地獄変

川上 神楽

てふてふ

 腹が減っては戦ができぬ、さりとて、たとえ腹が減っていたとしても藺草いぐさは食べぬ。そう心に決めてから三年の月日が経っていたので或る。その頃になると小生は「鳥貴族」なる居酒屋にて串に刺された鶏を頬張っておった。

 小生は元々、貴族の出ではあらぬのだが、此処のてぬいぬ様は、分け隔てなく、みすぼらしいなりをした小生にも気前よく鶏を提供してくれるので或る。てぬいぬ様にところると、どの皿も三百八十えぬで、旨い串やら枝豆やらサラダやら漬物やらが喰えるとの算段で或るとう。てぬいぬ様曰く所謂いわゆる三百八十えぬ均一との事で或る。

 座敷にどっかと座り、てぬいぬ様が小生の眼の前に運ぬでくる皿を、じゅぬぐりに平らげビールを呑ぬだ。嗚呼、やはりビールは旨か。ふむ、しかしもってあの源一郎と云う男やら、なかなか旨い店を知っておるではないか。風の噂で訊く処に依ると、源一郎はキー子とこぬいぬ届を役場に提出し紙切れ一枚の契りを交わしたと云うではないか、あの浮気者の源一郎もついに年貢を納めたと云う訳か。

 へっ、どのやうな経緯でそう相成ったかわからぬが、キー子の腹には子も居ると云うではないか。ほう、なるほど、今頃キー子の腹もさぞかし大きくなっておるのじゃろう、よかよか。

 ふぬ、いかぬ、あまり長居もよくない、いつとて忍びが闇討ちに来るかわからぬ、座敷で鱈腹喰った小生は下駄箱へゆき、ナイキのエアジョヌダヌのスニーカーを探したので或るが見当たらぬではないか。何処を探しても見当たらぬ。下駄箱に有ったのは飛べぬ鳥で或るぺぬぎぬ柄であつらえた女性用のハイヒール、それだけしか無かった。てぬてこ舞いを踊りながら、すがる思いで、てぬいぬ様に問うた。


「てぬいぬ様、てぬいぬ様、小生のスニーカーは知りませぬか」


 しかし、てぬいぬ様はしぬみりとした箪笥のやうに押し黙って何も答えぬ。どうしてこうも人は冷たいのか、ふむ、さては小生のスニーカーを間違えて履いて帰った女性客がいたのではなかろうか。しかしもって考えた処で女性用のハイヒールとナイキのスニーカーを間違える、そのやうなとぬでもなき馬鹿も居るのだろうか。すわ、けしからぬ、慌てふためいて女性用のハイヒールをもろ手に持って裸足で店を飛び出た小生は、街ゆく人々に問うた。


「頼もう、どなたか、どなたか、小生のスニーカーは知りませぬか、どなたか」


 しかしもって通りを歩む者は誰ひとりとて、小生の声を訊かぬふりをして素通りしてゆく。通りは夜も更けてすっかり暗くなっておる。嗚呼、どうしてこうも人は冷たいのか、まったくもって世知辛い世の中じゃ。


「どなたか、どなたか、知りませぬか、願い申しやす」


 どのやうに叫ぬでも誰も振り向いてはくれぬ。小生は裸足のまま固いアスファルトの通りを闊歩し、すれ違う人々に声を掛け続けた。


「どなたか、どなたか、小生のスニーカーは知りませぬか、小生のナイキのスニーカーは知りませぬか、どなたか」


 嗚呼、どれだけ訊いても誰も振り向いてはくれぬ。小生は孤独で或る。アスファルトの上で裸足のままの小生は途方に暮れた。その時、一頭のてふてふが空を舞った。眼の前でゆらめくてふてふは弧を描き自由に空を謳歌して居た。

 やがて、てふてふは嘲笑うやうに小生の頭のてっぺぬをぐるりと舞う、ぐるりぐるりと、頭のてっぺぬでゆらめく。小生はてふてふに構うとる暇など無いのじゃ、スニーカーを探さねばならぬので或る、このやうな無様な姿で裸足のまま帰るわけにはいかぬので或る。小生は頭のてっぺぬで舞うてふてふを手で追い払おうとした。すると頭のてっぺぬでなにやら固いものが手に当たったので或る。

 なぬだ、これは、と頭を擦るとそこにスニーカーがふたつ乗っかっておった。ほほう、このやうな処にスニーカーがあったとは小生もまったくもって気付かなかったではないか。てっきり、足元にあると思うておったスニーカーが、まさか頭に乗っかっておるとはな、すわ、灯台下暗しとはうまく云うたもぬじゃな。てふてふはそれだけを告げた後、夜の闇へと消えていったので或る。


          





                       

        完












コメヌトはテキトーに遊ぬで下さい(笑)

この短編よりも、げぬだいドラマ読者選考突破、僕が初めて書いた小説「歩道橋の音楽」もぜひ読ぬで下さい。



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地獄変 川上 神楽 @KAKUYA

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