めるように散らばる。
不可解な行動に首を傾げたティオの目にその紙の束で躍る字が飛び込んできて、得心が行った。魔物、魔物、魔物。
――探求都市からの土産物だ。
「質問があります」
研究者の目をしたシャーラがそう切り出して、そうして唐突に戦端は開かれた。シャーラ=ネフィルアイスにとってそれは戦場である。
☆
「――魔物とは何でしょう? それは今のところ明確な答えが存在していない、基礎研究段階の概念です。私にはまだ分かりません。だから問います。魔物というのは何なんですか?」
テーブルを真ん中にして三人が向かい合うと、シャーラが議題提出の代わりに質問を飛ばす。魔物とは何か。それは探求都市でさえ判明していないことで、こんな普通の組合所で話し合ったところで結論など出ないだろう、分不相応な問い掛けだ。
ティオには一定の所見はあるが、それもエリオット=ミシェルの受け売りである。イリアに至ってはただ縁があるだけ。意見を交わすに相応しい魔物学者なんてこの場には一人も居ない。
それでもティオは言った。受け売りで借り物の言葉を自らの口から、ハッキリと。
「僕の意見は変わらないね。魔物は叶えたくない願いを受け取って生まれた魔法の成れの果てだよ」
こんな会話は焼き直しだ。ティオとシャーラの付き合いの中で聞き飽きて、言い飽きている。だが続く切り返しが新鮮だった。
「ティオさんがエリオットという人物からそう教えられたとは何度も聞いています。しかし前々から疑問だったんですよ。魔物は明らかに目的を持った行動をしていますよねぇ。何をしているかは判然としませんけど、何かをやっているのは確かです。それは魔物に意識が存在していることを示唆しているのではありませんか。ティオさんはそれを叶えたくない願いの産物だと、魔法だと言う。魔法によって意識が作られたのだと言う。それはつまり私という個が魔法によって作れるという意味ですかぁ?」
煽るようにティオの眼球を覗き込むシャーラにはひたすらに敵愾心がある。納得の得られない不可思議に挑みかかる知の獣の眼差し。
問われているのは、魔法で個が作れるのか、魂が作れるのかということ。それは最早一つの研究命題としても充分な難題だ。
「飛躍しすぎじゃないかな。だったらシャーラは魔物を生物だと? 懐くとか懐かないとかでイリアに突っかかってたのはシャーラじゃないか」
「『生きるために』。生物が持つ共通の本能です。魔物にその"生きるために"はありません。そういう意味では魔物は生物では無いでしょう。ですが魔物にはそれぞれ個々の特性がある。『どこかを目指して直進し続ける』、『ひたすら穴を掘り続ける』。それをティオさんは"叶えたくない願いの表出"だと言いますけど、こう見ることも出来るんです。そういう"自分が生きている限りやり続けたいこと"を魔物が持っていると。そこには意志が介在する。不完全とは言えそれもまた"個"なのではありませんか?」
長々と語りながら、シャーラは机の上の束から冊子を一つ抜き出してティオに突きつける。白い指で摘まみ上げた、何かの記録。目線で問い掛けるティオにシャーラは言葉を付け足す。
「そんなことを悩む切っ掛けになったものがあります。それがこの"喋る魔物"についての記録です。読んでください」
特に何も言わず、ティオはそれを開いて読み始めた。冊子は一つ、期せずして蚊帳の外になりそうで不満だったのだろうか、イリアが横に寄ってきてその中身を覗き込む。
喋る魔物。シャーラが言った通りのその存在について一つの冊子に纏めてあった。
事の始まりは魔物の発生条件に関する実験であったらしい。魔物はある一つの共通幼体を持っているとする見解を下敷きとして序文に提示してある。"形無きもの"と意味合いそのままの名前を付けられた不定形、粘性を持った液体のようなものだと説明されているそれからあらゆる魔物が生まれるのだと。魔物が死した際に溶けていく姿として知られている粘液体。そうして、偶然にも研究者達の手の届くところで発見されたその孵化する前の不定形を観察し始めたところから記録は始まっている。
出発点は偶然によるものだ。同じ実験を何度も行なう目算が立っていないことから、彼らはそれに干渉すること無くひたすらに観察と記録を行なった。再現性の確認という段階に至れるほど場が整っていないので、その場その時での性質の把握に努めたのだ。本当に基礎的な、準備程度でしか無い初歩的研究になるはずだった。
予定が崩れたのは、実際に魔物が発生した瞬間だ。確かな興奮と共にその切っ掛けが綴られていた。
――曰く、その魔物は挨拶をした。
『やあ、おはよう』と。角や鱗や体毛があるとは言え、成人男性の姿をした生まれたての魔物は言葉を発したのだ。そいつは確実に言語を正しく扱っていた。
その上そいつはこう続ける。
――何でも聞いてくれたまえよ。答えられるものは答えようとも。
そこから記録は加熱し、加速する。この冊子を纏めるに当たって重要なのはここからなのだろう。会話の流れをおざなりに、質問とその回答について事細かに記されていた。言い回しから何から、ただ言葉による応酬だけでは無く、その際の様子までをつぶさに。
何が手掛かりになるか分からないからだ。全てが"手掛かりかもしれないこと"で、学者達は言葉一つ、仕草一つ、全て見落とさないようにと情報を記録していた。
それは、会話可能な程度の知能をその魔物が持っていることを示唆している。
「私は実は、今までティオさんの言う『魔物が叶えたくない願いの成れの果てである』という意見を正しいと思っていました。それこそが答えなのでは無いかと。再三ティオさんとはその話で議論を交わしてきましたし、それがエリオットという人物からの又聞きであるとは言え、納得できるだけの論拠も受け取ったつもりで居たんです」
視線を走らせるティオを注視しながら、シャーラ=ネフィルアイスは毅然とした態度で続けた。自らの立場を明確にするために。
「だけど、それでは説明が出来ないんです。この記録に書かれていることが。それに、イリアさんに魔物が懐いたという話も。そんなことが有り得るならば、"叶えたくない願い"に、イリアさんに懐きたかったという思いも含まれていなくてはおかしい。そうで無くては魔物が"心変わり"したことになってしまうんです」
「懐くの話はさておき、この記録については研究者たちが"魔物について教えてくれる存在"を願った結果、こうして会話可能な自我らしきものを持った魔物が生まれたってだけなんじゃないのかな?」
滔々と自らの考えを語るシャーラに、ふと首を傾げてティオは呟き、シャーラはそれを一息に突っぱねた。
「最後まで読んでください」
その言葉の意味するところはつまり、これから何らかの変化が生まれるということだ。
記載されている記録を読み進め、ページをめくり、彼女が問題にしている部分を探していく。様々な質問にその喋る魔物が次々に答えていく。飄々とした口調はどこか人間臭く、しかし超然とした佇まいに謎を残している。
そうして。質問が途絶えた後、雲行きが変わっていた。
――やあやあ、これにて目的は達成されたようだね。
言葉だけを見れば満足げなそれは、しかし、奇妙な表情で以て発されたらしい。形容に迷ったような殴り書きの単語が幾つか記されていて、それは『悲しげ』や『苛立ち』、『諦め』といった負の表現ばかりだ。
少なくとも喜びでは無い表情で、その魔物は言ったのだという。
――では我が生きる意味も無くなったということだ。
――だが溶けてなくなるにはまだ早い。
――なぁ、人間。
――己がままに生きる魔物を、自我を持つ魔物を、見たくは無いか?
そしてその魔物は、笑ったそうだ。
――今、願ったな?
これこそがシャーラが言及しようとしていた部分なのだろう。
自我を得た魔物自体を願われれば魔物も自我を持てるだろう、ということでは無い。そいつがそれを理解して、誘導したであろう言動を指しているのだ。それは明らかにそいつが自身の目的を持って行なったものだ。周囲を誘導して自分の望む在り方を願わせた。
魔物が完全な自我を持っているのならばそんなことはしなくても好きなように生きていける。だが全く自我を持たないのならばそんなことが出来るはずが無い。魔物がひどく中途半端な在り方をしているという証拠が記録の中に示されていた。
感謝の言葉を残して、そいつは去ったらしい。名も無き人型の魔物、便宜的に『彼』と称される個体は、その背に翼を生やしてどこかへと飛んでいったのだと。
「それは十数年ほど前に失われた国から発見された研究書だそうです。どうやら盛んに魔物の研究を行なっていたところだそうで、書かれているのも恐らくは真実であろうと。探求都市で調べられた上で保証されているので、ある程度の信憑性はあるでしょう。だから、私の言いたいこと、分かってもらえますよねぇ?」
「……確かに、これは魔物が単に"叶えたくない願い"の産物だとしたら説明が付かないね」
「魔物が懐く、というのもそうですよ。エリオットという人は自分のそういう性質についても何か言ってなかったんですか?」
二人がこうして顔を突き合わせるのは初めてでは無い。むしろシャーラがローン街に滞在している間には定期的に見られる姿だ。
「言ってなかった……ね。はぐらかされた記憶しか無いよ」
「隠さなければならない理由があったのか、それとも単に知らなかっただけかもしれません」
「エリオットが知らなかったなんてこと! ……いや、あるのか。そうかもしれない、な」
「とにかく、そういう問題があるのは確かなんです。ざっと関連ありそうな資料を探求都市から写して持ってきました。一緒に考えましょう」
探求都市に滞在している間に出来るだけ用意してきたのだろう、シャーラが机の上に置いている資料の束は一日やそこらで読み切るのが難しいほどに多い。
さっそく一つ目を手にとって中身に目を通していくティオと、ほぼ身を乗り出してその様子を見守るシャーラ。
ぽつんと、イリアはいつの間にか置いてけぼりにされていることを自覚していた。
途中までは何の話をしているのか理解しようとぐらいはしていたが、ふとレベルの違いを感じ取ってからは完全に傍観者だった。この中で最も魔物と出会った回数だけは多いだろうと自負していたが、理解度については遠く及ばないらしい。二人の間にある共通認識程度の見解さえも傍から聞いているだけではサッパリ把握できなかった。
だが語り合う二人を横から眺めていて、思うところもある。
「……楽しそうだな。とても」
そんな言葉がイリアの口から零れ出たのは、完全に無意識からだった。
「はい?」
それを聞き咎めて視線を向けてきたのはシャーラだけだ。ティオは資料を読み込むのに夢中で、あるいはイリアの存在を忘れているのかもしれない。
「いやな? 何の話をしているのかは分からなかったが、二人はとても仲が良いのだなと思って」
「――なッ」
「ほら、」
直ぐさま牙を剥き出しにするシャーラを制して、イリアは手の平で指し示す。
ティオとシャーラの、その距離感を。
「とても近い」
ガタン、と椅子を揺らして、シャーラは慌てて椅子ごと退がった。その怯えた獣のような仕草がまた愛らしく、笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった。
「ふっ、はは、」口元を押さえてなお愉快な声が零れてしまう。「私はお邪魔だったようだな、これは失礼」
「なななな――ッ!?」
「意外と可愛いんだな。シャーラだったか。覚えておこう」
「そんな覚え方されたくないですっ!!!」
顔を真っ赤にして吠えたシャーラが、そのまま唸りながら睨みつけてくる。身体を少し震わせて威嚇してくる、その様子がまた小さな動物を見ているようで、イリアは急に親しみを覚え始めた。
そんな彼女が気に食わないらしく、シャーラは今にも噛み付かんばかりだ。
「まぁそんな猛るな。私は去ろう、後はよろしくやってくれ。早急に金を稼がなければならないからな」
「うううう゛」
「おい、ティオ!」
唸るシャーラを無視してティオを呼ぶ。ゆるりとワンテンポ遅れて顔を上げるティオに、イリアは告げた。
「私はここらで退散するよ。ちょうど組合所に居るからな、良い依頼が無いか見て、そのまま帰ることにする。借りた金については――、」
言いかけて、忘れかけていた事実が脳裏を
咄嗟に出た言葉は、
「……いや、また来る」
だった。
「そっか、気をつけてね」
シャーラの肩をぽんと叩き、挨拶を済ませたイリアは踵を返す。
階段を降り、掲示板に向かいながら考えるのだ。命の恩と、薬代。その返済方法を。長期間掛けてじっくり返すつもりで居たが、それは可能なのだろうかと。
イリアの目からは、ティオはどうにも危うく見えた。
ゆっくりと恩返しをする、そのための時間がティオとの間に残されているのだろうか。それがイリアには気がかりだった。
ローン街の魔物 針野六四六 @zakozasf
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